ミネルヴァ大陸戦記

一条 千種

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第19章 アマギの里 前編

第19章-② 招かれざる客

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 異国風の旅装をした青年と、笠を目深まぶかにかぶった小柄な男性が二人。
 一見するとそのような取り合わせに見えるこの集団も、物慣れた盗賊や匪賊ひぞく連中からすれば、女連れであることは一目ひとめである。今日日きょうび、女装のまま旅路を行く女はほとんどいない。たいていは安全のために、男装をする。だが服装をいくら工夫しようと体格までは隠せないから、小柄で顔をことさらに伏せるような者は、女であると分かる。そのため運悪く賊に捕まった女は、結局は身ぐるみを剥がされ、手籠てごめにされてしまう。無論、なかには正真正銘の男であることもあるのだが、勢いのついた賊は相手が男だと分かってもそのまま犯してしまうことがある。この時代の王国は、あちこちでそのような賊が跳梁跋扈ちょうりょうばっこしていた。
 金に余裕があれば、用心棒を雇って護衛をつけるところだが、これも運のない者は、その用心棒に背かれ殺されてしまう。この世界で生きてゆくには、まさに生き馬の目を抜くような機敏さと狡猾こうかつさが必要であろう。
 路傍に打ち捨てられた無残な亡骸なきがらを目にするたび、ミコトは吐息を漏らし、故郷の美しく豊かな山河がわずか数年のあいだにこのように朽ち果てたことに慨嘆した。最初は憐憫れんびんの思いで、遺骸を土の下に埋めていたが、そのうち際限がないことに気づいた。難民の群れであったのか、身の回りの荷物はおろか衣服さえも賊にすべて奪われ、野犬に四肢や腹を食いちぎられた数十人の遺体を目にしたときは、生来、気丈を自認しているミコトでさえ、失意のあまり終日、口をきかなかった。
 夜、ようやく口を開いてサミュエルに、
「この国には、もう人が安心して住める地はありませんね。特に今日は、初めて自分の目が見えなければ、と思いました。見たくないものを、見ずにすみますから」
 折しも、天気は小雨で、木陰でわらを敷いただけの寝床に、二人は並んで膝を抱え座っている。周りはとっぷりとした闇だけだ。
 かすかに、サミュエルの身じろぎする気配がした。
「目には見えなくても、分かることがあります。人のむくろは見えなくても、その死臭はよく分かります。それを見たミコトさんの気持ちも」
「あなたに、私の気持ちが分かると?」
「無力な自分に絶望して、悲しんでいます。ミコトさんは、この国が好きだったのではありませんか?」
「えぇ、そうですね。よくお分かりです。絶望して悲しんでいるのも、この国が好き、いえ好きだったのも事実です」
「早く、世の中がよくなるといいです」
 そう、早く世の中がよくなるといい。しかし、彼女が生きて故国の豊かな田園を望める日は訪れるであろうか。
 彼女にとって希望があるとすれば、クイーンの存在であった。彼女ならば、いずれ正道を高らかに掲げ、まずは帝国を屈服させ、次いでイシャーンとチャン・レアンを追討し、王国の地を傾国の美女スミンの邪悪な支配から救い出してくれるであろう。だが、教国から王国はそれこそ雲煙のかなたにあり、平定にどれだけの年数がかかるかは予測もつかない。それに、いかに天才といえど、帝国軍は精鋭であり、イシャーンとチャン・レアンも名うての勇将である。そのような群雄を相手に、勝利を重ねることなどできるのであろうか。
 そこまで考えて、ミコトは首を振った。彼女ごときが、当事者でさえ分からぬ未来についてあれこれと検討をめぐらせたところで、結論はおろか仮説を立てることもできないに違いない。
 今はただ、クイーンに託された務めをまっとうするだけである。
 グイリンからアマギの里は遠い。何しろ、王国の地は広いのだ。単純な国土の広さで言えば、最も広大な版図を持つのが北東の大国バブルイスク連邦であり、それに次ぐのがオクシアナ合衆国、さらにスンダルバンス同盟とオユトルゴイ王国といったところだが、王国南部は高山がないわりに鬱蒼とした密林地帯が果てしなく広がる未開の地である。王国の生産力はほとんどが北部に集中しており、特に中央部の王都トゥムルとその北、同盟領と旧ブリストル公国に近い平原地帯が沃野である。
 南部の密林を強引に切り開き、貿易港である西南のグイリンと、バブルイスク連邦とのあいだに南北の奴隷貿易が活発な東南のダリ、そして王都トゥムルを三角形に結ぶ街道上だけが、旅行者や商人にとってはほとんど唯一の道と呼べる道である。それ以外は密林か大河に入り込むこととなり、土着の異民族や凶暴な野生生物が生息しており近づくのは危険とされている。
 ただ、往来する官憲や、野盗のたぐいを避けるため、やむなくしばしば本道を外れ密林や獣道、沼地へと足を踏み入れた。そのたび、野犬の群れやジャガー、大蛇などと遭遇し危険を味わったりなどしたため、目的地への歩みは遅い。アオバの機転と小太刀こだちの腕、それにサミュエルの特異な危険察知能力がなければ、ミコトは野生生物の好餌こうじになっていたことであろう。
 アマギの里に着いたのは、12月10日のことである。見慣れぬ旅人の気配と、そのうち少なくとも一人の正体が知れていたのか、里の入り口で、アオバの父で里のおさであるミナヅキが、軽武装の郎党10人ほどを従えて迎えた。いずれも片刃の大刀だけをさやぐるみ携えただけの姿だが、その身のこなしやたたずまいはまるでひょうか何かのようで、相当な鍛錬を積んだ忍びたちである。
 出迎えるミナヅキも、腕を組んではいるがその気息にわずかな隙もない。三人の客人のいずれかに、ささいな敵意でも起これば、左の腰にある刀はたちまち石火の速さで鞘走るであろう。
「そこに見えるはアオバか」
「父上、お久しゅうございます」
「ずいぶんと卒爾そつじな里帰り、いかなる風の吹き回しか」
「話せば長くなります」
「ならば入って酒を飲め、と言いたいところだが、お前たちに敵意がないことをどう証明する」
「私はあなたの娘です」
「それだけか」
「それだけです」
 ミナヅキはしばらく黙っていたが、やがて背を向け、肩越しに言った。
「まずは旅塵りょじんを払え。話を聞くのは明日だ」
 なるほど、すでに黄昏時たそがれどきで、日没が近い。周辺の山里が燃えるように赤く、ミコトはその鮮やかさに思わずまぶたの裏がにじんだ。この国にも、まだこれほど美しい夕景が残されていた。
 里は男も女も、老いも若きもみな表情に秋霜しゅうそうを思わせる厳しさがあり、居心地は決してよくない。敵意ではないにしても、それに近しい感情をもって、ミコトらを取り巻いているように思われた。
 先ほどのアオバとその父のやりとりにも、腑に落ちないものを感じる。彼らの会話には、骨肉の情や親しみといった気配をうかがうことができなかった。単なる親子というだけではない、ただならぬ因縁があるのか。それともこの里の雰囲気から察するに、里の頭領とその娘ともなると、あのようなぬくもりのかけらもない間柄にならざるをえないのであろうか。
 (これではまるで、招かれざる客)
 里の者たちの冷たい視線を感じるミコトとは違い、サミュエルはいたって平静で、自然体でいるように見える。
 ある小さな子供が、親の目から離れて、サミュエルに興味を持った。里に盲人がいないはずもないが、あるいは彼が全盲だからではなく、その紅茶色の髪や、高く盛り上がった鼻梁や、王国人とは明らかに違う体臭に、興味を持ったのかもしれない。
 サミュエルは小さな息づかいか、それとも光の術によるものか、子供に顔を向けて、にこりと口元を微笑ませた。そういえば、彼がこのような明るい笑顔を見せるのは、あの事件から目覚めて以来、初めてであったかもしれない。
 子供はやや恥ずかしそうに微笑を返したのだが、サミュエルには見えているのか、どうか。
 三人には、頭領屋敷の一室が貸し与えられ、常に数人の監視がつけられた状態で一夜を過ごすことになった。見張りの連中は監視している、ということを隠そうともせず、しきりと客人らの様子をうかがったものの、三人は旅装をほどき、綿入れの布団にもぐりこむなり、揃って泥のように眠った。この3週間ほど、彼女らは王国の官憲の目を逃れ、野盗や山賊を避け、さらに厳しい自然環境とさえ戦って、気の休まる暇さえなく歩き続けた。誰にとっても、過酷なことこの上ない3週間であったのは間違いない。
 歓迎されていそうもないとはいえ、ともかくも安眠の地にたどり着けたことで、ミコトとサミュエルはまるで天国へと舞い上がったような充足感を得て、この日を終えた。
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