ミネルヴァ大陸戦記

一条 千種

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第9章 帝国の人々

第9章-② 誇り高き武人

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 レガリア帝国国防軍第二軍集団司令官ギャリー・メッサーシュミット大将。 
 彼が指揮官としていかに有能であり、人格にも恵まれた武人であることは、ロンバルディア教国第三師団長ルーカス・レイナートが評した通りである。 
 帝国領土通過中の教国軍への奇襲作戦において前線の最高指揮を命ぜられたのが彼であった。当初、彼はこのあまりに卑劣な作戦案に反対した。それは一軍人としてというよりは、一人の人間としての意見であった。 
 軍人としては、与えられた条件のなかで最善を尽くし、技術的に困難であれば作戦の変更などを求めればよい。だが今回は領内を通行中の敵を、その疲労が蓄積した時点において、宣戦手続きを省いて奇襲するのだから、少なくとも勝利するにあたって困難な点などない。いかに味方の損害少なく、敵を残らず殲滅せんめつできるか、それのみに腐心しておればよい。 
 だが、軍人としていかに容易でしかも成果の大きい作戦の指揮を任されても、彼の人間としての矜恃きょうじがこの任務を激しく拒絶していた。 
 領土通行権を認めた以上、両国間はもはや信義で結ばれている。その信義に背き、相手の油断と無防備につけ込んで一方的な攻撃を加えようとするのは、誇りある戦士の行いではない。 
 そうまでは言わなかったが、彼は直接、ヘルムス総統に対し作戦の撤回と、通常の宣戦手続きにのっとった開戦に方針を切り替えるよう、再三にわたり求めた。ヘルムス総統を前にひるむことなく異見できる軍人は、彼のほかに帝国国防軍には残されていなかった。ヘルムスの指導力と影響力は、既に軍を自らの完全な支配下に置くことに成功していたのである。 
 しかしヘルムスの意志は固く、またこれだけの大規模な作戦を混乱なく実行できる者はメッサーシュミット将軍だけである、とまで言わしめて、ようやく実戦指揮を引き受けた。 
 本来、軍人たる者、それだけの評価と期待を受けられるというのは名誉なことであったかもしれない。 
 だがメッサーシュミットの気分は鬱々として晴れなかった。この作戦を実行に移せば、たとえ成功しようとも、彼の名は卑劣で非道な裏切り者として歴史に残るであろう。失敗すれば、それに無能者の評が加わるだけのことである。 
 このメッサーシュミット将軍の作戦に対する消極性が、教国軍にとって有利に働いたという一面があると分析する歴史家も多い。彼ほどの卓抜した手腕があれば、水も漏らさぬ精密な作戦指導によって、教国軍がいかに善戦しようと、一網打尽に殲滅されていたに違いない。それこそ、むざむざ同盟領への退避など許すはずがない。ところが実際に各師団の司令官に下された命令は粗大なもので、各部隊が思い思いに攻撃せよといった程度の粒度でしかない。本来ならこれほどの作戦、周密な図上演習を重ね、鉄鎖のごとき包囲環を敷いて、各部隊の連携を強化し、完璧な準備のもとで遂行すべきであろう。常はそれだけの能力を持った彼が、この作戦に限ってひどく精彩を欠いた理由として、作戦に対するモチベーションが彼の責任感や功名心をも上回ったのではないかと思われるのも、無理からぬことではある。 
 実施局面においても、彼の消極的態度は明らかだった。1月3日の朝から夕刻にかけ、各部隊はそれぞれ狙いを定めた敵軍との戦いに努めた。 
 ちなみに、この戦いに参加した帝国側の実戦指揮官は、以下の四名である。 

 第四軍司令官 リヒテンシュタイン中将 
 第五軍司令官 ツヴァイク中将 
 第七軍司令官 フルトヴェングラー中将 
 第八軍司令官 ベルガー中将 

 これをそれぞれ教国の遊撃旅団、第二師団、近衛兵団、第三師団にぶつけた。このうち第五軍と第七軍は期待を外れぬ戦果を手に入れたが、彼は戦線の拡大を避け軍の集結を優先した。デュッセルドルフの丘で態勢を立て直そうとする教国軍を追撃するでもなく、一軍をもって同盟領への退路を塞ぐでもない。 
 そのため、教国軍は翌1月4日夕、風のように東方へと去った。教国軍に打撃は与えたが、見積もられていた成果には遠く及ばない。当初、彼に与えられた至上命題は、教国遠征軍を袋の鼠として殲滅すること、そして教国女王を捕らえるか戦場で殺すこと。この二点であった。 
 どちらも達成できていない。彼がしたのは、むなしく敵の背中を見送っただけであった。 
 教国軍の姿がすっかり消えてしまってから、彼はデュッセルドルフの丘へと上った。教国軍が置き捨てた物資などを吟味ぎんみするためである。 
 残された陣営内には、197体の遺骸が並べられ、毛布をかけられ丁重に安置されていた。奇襲戦の一次攻撃で難を逃れたが、負傷がもとで息絶えた者たちであろうと思われた。 
 そのうちの一体が、発見者に開いてくれと言わぬばかりに、仰々ぎょうぎょうしくも手紙を抱えていた。 
 メッサーシュミットは部下から手紙を受け取り、開くと、ロンバルディア教国女王の名においてこのような内容が書かれていた。 
「メッサーシュミット将軍。今回、命令によって我が軍を攻撃されしところ、その勇壮な戦いぶりにただただ尊敬の念を禁じえません。また集結した我が軍を攻撃せず、同盟に続く東の道をふさがざるは、将軍の誇りと騎士道精神の篤さによるものと拝察し、感服しております。心ならずもこの地に置き捨てたるは、先の戦いにて散りたる将士にて、何卒、将軍の温情によりて、この地に埋葬いただきたいと愚考し、このように文面にしたためております。同様、戦局の不利なるために窮状に陥り貴軍の捕虜となりし将兵にも、どうか相応の扱いを願いたい。当方にて捕らえたる貴軍の将兵に対しても誠実な待遇をすべきこと、我が名誉にかけ約束いたします。将軍とはいずれ雌雄を決したく存じますが、今は互いに敵手として戦場で干戈かんかを交えしのちの友誼ゆうぎと敬意を思われ、戦いにたおれた士をいたみ、情けを頂戴できればこれにすぐるものはありません。再び戦場でまみえし日は、願わくは正々堂々、戦いたく思います。左様であれば、将軍の名声も傷つきますまい」 
 彼はかつて、敵将からこれほど見事な措辞そじ、見事な見識、見事な志の込められた書簡を受け取ったことがない。この手紙にはつまり、作戦決行にいたった背景や、その実施者としての彼の苦衷や憂鬱、作戦の成功を追求できずにいる消極的心理、敵同士とはいえ同じ戦場で戦う者としての敬愛、裏切り者の非難を浴びることとなる彼に対する懸念などが短文のなかにすべて書かれている。 
「敵ながら誇りと情義に恵まれた、懐の深き王だ」 
 胸の底ににじむような熱さが広がるとともに、彼は思ったが、しかし言葉にしたのは、次のような命令だけであった。 
「彼らの遺体を、この丘の上に葬る。必ず、同胞にするような手厚さでするように。背く者は厳しく罰する」 
 この指令は、今回の作戦において彼が出したあらゆる命令のなかで、最も主体的かつ厳格であったように、彼の側近らには思われた。 
 指示は厳守され、捕らえた3,000名からの捕虜は、手に縄を打たれはしたが、それ以上の辱めも虐待も受けず、近隣のルーザスデールの町近くにある収容所へと送還された。 
 この指揮には第七軍司令官のフルトヴェングラー中将があたった。彼は副司令官のミケルセン少将に麾下きか兵力の半数を預けて敗残兵の掃討を命じる一方、自ら捕虜の護送を指揮した。 
 総指揮官のメッサーシュミット将軍は残る第四軍、第五軍、そして司令官の戦死した第八軍を率い、教国遠征軍を追及する格好で、スンダルバンス同盟との国境にあるシュレースヴィヒの町に駐留し、事態の推移と上層部からの新たな命令を待つこととなった。 
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