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第3章 再統合(レユニオン)
第3章-③ 多事多端
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汗を拭いたあと、プリンセスは休憩や食事の時間も惜しみ、夕方まで政府の最高幹部と今後の日程や人事について相談した。
そこで決定された日程は、次の通りである。
7月28日 新体制の人事を内示
7月30日 戴冠式のためプリンセスと近衛兵団、文武百官がレユニオンパレスを進発
8月2日 カルディナーレ神殿にて新女王戴冠式
8月7日 レユニオンパレスにて新女王即位セレモニー
一点目の日程に関しては、異論は出ず円滑に結論まで進んだ。
議論が熱を帯びたのは、人事である。
その冒頭、神官長と神殿騎士団長を兼任するジルベルタ女史が辞任を申し出た。プリンセスの暗殺未遂に、彼女の配下にある一部の兵が加担していたことの引責のためである。前例のない不祥事でもあったので、これに関しては特に慰留の声はなかった。後任の神官長には副神官長兼神殿騎士団副団長であるロマン女史が就任する。問題は、神殿騎士団長であった。
以前から、宗教的地位である神官長と、神殿としての固有の武力を統括する神殿騎士団長を別人格に分けるべきとする声があった。
プリンセスはそこで、神殿騎士団の警護隊長であるジョシュア・ランベールという者を推した。これに高官からの反対が相次いだのである。理由は、彼が若すぎることと、男性は神殿騎士団長として好ましからず、というものだった。
が、プリンセスはそういった因習に基づいた意見は言下にしりぞけた。ランベールは暗殺未遂事件の際、現場で右往左往するばかりで指導力を発揮できなかったジルベルタ団長に代わって、裏切り者を直ちに成敗し、神殿付近の混乱を鎮めた功がある。まだ25歳の若さである。
反対した者もほかに有力な候補者がいなかったために、この件は結局、プリンセスの希望を通すこととなった。
次に議されたのはドン・ジョヴァンニの処遇で、これはさらに紛糾した。
叛乱軍の最大勢力である第二師団を少数の兵で翻弄し長期間にわたって足止めしたことで、彼が内乱鎮圧の最高の殊勲者であることは否定する者がない。これに報いるに、プリンセスは師団長の地位を約束することで、彼を自らの幕下に招きたいと言い出したのである。
「師団長ですか」
この座において、プリンセスに次いで大きな発言力を持つのは、枢密院議長であるマルケス侯爵である。枢密院議長は事実上の首相で、教国の大臣や官僚の頂点に立っている。
彼が真っ先に反対を表明した。
「師団長の地位はどうでしょう。教国の正規軍を束ねる師団長は、忠勇や武功はもとより、人格清廉にして高潔でなくてはなりません。彼がその評価に値するかはいささか疑問ですが」
「彼は忠勇にも武功にも恵まれています。先生には彼が清廉にして高潔とは思われないのですか?」
「私の目にはどうも。百人長か、せめて千人長あたりがよろしいでしょう。でなければ、教国と王室の権威が損なわれますぞ」
ほかの列席者も彼に続いて反対を表明した。
「エミリアはどう思いますか」
すがるように、プリンセスはエミリアに意見を求めた。エミリアはプリンセスの願いと、教国の国益を思って、末座から提案した。
「折衷案はいかがでしょう。師団長と千人長のあいだに、新たな地位を設けるのです。そして預ける兵の規模は通常の師団の半分程度とします。これをいわば遊撃部隊として彼にお与えになれば、実戦にも役立つでしょうし、新たに増設した部隊の長なので、権威が損なわれることもないのでは」
「それは名案です!」
プリンセスは喜色を隠さず、大臣らもそれ以上は反対しなかった。エミリアの調整の妙と言うべきであろう。
その後も重要な人事について侃々諤々の討議がなされ、プリンセスがようやく一息を入れたのは、夕食の時間も近づいた頃だった。
「せめてお食事の時間はごゆっくりされたらいかがですか。プリンセスが休養されるのも、国務のうちですよ」
「エミリアも傷が癒えたばかりなのだから、無理をしてはいけないのよ」
ふふ、とプリンセスは笑って答えた。
次期女王としての彼女はまったく精力的で、片時も休まない。それでいて疲れも見せずあらゆる案件に対して的確に決断を下せる精神的なスタミナと肉体的なタフさは、見事と言うほかない。
ダイニングで調理を待っているあいだ、プリンセスはこっそりと、
「ねぇ、あの件はどうなったかしら。ファエンツァの近くの、目の見えない男の人のこと」
「昼過ぎにアンドレアが出発したばかりです。まだ調査が始まってもいないでしょう」
「そうだけど、落ち着かなくて。事件のあとは軍務に忙殺されていたけど、今はそれが一番気になってるの」
エミリアから見る限り、プリンセスは謎の盲人に敵意や恐怖を抱いている様子はなかった。
ロンバルディア教国は術者の流れを汲み、その偉大な力を宗教にまで昇華して統治に組み込んだのが発祥だが、現在ではごく一部の国事行為や儀式に名残が見られるのみで、例えば市民の日常生活にはほとんど影響が反映されておらず、その意味では術者の存在はアンドレアがいみじくも表現したように、大昔の伝説として人々には認識されている。
術者が実在したか、という問いを発すれば、多くは懐疑的な回答をするだろう。
また、もしこの時代に実在すると聞いたら、恐怖する者、歓迎する者、動揺する者、信仰する者、様々な反応が見られることであろう。
少なくともプリンセスは、命を救ってもらったという個人的な恩義もあり、害意はないらしい。というより大いに関心があるようだ。なるほど好奇心の対象としてこれほど強烈な主題はほかにはあるまい。
しかし、もし本当に術者が現れたら、これは王族の叛逆にも匹敵する、国を割る大事件になるかもしれない。
夕食のあと、プリンセスは第三王女のコンスタンサと密室で会談を行った。叛乱軍に殺されかけ、プリンセスに保護されて以来、実のところ人々の脳裏から忘れ去られていたこの者であったが、心優しき義姉だけは忘れていなかった。
コンスタンサは、心労が重なっていたためか、憔悴の色が目立ち、緑色の瞳だけが臆病なリスのように忙しなく動いている。彼女は、義叔母と義次姉による驚天動地の陰謀に巻き込まれたことに、プリンセスが勝利したのちの今となってまだ苦悩しているのである。
しかし、凡物ではあっても今ではプリンセスにとってたった一人の王族である。それは要するに、プリンセスに次ぐただ一人の王位継承権を持つ存在であるということだった。
プリンセスが正式に女王に即位したのち、新たに王女を立てるまでのあいだは、コンスタンサのみが女王となる資格がある。
だからこそ、プリンセスは誰を差し置いても、彼女と面談する必要があった。
「コンスタンサ、気分はどうですか?」
「よくありません、姉上。私がもっとしっかりしていれば、姉上に危害が及ぶのを避けられたかもしれないと考えると」
「そのことはもういいのです。重要なのは、あなたは乱に加担しなかったし、最後は私に味方してくれたということなのです」
「私は、ただ難を逃れて姉上に助けを求めただけです。姉上に何もして差し上げられておりません」
「あなたはとても心根の優しい人です。カロリーナも、もとは優しかった。けど心に弱さがあって、どこからか道を踏み外してしまった。だからあなたには気を強く持ってほしいのです。あなたはこの国の王女で、みながあなたに期待しています。時間はかかっても、自分の弱さを受け入れた上で、強くあろうと前を向くのです」
プリンセスのその一言で、コンスタンサがすっかり改心できたわけではなかった。ここ数年、気鬱がひどく、塞ぎがちだったが、一連の事件がよほど応えたようであった。
プリンセスはそれでも根気強く彼女をなだめて、いくつかの方針を決めていった。具体的には、コンスタンサにこれまで与えられていた私領は安堵すること、ただし私兵は大幅に削減し、代わりに教国直属の警備団を預けること、コンスタンサ自身は唯一の王位継承権者の資格においてレユニオンパレスに原則常駐することなどである。
これらはすべて事前に政府高官らと話し合って決めていた内容ばかりで、コンスタンサを身内として庇護したいというプリンセスの要望と、精神的に不安定で危なげな彼女を目の届く場所で監視すべきとする政府高官らの思惑が一致したことによる。
コンスタンサはこの時期、精神を病んでいた疑いがあって、プリンセスの提案にはいずれも二つ返事で受けた。判断力を行使できるだけの活力さえなかったのであろう。
コンスタンサと別れて自室に引き取ったプリンセスは、一日休みなく動いたせいか、ことりと落ちるようにして眠った。
そこで決定された日程は、次の通りである。
7月28日 新体制の人事を内示
7月30日 戴冠式のためプリンセスと近衛兵団、文武百官がレユニオンパレスを進発
8月2日 カルディナーレ神殿にて新女王戴冠式
8月7日 レユニオンパレスにて新女王即位セレモニー
一点目の日程に関しては、異論は出ず円滑に結論まで進んだ。
議論が熱を帯びたのは、人事である。
その冒頭、神官長と神殿騎士団長を兼任するジルベルタ女史が辞任を申し出た。プリンセスの暗殺未遂に、彼女の配下にある一部の兵が加担していたことの引責のためである。前例のない不祥事でもあったので、これに関しては特に慰留の声はなかった。後任の神官長には副神官長兼神殿騎士団副団長であるロマン女史が就任する。問題は、神殿騎士団長であった。
以前から、宗教的地位である神官長と、神殿としての固有の武力を統括する神殿騎士団長を別人格に分けるべきとする声があった。
プリンセスはそこで、神殿騎士団の警護隊長であるジョシュア・ランベールという者を推した。これに高官からの反対が相次いだのである。理由は、彼が若すぎることと、男性は神殿騎士団長として好ましからず、というものだった。
が、プリンセスはそういった因習に基づいた意見は言下にしりぞけた。ランベールは暗殺未遂事件の際、現場で右往左往するばかりで指導力を発揮できなかったジルベルタ団長に代わって、裏切り者を直ちに成敗し、神殿付近の混乱を鎮めた功がある。まだ25歳の若さである。
反対した者もほかに有力な候補者がいなかったために、この件は結局、プリンセスの希望を通すこととなった。
次に議されたのはドン・ジョヴァンニの処遇で、これはさらに紛糾した。
叛乱軍の最大勢力である第二師団を少数の兵で翻弄し長期間にわたって足止めしたことで、彼が内乱鎮圧の最高の殊勲者であることは否定する者がない。これに報いるに、プリンセスは師団長の地位を約束することで、彼を自らの幕下に招きたいと言い出したのである。
「師団長ですか」
この座において、プリンセスに次いで大きな発言力を持つのは、枢密院議長であるマルケス侯爵である。枢密院議長は事実上の首相で、教国の大臣や官僚の頂点に立っている。
彼が真っ先に反対を表明した。
「師団長の地位はどうでしょう。教国の正規軍を束ねる師団長は、忠勇や武功はもとより、人格清廉にして高潔でなくてはなりません。彼がその評価に値するかはいささか疑問ですが」
「彼は忠勇にも武功にも恵まれています。先生には彼が清廉にして高潔とは思われないのですか?」
「私の目にはどうも。百人長か、せめて千人長あたりがよろしいでしょう。でなければ、教国と王室の権威が損なわれますぞ」
ほかの列席者も彼に続いて反対を表明した。
「エミリアはどう思いますか」
すがるように、プリンセスはエミリアに意見を求めた。エミリアはプリンセスの願いと、教国の国益を思って、末座から提案した。
「折衷案はいかがでしょう。師団長と千人長のあいだに、新たな地位を設けるのです。そして預ける兵の規模は通常の師団の半分程度とします。これをいわば遊撃部隊として彼にお与えになれば、実戦にも役立つでしょうし、新たに増設した部隊の長なので、権威が損なわれることもないのでは」
「それは名案です!」
プリンセスは喜色を隠さず、大臣らもそれ以上は反対しなかった。エミリアの調整の妙と言うべきであろう。
その後も重要な人事について侃々諤々の討議がなされ、プリンセスがようやく一息を入れたのは、夕食の時間も近づいた頃だった。
「せめてお食事の時間はごゆっくりされたらいかがですか。プリンセスが休養されるのも、国務のうちですよ」
「エミリアも傷が癒えたばかりなのだから、無理をしてはいけないのよ」
ふふ、とプリンセスは笑って答えた。
次期女王としての彼女はまったく精力的で、片時も休まない。それでいて疲れも見せずあらゆる案件に対して的確に決断を下せる精神的なスタミナと肉体的なタフさは、見事と言うほかない。
ダイニングで調理を待っているあいだ、プリンセスはこっそりと、
「ねぇ、あの件はどうなったかしら。ファエンツァの近くの、目の見えない男の人のこと」
「昼過ぎにアンドレアが出発したばかりです。まだ調査が始まってもいないでしょう」
「そうだけど、落ち着かなくて。事件のあとは軍務に忙殺されていたけど、今はそれが一番気になってるの」
エミリアから見る限り、プリンセスは謎の盲人に敵意や恐怖を抱いている様子はなかった。
ロンバルディア教国は術者の流れを汲み、その偉大な力を宗教にまで昇華して統治に組み込んだのが発祥だが、現在ではごく一部の国事行為や儀式に名残が見られるのみで、例えば市民の日常生活にはほとんど影響が反映されておらず、その意味では術者の存在はアンドレアがいみじくも表現したように、大昔の伝説として人々には認識されている。
術者が実在したか、という問いを発すれば、多くは懐疑的な回答をするだろう。
また、もしこの時代に実在すると聞いたら、恐怖する者、歓迎する者、動揺する者、信仰する者、様々な反応が見られることであろう。
少なくともプリンセスは、命を救ってもらったという個人的な恩義もあり、害意はないらしい。というより大いに関心があるようだ。なるほど好奇心の対象としてこれほど強烈な主題はほかにはあるまい。
しかし、もし本当に術者が現れたら、これは王族の叛逆にも匹敵する、国を割る大事件になるかもしれない。
夕食のあと、プリンセスは第三王女のコンスタンサと密室で会談を行った。叛乱軍に殺されかけ、プリンセスに保護されて以来、実のところ人々の脳裏から忘れ去られていたこの者であったが、心優しき義姉だけは忘れていなかった。
コンスタンサは、心労が重なっていたためか、憔悴の色が目立ち、緑色の瞳だけが臆病なリスのように忙しなく動いている。彼女は、義叔母と義次姉による驚天動地の陰謀に巻き込まれたことに、プリンセスが勝利したのちの今となってまだ苦悩しているのである。
しかし、凡物ではあっても今ではプリンセスにとってたった一人の王族である。それは要するに、プリンセスに次ぐただ一人の王位継承権を持つ存在であるということだった。
プリンセスが正式に女王に即位したのち、新たに王女を立てるまでのあいだは、コンスタンサのみが女王となる資格がある。
だからこそ、プリンセスは誰を差し置いても、彼女と面談する必要があった。
「コンスタンサ、気分はどうですか?」
「よくありません、姉上。私がもっとしっかりしていれば、姉上に危害が及ぶのを避けられたかもしれないと考えると」
「そのことはもういいのです。重要なのは、あなたは乱に加担しなかったし、最後は私に味方してくれたということなのです」
「私は、ただ難を逃れて姉上に助けを求めただけです。姉上に何もして差し上げられておりません」
「あなたはとても心根の優しい人です。カロリーナも、もとは優しかった。けど心に弱さがあって、どこからか道を踏み外してしまった。だからあなたには気を強く持ってほしいのです。あなたはこの国の王女で、みながあなたに期待しています。時間はかかっても、自分の弱さを受け入れた上で、強くあろうと前を向くのです」
プリンセスのその一言で、コンスタンサがすっかり改心できたわけではなかった。ここ数年、気鬱がひどく、塞ぎがちだったが、一連の事件がよほど応えたようであった。
プリンセスはそれでも根気強く彼女をなだめて、いくつかの方針を決めていった。具体的には、コンスタンサにこれまで与えられていた私領は安堵すること、ただし私兵は大幅に削減し、代わりに教国直属の警備団を預けること、コンスタンサ自身は唯一の王位継承権者の資格においてレユニオンパレスに原則常駐することなどである。
これらはすべて事前に政府高官らと話し合って決めていた内容ばかりで、コンスタンサを身内として庇護したいというプリンセスの要望と、精神的に不安定で危なげな彼女を目の届く場所で監視すべきとする政府高官らの思惑が一致したことによる。
コンスタンサはこの時期、精神を病んでいた疑いがあって、プリンセスの提案にはいずれも二つ返事で受けた。判断力を行使できるだけの活力さえなかったのであろう。
コンスタンサと別れて自室に引き取ったプリンセスは、一日休みなく動いたせいか、ことりと落ちるようにして眠った。
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