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第七章 旦那様の幸せ

壁ドン

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「い……いきなりすまなかった。自分の気持ちを正直に伝えたことで、気持ちが昂ってしまい、つ、つい……」
「い、いえ。私も……その、嫌がらなかったので……」

 政略結婚とはいえ夫婦となり、初めての口付けを交わした私とリーゲル様は、正気に戻るや否やお互いに頭を下げ合っていた。

「ほ、本当は、もっとゆっくり私の気持ちを伝えていくつもりだったのだが、シーヴァイスが君に求婚などするから、らしくもなく焦ってしまい……」

 赤い顔で一生懸命説明して下さるリーゲル様に、愛しさが込み上げる。

 政略結婚の相手がこの人で良かった。好きになったのは間違いじゃなかったんだと、素直に思える。

 幼い頃から、ずっと虐げられてきた。お姉様と比べ、馬鹿にされ続けてきた。でも、ヘマタイト公爵家に嫁いできてから、私の人生は変わったのだ。公爵家当主であるリーゲル様をはじめ、彼に仕える使用人達のおかげで。

「私はずっと前から、リーゲル様のことをお慕いしておりました。ですがこれは決して叶うことのない想いだと、諦めていたのです。だから私は……今、とても嬉しくて、幸せです」
「グラディス……」

 二人しかいない部屋の中、私とリーゲル様は漸く想いを交わし合い、幸せに浸って抱きしめ合った。

 見た目的に可愛くもなく、性格的にも不可しかないと言われていた私に、こんな幸せが訪れる日がやってくるなんて。捨てる神あれば拾う神あると言うけれど、まさにこれがそういう状態なんだろう。

「いえ、違いますね。それは間違っていますよ、奥様」
「え? え? 何の話? 今奥様、何か言った?」

 ヒソヒソと、小声で話す二人。

 主人の私室の扉に張り付き、聞き耳を立てることに全神経を集中させているのは、ポルテとジュジュだ。

「奥様……本当にようございました……」

 二人のように聞き耳を立ててはいないものの、扉のすぐ側に立ち、嬉し涙を拭い続けているのは、御年うん十歳の家令であるマーシャル。

 そんな三人を、訳が分からず、不審な目で見つめる他の使用人達。

「でも、これで終わりじゃないのよね?」

 未だ聞き耳を立てつつも、ポルテはジュジュに鋭い目を向ける。

 それに頷いたジュジュは、小さくため息を吐くと扉から顔を離した。

「あのお二人が越えるべき山は、あと一つ。残されたその山をどう攻略するかで、今後の運命が決まるかと思われます」
「安心するにはまだ早い、ということですかな?」

 マーシャルの問いには、困ったように微笑んで。

「あたくしだけで始末がつけられれば宜しいのですが、相手が王族ともなると、流石に何とも言い難いところではございますね」

 ですが精一杯、お二人の為に出来ることはさせていただく所存でございます。

 そう言い置いて。次の刹那、ジュジュは音もなく姿を消した。

「相変わらずお見事ですなぁ」

 ジュジュの消えっぷりに感心したマーシャルは、次いでポルテに目を向け、彼女の首根っこを引っ掴む。

「ひっ……」

 驚きの声をあげそうになったポルテの口を素早く塞ぐと、張り付いていた扉から、ベリッ! と音がしそうな勢いでもって引き剥がした。

「さぁさぁ、お二人はもう心配は要らなそうですから。我々は我々の仕事をすると致しましょうか」

 言いながら他の使用人達へと視線を向ければ、全員慌てて次の仕事をするべく部屋の前から散って行く。

 それを満足気に眺めた後、マーシャルは借りてきた猫のように大人しくしているポルテを引き摺るようにして、その場を離れた。

「貴女には別の用事がありますのでね。ワタシと一緒に来ていただきますよ」
「ふえぇぇぇん。奥様ぁぁぁぁ」

 ポルテの悲痛な呼び声は悲しいかな、幸せの絶頂にいるグラディスの耳には届かなかった──。

 



 ※          ※     ※     ※      

 


 崩れ落ちる壁の破片に、シーヴァイスが顔色を悪くする。

「ア、アンジェラ……ど、どうした?」

 この状況は一体なんだ。この壁はどうなってるんだ。老朽化でもしていたのか?

 色んな考えが頭を巡るが、答えを返してくれるものはない。

「貴方のこと、昔はもう少しマシだと思っていたのに……」

 シーヴァイスの思考を遮るかのように、アンジェラが喋り出す。

「わたくしの大切な妹を私利私欲の為に危険な目に遭わせたばかりか、利用しようとするだなんて、許されると思いましたの?」
「い、いや、それは……」

 なんだ、これは。アンジェラとグラディスは仲が悪いんじゃなかったのか? 彼女は何故妹のことでこんなに腹をたてている?

 シーヴァイスがグラディスに目を付けてから行った調査では、ルゼッタ姉妹の仲は最悪だった、との報告を受けていた。

 出来ればアンジェラが姿を消す前の状態での調査内容を知りたかったが、その時はグラディスのことなど気にもとめていなかったし、リーゲルの婚約者としてアンジェラを調査した時も、姉妹関係については調査対象外としていたのだ。それ故、グラディスを多少雑に扱っても問題ないと踏んでいたのだが。

「それにですわよ? 身代わりってなんですの? グラディスにはグラディスしか持ちえない、ちゃんとした個性がありますの。それが……身代わり? おふざけになるのも大概にして欲しいですわね」

 ピシピシと、アンジェラが言葉を紡ぐたび、壁にヒビが入るような音がする。

 この音はなんだ? まさか壁が崩れているんじゃあるまいな。  

 しかし相手は儚い美少女であるアンジェラだ。あり得ない。絶対にあり得ないが、だったらこの音はなんだというのか。

 シーヴァイスは目だけでエルンストに助けを求めるが、彼は首を横に振るだけで、動く素振りを見せない。

 なんて役に立たない奴だと思っていると、今度は逆側の壁にダンッ! と衝撃を感じた。

「シーヴァイス、わたくしの話を聞いていらっしゃいます? 途中で考え事をするだなんて、随分と余裕ですこと」
「い、いやぁ、それほどでも……はは、は……」

 誤魔化すように笑うが、当然笑みは返されない。

 もし自分が女性であり、アンジェラが男性であったなら、今の状況は令嬢達の憧れる『壁ドン』という萌え行為なのだが。

 立場が逆になるだけで、こんなにも冷や汗が流れるものだとは思いもしなかった。恐るべし『壁ドン』。

「ほら、また違うことを考えましたわね? こんなにも注意力散漫で人の話を聞けない王太子なんて、この国に必要なのかしら?」

 不敬とも取れる発言に、さしものシーヴァイスも声を荒げる。

「必要に決まっているだろう! 私はこの国の次期国王なのだぞ。父上の後を継げるのは、私一人だけだ!」
「女嫌いで婚約すら怖がってできない臆病者のくせに?」
「ち、違う! 私は女を怖がってなどいない!」
「でしたらそれを証明していただきましょう。今すぐに……ね!」

 アンジェラが言い終わると同時に、シーヴァイスの背後の壁が崩れ落ち、支えを失った身体が後方へと傾ぐ。

 そのままバタリと仰向けに倒れ、強かに背中を打ちつけたシーヴァイスは、すぐに頭だけ起こすとアンジェラを睨み付けた。

「いくら学院で仲良くしていたとはいえ、私にこのような仕打ちをするなど──」
「皆様ー! 後はわたくしが説明した通りに……宜しくお願い致しますわね」

 既にシーヴァイスからは興味をなくしたかのように、アンジェラが前方──シーヴァイス的には後方──へ向かって声をかける。

 それを訝しんだシーヴァイスは眉間に皺を寄せて背後を振り向き、瞬間、声にならない悲鳴をあげた。
 



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