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第四章 旦那様がグイグイ来ます

王女殿下と旦那様

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「あ、ごめん。アルテミシアというのは──」
「分かります。王女殿下のお名前ですよね。あれほどまでに仲がよろしいのでしたら、名前で呼び合うのは当然のことと思いますわ」

 説明しようとするリーゲル様の言葉を遮り、私は心得ております、とばかりに微笑んでみせる。

 貴族というのは面倒なもので、相手の名を家名以外で呼ぼうと思ったら、先ずは相手にお伺いをたて、許可を得なければいけない。

 その許可だって簡単には出さないため、貴族が名前で呼び合うというのは、暗にお互いの間柄が親密であるということを示すのだ。

 貴族の中の貴族と言っても差し支えないリーゲル様が、名前呼びするような女性なんて限られている。

 だから私は、聞き覚えのない名前を聞いた刹那、すぐにそれが王女殿下のものだと分かったのだ。

「いや。私と殿下は然程仲が良いというわけではなくてだな──」
「気を遣わずとも大丈夫ですわ。私は所詮政略結婚による契約上の妻ですもの。気にせず殿下のことはお名前でお呼びになって下さいませ」

 なんて嫌な女なんだろう。

 凄く嫌味な言い方をしてしまった。

 リーゲル様が私を気にして、せっかく甘やかしてくれようとしていたのに。

 その返しがこれだなんて、お粗末にも程がある。

 もしかしたら、怒らせてしまったかも……。

 不安に思いながらリーゲル様を見ると、彼は意外にも気分を害した様子はなくて。それどころか、落ち着いた声でもって次の言葉を紡いだ。

「グラディス、聞いてくれ。私はもう随分と殿下の名を呼んではいない。今日は頼まれたから仕方なく呼んでいただけで、普段は──」
「大丈夫です。気にしてませんから」

 嘘だ。

 本当は気になりすぎて、そればかりを考えてしまうぐらいなのに、口は勝手に大丈夫だと嘘を吐く。

 言い訳なんて聞きたくない。

 問題なのは、リーゲル様が殿下を名前で呼んだということではなく、本人がいない時ですら名前で呼ぶのが癖になっているということなのに。

 恐らく、随分と昔から名前で呼び合っていたのだろう。

 だからきっと、久し振りだろうが何だろうが、一度呼んでしまえば直ぐさま過去のように仲の良い状態に戻ってしまうというわけで、それがつい出てしまったのではないかしら?

 私が指摘しなければ気付かないほど自然に。

 でも、本当に久し振りなのだろうか?

 ふと、そんな疑問が頭を過ぎる。

 思い出すのは、先日の夜会で見た、仲良さそうに話す二人の姿。

 あの時だって、恐らく二人は名前で呼び合っていたに違いない。

 なのにどうして私に隠すの?

 不倫を疑われては困るから? 私と離婚するわけにはいかないから?

 夜会で二人が一緒にいる姿を見たことは、リーゲル様に話したはずだ。

 もしやそれで二人の仲が私に疑われていると思って、必死に誤魔化そうとしているのかしら?

 正直に話してくれさえすれば、私は二人に協力してもいいと思っているのに。

 何故なら二人は、側から見ていても悲しいぐらいにお似合いだったから。

 お飾りの妻もとい表向きの妻は王女殿下で、私は影の妻ならぬ縁の下の妻になるのが正しい立ち位置なのではないかとまで思えてしまった。

 そうしたらきっと、誰も文句を言う者はいないだろうし。

 でも勢力的な問題で無理なことは分かっているから、その場合は私が二人の隠れ蓑になったって良い。

 それなら私は堂々と、今後もずっとリーゲル様の側にいられる。

 愛されないのは悲しいけれど、それは最初から言われていたことだし、愛がなくても彼はきっと優しくはしてくれるから。

 ただ──。

 私はそこで、今日の殿下の私に対する態度を思い出して、眉間に皺を寄せた。

 外見が綺麗な人は、何故だか性格の悪い人が多いような気がするのよね。そして殿下も、その考えに漏れず性格が悪かったわ。

 あんな人と一緒に暮らしたら、毎日意地悪されて辛い思いをするかもしれない。

 そうなったら隠れ蓑どころか、縁の下にだっていられなくなる。

 外見も内面も素敵すぎるリーゲル様が、そんな彼女の性格を見抜けないわけがないはずだけど……もしかしてそういったことを見抜けなかったから、お姉様に捨てられたのかも? とも思ってしまう。

 なんであれ、殿下がリーゲル様のことを好きであるなら、問題はないのかもしれない。

 私にとっては辛い暮らしになるだろうが、恐らく殿下は彼の前でだけは性格の良い美しい王女を演じ続けるだろうから。

 私さえ我慢すれば、何もかも上手くいく。

 先程の甘やかしもそうだけど、最近のリーゲル様は、少し前の自身の発言通り、私と仲良くするよう懸命に努力して下さっているのだ。

 だったら私もそれに応えなければ、恩知らずになってしまうだろう。
 
 できることなら、私が、私だけがリーゲル様の妻でいたいし、仲睦まじい様子のリーゲル様と王女殿下の姿を見るのは、身を切られるより辛いことかもしれないけれど。

 私がリーゲル様にできることなら、なんだってして差し上げたい。

 強くそう思う。

 思いすぎて、つい余計なことを言ってしまった。

「リーゲル様、なんでしたらもっと殿下を邸に呼ばれても良いですよ? お邪魔なようでしたら私は今日のように侍女と外出しますし、それ以外にも──」
「何だそれは!」
 
 怒鳴り声と共に、突如リーゲル様が立ち上がる。

 喜びこそすれ、まさか怒鳴られるなんて思ってもみなかった私は、驚きに身を竦ませた。

 どうして? 何故リーゲル様は怒ったの?

 訳が分からず、恐る恐る彼を見上げる。

 目が合ったアイスブルーの瞳は怒気を孕み、冷たく私を見下ろしていた。
 
 

 

 


 

 
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