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第一章 回り出した歯車
序章
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色とりどりに咲き乱れる花を、風が揺らす。
一面の花畑の中心に立てられているのは、一体の天使の像。
背中の羽を大きく広げ、奏器を携えて微笑んでいるさまは、いかに石像といえど、この世のものとは思えない程に美しい。
そして今、その像の前には、一目見ただけで畏怖を覚えるような、これまた人間離れした──美しすぎて目を逸らしたくなるほどの──美貌を持つ青年が、微動だにせず立っている。
彼は人間とも天使とも異なる、魔性という異形の存在。
足首まで届くかと思える程に長すぎる髪は燃えるように赤く、天使の像をじっと見つめる意思の強そうな瞳は熱く燃え盛る炎を宿し、鋭い眼光を放っている。
身に着けているものも、服装からなにからすべてが赤一色で統一されていて、彼の中で唯一赤くない部分といえば、陶器のような滑らかさをもった、象牙色の肌だけだ。
顔や姿かたちなど、つくり的には人間となんら変わりないが、青年が纏う圧倒的な存在感と、全身を染めつくす人間にはありえない色彩が、彼が人間でないことを雄弁に物語っていた。
「あれから百年か……」
青年が、低い声でぽつりと呟く。
天使と魔性が世界の覇権をかけて争い、戦いに破れた天使が完全消滅の形で死に絶えてから、丁度今日で百年目になる。
彼が見つめているのは、その時の争いでしぶとくも生き残った人間達が、せめてもの慰めにと造った大天使の像だ。
当初は数え切れない程多くの人間達に崇められていたそれは、今では訪ねる者すらなく、吹きすさぶ風により、かなり薄汚れてしまっている。
それでも未だ美しさを失わずにいられるのは、気が遠くなるほどの膨大な時間と手間をかけて製作された物だからであるが、今の状態からは、その事実を窺い知ることすらできない。
そんな石像に冷ややかな視線を向けながら、青年は口元を歪めた。
「お前達が人間共を残して滅び、百年経った今の心境はどうだ? 過去、お前達が存在した事実などなかったかのように忘れ去られ、放置され、何年経っても変わらないのは周りを彩る花ぐらいのもの……。ならばお前達は、一体なんの為に戦い、散っていったんだろうな」
一方的な問いに、石像はなにも答えない。
無論、石像なのだから答える筈などない事は、彼にだって分かっている。
そうと知りつつ問い掛けるのは、今日が彼にとって特別な日だからに他ならない。でなければ、相槌のない一人問答など、誰が好んでするものか。
一つ大きなため息をついて、青年は尚も言葉を続けた。
「正直興冷めだ。お前たちが命を賭して護った人間とは、さぞかし価値があるものなんだと期待していたんだがな。この百年間、ずっと人間共を観察してきたが……無駄でしかなかったようだ」
できるものなら時間を返せと言いたいぐらいだが、返して貰ったところで暇な時間が増えるだけか……と独りごちる。
「しかも、この百年の間で、我等魔性に媚びへつらう馬鹿者共まで現れるようになったんだぞ。信じられるか? 自分達の恩人である天使達を滅ぼしたのは、紛れもなく魔性である俺達だというのに。薄情なのも、ここまで来ると笑いさえこみ上げてくる……まぁ、そういった点では、楽しませてもらったと言えなくもないが」
偽善を振りかざしながら、裏では悪どい事を平気でする人間達。
自分は善人ですよ、とのたまっている輩に限って、実はどんな人間よりも内心腹黒かったりするということを知った。
愚かな人間共のそうしたやり取りを、面白いと興味を持った時期も、あるにはあったのだが。
「いい加減、暇潰しにさえならなくなってきたんでな。手っ取り早く手を打とうとしたんだが……その矢先に、面白いものを見つけた」
青年の形のいい口元が、そこで初めて機嫌良さ気に吊り上げられる。
「それに飽きるまでは、もう少し様子を見ることにした。ここで人間を滅ぼせば、せっかく見つけたその楽しみもなくなってしまうしな。だが……」
彼はそこですっと笑みを消し、代わりに恐ろしいほどの冷たい表情を露にした。
俺が飽きるその時迄に、人間共が変わらなかったら──。
燃え盛る赤い瞳は一転して冷たい炎を宿し、全身からは暗い炎のようなものが立ちのぼった。
「滅びてもらうまでだ。……そう、おまえ達のようにな」
呟き、低い笑い声とともに、青年が一瞬にして姿をかき消す。
彼がその場に存在したという片鱗を、一欠けらも残さずに。
そうして誰もいなくなったその場には、粉々に砕かれた天使の像が虚しく砂の塊と化し、風に流されていた──。
一面の花畑の中心に立てられているのは、一体の天使の像。
背中の羽を大きく広げ、奏器を携えて微笑んでいるさまは、いかに石像といえど、この世のものとは思えない程に美しい。
そして今、その像の前には、一目見ただけで畏怖を覚えるような、これまた人間離れした──美しすぎて目を逸らしたくなるほどの──美貌を持つ青年が、微動だにせず立っている。
彼は人間とも天使とも異なる、魔性という異形の存在。
足首まで届くかと思える程に長すぎる髪は燃えるように赤く、天使の像をじっと見つめる意思の強そうな瞳は熱く燃え盛る炎を宿し、鋭い眼光を放っている。
身に着けているものも、服装からなにからすべてが赤一色で統一されていて、彼の中で唯一赤くない部分といえば、陶器のような滑らかさをもった、象牙色の肌だけだ。
顔や姿かたちなど、つくり的には人間となんら変わりないが、青年が纏う圧倒的な存在感と、全身を染めつくす人間にはありえない色彩が、彼が人間でないことを雄弁に物語っていた。
「あれから百年か……」
青年が、低い声でぽつりと呟く。
天使と魔性が世界の覇権をかけて争い、戦いに破れた天使が完全消滅の形で死に絶えてから、丁度今日で百年目になる。
彼が見つめているのは、その時の争いでしぶとくも生き残った人間達が、せめてもの慰めにと造った大天使の像だ。
当初は数え切れない程多くの人間達に崇められていたそれは、今では訪ねる者すらなく、吹きすさぶ風により、かなり薄汚れてしまっている。
それでも未だ美しさを失わずにいられるのは、気が遠くなるほどの膨大な時間と手間をかけて製作された物だからであるが、今の状態からは、その事実を窺い知ることすらできない。
そんな石像に冷ややかな視線を向けながら、青年は口元を歪めた。
「お前達が人間共を残して滅び、百年経った今の心境はどうだ? 過去、お前達が存在した事実などなかったかのように忘れ去られ、放置され、何年経っても変わらないのは周りを彩る花ぐらいのもの……。ならばお前達は、一体なんの為に戦い、散っていったんだろうな」
一方的な問いに、石像はなにも答えない。
無論、石像なのだから答える筈などない事は、彼にだって分かっている。
そうと知りつつ問い掛けるのは、今日が彼にとって特別な日だからに他ならない。でなければ、相槌のない一人問答など、誰が好んでするものか。
一つ大きなため息をついて、青年は尚も言葉を続けた。
「正直興冷めだ。お前たちが命を賭して護った人間とは、さぞかし価値があるものなんだと期待していたんだがな。この百年間、ずっと人間共を観察してきたが……無駄でしかなかったようだ」
できるものなら時間を返せと言いたいぐらいだが、返して貰ったところで暇な時間が増えるだけか……と独りごちる。
「しかも、この百年の間で、我等魔性に媚びへつらう馬鹿者共まで現れるようになったんだぞ。信じられるか? 自分達の恩人である天使達を滅ぼしたのは、紛れもなく魔性である俺達だというのに。薄情なのも、ここまで来ると笑いさえこみ上げてくる……まぁ、そういった点では、楽しませてもらったと言えなくもないが」
偽善を振りかざしながら、裏では悪どい事を平気でする人間達。
自分は善人ですよ、とのたまっている輩に限って、実はどんな人間よりも内心腹黒かったりするということを知った。
愚かな人間共のそうしたやり取りを、面白いと興味を持った時期も、あるにはあったのだが。
「いい加減、暇潰しにさえならなくなってきたんでな。手っ取り早く手を打とうとしたんだが……その矢先に、面白いものを見つけた」
青年の形のいい口元が、そこで初めて機嫌良さ気に吊り上げられる。
「それに飽きるまでは、もう少し様子を見ることにした。ここで人間を滅ぼせば、せっかく見つけたその楽しみもなくなってしまうしな。だが……」
彼はそこですっと笑みを消し、代わりに恐ろしいほどの冷たい表情を露にした。
俺が飽きるその時迄に、人間共が変わらなかったら──。
燃え盛る赤い瞳は一転して冷たい炎を宿し、全身からは暗い炎のようなものが立ちのぼった。
「滅びてもらうまでだ。……そう、おまえ達のようにな」
呟き、低い笑い声とともに、青年が一瞬にして姿をかき消す。
彼がその場に存在したという片鱗を、一欠けらも残さずに。
そうして誰もいなくなったその場には、粉々に砕かれた天使の像が虚しく砂の塊と化し、風に流されていた──。
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