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終幕

全力で抗うまでだ

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 ユリウスとルカが、王宮内のオーラフ宰相の執務室に入っていくと、オーラフ宰相はさきほどと同じ紫紺のマントをつけた姿のまま、大きな執務机につき、入ってくるユリウスとルカの一挙手一投足をじっと見つめた。
 執務机の上は、一分のズレもないほどきっちりと書類が並び、書架に並んだ本も、どのように揃えればそうなるのかと不思議なほど整然と並んでいる。
 オーラフ宰相とは、ルカは月一診察で顔を合わせていたけれど、言葉をかわしたのは夜伽を命じられた日が初めてだった。なのでオーラフ宰相の人となりは知らなかったが、この整いすぎていて、どこか冷たい印象をあたえる無機質な執務室を見ただけでも、オーラフ宰相の人となりが垣間見えるようだった。

 ユリウスも同じことを思ったのかもしれない。ユリウスは、慎重に部屋内を見回し、執務室の奥につながる扉に視線を注いだ。

「気になるようなら、見ても構わない」

 オーラフ宰相はふっと笑い、立ち上がるとユリウスの見ていた扉を開いた。ユリウスはすばやくその扉に近づくと中を見回し、戻ってきた。

「王宮騎士団は控えていないようで、ひとまずは安心した」

 ユリウスは、オーラフ宰相が王宮騎士団をつれてきていないかを警戒していたようだ。話し合いの途中で、不意をつかれるのは確かに嫌だ。

「疑り深いのは、このような場では役に立つ。しかし、ベイエル伯。今の我々の話し合いには、むしろ邪魔な存在だ」

「その言葉、どこまで信用していいものか。俺にはわからんからな」

「違いない。まぁ、かけられよ。いたずらに時間を浪費するのは、お互いのためにならない」

 ユリウスはすすめられるままソファに腰を下ろし、隣に座るようにとルカを促した。

「俺は、回りくどい話は苦手だ。単刀直入に俺の要求を言おう。今後一切ルカからは手を引け。モント領内にいる王宮騎士団の手の者も、全て残らず退去させろ」

「これはまた、大きく出られたな。こちらが貴殿の要求をのむ必要がどこにある。レガリアのなくなった今、確かに王家にとってルカの価値はなくなったが、ルカが王妹であることには変わりない。ライニール王には未だお世継ぎがいらっしゃらない。希少種の女は妊娠しやすいと言う。血筋も申し分ないルカには、ライニール王のお世継ぎを産んでもらいたい」

「馬鹿な。ライニール王とルカは兄妹だぞ」

「そのような例は、過去にはいくつも存在する」

「それで産まれた子が黒髪黒目の希少種ならばどうする気だ」

「何人か産んでみれば、中には黒髪黒目ではない子も産まれよう」

「このような議論。するだけ無駄だった。答えは否だ。話を先に進めよう」

「して? ベイエル伯。そのような要求をこちらがのむ見返りは何なのだ? 貴殿は何をこちらに差し出す」

「そのようなもの」

 ユリウスはオーラフ宰相の視線を真っ向から受け止めた。

「レガリアのことといい、弱味を握られているのは、ライニール王を献ずる宰相殿の方ではないか。俺は今すぐにでもレガリアの真実を白日の下に晒し、ライニール王を玉座から引きずり下ろすこともできる。これでもこちらの要求は控えめにしているつもりだ」

「言いよるな」

 オーラフ宰相は、なぜか愉快だとでも言うようにふっと笑った。

「その要求、否と言ったら?」

「今すぐにでもモント領へ戻るだけだ」とユリウスは即答した。

「ならばこちらは王宮騎士団を差し向けよう」

「ならば全力で抗うまでだ」

「おもしろい。やれるものなら、と言いたいところだが、しかしベイエル伯の言う通り、秘密を抱えているのはこちらの方。更に王都に水が戻ったこと。これは間違いなくベイエル伯のおかげ。無下に要求をはねのけるのも心苦しい。そこでだ。これまでのことを不問とし、中央政界への復帰を約束するというのはどうだ。私の側近にとりたてることも約束しよう。全ての権力が手に入るぞ」

「否だ。その場合、ルカを差し出せというのだろう。それに俺は中央政界になど興味はない」

「それは惜しい。貴殿ならば多くの富と権力を手にするだろうに。ああ、いいことを思いついた。もっと効果的な方法が一つある。私が今ここでベイエル伯を亡き者にする。そうすればこちらに不利益はなく、レガリアの事実は永遠に闇の中だ」

「それはないな」

 ユリウスは確固として首を振った。

「俺にはコーバスはじめ、信を置けるものがたくさんいる。今ここで俺が亡き者となれば、必ずその者達が、俺に代わってライニール王を玉座から引きずり下ろすさ」

「コーバスは私の実弟だと聞いていなかったのか? 少なくとも弟はベイエル伯の味方にはなるまい」

「それこそ大きな間違いだ」

 ユリウスはにやりと笑った。

「コーバスは俺の腹心だ。誰の弟であろうと関係はない。あいつは俺の不利益になるようなことは絶対にしない」

 オーラフ宰相は、しばらくじっとユリウスと睨み合った。緊迫した空気が流れた。二人の様子を、ルカは息を詰めて見守った。

 先に視線をそらしたのはオーラフ宰相だった。

「どうやら、貴殿とは徹底的に反りが合わないらしい。揺さぶりをかけても、こうも揺らがない者は、今までにいなかった。コーバスが私に何を言ってきたのか。教えてやろう」

 オーラフ宰相は、真っ直ぐにユリウスを見、言を継いだ。

「コーバスは、これまでの経緯を全て文にしたため、最後にこう記していた。ベイエル伯と争うな。王宮騎士団をモント領内へ差し向ければ、負けるのは王宮騎士団だと。モント騎士団はベイエル伯に絶対の信を置いている。ベイエル伯が戦うと決めたのなら、例え王宮騎士団相手でもモント騎士団は戦うだろうと。更に、常に隣国ルーキングと相対しているモント騎士団が、実戦経験のない王宮騎士団など相手ではないこと、装備の点でも、豊かな財源を元に整えられた武器の備蓄はバッケル王国一であること。ベイエル伯と争っても、負けはみえていること―――」

 オーラフ宰相は、懐からその文と思われる紙束を出すと、ぱさりと机上に放った。

「我が弟の言葉とは思えないほど、ベイエル伯の褒め倒しだ。そして最後にはこう結んであった。無用にベイエル伯を刺激せず、ルカを自由にしろとな。さすれば王国の北の守りは盤石だとな」

 ユリウスはオーラフ宰相の放った紙束を手に取ると、ざっと中身に目を通した。横から覗き見ると、上手いとは言い難いが、一文字一文字丁寧に書かれた文字が目に入った。

「それで? 宰相殿。俺の要求は了承したということでいいのだな?」

「レガリアのことを盾に取り、中央政界に戻る野心のない者を蹴落とすほど、私も暇ではない。王宮は、今後一切ルカに関わらぬことを約束しよう」

「ならば俺はレガリアについては口を噤み、北の守りを固めることを約束しよう」

 オーラフ宰相とユリウスは、お互いの真意を探るように、相対して視線を交わしあった。やがて、オーラフ宰相は長い息を吐き出し、「話はこれで終わりだ」と立ち上がる。

「あともう一点だけ、俺から提案がある」

「聞こう」

「此度の水の復活を祝って恩赦を出してはどうだ。ライニール王の徳はいよいよ高まり、その権勢は揺るがぬものとなるだろう。賢王として歴史に名を刻むことは間違いない」

「……なるほどな。ベイエル伯。貴殿はなかなかの策士らしい。十年前、貴殿の父と共に、中央政界から蹴落としておいて正解だった」

 オーラフ宰相は、なぜか満足そうににやりと笑った。













***













 ベイエル伯とルカの去った執務室で一人、オーラフ宰相は、深くソファに身を預け、目を閉じた。
 瞼裏にはオーラフ家に養子に入ってからこれまでの様々なことが浮かんでは消えていった。
 期待に応えねばと必死で駆け抜けた日々だった。登り詰めるためには、たとえ友と慕った者を蹴落とすことになろうと躊躇いはなかった。ただひたすらに上を目指すことだけを至上目的として走ってきた。人を従わせるためならば、どんなことでもできた。

 これまでその日々に疑問を感じたことはなかった。けれどなぜか今は両肩が重く、立ち上がるのさえ億劫なほどの倦怠感に包まれていた。

 ベイエル伯には、中央政界に戻ってくる野心はない者と蔑んでみたが、あの男にはもっと別の野心があった。自分の大切な者達を全力で守ろうとする心だ。それもまた、一つの野心に他ならないだろう。
 そういう生き方もあったのだ。
 駆け上がる中で自分が捨ててきたものを、ベイエル伯は大事に慈しみ、守ろうとしている―――。

 恩赦の具体的な内容には一切触れず、提案などと下手に出ながら、最大限の要求をつきつけてくるとは。大胆不敵でありながら、こちらがその要求をのまなければどうなるか。暗に脅しも含ませている。それでいて、提案などとオブラートで包んだ表現をしてくるとは。

 人目もはばからず、ルカを片腕に抱き上げて去っていくベイエル伯の後ろ姿が、消しても消しても脳裏に浮かんでくる。おそらくこれから先も、事あるごとに思い出す。そんな気がする。

「オーラフ宰相。ライニール王がお呼びでございます」

 執務室の扉がノックされ、小姓が声をかけてきた。オーラフ宰相は、「わかった」と返事を返し、重い体を引きずるように立ち上がった。

 その時なぜか、適当に見繕おうと思っていた妹エミーの嫁ぎ先を、真剣に考えてやろうという思いが芽生えた。コーバスの文には、ユリウスに片思いしていたエミーのことも、包み隠さず記されていた。凡庸で哀れな娘だが、幸せになる権利は誰にでもある。
 柄にもなくそんなことを考えた。
 
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