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終幕

大脱出の先には

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 仄かに発光した黒髪のフロールと、同じ黒髪のルカとのキスは不思議な光景だった。そっと口づけたルカの口元が青白く光り、その光がフロールの口へと吸い込まれていく。
 フロールの中に入った青白い光は更に輝きを増しながらフロールの喉を伝い、体の奥へと呑み込まれていった。瞬間、目を覆うほどの強烈な光が辺りを満たし、ユリウスは反射的に目を瞑り、ルカの目も片手で覆った。まともに見ていれば、目を焼かれたかもしれない。
 しばらくしてまぶた裏に光を感じなくなり、ユリウスはそっと目を開き、光が消えたことを確認してルカの目を覆った手を離した。

「……フロール」

 ルカが台座のフロールを見て呟いた。
 フロールは同じ姿勢のままだったが、目を開き、こちらを見ていた。その瞳にはしっかりとルカの姿が映っている。

「元に戻れたんだね、フロール」

「ありがと、ルカ」

 フロールはルカへにこりと笑い、ユリウスにも目を向けた。ルカの姿のフロールとは何度か言葉を交わしたが、この姿は初めてだ。やはりというか、不思議とこの姿の方が、彼女の仕草や顔の表情が似合っている。
 フロールは自身の体に戻れた喜びを口にするより先に、未だつま先で噴出口をおさえながら、困ったような顔をした。

「無意識って怖いわよね。よく何千年もこんな噴出口をおさえていたものね、私の体ってば。今はなんとかおさえているけれど、この噴出口は厄介だわ。勢いがすごいの。もうそんなに長くはおさえていられない」

「それは、どういう意味だ?」

 ユリウスが嫌な予感を抱いて聞くと、フロールは「とりあえず逃げて」と言う。

「私が噴出口をおさえきれなくなったら、水路に水が一気に溢れるわ」

「それはそうなのだろな」

 かつてはこの噴出口が、王都中に水を満たしていのだから。

「だからね、それまでに早く外へ出て」

 フロールの口調は穏やかでそれほど切羽詰まった様子はない。無意識の体が抑え込めていたものが、意志の力を取り戻した体が抑え込めないとは妙な話だ。にわかには信じがたい。

「急いでといっても、外へ出るまでは時間がかかる。ここまでも地図を確かめながら来たのだからな。ラウもいるんだ。なんとかならないのか?」

 ユリウスがラウへ疑問を向けると、ラウは「無理だね」とにべもない。

「水の勢いは誰にも止められない。まぁ私とミヒルとフロールは、水が溢れようがなんともないが、人は溺れるだろうな」

「あの、よろしいですか? 悠長に説明を聞いている場合ではありません。フロール様がそうおっしゃっているのです。対処の仕様があるのなら、こんなことは言いませんから。とにかく今すぐにも足を動かして下さい」

 ミヒルがラウの言葉に被せるように言い、ユリウスの腕を引いて走り出した。つられてユリウスもルカを抱いたまま走り出す。
 すぐ横をシミオンが並走する。

「フロールが体を取り戻せば帰り道は自ずと開かれる、とはよく言ったな堅物よ。自ずと開かれるどころか、水攻めだ。お互い、幸運を祈ろう」

 こんな時まで皮肉を忘れないシミオンの言葉が終わるかどうかという時だ。背後で「あっ」とフロールが声を上げた。走りながらもちらりと振り返ったユリウスの目に、体勢を崩したフロールが、ラウに抱きとめられる姿と、台座からドーム状の天井まで届くほど、高く噴出する水とがうつった。

「おい。これはまずいかもしれん」

 ユリウスはルカをしっかりと抱き直すと、走るスピードをあげた。あれだけの勢いで水が出続けるなら、フロールの危惧した通り、水路はあっという間に水に浸かってしまうだろう。しかもこの辺りは、もともと膝丈ほどまで浸水している。加えてここはまだ地下水路だ。押し流されればどうなるかわかったものではない。

 そう思う側から横を走っていたシミオンが、後ろからの水の勢いに押され、右手の水路へと迷い込んでいく。

「おい! シミオン! そっちの道筋から来たのではないぞ! 戻れ!」

 ユリウスは声を張り上げてシミオンを呼んだが、シミオンもまたどうすることもできないのだろう。水の流れに押されるままに流されていく。ユリウスも助けに向かおうにも流れが速く、とても無理だ。

「運が良ければまた会おう! 堅物よ」

 シミオンの声が水路の奥へと遠ざかっていく。
 
 あいつは泳ぎは得意だったろうか。
 寄宿学校時代を思い出しても、そんな記憶はどこにもない。ごうごうと音を立てて流れる水音の中、ユリウスは呆然と立ち尽くした。

「私がついていきます。ご心配なさらずに。ユリウスとルカも早く外へ」

 ミヒルが、放心したユリウスにそう言うや、シミオンの消えていった水路へと飛び込んでいった。

「シミオン、大丈夫かな……」

 ルカが不安そうに水路の先を見つめる。ユリウスは大きく深呼吸すると、心を落ち着かせた。
 友の身は心配だが、精霊がついていったのだ。任せるしかない。それに、とユリウスは冷静な判断が下せるよう、精神を研ぎ澄ませた。
 水はすでにユリウスの腰辺りまで嵩が増している。この水路が水に埋まるのも時間の問題だ。
 今は何よりルカと自分が逃げなくてはならない。

「ルカ」

「何?」

「必ず無事に外へ出るぞ」

「うん。そのつもりだよ。ユリウスは口に出して言ったことは、絶対に守ってくれる」

「その信頼に応えないとな」

 ユリウスは前に抱いていたルカを背に回し、腕を首に回させた。

「これだけ水嵩があれば、泳いだほうが速い。背に捕まってろ。離すなよ?」

「うん。離さないよ」

 ルカがそう返事し、ユリウスの背にしっかりと力を入れて抱きついたのを確認し、ユリウスは腕を伸ばし、水路の底を蹴って泳ぎだした。
 水流に押される形でぐんぐんとスピードがあがる。

「大丈夫か? ルカ?」

「平気。ユリウス泳ぎが上手いんだね」

「寄宿学校時代に練習をしたんだ。めったに泳ぐ機会などないだろうからとあの時は思っていたが、何でも練習はしておくものだな」

 行きの道筋の逆を正確に頭に思い浮かべ、ユリウスは迷うことなく水路を進んだ。横道にそれるときは水流に逆らう形になる箇所もあり、レンガの狭間に指をかけ、進んだ。水嵩はその間にもどんどん増えていき、手を伸ばせば水路の天井が届くほどになってきた。

「もう少し速く泳ぐぞ。振り落とされるなよ」

 ユリウスの言葉にルカの腕に更に力が入り、ユリウスは足で水を蹴って進んだ。
 ハルムと別れた辺りはとうに過ぎた。あとどれくらい進めば天井はなくなるのだったか。外へ出るのが先か。水路を水が満たすのが先か。
 ここへ向かうまでの間、ずいぶん長い間地下水路を進んできたのは確かだ。王宮の外へとつながる、行きの道筋では間に合わないかもしれない。

 ユリウスは横から覗き込んで見たシミオンの持っていた地図を思い浮かべた。おそらくここからなら、王宮の外へ出るより、王宮内の噴水に出たほうが早く外へ出られるはずだ。一度ハルムを追いかけて潜った水路の道順は覚えている。本来なら王宮内の噴水になど、ルカを連れ飛び出したくはないが、非常事態だ。今は外に出ることだけを最優先に考えるべきだ。

 今頃は噴出口から飛び出した水が、王都の水路を巡りだし、外は大騒ぎになっているかもしれない。そんな中、噴水から飛び出そうものなら目立つことこの上ないが、背に腹は代えられない。

 ユリウスは覚悟を決めると覚えている水路へと向かって泳ぎだした。

「少々荒っぽいことになるかもしれんが、俺は腕が立つから心配せずにいてくれ」

 場合によってはルカのことを知っていると者と鉢合わせ、王宮騎士団と一戦交えることになるかもしれない。その時のことを思って先にルカに断ると、背中でルカが笑った気がした。

「ユリウスがいれば、なんとかなりそうな気がする」

 ゴゴゴゴゴーとその時後ろから凄まじい轟音が追いかけてきた。
 王宮とブラウ離宮の間にある噴水まであと少しというところだった。目と鼻の先に、ルカを追いかけて飛び込んだ噴水の排水口が見えている。元来は排水口なのだから、水の流れは向かってくるはずだが、一気に噴出した流れの中では、それも狂っているとみえる。外へ出ようとするユリウスにとっては僥倖だ。

 地響きをあげながら迫ってくる轟音に、ユリウスは咄嗟に背中のルカを前に抱き込んだ。

「大きく息を吸い込め、ルカ」

 ユリウスが自らも息を吸い込んだ瞬間、背後から鉄砲水のような水の塊がぶつかった。濁流にもまれながらも、ユリウスは目指す排水口へ向かって、水の勢いのまま外へと飛び出した―――。











 水の塊に押し出され、ルカを抱いたまま排水口から外へと飛び出し、無事に噴水のため池に浮かんですぐに、ユリウスは周りの事態に唖然とした。
 予想した通り、というべきか。いきなり溢れ出した水路の水を確かめようと、多くの者達が群がっていた。王宮中の人間が集まっているのでは、というほど多くの老若男女、貴族も小間使いも王宮騎士団も王宮奴隷も含め、あらゆる者達が噴水のため池を見下ろしていた。

 ユリウスももちろん驚いたが、噴水を見ていた者達はもっと驚いたようだ。みな、突然排水口から水の勢いと共に飛び出してきたユリウスとルカに、ぽかんと口を開けている。

 その中にはエメレンスの姿もあり、エメレンスは真っ青な顔でユリウスのところへ走ってきた。

「何という派手な登場の仕方だ。早くこちらへ来い! 目立つことこの上ないぞ」

 皆が呆気にとられる中、ユリウスはエメレンスにルカを渡し、自分も急いで水からあがると再びルカをエメレンスから受け取り、人混みに紛れてすばやくその場を離れた。

「こっちだ」

 エメレンスの誘導するまま、ユリウスは水に濡れた重い服をひきずりながら、先を急いだ。ともかくも人目のつかないところへいかなければならない。

 しかし。

「ベイエル伯は、なかなか人を食ったお方のようだ」

 その道の先に、冷えた水色の瞳をしたオーラフ宰相が立ちはだかっていた。
 





 


 
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