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第三章

ユリウスの元婚約者

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 王宮のすぐ右隣に、今では枯れている噴水を挟んでブラウ離宮が建っている。
 ブラウ離宮は、隣国との争いが激しく、王国を挙げて騎士団の強化がはかられていた昔に、騎士団たちを戦わせるためのホールとして作られたのが始まりだ。しかし今では時折北のルーキングがモント領の騎士たちと小競り合いをするくらいで、あとは平和そのものだ。いつしかブラウ離宮は、騎士団を競わせる場から、国王主催の年に一度の晩餐会の会場となっていた。

 そんなエメレンスの説明を聞きながら、ルカはフードの奥からブラウ離宮を見上げた。ブラウ離宮は、青いガラスで覆われた円形の建物で、青い壁の上には白い丸屋根がのっている。青と白の対比が美しい。白い屋根は薄闇の中にぽっかりと浮かび上がっている。

「ほら、はぐれないようにね」

 エメレンスの差し出した手を、ルカは握った。
 エメレンスは、襟元に銀糸の刺繍が入った深緑のタキシード姿だ。一方のルカは、くるぶしまである裾の長い黒のワンピース姿だ。エメレンスのきらびやかな衣装と違い、ルカの服装は地味だ。飾りらしい飾りと言えば、腰をしぼっている、レースの紐で作った大きなふんわりとしたリボンくらいだ。頭には、黒いフードを被っている。

 ルカは、辺りを落ち着かなくきょろきょろ見渡した。それぞれに着飾った紳士淑女が次々とブラウ離宮に吸い込まれていく。
 国王主催の晩餐会には、中央の貴族をはじめ、各地の領主達が集う。ライニール王やオーラフ宰相もいるそんな危険な晩餐会にルカがなぜ来たのかといえば。
 エメレンスがユリウスに会わせてくれると言ったからだ。ブラウ離宮は一階のホールを見下ろす形でバルコニー席がぐるりと巡らされている。以前はそのバルコニー席から、下のホールで行われる試合を見物していたそうだが、今はパーテーションで区切られ、それぞれの参加者たちの控えの間になっているそうだ。
 一旦控えの間に入ってしまえば、誰の目にも入らない。それに、中央の貴族達は自分の希少種の奴隷を伴うのが慣例らしい。奴隷はもちろん晩餐会のホールには降りられないが、控えの間のバルコニーから見学することが許されている。その奴隷の正式な衣装が、今ルカが身につけている真っ黒なワンピースに、レースで腰をしぼるものだった。

 エメレンスの控えの間は、王族の控えの間からは離れた場所だった。この並びにも何か意味があるのだろう。ルカは、エメレンスが微妙な立ち位置にいることをなんとなく察した。
 とはいえ、控えの間は寝椅子まである立派な部屋だった。パーテーションで区切られているとエメレンスは言ったから簡単なものかと思ったが、仕切りの壁はきちんとしたものだ。隣の声も聞こえない。部屋の奥にいれば、外からは見えない仕様だ。張り出したバルコニーの下からは、ホールのざわめきが聞こえてきていた。

「ちょっとくらい見ててもいいけど、顔は隠しておくんだよ」

 エメレンスに言われなくともそのつもりだ。ルカはここにライニール王やオーラフ宰相に見つかりに来たのではない。

「場が砕けてきたら上に行くよう、ユリウスに声をかけておくよ。それまで大人しくしてるんだよ」

 エメレンスはルカのおでこに親愛のキスを落として控えの間を出ていった。
 一人残され、ルカは寝椅子に座り、足をぶらぶらさせながら部屋の中を観察した。小卓にスツールが二脚。扉を入ってすぐのところに作り付けの棚があり、水差しやコップなどが置かれている。壁にはジャケットを掛けるためのフックがいくつか。あとはルカの座る寝椅子があるだけ。床は緋色の厚い絨毯が敷かれていた。
 しばらくは部屋の中を観察していたルカだが、すぐに見飽きた。耳を澄ますと階下のホールから音楽が流れ出していた。晩餐会が始まったのだろう。軽やかな楽器の音が聞こえる。
 ルカは、しゃがんだままバルコニーの手摺の間からそろりとホールを見下ろした。
 広いホールには、エメレンスと同じようなタキシードを着た男性と、裾の広がったひらひらしたドレスを纏った女性たちがたくさんいた。男女一組になって、音楽に合わせてステップを踏んでいる。あれがダンスというものだろう。天井から吊られたシャンデリアが、ふわりと動く女性たちをきらきら輝かせている。

「……うわぁ」

 水の中をひらひら泳ぐ魚みたいだ。とてもきれいだ。
 ユリウスの姿はすぐに見つけた。大勢の人の中にあっても、体格のいいユリウスはよく目立った。襟元に銀糸の刺繍が入った黒いタキシードを着ている。髪もきちんと整えていて、まるで別人だ。
 ルカはユリウスの姿を目で追った。
 壁際に一人で立っていたユリウスに、女性が話しかけてきた。ユリウスは驚いたようにその女性を見、次に戸惑ったように首を振った。けれど、キラキラ光る石が縫い込まれたピンク色のドレスを着たその女性は、ユリウスの腕を取った。
 女性に腕を引かれ、ユリウスは観念したのか。逆にその女性の手を取ると、ホールの中ほどまで歩いていく。そのまま女性の手を取ったままお辞儀すると、ユリウスは女性とダンスを始めた。ユリウスの腕の中で、その女性は軽やかに踊った。動きにあわせドレスのスカートが、ふわりと舞う。視線を交わし合う姿に、ルカは口元をおさえて、部屋の奥に戻った。

「そっか…。ユリウスってダンスもできるんだ」

 誰もいないのにポツリと言葉がこぼれた。きれいな人だった。ユリウスと並んでいたら、対の絵みたいに自然だった。
 ルカは寝椅子の足に背を預け、膝を抱えて丸くなった。また溢れ出してくる真っ黒な感情に、押しつぶされそうだった。








***









「お久しぶりにございます、ユリウス様」

 ライニール王の開会宣言とともに、ホールに控えていた楽隊の音楽が始まった。まずはライニール王と正妃のダンスが披露された。相変わらず腹の出たライニール王は、年々足元のステップが遅くなっている。それを見るともなしに見ていると、次に王族方が踊りだし、主だった中央貴族が加わり、他の貴族達が次々にホールを満たしていった。
 妻もいないユリウスは、晩餐会ではひたすら壁の花ならぬ石柱と化し、時間の過ぎるのを待つのみだ。ダンスは一応これでも一通りこなすが、特に踊りたいわけでもない。ただでさえ目立つ体躯だ。この上目立って、目をつけられると困る。
 いつものように晩餐会をやり過ごすつもりだった。
 ところが、場が和んできた頃、一人の女性がユリウスに話しかけてきた。光る石をあしらったピンクのドレスを着た女性だ。ピンクといっても落ち着いた色合いのものだ。二十歳すぎくらいのその女性の、茶色い髪と瞳に、ユリウスは「ああ」と思わず声を上げた。
 コルネリア・クラーセンだ。十年前、ユリウスとの婚約が決まっていたクラーセン侯爵家の令嬢だ。
 コルネリアは当時まだ十四歳だった。当時十九だったユリウスはコルネリアとは数回顔を合わせたことがあるだけだ。その後すぐに婚約の約束は破られたので、それ以来、コルネリアとは会っていなかった。
 十年前はまだ幼かったコルネリアは、美しく成長していた。あのまま父が失脚することなく中央の政界に居続けていたなら、今頃ユリウスはこのホールでコルネリアの手を取って踊っていたかもしれない。

「一曲踊っていただけませんか?」

 そんな感慨に耽っていると、コルネリアから思わぬ申し出を受けた。

「え、いや……」

 普通は女性からダンスは申し込まない。ユリウスはびっくりしてコルネリアを見下ろした。この十年、モント領主の義務として晩餐会に参加し続けてきたが、踊ったことは一度もない。それが、元婚約者とダンスなど。ありえない。本来なら断っては失礼になる。受けるのが筋なのだろうが、ユリウスは首を振った。

「ありがたい申し出だが申し訳ない」

 ユリウスが断ると、コルネリアは予想していたのだろう。気にした様子もなくユリウスの腕を取った。

「私、父が勝手にユリウス様との婚約を解消したこと、未だに納得しておりません。ここ何年もユリウス様とお会いできるよう、晩餐会に参加したいと父に申していたのです。今年、やっと父が根負けし、こうして参加することができました」

 コルネリアは続ける。

「十年です。ユリウス様と再びお会いするまでに十年も費やしてしまいました。この十年分、今宵のダンスで取り戻させてくださいませ」

 この女性は、こんなふうに自分の思いを話す女性だったろうか。ユリウスは不思議な気持ちでコルネリアを見下ろした。いや、当時はそこまで深く人を見ていなかった。婚約者だったコルネリアのこともそうだ。

 ユリウスが見ようとしていなかっただけで、コルネリアは元々、人目の多い晩餐会でも臆することなくふるまえる人だったのかもしれない。

「私はまだ結婚しておりません。父へのささやかな抵抗です。この意味、おわかりになりますか?」

 父を押し切って晩餐会に参加し、ユリウスに会いに来た。婚約破棄には納得していない。それはつまり、今でもコルネリアはユリウスとの婚姻を望んでいるということだろうか。
 想像はついたが、ユリウスはあえて、「いや」と首を振った。コルネリアは気にした様子もなく、ユリウスの腕を引いた。

「踊ってくださいな」

 ホールの中央へと引っ張られた。コルネリアの力など、ユリウスからすればさほどのものではないが、これ以上の拒否はコルネリアに恥をかかすことになる。
 ユリウスは覚悟を決めた。
 コルネリアの手を取ると、お辞儀をしてコルネリアの腰に手を回した。
 久しぶりのダンスだったが、体は覚えているものだ。曲に合わせてステップを踏む。コルネリアの動きもよく、とても踊りやすい。
 周りから視線が痛いほど注がれた。失脚したベイエル伯の息子だとあからさまに指をさす者もいる。これだから目立つ行為は嫌なのだ。
 それでもなんとか一曲終わるまで踊り続けた。曲が終わるとユリウスは、コルネリアの手を取ってすぐにホールの端へと身を隠した。礼儀としてコルネリアの手の甲に触れるか触れないほどのキスを落とし、何か言おうと口を開きかけるコルネリアを残し、その場を離れた。
 少しほとぼりを冷ましたい。
 ユリウスはそっとホールをを抜け出した。外の廊下には椅子が並べられ、ちらほらと休憩をとる者達がいる。その隅の壁にユリウスは背を預けた。
 コルネリアの気持ちはありがたいが、ユリウスからしてみればもう終わった話だ。当時は次々に去っていく友と共に、婚約者までもがと思ったものだが、今になってみれば、公爵の地位のもと集まってきただけの余計な連中が削ぎ落とされただけだと思っている。

「よお、色男」

 どこから現れたのか、エメレンスがついと寄ってきた。ユリウスの肩をぽんぽん叩いてくる。

「いやぁ、美しかったよ。父親の失脚とともに引き裂かれた元婚約者とのダンス。一枚の絵画を見ているような光景だったよ」

「茶化すのはよせ。何の用だ?」

 ユリウスがエメレンスを睨むと、エメレンスはユリウスの耳元に囁いた。

「上にルカが来てる。会っていけ」

「連れてきたのか?」

 ライニール王もオーラフ宰相もいる、こんな危険なところへ。ユリウスが言に非難を込めると、「まぁまぁ」とエメレンスはユリウスをなだめた。

「ルカがおまえに会いたがったのでな。階段を上がって四番目の扉だ。前にジオが控えているからすぐにわかるだろう。知ってるだろう? 私の屋敷の執事のジオ」

 もちろん知っている。ジオは執事仲間としてカレルと親しい。
 本当はもっとエメレンスを詰りたい気分だったが、エメレンスはちょうどその時ホールから出てきたご婦人の一人に呼ばれ、ホールへ戻っていった。
 ユリウスは階段をのぼってバルコニーの並ぶ二階へ上がった。
 エメレンスの言う通り、上がって四番目の扉の前にジオが椅子に腰掛けて待機していた。ジオは、ユリウスの姿を認めると、「どうぞ、中でお待ちです」と扉を開いた。

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