俺はゴリラに恋をする

ゆまた

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第28話 ワガママゴリラ

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 遂に卒業式の日がやってきた。この江手高校体育館は、卒業生、在校生、先生達、卒業生の保護者達で埋め尽くされていた。俺はクラスメート達と並んでパイプ椅子に座り、1組と2組が卒業証書を校長から受け取っていくところを、ぼんやりと眺めている。

 思い返せばいろいろあったが、あっという間の3年間だった。いろいろあったと言っても、野球の練習とか乾と馬鹿な遊びをやったりとか、そんな思い出ばかりだが。

 それでも、やはり最後の半年間の事は、一生忘れる事はないだろう。あの時、軽トラックに撥ねられたのが、全ての始まりだった。俺はゴリラのような女子……後藤さんに命を助けられた。そして何度か会話を重ねていくうちに、いつしか恋に落ちた。図書室での勉強会……クリスマスパーティー……卒業旅行……本当に楽しかった。最終的には悲しい結末を迎える事にはなってしまったが。

 俺が思い出に浸っている内に、3年2組の生徒全員に、校長から卒業証書が受け渡されていた事に気付く。次は俺達3組だ。俺は一旦回想を止め、気を引き締めた。



「では続いて3年3組。男子1番、乾健太」



「ほぁい!!」



 乾がふざけた返事と共に勢いよく立ち上がり、大股で舞台へ上がった。周りからクスクスと笑い声が聞こえてくる。担任の先生は頭を抱えていた。最後の最後まで、乾は先生の頭痛の種となったわけだ。

 卒業証書を受け取った後、演台の前でそれを掲げながら、こちらに向かって戦隊物のヒーローのような決めポーズを取った。周りの笑い声がより一層大きくなる。逆転満塁サヨナラホームラン級の馬鹿だ、あいつ……。後ろの方にいるであろう乾のお母さんも、さぞかし恥ずかしい思いを……いや、あの人なら笑ってそうだな。大学でも乾のような奴と友達になれたら、毎日退屈せずに済みそうなんだが、あいつ程の逸材はそうそういないだろうな。



「男子8番。猿山浮夫」



「はい」



 舞台へ向かう途中、乾が小声で「お前も何かやれ」と言ってきたが無視した。俺はそんな命知らずじゃない。普通に上がって普通に受け取って普通に下りて席に戻った。

 その後は退屈な時間が続く。何せ13クラスもあるのだ。他のクラスの連中なんて、12組以外は元野球部員しか知らないし、知ってる奴が舞台に上がったからといって何なのだという話だ。アクビを噛み殺しながら、ただ時が過ぎるのを待つ。



「女子5番。熊井月乃」



「はい」



 ……!? 俺は眠気が吹き飛び、目を見開いた。乾も同じように驚いている。派手な金髪のツインテールだった熊井が、黒髪のストレートロングになっているのだ。制服もいつもはだらしなく着崩していたのが、他の真面目な生徒達同様に、皺1つない制服をしっかりと着こなしている。

 一体どうしたんだ。どんな心境の変化があったんだ? いつからあの髪型に? まさか俺にフラれたのと関係が……?

 様々な憶測が俺の脳内を駆け巡る。しかし俺は、熊井の決意めいた目を見て、やがて1つの答えに辿り着いた。

 今までのあいつは、言わば仮の姿だ。高校でもいじめられないよう、精一杯自分を強く見せるための虚勢。それを止めたのだろう。もしかすると、中学まではあの髪型だったのかもしれない。敢えてそれに戻し、本来の自分に戻って新しい環境に飛び込んでいくつもりなのだろう。

 あいつも俺と同様、過去を振り返らずに前へ進もうとしているのだ。俺と違うのは、本当に過去を捨てたかどうかという点か。今の熊井には、一切の未練が見られない。それに比べて俺は……。



「女子6番。後藤梨央」



「はい」



 俺の未練の元、後藤さんの名が呼ばれた。自分の名前が呼ばれた時以上に、鼓膜が敏感に反応を示す。そして視界が僅かにぼやけ、無意識に顔を伏せる。

 あれから後藤さんとは会話もメールもしていない。別に避けられているわけではないだろうから、メールすれば返信ぐらいはもらえるのだろうが、どうしてもそれをする気にはなれなかった。



「続きまして、校歌斉唱。卒業生、起立」



 校歌か……結局歌った事なんてほとんどなかったな。毎回口パクで済ませていたが、最後ぐらいは真面目に歌うか。

 起立し、舞台の右上に掛かっている校歌の歌詞に目を向ける。そしてピアノの伴奏が終わると同時に口を開いた。







 江手高校校歌   作詞作曲 申堂紋吉しんどうもんきち



 1

 江手川沿いにそびえ立つ

 その名も江手江手江手高校

 ボス猿のように勇ましく

 胸張り進め若人よ

 ああ、我らの江手高校



 2

 夢と希望に溢れてる

 その名も江手江手江手高校

 ひつじとりに挟まれて

 さる年はいつもやってくる

 ああ、我らの江手高校



 3

 茶色の校舎が目印だ

 その名も江手江手江手高校

 この世は正にジャングルだ

 あいつもこいつも盛ってる

 ああ、我らの江手高校







 ……毎回思うが、相変わらず意味不明な歌詞だ。1番は100歩譲って許せるとしても、2番と3番はふざけてるとしか思えない。曲調だけ無駄に校歌っぽいのがまた腹立つ。真面目に歌って損した。俺は心の中で毒づきながら着席した。

 そして校長の長い話も終え、ようやく卒業式も閉幕となる。俺達3年生は席を立ち、在校生、保護者、先生の拍手に見送られ、体育館を後にした。



「あー、終わった終わった。とうとうこの学校ともさよならだなぁ」



 体育館を出るなり、乾がいつもと変わらぬテンションで、俺の横に並んで話し掛けてきた。



「そうだな。ていうか、こんな時でも軽いなお前は」



「しんみりしたって、しょうがねえだろ。別に今生の別れってわけでもあるめえし」



「まあな。特にお前とは、縁を切りたくても一生切れなそうだ」



 そう……小学校から続く腐れ縁。それが、進路が別れたところで今更切れるわけもない。俺も乾も、満更でもない笑みを浮かべていた。



「あっ、そうだ。この後3組の皆でいつものファミレス行くんだよ。担任が卒業祝いに奢ってくれんだとよ。お前も当然来るだろ?」



「ああ、行く。その前にちょっと寄るとこあるから、先行っててくれ」



「おう。あんま遅れんなよ」



 乾と他のクラスメートが校門を出ていくのを尻目に、俺は別の場所へ足を向けた。別に大した用事ではない。最後に思い出に浸りたい場所があるだけだ。

 最初に向かったのは校庭だ。主に野球部の練習場だった、バックネット近くをゆっくりと歩き回る。1年の頃はバットもろくに触らせてもらえず、雑用でこき使われる毎日だった。嫌いな先輩もいたが、夏の大会に出る頃には打ち解けていたな。

 2年になると後輩が入ってきた。一癖も二癖もある奴等で、生意気な奴も多かった。3年になって入ってきた1年も同じように手が掛かる奴ばかりだったが、俺達が引退する時は涙を流してくれた。あいつらなら、俺達が果たせなかった夢をきっと果たしてくれると、俺は信じている。

 思い出のグラウンドに別れを告げた後、俺は校門の方へと向かった。まだ出て行くわけではない。野球漬けだった俺の青春に、初恋という新たな1ページを刻んだきっかけとなった、アレにも別れを告げておこうと思ったのだ。

 軽トラックに撥ねられた俺に、見事なまでの追い打ちを食らわせてくれた桜の木。中途半端に残っていた部分は切り取られ、今では背の低い切り株に成り果ててしまっているが、あの時の重量感は忘れる事はない。そして、それを持ち上げた後藤さんの事も、俺は一生……。









「猿山君」





 何度も聞いたその声に、俺は驚いて振り返った。



「後藤……さん……」



 どうしてここに? 他の卒業生達は皆とっくに行ってしまったのに。俺は金縛りに遭ったかのように、その場から動けずに立ち尽くしていた。言葉が出てこない。初対面の時ですら、もう少し話す事が出来たのに。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか。後藤さんはいつものように優しく微笑んだ。



「私達が、初めて出会ったのはここでしたね」



 後藤さんが、切り株を見ながら言った。



「……ああ。今でもよく覚えてるよ」



「私もです。あの時は私も軽くパニックになってましたけど。おばあちゃんの事も心配でしたし」



 そうだった。後藤さんは自分のおばあちゃんが危ないってのに、赤の他人の俺を助けてくれたんだ。おかげで今、俺はこうして五体満足で卒業を迎える事が出来たんだ。



「改めて礼を言うよ。あの時はありがとう、後藤さん。それに、紺具大に行けるのも君のおかげだ」



「いえ、私なんてそんな……」



 後藤さんは、少し寂しげに目を伏せた。もう俺には言い残す事はない。そして思い残す事も。最後に後藤さんと話せて良かった。ただそれだけだ。



「それじゃあ、3組の皆を待たせてるから、俺もう行くよ」



「えっ、あ……」



「さようなら、後藤さん。またどこかで会えるといいな」



 俺は後藤さんの横をすり抜け、歩き出した。すれ違い様、ふわりとバナナの香りがした。今後、バナナを食べる度に後藤さんの事を思い出すのかな。俺はそんな事を考え、少し可笑しくなってフッと笑った。



「ま……待って!」



 後藤さんが俺を呼び止めた。振り返ると、何かとても思い詰めた表情をしていた。一体どうしたんだろう……。俺は、何かまずい事でもしてしまったのだろうか?

 まさか、熊井をフッたのが伝わったのか? となると、俺に会いに来たのはその説得に? しかし、熊井はもう俺に未練があるようには見えなかった。後藤さんの単なるお節介なのかもしれないが。

 後藤さんはしどろもどろになり、黙り込んだままだ。必死に言葉を探しているように見える。このまま待っていた方がいいのか……いや、ここは俺が背中を押してあげるべきだ。



「何か言いづらい事があるのか?」



「……」



 俺は、自分の言葉にデジャブを感じた。以前にもこんなやり取りがあったような。

 そうだ、思い出した。俺が後藤さんに告白する直前だ。もっとも、あの時は俺が言われた側だが。

 そしてあの時はこう言われた。また今度、落ち着いた時に話してくれればいい、と。俺もそう言ってあげたいのは山々だが、今回はそうもいかない。もう卒業なのだ。今度などない。何か言い残した事があるのなら、言ってもらわなければならない。



「……私は、ずるい女です」



「えっ?」



「本来なら私から言わなければいけないのに、また猿山君に言わせようとしています。しかも、1度は拒んでおきながら、それをまたやらせようとしているんですから……」



 ……? どういう意味だ? 後藤さんは、俺に一体何を……。



「だから、見損なっても構いません。軽蔑しても構いません。でも、1つだけお願いを聞いて下さい」



「お願い?」



「もう1度だけ……猿山君の気持ちを、私に言ってくれませんか?」



「えっ……」



「どうか、お願いします。あの時の言葉を、私にもう1度……」



 俺の心に、銃弾で撃たれたような衝撃が走った。俺の気持ちを、もう1度後藤さんに? 馬鹿で鈍感な俺にも、その言葉の意味は分かった。でも、理由が分からない。どうして後藤さんは、今更そんな事を?

 しかし俺は考えるのを止めた。考えるだけ無意味だからだ。何故なら俺の答えは、はなっから決まっているのだから。



「……俺の気持ちは、あの時からずっと変わらない」



「……」



「俺は後藤さんが好きだ。このまま卒業と同時にお別れなんてしたくない。ずっと傍にいてほしい。友達としてではなく、恋人として、ずっと一緒にいてほしい」



「……!」



 俺は右手を静かに差し出した。



「付き合ってくれ、後藤さん」



 不思議だ。あの時は死ぬほど緊張したのに、今は何も感じずに言えた。2回目だから? それも理由の1つだろうが、1番の理由は別にある。それは、目の前にいる後藤さんがとてもか弱く見えるからだ。

 不安……後悔……罪悪感……様々な感情が、今の後藤さんから感じ取れる。そして常に遠慮がちだった後藤さんが、今初めて恥を忍んで俺にワガママを言ってくれている。

 1度フッた相手に再度の告白を要求。それは客観的に見れば都合のいい、図々しい話だ。今更何を言ってるんだ、ふざけるなと、文句を言われても仕方ない事だ。

 だから俺は、守ってあげたいんだと思う。大丈夫だよと、言ってあげたいんだと思う。俺が緊張でガタガタ震えてる場合じゃないんだ。俺は強くなれた。後藤さんのおかげで。だから、その勇気を今、後藤さんにも分けてあげなければいけない。



「…………ゴ」



「……」



 後藤さんは右手を差し出し、俺の手の平の上に重ね合わせた。











「ゴリラな私で良ければ、よろしくお願いします」
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