姪っコンプレックス

ナギノセン

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スノーボード勝負

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「よりにもよって、何で勝負なんだ?」
「空手だと受けてもらえないでしょう?」
「当たり前だ」
「ボードなら俺も橘さんもシーズンしかやらないだろうから差はあまり出ないし、受けてくれると思ってました」
 
 不機嫌な顔を隠さない俺の質問に三枝は笑いながら答えた。
 俺もはなから負けの見えている勝負をわざわざする気は無い。
 意外に頭を働かせたと言っていいのかわからないが、単なる思いつきではなかったらしい三枝が、軽く息を飲んで表情を引き締めると俺を真っ直ぐ見た。

「橘さん、俺は深町のことが好きです」

 薄々そんな気はしていた。三枝も高井も見る目がある。
 深町は美人で性格も明るい。いささか本人の好みがはっきりしているきらいはあるものの、基本は誰にでも人当たりが良い。俺が知らないだけで結構モテているだろう。

「でも深町は、橘さんのことが好きですよね」
「知ってたいたのか」
「あれだけ見せつけられたらね」

 言葉を濁そうかとも思ったが、ゴーグル越しでもわかる鋭い視線を向けられてはできなかった。
 改めて聞くまでもなく、三枝は好きな女の子ヘアピールをしたいのだろう。 
 付き合わされる俺のほうも大切な女の子が見てくれているのだから、無様なことはできない。

「勝負に勝っても、深町がお前を好きになるとは限らないぞ?」
「わかってますよ! 自分が好かれてるからって嫌なことを言うなあ」
「もう一人、深町を好きって言ってる男を知ってるぞ?」
「マジですか!? そいつにも絶対負けませんから!!」

 脳筋に効くかは怪しみつつ、姑息と知りながら揺さ振りを掛けたら失敗だった。余計な闘志を燃やし始めたみたいだ。

「深町達が待っている場所まで早く着いたほうが勝ちでどうですか?」
「いいけど、進入禁止エリアはナシな」
「俺も教員ですから、そこまで無茶はしませんよ」
「ウソつけ。前もって言っておかないと、お前は絶対にやるだろう」
「バレましたか。でも必要ありませんからしませんよ」
「言ってくれるな」

 俺達は四十度を超える急斜面を少しだけ滑り降り、コースの端に一度座りこむ。リフトを降りた近くは人が多くて、滑り始めた途端に邪魔が入りそうだったからだ。

「俺が仕掛けた勝負ですから、カウントダウンは橘さんでいいです。三、二、一、スタートで」
「負けても言い訳にするなよ」
「勝ちますよ」
「吠え面かかせてやる」

 俺は濃い水色のゴーグルをしていたが、にやりとした三枝の白い歯の輝きは十分わかった。
 挑発をしたのは俺なのに、あまりにも自信満々の態度は勘に触り、逆に俺が発奮させられてしまった。

 実のところボードは三年ぶりなのでまだ完全復調には程遠い。しかし今さら口になんてできない。千紗へ教えようとしているのに、それこそ言い訳がましいと感じたからだ。

 多少のハンデを受けるつもりで、ありがたくカウントダウンはさせてもらう。
 俺は斜面に人が途切れているのを確認した。

「三枝、行くぞ! 三、二、一、スタート!!」

 両掌に力を入れて思い切り斜面を押して立ち上がる。ボードの鼻先を真っ直ぐ下へ向けた。隣の三枝もほぼ同時の出発だった。

 傾斜が四十度を超えると、体感的にはほぼ垂直を駆け下りるのと変わらない。
 久し振りの感覚が怖くないと言えば嘘になる。目の前の三枝は意味不明の雄叫びを上げながら、少しずつ俺との距離を広げ始めていた。

 千紗と深町が待つ初級者コースまでおおよそ七キロ。最短となるコースは滑走禁止エリアを通るため必然的に迂回が発生する。上級、中級、初級といくつものコースがあって、下へ行くほど人が多くなる。序盤が肝なのは間違いない。

 上級コースの左寄りは日陰が多くアイスバーンが続く。右寄りは左に比べればまだ雪が柔らかい。斜面のデコボコ、いわゆる『コブ』が大きい。
 アイスバーンを滑るのは、コブに比べると力が余分に必要となる。コブの出っ張りを利用して回ったり、少ない力で速度の緩急をつけることもできない。

 俺は滑りやすさからコブの目立つ右側を選んだ。
 三枝なら左のアイスバーン寄りだと思ったが、意外にも俺と同じ右方向へ向かっている。
 スキーやスノーボードの競技滑走では、コブの処理が勝負の明暗をかなり分ける。
 スムーズに乗り越えたり回転するのに必要なのは、膝を柔らかくした体重移動と板から斜面へ力を伝えるエッジワーク。
 スキーやスノーボード裏側の両端――エッジ――には、触れれば指など簡単に切れる金属部分がある。ここで雪の斜面を文字通り『切る』ことで自由自在に曲がることができる。

 俺も三枝もほぼ同年代なのでボードの経験年数も大して変わらない。だけど俺にはスキー経験が二十年以上もある。
 バイトをさせてもらっている法律事務所の伯父貴には子供がおらず、甥である俺の面倒をとてもよく見てくれた。幼い頃から毎年スキーヘも連れて行ってくれた。
 口うるさい親父が、二人いるようなものだと昔から思っている。

 スキーインストラクターの資格を持っていた伯父貴は、容赦なく俺をしごいた。逃げ帰りたくても子供の俺には足がないので、ひたすら耐える日々が続いた。
 転んで痛いだけの嫌いなスキーが楽しくてしようがなくなったのは、板に乗ってエッジを切る感覚とタイミングがわかった瞬間からだった。その後は、伯父貴のスピードについて行くことができ始め、伯父貴も嬉しそうに色々なテクニックを教えてくれるようになった。

 スノーボードとスキーは形も大きさも枚数も違うけれど、エッジを切る感覚は変わらない。スキーではあれほどのに、ボードは始めたその日から上級者コースヘ行くことさえ容易だった。

 俺にボードのブランクがあったことを、三枝には伝えなかった。
 スキー経験を教えなかったのも、わざとでもなくズルのつもりもない。言ったところで三枝は勝負をやめなかっただろう。
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