姪っコンプレックス

ナギノセン

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後輩はおせっかい、でも懐かしい

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「俺はただのフリーターなんだし勝手に話を進めるなよ」
「フリーター? 先輩って今、何をされているんですか?」

 動こうとしない俺の腕へ抱き着いて目を大きくする後輩に、良く似たことをする姪っ子をふと思い出す。
 大学のOB会にも顔を出さなくなって数年経っている。俺の現状を知っている人間は仲の良い数人だけ。年の離れた後輩の深町が知っているはずがない。

「塾の講師だよ。三枝だったら男同士の友情とか冗談で済むけど、お前だとシャレにならない。早く放せよ」
「はーい。私は全然構いませんけど、校内ではやっぱマズいですよねー」
「校外でも同じだ」

 恐ろしい形相をした南先生を視界に入れないようにしながら、深町と距離を置こうとしたけれどピッタリとマークされている。
 三枝はともかく、南先生が立ち去ろうとしないのは、深町が引き出す俺の情報を千紗の担任として収集しているのだと思う。
 そうでなければ今さら大学時代の話に興味を持たれる理由がない。

「塾って、大学の時にバイトをしていたところですか?」
「千紗といいお前といい、昔のことをよく覚えているな」
「そ、それはまあ、先輩は有名人でしたから。でも裁判所の書記官になっていたはずじゃ?」
「そうなのですか?」
「み、南先生、それは私のセリフです。深町、俺が有名人なんて初めて聞いたぞ? その辺りをぜひとも詳しく!」

 この後輩はつくづく余計なことをしゃべる。会話を無理矢理インターセプトせざるを得ない。再び南先生を視界へ入れないようにして、不本意ながら深町の両腕を掴んだ。
 どこか得意げに顔へ無性にデコピンを入れてやりたい。

「さっきも言いましたけど、先輩に憧れていた後輩は結構いましたよ。ただ、遥先輩が怖くて誰も口にしませんでしたけど」
「遥先輩ってどなたですか?」
「橘さんの武勇伝のところでも名前が出てたよな」
「天池遥さんと言って、当時の先輩の彼女さんです! 超が十個はつくお綺麗な方であるだけでなく本当にすごい人なんですよ!!」
「もし本当だったら見てみたいわね」
「俺も一度お目に掛かりたい――いや、た、単なる興味本位で見たいだけだぞ。ご、誤解するなよ」
「今度、写真持ってきます。絶対っ、驚きますよ。遥先輩と先輩のツーショット写真だったら、驚きも倍増でしょう!」

 俺を差し置いて、教員三人で話が勝手に盛り上がり始めた。
 深町は俺の元彼女の話題になると口が止まらない。偉大過ぎる先輩を尊敬どころか崇拝していると言っても過言ではない。

 深町の言うように天池は俺が足元にも及ばないほどすごいのは間違いない。小学校から合唱を始めて、中、高、大学と全国合唱コンクールの金賞経験が何度もある生え抜き。深町が言ったとおりのすごい美人でもある。深町も十分かわいいけれど基準が違い過ぎる。

 深町のレベルは、街中で十人中七、八人が振り返るくらい。
 天池は十人中十人、だけではない。見た人は、知り合いに絶対話したくなるようなレベル。
 必然的にエピソードにも事欠かないし、このままではあることないことをベラベラしゃべられてしまう。
 危機感に駆られた俺は、深町に負けないように少し大きめの声を出した。

「何で俺のプライベートの話になってるんだ!」
「先輩が詳しくって仰ったじゃないですか!」
「二人ともお静かに!」

 合唱コンクール常連団体の主力だった二人が、音の反響する廊下で大声を出したのだから怒られて当然か。
 天池ほどではないけれど、深町も女声部低音パートのアルトでパートリーダーを務めた実力を持っている。ただし深町の代の合唱コンクールは銀賞だったことを、泣きながら報告してきたことを何故か思い出した。

「南先生、お騒がせしてすみませんでした。俺は用が済んだから帰るし、お前らもさっさと解散しろよ」
「私も千紗さんの保護者である方の為人ひととなりが知れて良かったです。そろそろホームルームなので失礼しますね。深町先生、また教えてください」

 パンツスーツで姿勢良くお辞儀をした南先生は、非常に冷たい視線を最後に向けてから廊下を歩いて行った。俺を先輩呼ばわりする二人はまだ残っている。

「お前ら、ホームルームは?」
「俺は担任持ってないんで部活待ちです。じゃあ橘さん、今度飲みに行きましょう! 失礼します!」
「深町は?」
「私も部活待ちです。一年の副担任をやっていますが、用がなければ行くことはありませんから」
「そうか。クラスは違うかもしれないけど、南先生のとこにいる姪のことを頼むな」
「先輩っ!」
「何だ?」
「本当に講師ででも来たらどうですか!? 実は校長先生が昔の恩師で私をかわいがってくださるので、少しはお力になれると思います!」

 二人っきりになった時の深町は、真っ直ぐな目で俺を見ることも相変わらずだ。妙に気を遣うところも変わっていない。

「ありがとうな。でも今の生活は気に入ってるし、生徒と同居している人間が同じ学校で講師なんてさすがに良くないだろう」
「そう、ですか」
「悪いな」
「いいえ。だったら私も飲みに連れて行ってください!」
「わかったよ」

 深町との話が終わる頃には、ホームルームを終えた生徒が廊下を歩き始めた。俺は急いで校舎を後にする。
 帰りにスーパーへ寄って食材を買ってから夕食の用意をしていると、千紗が戻るなり開口一番にまくし立てた。

「放課後に深町先生が顔を引きつらせてひろくんのことを聞いて来たし、体育の三枝もおかしなテンションで話し掛けてきたんだけど、何かした?」

 ……南先生、俺の学校訪問は千紗に秘密じゃなかったのか?
 いや、多分あいつらの口止めするのが間に合わなかったのだろう。

「あー、二人とも俺の知り合いだ。たまたま会うことがあったから、千紗のことを少し頼んだんだよ」
「知り合いって何の?」
「三枝は空手、深町は大学の合唱部の後輩」
「ふーん、世間は狭いんだね」
「だな。そういや千紗はクラブに入ってるのか? 中学はバドミントンとか書道とか頑張っていたよな」
「書道教室は今も行ってるよ。でもクラブは何もやってない」
「せっかくだから何かやったらどうだ?」
「そう――だね」

 暗い表情になってしまった千紗に、俺は激しく後悔した。懐かしい部活の後輩と楽しく過ごしたことですっかり浮かれていたらしい。
 書道は確かに千紗が一人でやっていた。だけどバドミントンや水泳は、先にやっていた姉貴が千紗にも勧めて始めたものだった。
 その姉貴が他界したばかりでやる気の起きるはずがない。
 少し前に母親が他界した時に、俺もとんでもなく無気力になった。
 何をエラそうに言ってるのやら。

「夕飯がもうすぐできるから着替えて来いよ。今日はハンバーグな」
「やったね!」
「この肉食女子め。鉄板使うから汚れても大丈夫な服にしろよ」
「はーい」

 気まずさを誤魔化すためにキッチンから千紗を追い出した俺は、保護者失格を痛感させられた。
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