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得られた信頼
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「本当に――信じてもよろしいのでしょうか」
「ご心配なく。あの子はいずれ私の元から巣立つでしょう」
「巣立たなかったら?」
「……困りますね。でも成人をしたらさすがに追い出すつもりです」
「つまりは、成人まではしっかり面倒を見られるのですね? でしたら愛とか結婚とかではなくて、最初からそのように仰ってください」
「……まったく思いつきませんでした」
「先程の結婚観とも一致する真面目な考えですし、一先ずは信じさせていただきます。思ったより堅い考え方をされるようですね」
「かもしれません」
三枝と深町とふざけていたから、そちらの印象が強かったのだろう。
前の仕事柄というわけでもない。単純にその様に育てられたのだけれど、改めて自分の考え方を気づかされてふと笑みが浮かんだ。
南先生も応接室へ入って初めて少しだけ笑って見せた。
「では噂について、学校としてどうにかしたほうがよろしいですか?」
「叔父との同居であることを周囲に理解してもらうのが一番ですが、千紗が望んでいないのであれば、あの子が困らない限り何もせずにおいてください」
痛くもない腹を余計にさぐられるのは不愉快だし基本は放置で構わない。
このくらいでなければ初対面で信用に値しないだろうけど、やはり食えない先生らしい。
俺が千紗に男として接しない確約と心証を得たから、ありもしない男女交際の噂に学校として対応できると口にしたのだ。
「千紗さんを信じておられるのですね」
「ずっとあの子を見てきましたから」
「そこまで言ってもらえると、すごくうらやましいご関係ですね」
「その関係の維持に努めさせていただきます」
「本当にお願いします」
最初の厳しい面持ちのなくなった南先生が、少し留息をつきながら用件の終わったことを告げる。と同時に、壁のスピーカーからチャイムが鳴った。
俺達が廊下へ出ると、少し離れたところに脳筋体育教師と傍迷惑英語教師が立っていた。
「橘さん、大丈夫でしたか?」
「先輩、南ちゃんにいじめられませんでした?」
「先生方、私を何だと思っておられるのですか?」
「怖い後輩」
「怖い同期」
二人のおちゃらけ教師の声が揃ったものの、どう見ても南先生のほうが年上に思える。女性に年のことを聞くのは失礼と考えてはいたが、俺の視線は自然に問い掛けていたらしい。南先生は諦めたように笑った。
「私は中途採用でまだ三年目です。年齢は橘さんと同じですよ」
「道理で深町とは着こなしが違うと思いました」
「先輩、ひどーい」
「先程お聞きしましたが、大学時代の合唱仲間なのですよね?」
「まあ腐れ縁のようなものです」
マンガのようにポカポカと俺を叩く深町を、年上の同期先生が生暖かい目で見ている。応接室で話した時には大して興味もなさそうだったのに、何かを思い出したかのように喰い気味なのは意外だった。
「全国コンクールで金賞を取っている団体ですよね?」
「先輩は、金賞時の男声低音部ベースのソリストです!」
「よく通る低い声のはずですね。応接室では反響して耳の奥がこそばゆかったですから」
何故か深町が豊かな胸を偉そうに張ると、南先生は少しはにかんだ様子で右耳を触った。
応接室のアレはそういうことだったらしい。理知的なキャリアウーマンの仕草は、これまでのギャップから結構そそるものがあった。でも口にしたらえらいことになるのでやめておこう。
「南ちゃんっ、先輩に惚れたらダメだよ! 合唱は全然やる気がなかったくせに、ちゃっかり男声を代表してソリストになったり、どうしようもない姪っコンプレックスのくせに合宿では大活躍をして、下級生の憧れる先輩上位三人に入っていたんだから!」
「……言ってることが何かおかしくないか?」
「姪っコンプレックスは十分堪能させてもらったわ」
「やっぱり!? 先輩って本当に変わってませんよね!」
呆れたような二人の視線にさらされても、姪っ子を溺愛する自分自身に恥じるものは何もない。ここまで責められるいわれもないと思うから反論をしたいのに、千紗の先生達なので少し遠慮を覚えてしまう。
何とも不便な関係になってしまったようだし、このままここに居てもろくなことがないだろう。
「じゃあ用も終わったしそろそろ失礼させてもらうよ」
「そうですね。先輩、行きましょうか」
「何処へ?」
「うちの合唱部、見学して行ってください」
何を言っているのかと深町を見たら、思いきり俺の手を握って引っ張っている。逆に何を聞いているのですかとばかりに見返された。
「私は女の子に掛かりっきりですから、男の子のボイストレーニングをしてくださったら嬉しいです。先輩は高音も出せるからテノールも見れますよね」
「橘さんは、低音のベースから高音のテノールまでこなせるのですか?」
「聞いてよ、南ちゃん! 大学から始めて、三オクターブ近い音域があったなんて反則だと思わない!?」
「く、詳しくはわからないけど、きっとすごいことなのよね?」
「もちろん! 南ちゃんもわかってくれたし、今練習している曲は先輩も知っているやつだから行きますよ!」
「ふ、深町、それは聞き捨てならないぞ。だったら空手部のコーチに招きます!」
「――お前ら、俺はそもそも部外者だぞ」
「大学で社会の教職を保険だって取ってましたよね? どうせ同じ公務員なんだし、臨時講師ってことでいいじゃないですか」
さすがの南先生も深町の合唱愛にはたじろいでいる。
三枝が争奪戦に突然参入を表明したが、深町は臆することなく続けた。
俺の意思は相変わらず無視らしい。
「ご心配なく。あの子はいずれ私の元から巣立つでしょう」
「巣立たなかったら?」
「……困りますね。でも成人をしたらさすがに追い出すつもりです」
「つまりは、成人まではしっかり面倒を見られるのですね? でしたら愛とか結婚とかではなくて、最初からそのように仰ってください」
「……まったく思いつきませんでした」
「先程の結婚観とも一致する真面目な考えですし、一先ずは信じさせていただきます。思ったより堅い考え方をされるようですね」
「かもしれません」
三枝と深町とふざけていたから、そちらの印象が強かったのだろう。
前の仕事柄というわけでもない。単純にその様に育てられたのだけれど、改めて自分の考え方を気づかされてふと笑みが浮かんだ。
南先生も応接室へ入って初めて少しだけ笑って見せた。
「では噂について、学校としてどうにかしたほうがよろしいですか?」
「叔父との同居であることを周囲に理解してもらうのが一番ですが、千紗が望んでいないのであれば、あの子が困らない限り何もせずにおいてください」
痛くもない腹を余計にさぐられるのは不愉快だし基本は放置で構わない。
このくらいでなければ初対面で信用に値しないだろうけど、やはり食えない先生らしい。
俺が千紗に男として接しない確約と心証を得たから、ありもしない男女交際の噂に学校として対応できると口にしたのだ。
「千紗さんを信じておられるのですね」
「ずっとあの子を見てきましたから」
「そこまで言ってもらえると、すごくうらやましいご関係ですね」
「その関係の維持に努めさせていただきます」
「本当にお願いします」
最初の厳しい面持ちのなくなった南先生が、少し留息をつきながら用件の終わったことを告げる。と同時に、壁のスピーカーからチャイムが鳴った。
俺達が廊下へ出ると、少し離れたところに脳筋体育教師と傍迷惑英語教師が立っていた。
「橘さん、大丈夫でしたか?」
「先輩、南ちゃんにいじめられませんでした?」
「先生方、私を何だと思っておられるのですか?」
「怖い後輩」
「怖い同期」
二人のおちゃらけ教師の声が揃ったものの、どう見ても南先生のほうが年上に思える。女性に年のことを聞くのは失礼と考えてはいたが、俺の視線は自然に問い掛けていたらしい。南先生は諦めたように笑った。
「私は中途採用でまだ三年目です。年齢は橘さんと同じですよ」
「道理で深町とは着こなしが違うと思いました」
「先輩、ひどーい」
「先程お聞きしましたが、大学時代の合唱仲間なのですよね?」
「まあ腐れ縁のようなものです」
マンガのようにポカポカと俺を叩く深町を、年上の同期先生が生暖かい目で見ている。応接室で話した時には大して興味もなさそうだったのに、何かを思い出したかのように喰い気味なのは意外だった。
「全国コンクールで金賞を取っている団体ですよね?」
「先輩は、金賞時の男声低音部ベースのソリストです!」
「よく通る低い声のはずですね。応接室では反響して耳の奥がこそばゆかったですから」
何故か深町が豊かな胸を偉そうに張ると、南先生は少しはにかんだ様子で右耳を触った。
応接室のアレはそういうことだったらしい。理知的なキャリアウーマンの仕草は、これまでのギャップから結構そそるものがあった。でも口にしたらえらいことになるのでやめておこう。
「南ちゃんっ、先輩に惚れたらダメだよ! 合唱は全然やる気がなかったくせに、ちゃっかり男声を代表してソリストになったり、どうしようもない姪っコンプレックスのくせに合宿では大活躍をして、下級生の憧れる先輩上位三人に入っていたんだから!」
「……言ってることが何かおかしくないか?」
「姪っコンプレックスは十分堪能させてもらったわ」
「やっぱり!? 先輩って本当に変わってませんよね!」
呆れたような二人の視線にさらされても、姪っ子を溺愛する自分自身に恥じるものは何もない。ここまで責められるいわれもないと思うから反論をしたいのに、千紗の先生達なので少し遠慮を覚えてしまう。
何とも不便な関係になってしまったようだし、このままここに居てもろくなことがないだろう。
「じゃあ用も終わったしそろそろ失礼させてもらうよ」
「そうですね。先輩、行きましょうか」
「何処へ?」
「うちの合唱部、見学して行ってください」
何を言っているのかと深町を見たら、思いきり俺の手を握って引っ張っている。逆に何を聞いているのですかとばかりに見返された。
「私は女の子に掛かりっきりですから、男の子のボイストレーニングをしてくださったら嬉しいです。先輩は高音も出せるからテノールも見れますよね」
「橘さんは、低音のベースから高音のテノールまでこなせるのですか?」
「聞いてよ、南ちゃん! 大学から始めて、三オクターブ近い音域があったなんて反則だと思わない!?」
「く、詳しくはわからないけど、きっとすごいことなのよね?」
「もちろん! 南ちゃんもわかってくれたし、今練習している曲は先輩も知っているやつだから行きますよ!」
「ふ、深町、それは聞き捨てならないぞ。だったら空手部のコーチに招きます!」
「――お前ら、俺はそもそも部外者だぞ」
「大学で社会の教職を保険だって取ってましたよね? どうせ同じ公務員なんだし、臨時講師ってことでいいじゃないですか」
さすがの南先生も深町の合唱愛にはたじろいでいる。
三枝が争奪戦に突然参入を表明したが、深町は臆することなく続けた。
俺の意思は相変わらず無視らしい。
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