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第二章 波乱

case04. 被疑者浮上

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 日奈子が帰った後、守樹はせかせかとカロスに関する資料に目を通していた。

「……やはり情報が少な過ぎるな」

「守樹サン、突然どうしたの? 何か慌ててる?」

「マオ、今すぐカロスとベルダについての聴き込みに行く。別行動だ」

「へ?」

 状況を飲み込めていないマオに対し、一切の説明もせずにそう要求すると、守樹自身は直ぐ様上着を羽織り、メモ帳に何かを書き留める。

「少しの情報も聴き漏らすなよ。それと、もし何か困った事があって私が電話に出なければ我台でも警察でもなく、ここに連絡しろ。いいな」

 そう言って放り投げる様にメモ用紙を渡すと、颯爽と扉を開けて出ていってしまった。
残されたマオはあんぐりと開いたままだった口を閉じると、一連の流れを思い出して盛大に舌打ちをした。

「あのクソガキ!」

 ガンッ--と大きな音を立ててテーブルを蹴ると、それまでの苛立ちはほんの僅かに解消された気がした。

 手渡されたメモ用紙に目を落とす。
そこに書かれていたのは携帯電話の番号だった。

――……誰のだ?

 その番号は舞子のものでも、我台のものでもない。
もしかしたら七尾のものかと思いはしたが、あれ程までに毛嫌いしている人間の番号なんて知らないだろう。
まして香月守樹という人間なら尚更だ。

 マオは顎に手をやり、少し考える。

――アイツがこれを渡した時、確かに『もし何か困った事があって私が電話に出なければ我台でも警察でもなく、ここに連絡しろ』と言った。俺たちと面識があるってことか?

――ならやっぱり我台さんだろ。……でも番号が違うし、ハッキリと『我台でも警察でもなく』と言い切ってる。

「だーめだ、やめた」

――一々こんな事考えてたら頭筋肉痛になるわ。誰か知らねぇけど頼りにしてんぞー。

 胸ポケットにメモ用紙を仕舞い込み、マオは少しだけ着崩れたスーツを直すと事務所を出た。

――そういえばアイツ、別行動とか言って出てったけど、鍵持ったのか?

 電話を掛けようかと悩んだマオだったが、普段の腹いせにそれをやめて無意識に少し笑うとスキップで階段を下りた。



 * * *



――いや正直ちょっと『このまま帰ってくんな』とか思ったりしたけど、これはいくらなんでもシャレになんねぇだろ。電話も出ねぇとかありえねぇ……。

 午後、聴き込みの為事務所を出た二人だったが、現在時計の針は既に日付けを跨ぎ、午前二時を指そうとしていた。
流石のマオも自身の悪態を憂う。

 深夜に聴き込みに協力してくれる者など、居ても普通は訪ねない。
だが守樹なら或いは……そう思ったマオだが、ないないと首を左右に振った。

――……誘拐?

 その言葉が脳裏に過ぎった瞬間、マオは全身から血の気が引くのを感じ、スマートフォンに手を伸ばした。

――黙ってりゃ顔だけは良い方だ。ありえねぇ話じゃねぇ!

 電話帳を開いて我台を探すが、午後の事を思い出してその手をピタリと止めた。

 そして胸ポケットを探り、随分ヨレてしまったメモ用紙を開き、番号をしっかりと確認しながらキーパッドをタップする。

――こんな時間だけど……良いよな? 所長命令だし。

 速る鼓動を落ち着かせる様に、Yシャツの胸元をくしゃりと握る。
番号を打ち終えたスマートフォンに表示される緑色の通話アイコンをタップし、ゆっくりと耳に近付けた。

――ヤベェ奴の番号じゃねぇだろうな?

 四コール目。プツリとコール音が止み、少し掠れた寝起き特有の声が聞こえた。

『――はい?』

 聞いた覚えのない若い男の声だ。
マオはゆっくりと深呼吸をして落ち着いた風を装い、言葉を紡ぐ。

「夜分遅くに申し訳ございません。私、香月探偵事務所の助手を務めております、妻渕マオと申します」

『……あ? 香月探偵事務所?』

――ヤベェこれ絶対間違えたわ。

  そう思いながらマオが言葉を模索していると、相手の男の声が明るいものに変化したのがわかった。

『守樹んとこか?』

「えっ、あ、ハイ。そうです」

 が、直ぐに真剣な声色になりマオも緊張感を取り戻す。

『アイツに何かあったのか?』

 マオはゆっくりと頷きながら答える。

「はい。今日……いえ、昨日の午後、仕事の関係で、私と所長は別々に聴き込み調査に出たのですが、まだ事務所に戻っていないんです。一度戻った形跡もなくて誘拐を疑っているところです。

それで、調査前に渡された貴方の電話番号を思い出して、お恥ずかしながら、何処の誰ともわからぬ貴方に知恵をお貸し頂こうとお電話させて頂いたわけです」

『何処の誰ってのは確かにそうか。俺は香月大樹こうづきだいき、守樹は俺の妹だ』

「あのガッ……じゃなくて、守樹サンのお兄さん……」

『ああ、守樹とは五つ離れてる。そしてお前が初耳の様に驚いた感じ……俺の事話してくれてなかったんだな。お兄ちゃん悲しい』

 相手にするには少々面倒くさそうだが、緊急事態の今は仕方が無いと割り切りマオは本題に戻った。

ならわかりませんか? 守樹サンが行きそうな場所とか……」

なんて呼ぶな。俺はお前を義弟おとうととは認めねぇ』

――め、面倒くせぇ……。

「あ、すみません、つい。それで、どこか心当たりはありませんか?」

『とりあえず今から行く。お前は仮眠でも取ってろ』

「え!」

『あ?』

「え、いえ! お待ちしております」

 そう言うや否や電話はプツリと切られてしまった。
 顔を上げて目に入った時計はもう既に二時を回っていた。



 * * *



 インターホンの代わりに事務所の扉が三回ノックされた。
深夜の今はその音すら夜の静寂が包む街に響き渡る様な気がした。

仮眠がてら大樹の到着を待っていたマオは、短く返事をして脱いでいたスーツの上着を羽織る事もせず、気崩したYシャツもそのままに、慌てて扉を開けた。

 そこには、アンニュイな雰囲気を身に纏う男――大樹が僅かに口角を上げて立っていた。

 目にかかる程長く伸びた前髪とは逆に、後ろの髪は短く切り揃えられている。
真っ黒な髪に守樹よりは少し細いが紫色の猫目。それを見て本当に兄妹だとマオは確信を得た。

――全然『大樹』って顔じゃねんだけど!? つうか寧ろお前の方が『マオ』だわ。

「上がるぞ」

 長身で細身の体に黒いYシャツとストライプ柄の黒いスーツパンツ、それに合わせた白いベルトが良く映えている。
ホストを思わせる風貌の大樹は、ゆったりとした足取りで事務所に上がると、ソファに腰を下ろして長い足を組んだ。

――それにしても人相悪いな。

 なんて思いながら、もう一度今日の出来事を話そうとすると静止をかけられ開いた口を閉じる。

「単刀直入に聞くが守樹……いや、香月探偵事務所おまえら一体何を調べてた?」

 余裕を含む妖しい笑みに、ぞわりと背筋が寒くなる様な感覚に陥りながら、マオは順を追って説明した。

「――なるほどカロス……な。また懐かしい話しじゃねぇか。つうかお前、相当参ってんのか? 初対面の俺が確認もしねぇで口開くなんざいただけねぇ」

――うぜえな。今いいだろ、そんな話し。

「あの、早く守樹サンを探しに行かないと……」

 マオが戸惑いと不安の色を含んだ目を向けると、大樹はドサッと音を立ててソファの背凭れに体を預けた。

「……大樹さん?」

「安心していいぞ、

「え? それって一体どういう?」

「守樹を今日連れ去ったのは警察だろう」

「警察? なんで!?」

「大方、守樹をカロスの娘と勘違いしての行動だろ。ほっといたって直ぐ戻って来るだろう……が、生憎警察には個人的にがあるからな。迎えに行くついでに嫌味を言うのも悪くねぇ」

「……あの?」

「わかったら寝るぞ。俺は守樹のベッド使うから、お前はソコで寝てろ」

「えっ、えっ?」

「んじゃなー」

 マオはなにやらとんでもない男を召喚してしまったと後悔したが、もう遅かった。



 * * *



 翌朝、殆ど眠れなかったマオは、冷蔵庫にストックしておいた栄養ドリンクを一気に飲み干し頭を切り替える。
 そしてまだ眠りこけている大樹を起こそうと寝室の扉をノックするが、返事は無い。

――この兄にして、あの妹ありだな。

「大樹さーん、起きてください。守樹サン迎えに行くんでしょう?」

 そう声を上げるがやはり返事は無く、痺れを切らしたマオが扉を開けた。

「入りますよー? 大樹さーん?」

 こんもりと盛り上がった布団を見て、マオの口からは思わず毎朝恒例の溜め息が出てしまった。
まるで守樹を起こしている様だ。流石兄妹……といったところか、寝起きの悪さはよく似ている。

 漸く目を覚ました大樹を引き摺りながら、マオは我台に電話を掛けていた。

「我台さん、おはようございます。守樹サンがお邪魔していますよね?」

『ああ、マオか。何も言わなくて悪かった。守樹の身柄は今回のベルダの件で重要参考人として警察が預かってる』

「……それで、何か掴めましたか?」

『いや全く』

――だろうな。

「あの、我台さん……どうして守樹サンが重要参考人に上がったんですか?」

『……実はカロスには子供が一人居るんだが、もしかしたら最後の被害者の娘である守樹がそうじゃないかって説が会議で浮上してな。ベルダの最初の殺人があった夜、守樹は片腕の無い少年を見たと言った……そしてその時間、守樹のアリバイを証明する人間は居ない。

そうなれば少しのこじつけはあるが、必然的に被疑者として守樹が捜査線上に浮上するのは不思議じゃない。ところで、お前は何で守樹が警察署うちに居ると?』

「あ、いえ。確信があったわけではないのですが……ここ最近の守樹サンの様子がおかしかったのと、が知恵を貸してくれたからです」

?』

「ええ。そろそろ署に着きます」

『……そうか。中で待ってる』

 通話を終了させて警察署の中に入ると会議室に案内された。

 会議室には我台と七尾、そして守樹が椅子に腰掛けていた。
マオから思わず安堵の溜め息が漏れる。
そんなマオの隣を後から来た大樹が颯爽と通り過ぎた。

その唇は相変わらず弧を描いており、何を考えているのか微塵も予想がつかない。

「よお、。ウチの妹に散々じゃねぇか」

『タヌキ』――そう呼ばれた我台は確かに腹の貫禄は狸を思わせるものがあった為、マオは咄嗟にフォロー出来ない。

「……大樹か、久しぶりだな」

「フン、よく言えたもんだ。俺の周りをくせによ。何度も言うが、だ。いくらお前らが不法を疑ったとしても埃は出ねえぜ」

「…………」

「我台さん、こちらは?」

 少し戸惑いながら七尾が尋ねると、我台は苦虫を噛み潰した様な表情で答えた。

「……香月大樹、守樹の兄貴だ。性格は守樹よりも質が悪い」

「香月さんのお兄さん……。私は七尾珠緒と申します。我台さんの部下です」

「へぇ」

 七尾を見て更に妖しく笑った大樹は、独特のゆったりした動作で七尾に歩み寄ると、ぐっと腰を抱き寄せ、手慣れた風に顎を掬って自らの顔を近付けた。

「えっ! な、なに!?」

「ちょ!? 大樹さん!?」

 突然の行動に驚いた七尾は、顔を真っ赤に染めて逃げ場を探すが、大樹はわたわたと無意味に空を切る七尾の手を体ごと抱き込んで動きを止め、更に至近距離に顔を近付ける。
鼻先が触れそうな程近い距離に七尾はパニックを起こしているが、大樹はお構い無しだ。

「ブスじゃねぇ……が、好みじゃねぇ」

 そう言うと、何事も無かったかのようにパッと手を離してくるりと踵を返した。

――何だコイツ……やべぇチャラ男じゃねぇか。つうか、これセクハラじゃねぇのか?

 マオが大樹を凝視していると、大樹は思い出した様に声を上げて首を捻り我台に笑い掛けた。

なんだろ? 何で守樹を連行した? 守樹には俺が居ることをテメェは知ってるだろう。

……もしかして、誰かが守樹コイツを陥れようとしてたりしてなぁ?」

 表情を変えない我台に、七尾が咄嗟にフォローを入れようとしたが、その声は守樹によって遮られた。

「いや、その逆だ。。帰るぞマオ、大樹」



 * * *



「ねぇ守樹サン、さっきの警察署でのってどういう意味? どうして『もう疑われない』って言ったの?」

 事務所に戻り、三人分のコーヒーを入れながらマオがそう聞くと、守樹が例の如く呆れた様に答えた。

捜査本部の関係者頭の硬い年寄り達が、遅かれ早かれ私に目を付ける事はわかっていた。

知っての通り、私達の母親はカロスの最後の犠牲者。そして、その場に居合わせたのは私で、カロスには子供が一人……この情報を日奈子から買った時、日奈子は『確かな筋からの情報』と言った……恐らく日奈子に情報を漏らした者は警察関係者だろう。だから捜査本部の関係者はカロスの子供の存在に気付いていたんだ。

私に今の家族が居るのは、当時の捜査関係者しか知り得ない事だ。

因みに事件当時、大樹は友人の家に泊まっていたから事件の事は何も知らなかった。

、片腕の少年を見た時には、まだベルダの犯人像がわかっていなかった。それともう一つ、日奈子の情報の中に『ベルダは片腕なんかじゃない』と言った人物が居た事はお前も聞いているな? この発言をした人物を今回の事件の捜査関係者と仮定して考えると、真っ先に浮かぶのは私だろうと判断した。

警察なら、証拠も無いのに私を被疑者として調書を取るなんて造作もない事だ。
だが、それを見越して我台が機転を利かせ、大樹に迎えに来させた事で私達が兄妹と証明され、カロスの子供という仮説は消え、無事私の疑いは晴れたわけだ。

更に、一度疑いが晴れた人物を再び疑うというのは難しいからな。その時こそ確たる証拠が必要となる。

今回は我台に感謝するとしよう。しかし、まさか僅か一日で解放されるとは思わなかった」

――あー……もっと捕まってるつもりだったのか。だから『給料は必ず払う』って……。

「まあ、何にせよ無事で良かったです。でも、守樹サンが前に言ってた様にベルダの犯行時刻とを見付けた時刻……短時間であの距離の移動は無理だって話してたのに……警察もやる事がめちゃくちゃだね。大樹さんが来てくれなかったらどうなってた事やら……」

「もしがあるなら、きっとその矛盾も取り除かれた時だろうな。……しかし、ベルダでは無い私にそのはこないだろう。それに大樹が居なくても、戸籍もあるし祖母が居るからな。何も案ずる必要は無い」

「え、そうなの? 聞いても良いかわかんないけど、守樹サンのご家族って?」

「私と大樹、そして母方の祖母が一人。父は幼い頃に離婚していて私は顔も知らない。

ところで大樹、お前いつまでここに居るつもりだ? さっさと帰れ。マオ、客でもないのにコーヒーなんて出すな。調子に乗られてはかなわん」

「都合良く使われた上この仕打ち。お兄ちゃん悲しい」
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