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喋らない子
そわそわ
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放課後まで橙空と歩足が言葉を交わすことはなかった。
それは決して避けていたからではない。むしろ歩足としてはもう一度話したかったのだが、肝心の橙空と会わなかったからだ。
冷やかしていた男子生徒たちは頼んでいないにも関わらず、お節介にも休み時間ごとに橙空の所属しているクラス、更には現在、橙空が保健室登校をしている事を伝えに来た。
歩足は保健室の前を通りはすれど、体調に変化もないのに、わざわざ中を覗く気にはなれず、結局扉を開く事はなかったのだ。
――せっかく、どこにもわるいところがないのに保健室に行くなんて、なんだかソンした気分になるからやめとこう。
学校にきたらかならず橙空ちゃんに会えるんだし、今日はいいや。
唇を尖らせて昇降口を振り返り、そう心の中で呟く。
そして向き直り、まだ母親の迎えが来ていないのを確認すると、二段しかない階段に腰を下ろした。
――お母さん、まだかなあ……。
絵を描こうにも、いつ迎えが来るかわからない。
その為、もし描いていたとしても迎えが来れば、慌てて画材道具を片付けなければならない上に、描いていた景色も忘れるだろう。
それが安易に想像できたので、歩足はぼんやりと目の前の景色を見て過ごす事にした。
暦の上では季節は秋。しかしまだ肌寒さは感じない夕方、空の色は少し黄色を帯びている。
何を思うでもなく、ぼんやりと空を眺めていると視界の端で何かが動いたのが分かった。
そこへ目をやると、花壇の脇に座り込んで雑草を一本一本、見事なほど等間隔に並べている橙空の姿があった。
歩足はすぐさま立ち上がり、橙空の元へ向かう。
「橙空ちゃんもお母さんが迎えにくるの待ってるの?」
しゃがみ込んだ歩足は橙空と目線を合わせてそう尋ねたが、橙空はそれまで見ていた光景を突然現れた歩足に壊され、順応する事が出来ず、そわそわと落ち着きなく体を左右に揺らす。
「……どうしたの?」
何故落ち着きがなくなったのかわからない歩足は質問を続ける。
橙空は不安そうに眉を下げてそわそわ、そわそわ。
――この子、ほんとうに知恵遅れなんだ。かわいそう。
「橙空、ぼくの目を見て」
歩足の両手の人差し指が橙空の両目を捉える。
橙空の視線は歩足の指を追い、止まった先にあるのは歩足の両目。
初めて二人の目が合った瞬間だった。
橙空は何を発音するでもなく、口をぱくぱくと動かす。
それに対し、歩足は何も汲み取っていないが、何度か大きく頷いて応えた。
「うん、そう、これがぼくの目。歩足の目」
ぱくぱく。
それが何故か歩足にはまるで、「歩足の目」と繰り返しているように見えた。
歩足は花が咲いたようににっこりと微笑んだ。
『人にものを教える』事に喜びを覚えたからだ。
「橙空、ほかに知らないことはある? 橙空が知らないことで、ぼくが知ってることじゃないとだめだよ」
橙空のぱくぱくはなくなり、じっと歩足の目を見つめている。
その目は何も疑問はないように見え、歩足は気が抜けたようにその場に座り込んだ。
「なあんだ、つまらないの!」
橙空は歩足から目を離さない。
歩足は眉を寄せ、困ったように首を捻る。
「橙空、どうしてしゃべらないの? ほんとうに知恵遅れなの?」
今度は体を左右にゆらゆら。
歩足の両目に留まっていた目は、弧を描くように地面に落とされた。
視線の先にはあの雑草。ちぎっては並べ、ちぎっては並べと繰り返す。
その見事な配置に、歩足が感嘆の声を漏らした。
「橙空! すごいよ! こんなにキレイに並べられるなんて、橙空はすごい才能をもってるんじゃない?」
誉め言葉に喜ぶ術さえ持たない橙空は、相変わらず体を左右に揺らすだけだ。
間もなくして歩足は迎えが来たので橙空に別れを告げたが、橙空は聞こえていないかのように無反応だった。
しかし、それまでそこに居た歩足が居なくなったという変化に順応するのに時間が掛かった橙空は、人知れずそわそわと視線を彷徨わせるのだった。
それは決して避けていたからではない。むしろ歩足としてはもう一度話したかったのだが、肝心の橙空と会わなかったからだ。
冷やかしていた男子生徒たちは頼んでいないにも関わらず、お節介にも休み時間ごとに橙空の所属しているクラス、更には現在、橙空が保健室登校をしている事を伝えに来た。
歩足は保健室の前を通りはすれど、体調に変化もないのに、わざわざ中を覗く気にはなれず、結局扉を開く事はなかったのだ。
――せっかく、どこにもわるいところがないのに保健室に行くなんて、なんだかソンした気分になるからやめとこう。
学校にきたらかならず橙空ちゃんに会えるんだし、今日はいいや。
唇を尖らせて昇降口を振り返り、そう心の中で呟く。
そして向き直り、まだ母親の迎えが来ていないのを確認すると、二段しかない階段に腰を下ろした。
――お母さん、まだかなあ……。
絵を描こうにも、いつ迎えが来るかわからない。
その為、もし描いていたとしても迎えが来れば、慌てて画材道具を片付けなければならない上に、描いていた景色も忘れるだろう。
それが安易に想像できたので、歩足はぼんやりと目の前の景色を見て過ごす事にした。
暦の上では季節は秋。しかしまだ肌寒さは感じない夕方、空の色は少し黄色を帯びている。
何を思うでもなく、ぼんやりと空を眺めていると視界の端で何かが動いたのが分かった。
そこへ目をやると、花壇の脇に座り込んで雑草を一本一本、見事なほど等間隔に並べている橙空の姿があった。
歩足はすぐさま立ち上がり、橙空の元へ向かう。
「橙空ちゃんもお母さんが迎えにくるの待ってるの?」
しゃがみ込んだ歩足は橙空と目線を合わせてそう尋ねたが、橙空はそれまで見ていた光景を突然現れた歩足に壊され、順応する事が出来ず、そわそわと落ち着きなく体を左右に揺らす。
「……どうしたの?」
何故落ち着きがなくなったのかわからない歩足は質問を続ける。
橙空は不安そうに眉を下げてそわそわ、そわそわ。
――この子、ほんとうに知恵遅れなんだ。かわいそう。
「橙空、ぼくの目を見て」
歩足の両手の人差し指が橙空の両目を捉える。
橙空の視線は歩足の指を追い、止まった先にあるのは歩足の両目。
初めて二人の目が合った瞬間だった。
橙空は何を発音するでもなく、口をぱくぱくと動かす。
それに対し、歩足は何も汲み取っていないが、何度か大きく頷いて応えた。
「うん、そう、これがぼくの目。歩足の目」
ぱくぱく。
それが何故か歩足にはまるで、「歩足の目」と繰り返しているように見えた。
歩足は花が咲いたようににっこりと微笑んだ。
『人にものを教える』事に喜びを覚えたからだ。
「橙空、ほかに知らないことはある? 橙空が知らないことで、ぼくが知ってることじゃないとだめだよ」
橙空のぱくぱくはなくなり、じっと歩足の目を見つめている。
その目は何も疑問はないように見え、歩足は気が抜けたようにその場に座り込んだ。
「なあんだ、つまらないの!」
橙空は歩足から目を離さない。
歩足は眉を寄せ、困ったように首を捻る。
「橙空、どうしてしゃべらないの? ほんとうに知恵遅れなの?」
今度は体を左右にゆらゆら。
歩足の両目に留まっていた目は、弧を描くように地面に落とされた。
視線の先にはあの雑草。ちぎっては並べ、ちぎっては並べと繰り返す。
その見事な配置に、歩足が感嘆の声を漏らした。
「橙空! すごいよ! こんなにキレイに並べられるなんて、橙空はすごい才能をもってるんじゃない?」
誉め言葉に喜ぶ術さえ持たない橙空は、相変わらず体を左右に揺らすだけだ。
間もなくして歩足は迎えが来たので橙空に別れを告げたが、橙空は聞こえていないかのように無反応だった。
しかし、それまでそこに居た歩足が居なくなったという変化に順応するのに時間が掛かった橙空は、人知れずそわそわと視線を彷徨わせるのだった。
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