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六章
45話【束の間のグルメ】
しおりを挟む◆◇◆◇◆◇
辺りが暗く夜の帷に飲まれた頃、モーデカイたち【光の弓矢】が帰還し休憩所は一際賑やかになった。
日用品を売る店の主人に作業場を借りたスレインが、夕飯の献立に頭を悩ませる。
クルルが狩ってきた動物の肉は道中使い果たし、残りは魔物しか残っていない。加えてエドヴァンの家から拝借してきた調味料も少なくなってきている。
唸る青年に向けて、店主から作業場にある調味料や器具は好きに使っても良いとお許しが出た。シモンも野菜を分けてくれて、やっとまともな料理が作れそうだと腕が鳴る。
指輪からコカトリスの肉を出す。【光の弓矢】が嘴と羽、脚など高額になるものを持って行った為、シンプルな肉だけが残った。
艶々した新鮮な肉をまな板に乗せると、その大きさに思わず笑いが漏れる。きっとクルルの腹も満足させてやれる。
この4日間、ノエルの携帯食料や、キャリーの保存食、動物の丸焼きなど質素な食事が続いていた。
どれも興味津々で美味そうに食べていたが、彼女の本領を知っているスレインには分かる。満腹には程遠かっただろう。
もも肉を捌いて骨を抜く。白い筋を包丁で取り除き、余分な皮と脂肪も落とす。これ程大きな肉を扱うのは初めてで苦労した。
「私、鳥さんの皮好きです…」
「クルルも」
ノエルとクルルが覗いてお腹を鳴らす。
『ここら辺は臭みが出るから取っちまうんだよ』
「へぇ~…。そういえばスレインさんって魔物肉取扱免許持ってるんですか?」
魔物の食肉を解体するには資格が必要だ。〈アノーラ〉に棲む魔物の肉にはかなりの確率で毒素を含む部位がある。
『んなもん、ある訳ねーだろ』
包丁を回してあっけらかんと言うスレインに、ノエルは眩暈がした。
「免許も持ってないのに魔物のお肉を調理するんですか!?冒険者ギルドの解体屋さんに持って行くまで待った方が良いんじゃ…っ」
『嫌なら食うなよ。まぁ、連中と比べても遜色無いくらいは目利き出来ると思うぜ?実際、毒が含まれてる部分はちゃんと取り除いてるしな』
コカトリスを解体する【光の弓矢】に混じって、スレインは毒肉と内臓を除去してキャリーに入れた。見ていたモーデカイに怪訝な顔をされ、欲しがっていた肉を何故残すのか問われた。
『死にたいなら持って行け』と顎でしゃくると察しがついたモーデカイは「ば、馬鹿!毒なら言えよ!」と飛び退いた。
肉の皮面をフォークで刺す。一口大に削ぎ切りし、酒に浸けた。
『クルル、待てなかったらノエルから何か貰えよ?』
「だいじょうぶ。待つ」
「わ、私の固形食料も無限にある訳じゃないんですよ!?」
鉄のフライパンを熱して、調味料を調合する。同時進行でシモンから貰った野菜を切り下準備をした。大量の肉を用途ごとに分けておく。
次第に立ち上る美味そうな匂いにクルルは鼻を動かした。
ノエルは涎を垂らしてだらしない顔をしている。
出来上がった料理を休憩所で食べる事にして、運び出した。
テーブルに所狭しと並ぶのはコカトリスの串焼き、アーモンドミルクのシチュー、豆とキノコを添えた若鳥のポワレ、柑橘ソースの鳥ソテー、チーズが垂れるバケットなど。
温かな湯気を纏う鳥料理を前に、白髪の少女は目をキラキラとさせる。ご馳走を目前に尻尾が左右に振られていた。
「こ、これ本当にスレインさんが!?」
『まぁな』
「スレインは料理じょうず」
「うわぁ…。もう、料理人顔負けじゃないですか…」
賛辞に気を良くしたスレインは鼻頭を擦る。
シチューが入った鍋を掻き回して、木製の器に取り分けた。
美味そうな匂いで肺を満たしたクルルはそわそわと落ち着かない。
『食って良いぞ』
「おー!」
嬉々としてフォークを握ったクルルは熱々のコカトリスのポワレに齧り付く。芳ばしい皮がパリッと弾けて、口内に甘みが広がる。
「んー!ンン、んー!」
脚をバタバタさせてスレインに何かを訴えた。見開いた双眸は爛々と輝き、興奮で頬が赤い。
『美味い?』
頬杖を突いて代弁をすると、少女はコクコクと頷いた。
『そりゃ、良かった』
作った甲斐があったと破顔したスレインもパンを食べ始める。焼き目を付けたチーズがとろけて、糸を引いた。
ゴクリ、と生唾を飲んだノエルは温かなシチューに視線を落とし、恐る恐る口に運んだ。
「…!……、っ」
野菜の旨味が凝縮されたシチューは、冷たい雨に長時間晒されて疲労した身に染み渡る温かさ。コカトリスの肉は脂が乗っていて弾力があり、最高級の鶏肉のように柔らかかった。
猫舌なのも忘れてスプーンを休めず食べ続けてしまう。
ソテーは甘酸っぱい柑橘のソースがアクセントになっていて、ポワレとは違った風味が楽しめた。
ノエルは涙を流して「美味しいですぅ…っ!」と絶賛する。
『お前、俺に料理はやめた方が良いとか言ってなかったか?』
「それはお肉の解体ですよ!」
調子が良い奴、と鼻で笑いつつ視線を切って、同じテーブルについていたシモンの様子を見る。
皺々の手で器を持ってシチューを呷っていた。
「ほっほっほ、美味いぞ。手が止まらんわい」
シモンは串焼きのタレを白髭に付けて微笑む。見かねたスレインは『ったく、しゃーねー爺さんだな。髭に付いてんぞ』と折り畳まれたハンカチを渡す。
熱々の串焼きを食べるのにシモンが苦労していたので、青年は彼の串焼きの肉と野菜を串から抜いて皿に移した。
クルルは大丈夫かと窺うと、両手に串を握って問題なく食べている。
すると、周囲に【光の弓矢】と御者が集まっているのに気付いた。テーブルを囲むスレインたちの後ろで溢れる涎を飲み込んでいる。
「美味そうだな」
「食いてぇ~」
「スレイン~ちょっとくらい俺たちにも食わしてくれるよなぁ?コカトリスの素材が良い値で売れたら分けてやるからよぉ」
『テメー調子に乗んなよ?』
モーデカイが馴れ馴れしく肩を組んできたので、鬱陶しそうに腕を外す。
シモンと調理場を貸してくれた店主以外に料理を振る舞うつもりは毛頭なかった。
『俺は肉を扱う免許も持ってねーぞ』
そう言えば引き下がるだろうと堂々宣言する。
「んなの、関係ねぇよ。実際に食えてる訳だし、美味そうだしな」
流石冒険者だ。神経が図太くて図々しい。
やっとクルルの腹を満たせる量の食事を作れた。みすみすそれを他者に譲るほど彼はお人好しではない。
取り付く島もないスレインを他所に、モーデカイはクルルに許可を求め始める。
「なぁ、嬢ちゃん!嬢ちゃんからも言ってやれよ。大勢で食べる方が飯は美味いってな!」
「そうですよクルルさん!ご飯は皆で食べるととっても美味しいです!」
「皆で食べる方が…?」
モーデカイに賛同し寝返ったノエルに唆されたクルルが、周囲の人間たちを見回した。『クルル、騙されんな。縁もゆかりもない奴らとただ飯を食ったって変わんねーぞ。寧ろ食う量が減る』と横槍が入る。
【光の弓矢】のリーダーは「冷てぇ奴だなー」と文句を零す。
少女には思い当たる節があった。
平屋の中で独りで果実を齧るより、スレインと一緒に居る時の方がとても美味しかった。
これだけ大勢と食事を囲んだらもっと美味くなるのかもしれない。
「ほんと…?」
「おう!」
モーデカイは自信満々に親指を立てて、白い歯を見せて笑った。
「じゃぁ、クルルはみんなでご飯食べたい。スレイン、ダメ?」
『うぐ、』
首を傾けた白髪の少女に、青年の喉が締まる。クルルの無意識な上目遣いは、彼女に惚れてるスレインにとって反則技だと言って良い。(効果は抜群だ!)
モーデカイが話し合いの相手にクルルを選んだ時点で、スレインの勝機は限りなく僅少だった。
『…、…くっそ。…クルルが…言うなら…』
溜め息をして諦めた青年はがっくりと項垂れる。クルルのお願いには弱いとつくづく思った。
彼以外歓喜に包まれた休憩所で、大量に作ったシチューが瞬く間に無くなっていく。いつの間にか机がくっ付けられて、御者も含めた大所帯になっていた。
スレインの手料理を食べた男たちが口々に褒める。
「こりゃぁ美味い!」
「おいおい…女が作ったなら惚れてたぜ」
「串焼きのタレはどうやって作ったんだ?!」
むさ苦しいオッさんに囲まれたスレインは『うっせー!散れッ!』とおたまを振り回した。
腹を抱えてゲラゲラ笑うモーデカイは礼に酒を分けてくれる。
『そーいやぁ、あの長髪のにーちゃんは帰って来ねぇな…。確か【なんとかの剣】、だったか?』
「そうですね…。もう夜更けですし、心配です」
「集合は明後日だし、良い雨除けを見つけてそこで休んでるのかもしれないぜ?フィン大平原の土地は広大で、旅人が寝泊まり出来るような小屋が幾つかあるらしいからな」
【鋼の剣】のグランベルドの剣技は凄まじい。幼い頃から剣術の才に目覚め、剣聖が広めたオルレアンロドア流の剣を一心に磨いた。
パーティーの連携も見事だが、中でも彼個人の剣の腕は誰もが一目置いている。
「まぁ、こんな美味い飯を食いっぱぐれるのは可哀想だが、その分俺たちが食べてやるよ」
「――何を食いっぱぐれたですって?」
「おわ!!?」
喫驚して振り向けば【鋼の剣】の面々が丁度帰って来たところだった。
オルオはエドガーに肩を借りており、各自酷く疲労しているのが分かる。
「何があったんだ?」
「…興奮したケルピーに襲われたんです」
疲れた様子のグランベルドは、空いた椅子に腰を降ろして近くにあったエールを一気に呷った。
「あのケルピーは噂の異常個体のようにも思えました」
彼らを襲ったケルピーは明らかに気性が荒く、他の個体より格段に体が大きかった。
フィン大平原で魔物が凶暴化しているとの情報と合致する。
そう言った魔物の情報が上がる度に、人々は魔女の邪悪な瘴気が残っているのではないかと噂し始めた。
悪辣な魔女の残り香を吸い込んだ魔物が、力を増幅させ凶暴になり人々を襲うのだと。
これが本当に魔女の影響によるものか、詳しく調査する必要がある。
グランベルドはその情報を皆に伝える為にこの場所に戻ったのだと言った。
明日の調査はくれぐれも油断せず、気をつけるようにと忠告する。
「ミナ、エドガー、オルオ、今日はお疲れ様でした。明日に向けて力を付けましょう」
いつの間にか【鋼の剣】も同席して大宴会になる。
スレインは頬を痙攣させ、湧き上がる怒りを抑えた。クルルの為に用意した食事が、付け合わせのキノコや豆に至るまでみるみるうちに無くなっていく。
酒が入り陽気に歌い出す連中も居る。どんちゃん騒ぎの中、クルルを盗み見るとニコニコと楽しそうにしていた。エールを飲んだノエルも笑い上戸で手を叩いて愉快そうだ。
『……はぁ。煙草吸ってくるワ』
手をヒラヒラさせて離れたスレインは煙草を咥えながら、裏にある厩を目指す。
そこにはクルルの外套に包まれた渡り烏が居た。
「カァーー!」
警戒した烏は羽根を広げて鳴き声を上げる。『うるせーなぁ』と顔を歪めて指で耳栓をして烏の横に横柄に座った。
暗闇に煙草の火がぼんやりと浮かぶ。キャリーの中に入っていたコカトリスの脚の骨を取り出した。
肉がまだ垂れ下がった状態でそれを引き千切る。頭上から下げてやると、烏は躊躇いなく啄んだ。
『わざわざ温めてきてやったんだ。感謝しろよカラス』
煙草の煙を吐きながら口角を上げる。
怪我で狩りも出来なかった烏は久々に食べる肉に夢中になっていた。余程空腹だったのか、スレインが用意した肉を瞬く間に飲み平らげる。
『結構食うな…。後残ってんのはアプスの肉だけど…』
雑食の渡り烏は何でも食べる。ただ、意外に鮮度の悪い腐った物は好まない。
試しにスレインはアプスの肉を出して少量ずつ薄くスライスして与えた。
その姿はいつか怪我した小鳥を看病していた少年にそっくりだった。
◆◇◆◇◆◇
雨が降り頻る中、真っ黒な雲に稲妻が走る。風に煽られて雨足が強まり、地面を激しく叩いた。
大きなクレーターに雨水が溜まって出来た湖がある。その横に建てられた2階建ての小屋に人影が複数あった。
1人を中心に、他のものは跪き頭を垂れている。
「――冒険者?」
「…はい」
「ふむ、いつもの通り対処を」
「御意」
返事をした黒い影は瞬時に消え去った。
残されたローブ姿の男は分厚い本を片手に、壁に掲げられた奇妙なマークに手を伸ばす。
「くふふ、もう少しです。もう少しで貴女のお姿を拝見する事が出来ます――エルヴィラ様」
愛しい恋人に愛を囁くような声色で、男は壁を撫でた。
「貴女に会う事を邪魔する者は全員、殺してやります」
正気ではない男の瞳は憎しみに染まっている。雷光に照らされた狂気に夜が呑まれていった。
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