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六章
43話【フィン大平原】
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フーガを出発して4日後の朝、荷馬車の幌にポタポタと水滴が落ちて来た。雨は瞬く間に激しくなり、絶え間なく大地を濡らす。
空を覆う黒々とした雲から落下する雨粒は大きく、土に弾けて視界が烟る。
一気に気温が下がり、ノエルは自身のストールをシモンに貸した。カーキ色で撥水性の強い外套の下に巻いた黒いストールは温かく、老人は嬉しそうに微笑む。借り物が雨に濡れないようにフードを深く被った。
クルルは荷台後方で干し肉を齧っている。膝の上にはアップルパイの本が乗っていた。
スレインが雨で滲んだ情景を眺めていると、フィン大平原の端が見えて来たとシモンが教えてくれる。
密集していた木々が疎になり、前方に平たい大地が広がっていた。
落雷を回避する避雷針が等間隔に設置されている。
『へぇ…話で聞いてたより普通…』
魔女と英雄たちの戦闘地と聞いていたスレインは、もっと崩れている地形を想像していた。
「この辺はまだ平地の名残がありますが、奥の方はめちゃくちゃらしいですよ」
『こんなだだっ広い平原…今日中には終わりそうにねーな』
【三本の杖】が他のパーティーを誘う理由が分かった気がした。足元も視界も悪く、雨で音も匂いも遮断されている。この中で調査するのは骨が折れる。
白髪の青年は観念して目を瞑った。
『大体、調査クエストって何をすりゃー良いのよ』
「大平原の調査は、実際に平原を見て回るしかありません。前回の調査では何の異常もなかったそうですし、肩の力を抜いて頑張りましょう!」
他のパーティーと交流して情報を仕入れてくるノエル。
人間不審のスレインと、彼以外に興味のないクルルには真似出来ないコミュニケーション能力だ。
先頭を進んでいた【三本の杖】の荷馬車が、一際大きな避雷針の前で止まる。
大きな雨除けの屋根があり、簡易な休憩所が設けられていた。横には日用品を売る店が隣接されている。
「此処から先は馬での移動は厳しくなる。それぞれの足で調査しよう」
「区域の分担はどうします?」
【鋼の剣】のリーダー、グランベルドは神妙な面持ちで尋ねた。
「じゃぁ、B級の僕たちは奥へ向かう。この大平原を横断する大きな爪痕を目印にして、そこから向こう側を慣れた僕たちが調査するから君たちはその手前を手分けしてほしい」
地形を把握しているゼンが指示を出す。腕を組んだスレインは冷静に聞いていた。
「恐らく1日で全域の調査は出来ないと思う。2日に分けて、少しの異常も見逃さないように確認をしてほしい。集合は明後日のこの時間にしようか…」
プラチナ級のプライドからか、自ら広域に渡る難所に向かうと言うゼンに【鋼の剣】は羨望に似た眼差しを向ける。隣のモーデカイは口笛を吹いた。
新人の青年だけは物好きな奴だと心底呆れた。
ゼンの善人ヅラがどうしても気に食わない。その笑顔の裏側に別の思惑が隠されているようで鼻につく。
そこまで考えて、口角を持ち上げた。笑顔の裏側に邪な本性を隠すのは卑しい人間の性だ。――同族嫌悪。
彼の笑顔は昔の自分に似ている。わざと良い人を演じているようで胸糞が悪かった。
グランベルドとモーデカイと大まかに打ち合わせをして荷馬車に戻ったスレインは長考に耽る。そんな彼を不思議に思ったノエルは目を瞬かせた。
「…どうかしましたか?」
『……いや、別に』
白髪の青年は調査はこの一帯だと少女たちに告げ、シモンは他の御者と共にこの場所に残っているように伝える。
スレインたちの身を案じた老人は夜になる前には戻って来るように言い聞かせた。
『おいおい…子供じゃねーんだぜ?』
「ホッホッホ、年寄りの忠告は聞くもんじゃよ」
魔物は夜行性が多い。それを鑑みて彼は心配している。
「よし、準備は万全です!行きましょうかスレインさん、クルルさん!留守の間は宜しくお願いします、シモンさん」
「くれぐれも気を付けるんじゃぞ」
しわしわの手を振った老人は、雨の中に消えて行く3人の若者の背中をいつまでも見送っていた。
◆◇◆◇◆◇
スレインが任された区画の地面は根のような植物の蔓に覆われており、他の植物の成長の妨げになっている。
その為、他に木や草が生えていない。その凹凸のある地表のお陰で水捌けが良く水溜りになりにくい。
鎖状の地面を踏みながら、クルルは地面を見詰める。絡まる蔓の下を降り頻る雨水が流れていた。
『寒くねーかクルル?』
「大丈夫。気持ち良い」
まるで水浴びしているようだと話す少女に、スレインは屈託のない笑みを零す。
陽気にステップを踏むクルルは雨の中を踊っていた。
少女は空から降って来る水滴を両手に溜めたり、舐めてみたりと忙しい。
「クルルさん、はしゃいでますね」
『嗚呼、雨を見るのは多分初めてだからな』
ノエルは弾けるようにスレインを見るが、彼はポケットに手を入れたまま歩き始めていた。
クルルの容姿から読み取れる年齢はノエルとそう変わらない。同世代の少女が雨を見た事がないとは、一体どういう事なのだろうか。
彼らが何か訳有りなのは薄々気が付いていた。冒険者の仕事を知らないのはまだしも、世の中の事柄に対して疎過ぎる。
傷薬の原料どころか、食用の野草さえ知らない。
そのくせ一部の知識は秀でており、所々の仕草に無駄な気品を感じる。洗練された丁寧な所作を驚きつつ見ていると、突如物を雑に扱う時がある。
無意識に出た慇懃さを忌み嫌うように、思い出したように雑破になるのだ。
そして、何より彼は闇属性…。
もじもじと手を動かす。
「ノエル?」
『何やってんだ?さっさと行くぞ』
名前を呼ばれ、気付けば2人が彼女を待っていた。「今行きます」と駆け出したノエルは『転ぶなよ。此処で転んだら悲惨だぞ』と注意喚起される。
まさかと笑った拍子に蔓に足を取られ、転倒しそうになった彼女の腕を咄嗟にスレインが掴む。
「あ…有り難う御座います」
『言わんこっちゃねー』
酷く呆れて顔を歪める青年を見上げ、腕から力強さを感じた。バランスを崩した体を問答無用で引っ張られ直立させられる。
「…、」
握られた感触がいつまでも腕に残っていた。
◆◇◆◇◆◇
大平原の南側を調査する事となった【鋼の剣】は雨が視界を阻む中、目を凝らして周辺を警戒していた。
グランベルドは枝垂れる髪を鬱陶しそうに掻き上げ「ふぅ」と息を吐く。
「奥地を任せられたらとヒヤヒヤしました」
「難所に率先して向かうなんて流石B級だな!」
和やかな雰囲気に包まれて談笑する。
「【双銃】と名高いノエルさんに会えるなんて幸運だわ!」
「だよなぁ!?」
グランベルドの仲間は興奮しながら騒いだ。英雄を見た幼子のように恍惚とするメンバーを、リーダーは呆れつつ「落ち着いて下さい」と宥める。
A級冒険者ノエル・フランチェスカはフーガ周辺では有名な二つ名持ちだ。
近頃は活躍を聞かなくなったが、その昔、炎のドラゴンを単騎で退治したと話題になった少女でもある。
温和な性格で、扱いの難しい古代魔道具を使い熟している。
――そんな時、雨音を切り裂く水音が響いた。馬の嘶きと共に竜巻のようにうねった水の塊が飛んできて、【鋼の剣】は瞬時に飛び退く。
二つ結びの少女が遅れたが、グランベルドに抱えられ事なき終えた。
地面に蹄を打ち付け、魔物が滑走して来る。
「水棲馬か…!」
ケルピーは馬に似た外見の魔物で、光る角と、魚のような鰭を持っている。魔術を操り、水中でも活動が可能だ。
戦闘態勢に入った冒険者たちは剣を抜く。
雨を払った切っ先が弧を描いた。
「…通常より大きいですね…。私とエドガーで一気に叩きます!オルオとミナは援護を…!」
「「「はい!」」」
グランベルドが早口に指示を出し、ケルピーを迎え撃つ為エドガーと共に風をきって疾走した。
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