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五章
35話【人探しの依頼】
しおりを挟む安宿の廊下を歩くと、床が軋み嫌な音がする。スレインは構わず、借りた部屋の扉を開いた。
愛しい少女を探して視線を彷徨わせるが、ワンルームの何処にもその姿はない。
乱れたベッド、散らかった部屋には先程まで寛いでいただろう痕跡が見られる。
風呂場から物音がして、シャワーを浴びているのだと分かった。
散らかった本と、エドヴァンから譲り受けた魔道具の幾つかを片付ける。最早職業病と言える清掃を行い、ベッドメイキングまで完璧にして一息ついた。
『…、上がったみてーだな』
シャワーの水音が止まり、扉下部の隙間から漏れる蒸気が薄れていく。
だが、暫く待ってもクルルは出て来ず、また服を着るのに手間取っているのだと失笑した。
『クルル?服が着れねーなら…』
トイレと脱衣所、浴槽を隔てる扉を開け、補助を申し出る。
「ス…ススレインさんッ!!?」
そこに居たのは白髪の少女ではなく、ノエルだった。
下着姿で髪を拭いていた少女は真っ赤な顔で、スレインを凝視する。
何でこの部屋に居るのか問うよりも、真っ先に浮かんだのはクルルじゃなかった、という事実。
『…悪ぃ。人違いだわ』
「き…」
『き?』
「きゃああぁあああああああッ!!」
ノエル渾身の張り手を躱して、激しく扉を閉めた。
羞恥心の薄いクルルの反応に慣れていたスレインは、彼女の反応に狼狽える。
「はぁ…はぁ…、。……はぁ~…」
扉の前にへたり込んだノエルは肩で息をしながら、頭に被っていたタオルを握った。
◆◇◆◇◆◇
フーガの街中を2人並んで歩く少女は似たような表情をしている。頬を膨らませ、稚児の反抗期のようだ。
内1人の少女は涙目で赤面し小刻みに震えている。
『2人とも機嫌直せよ』
後方を歩くスレインは困り果て、何度目か分からない同じ台詞を吐く。
「普通、女の子が入ってる部屋にノックせずに入って来ますか!?」
『だから、クルルだと思ったんだって』
「相手がクルルさんでも非常識ですッ!破廉恥…スケベ…っ不潔ですぅ…!」
大袈裟に騒ぐノエルがそろそろ鬱陶しくなってきた。
人が珍しく下手に出てやったら言いたい放題言いやがって、と青筋を立てる。
ノエルの部屋に備え付けられたシャワーが故障したのが事の発端だ。
それを聞いたクルルが自身の部屋のを使えば良いと提案した。
外出していたスレインには聞き及ばなかった話で、全ては不慮の事故だった。
「スレインのエッチ」
湿った目で睨むクルルは、自分以外の女の裸を見たと拗ねている。
プイ、と外方を向いて、冒険者ギルドに着くまでなかなか機嫌を直してくれなかった。
――ギルドに到着して早々、昨日集めたアキレア草を提出する。
登録作業をしたカウンターとは別に、採集品の納品を受け付けている場所があった。
壁に薬草が干され、天井からも垂れている。棚には多種多様の鉱石が飾られていた。
摺鉢や薬研が散見される、ごちゃごちゃしたカウンターだった。
アキレア草をノエルから受け取った受付員の男は、拡大鏡を覗いて葉を注意深く査閲する。
「アキレア草800g、確かにな。はいよ、F級【薬草採取】クエスト達成だ」
羊皮紙に判子が押され、納品に問題がなかったと告げられた。報酬の金を並べて両者で確かめた後、布袋に入れて渡される。
「ノエルよぉ、ダイヤのお前がブロンズのクエストばっかに手ぇ出してっと…」
「はわッ!?ち、違うんです…今回は…!」
すっかり顔見知りの受付員に苦言を漏らされた。ノエルは慌てて首を振り仲間達に助けを求めるが、当然スレインは何もしない。
いい気味だと鼻で笑った後、踵を返して掲示板へ向かう。背中に「酷い…ひとでなしです…っ」と文句を浴びたので、後でシメると決意した。
クルルと共に掲示板を眺める。
【鉱石採取】【スライム討伐】【迷子犬探し】…F級ではマシなクエストが無い。欠伸が出るような依頼の数々に、青年は退屈する。
クルルはB級の【幻の珍味、求ム!】の貼り紙を涎を垂らして見ていた。
「スレインさん、クルルさん!」
遅れたノエルが駆けてきて、予想通り目前でコケる。鼻柱を押さえて起き上がった彼女に『お前、それでよく今までソロで生きてるよな』と手を貸し呆れた。
「さっき聞いたんですけど、E級で興味深いクエストがありそうですよ!」
声を弾ませる少女に、2人は首を傾げる。
彼女が掲示板から剥がしたのは【人探し】のクエストだった。
見れば何の変哲もないありきたりな依頼。何処に目を止めるポイントがあるのかと訝る。
「ただの人探しと思ったら大間違いです!探し人は何と…ウィリアムズ子爵家の娘!貴族のお嬢様なんです!普通の人探しより、格段に報酬の良い依頼ですよ!」
スレインは再び視線を羊皮紙に戻す。
探している人間は、ウィリアムズ子爵家の1人娘、メアリー・オブ・ウィリアムズ。数日前、アンジェリカ街からの帰り道に行方を眩ませていた。依頼主は彼女の父親である。
彼は褒賞金を掲げ愛娘を探していたが成果が得られず、とうとう冒険者ギルドに依頼する事にした。
それは桁が1つ多い、人探しには破格の報酬額だった。
貴族が関わる依頼は、冒険者は倦厭しがちだ。
威張り腐った貴族連中に顎で使われるなど、高ランクになる程我慢ならない。
そして貴族が出すクエストは決まって、失敗した時のリスクが高いのだ。
『…』
スレインは顔を歪める。よりによって貴族の依頼。
この世界で行方不明になる、とは生死に関わる問題だ。彼女が既に死んでいた場合、クエストの成功は絶望的である。
それを懸念しているのか、死亡していた場合は遺体か遺品の回収を求めると小さく書かれていた。
『そんなん…魔物に丸呑みにされてたら…』
「ちょっとぉ、スレインさん…縁起でもないですよ」
確かに特殊なケースを除いて、何の痕跡も残さず消失するのは難しい。
「どうします?」
『…』「…」
2人は無言で互いを見る。スレインは多額の報酬額が提示された羊皮紙に飛び付く…というより目を輝かせたノエルに負けて渋々受け入れた。
◆◇◆◇◆◇
フーガの街の大通りに面した敷地に、ウィリアムズ子爵家の別邸があった。
どっしりと構える門を前に、見上げたノエルが息を飲む。
ポケットに手を入れたままのスレインは『思ったより小せぇな』と失礼極まりない発言をする。
門番に聞かれてやしなかったかと、藤色の瞳の少女が肝を冷やしていた。
「入らないの」とクルルが浮遊して壁を越えて勝手に敷地に入ろうとしたため、ノエルは叫ぶ。
「ふ、2人とも大人しくして下さーーいッ!!」
――門番にクエストを受領した冒険者だと告げると、ジロジロ見られた後で応接室へ通された。
依頼を出したメアリーの父親を待つ間、ノエルとクルルは尻が埋まるふかふかのソファを楽しんでいる。
立ったまま窓の外を覗いていたスレインも椅子を勧められたが遠慮した。
飲み物が振る舞われ、白髪の青年は飲食物を注視する。ジッと見た後は、そのまま手を付けず興味無さそうに窓辺へ移動した。
謎の行動を不思議に思ったノエルは首を傾げた後、冷たい果実水に口を付ける。
横のクルルも美味しそうに飲み干し、クッキーを摘んでいた。
「お待たせして申し訳ない」
入って来たのは白髪混じりの男と、垂れ目の若い男。
ソファへ並んで腰を下ろし、年配の方は娘の写真が入ったロケットペンダントを撫でていた。
「依頼を受けてくれて感謝する。私がメアリーの父、依頼主のヘンリー・オブ・ウィリアムズ子爵だ」
白髪混じりの男は愛想の良い笑顔で、スレインたちを歓迎する。
垂れ目の男の茶色い目は、深い哀しみを帯びていた。目の下には濃いクマが刻まれ、強い疲労感が漂う。
憔悴しきった彼も、行方不明になったメアリーに近しい人物なのが分かった。
「僕は…メアリーの婚約者の、マーク・アーサー・ブラウンです」
会釈したノエルが軽く各自を紹介して「…早速ですがヘンリーさん、娘さんについて教えて頂けますか?」と話を進める。
頷いた年長者はロケットペンダントを開き、娘の写真を見せた。
そこにはドレスに身を包んだ女性が映っている。知的な雰囲気と幼さを併せ持つ笑顔で、柔らかく微笑む彼女は失踪などとは無縁そうだった。
「娘は18歳で…彼、マークとの結婚を後数日と控えていた。アンジェリカの友人の家から出たとは聞いていて、その後消息を断っている」
「うーん、アンジェリカからどの道を通って帰る予定でしたか?良ければ地図で教えて下さい」
地図を広げて、帰り通る筈だった道程を聞き出す。それは主に街道沿いで分かりやすかった。
『……全員で何人だ?』
唐突な言葉に、ノエルは窓際で腕を組むスレインを見る。
「…侍女、護衛、御者を合わせて5人だ」
お嬢様が1人で出歩く筈がない。馬車には御者と侍女2人も乗っており、屋敷で1番腕の立つ護衛も付いていた。その全員が行方不明になっている。
『はぁー…、お嬢サマ1人だけなら結婚が嫌で逃げ出したって可能性もあったんだが』
「そんな…っはず、ありません…!僕とメアリーは愛し合っていましたから…」
暗い顔で手元に視線を落としたマークは、握った拳を震わせた。
今にも泣き出しそうな様子に、スレインは頭をボリボリと掻く。
クッキーを一つ残らず平らげたクルルが指を舐めた。それに気付いたマークが苦笑しながら気を利かせ、メイドに追加を持って来させる。
再びトレー一杯にクッキーが並び、冷たい果実水も注がれ神獣は上機嫌に尾をバタつかせた。
マークはクルルを愛しい人と重ねているようで、哀愁に満ちた眼差しで眺めている。
「今まで何の手掛かりもないのですか?」
「ええ。捜索隊の無能どもは数日経っても娘を見付けられず……痺れを切らして冒険者ギルドに」
感情的に奥歯を噛んだヘンリーの様子を、ただ冷たくスレインが見下ろしていた。
「このままでは、彼との縁談も破断になってしまう」
疲れたように吐露する父親を、ブラウン伯爵家次期当主が気遣った。
『大体分かった。――行こうぜ』
腕を組んでいた青年が部屋を後にする。クッキーを流し込んだクルルが、踵を弾ませて彼に続いた。
驚いたノエルは「も、もうですか!?」と立ち上がり、残された2人に深々と陳謝する。
「有り難う御座いましたッ!その…メアリーさんはきっと見付け出します!」
「あ、嗚呼、そう願っている…」
スレイン達を追い掛けるノエルが、出て行く拍子にドアに足をぶつけた。痛みを必死に堪えて「2人とも待って下さいよぉ~」と情け無い声を上げる。
ヘンリーとマークは慌ただしい冒険者たちに、呆気にとられ顔を見合わせた。
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