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第十週「入港ぜんざい」

(46)不法投棄、ダメゼッタイ

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「やっぱり出刃包丁とってこな……」
「やめなさいと言っているでしょう。そも、持ち物を本来の用途以外で使用するのは止めなさい」

 一度は収まったのに、再び「ゆら……」と立ち上がろうとした睦郎を窘める赤岡。彼が出刃包丁をどのような意図で使おうとしているかなど考えたくもない。

「ほら、そこに座る」
「いやどす」
「主計科の仕事道具を粗末に扱うんじゃありません」
「……」

 先程よりも強く言ってやったら、多少は不服そうだったが素直に従った。一応はまだ、赤岡の言うことなら聞くらしい。これが機関長の鶴田や主計科の長島ならば無理だったと思うが。

「……私物…………」
「たとえ私物でも、道具を本来の用途以外の目的で使用するのはよしなさい。道具が泣きますよ」
「はぁい」

 若干納得がいかなさそうな表情だったのは気のせいだと思いたい。今度こそ大人しくなったのを確認して、赤岡は睦郎に向かってやんわりと語りかけ出した。

「そもそも、そのFUの不法投棄の話なのですが……」
「はい」
「不法投棄で思い出したのですがね。昨夜……というよりここ数日、当直の者が怖がっているんですよ。主計科の連中がスカッパー周辺を彷徨うろついていたとかで」

 ここ数日間、なぜか主計科に属する兵員達がスカッパー周辺に集まっている姿が目撃されているのだ。それも、消灯時間もとうに過ぎ去った真夜中に。
 前述の通り、ただでさえ会計監査前で忙しさに拍車がかかってピリピリしている主計科の者たちである。そんな彼らがいったいなぜスカッパーの周辺、しかも真夜中に集まってくる必要があるのだ。
 しかも、何やら凄まじい迫力を出しながら鬼の形相でごそごそと何事かをやっている。その際に交わされる会話は「早く片せ」だの「証拠を消せ」だの、不穏な気配が漂うものばかり。
 これでは目撃者が怖がってしまうのも無理は無いだろう。ただでさえ殺気立っている主計科なのだ。藪をつついて蛇どころか龍神など出してしまった日には、どんな目に合うことか。
 なので、夜中に起きている当直の者や不寝番などは特に怖がっていた。うっかり虎の尾を踏んで、自分達がそのスカッパーに頭からレッコされてしまったらどうしようかと怯えながら。

「…………」
「そもそもの話、FUの不法投棄も、誰かがスカッパー周辺を彷徨く主計科を怖がった結果行ったことなのではないかと思うのですが。しかしそれでも、やはり刻まないでそのままポイ捨ては擁護のしようがありませんが……」
「…………マズイ」

 ボソッ、と囁かれたその一言を、赤岡は決して聞き逃さなかった。
 いったい、何がマズイというのだ。話の流れから鑑みると、スカッパーの周辺に人が集まっている所を目撃されたのが睦郎にとってマズイことだったに違いないだろうが。
 青ざめてあからさまに挙動不審になっている様は、先程まで妖怪のような表情をしていた奴と同一人物とは到底思えない。主計科の兵員が真夜中にスカッパー周辺でたむろしていたのを見られたのが、それほどまでにマズかったのだろうか。急に気になった赤岡は、真相を究明するため睦郎を問いただそうと姿勢を正した。

「何がマズイのですか。言ってみなさ」
「──ちゃいますでっ!!?」

 瞬間、睦郎が叫んだ。まるで悲鳴のような声だった。若干だが裏返っているのがまた、彼の動揺を表現している。
 と、同時にバンッと盛大な音を立てて机に手を付きながら睦郎はバッと立ち上がった。

「……は?」

 人は、突発的な事象が我が身に振りかかることに弱い。今正しく赤岡の目の前で混乱のあまりにガタガタ震えている睦郎がそうだった。

 ──間違いない、睦郎は何かを知っている。

 赤岡が即座に察知したのも当たり前のこと。ここ最近、真夜中のスカッパー周辺に主計科の要員が集まってきて、聞くだけならヤの付く自由業の方々がしていそうな会話を交わす真相。それを、睦郎は間違いなく知っている。
 動揺のあまりに立ち上がってしまった睦郎を見上げ、赤岡は呆然と息を吐く。

 人は、突発的事象に弱いのだ。それは、真性サド野郎として数多の将兵に恐れられる赤岡とて例外ではない。

「あのな、赤岡さん。いっぺんでも主計の仕事に関わったことがあるヤツはな、会計監査前になるとスカッパーの前に集まってくる習性がありますねん!! 別になにかしとるとか、そういう訳や無いですのでそこんとこたのんまっせ!」
「アナタは何を言っているのでしょうか」

 これにはさすがの赤岡も面食らう他無い。だいたい、主計科の習性とは何なのだ。なぜ主計科にはそういう習性があるのだ。そもそも習性というのなら、その行動に対する理由があって当然だろうに。根本的な疑問が何一つとして解消していない。

「そんなことを言われたら逆に気になるのですが」
「なんもしてまへんっ! たとえ見かけてもそういう習性や思て、見なかったことにするんが礼儀ってヤツですえ!!?」

 ところがそれを問いただそうにも、常に無い睦郎の剣幕に圧されて疑問を挟むことさえ許されない。
 何だというのだまったく。しかし、これ以上食い下がれば睦郎が面倒臭い状態になってしまうのは間違いない。

「は、はあ……そうですか」
「そうです」
「主計科というのは、変な習性をお持ちだことで……」

 なので赤岡は睦郎の思惑通り、勢いに圧されて無かったことにしてやる判断を下した。賢明な選択だっただろう。
 それで安堵したのか、ホッと胸を撫で下ろしながら睦郎はそうっと着席する。

 ところで、先程から何度も出てくるスカッパーとはいったい何かと言うと、平たく言えば軍艦にあるゴミ捨て場のことである。
 軍艦も人が動かしている以上、どうしても毎日ゴミが出てきてしまう。それも、大人数で生活しているのなら、それ相応の重量のゴミが毎日出てくるのだ。それを棄てるために用意されていた専用の場所こそが、スカッパーである。大体は露天甲板に存在しているが、烹炊室にも調理時に出てくる生ゴミのためのスカッパーがあった。
 レッコ、というのは「投棄」とか、そういう意味の言葉だ。海軍の間でのみ通じる隠語のようなものとも。これは士官も兵も共通だが、もうひとつ「投棄」とは違った意味もあった。それが「縁を切る」こと。つまりは人間関係の投棄だ。
 安直なのか捻っているのか判らなくなってくるが、それもまた海軍隠語というものである。閉塞的な環境で、同じ言語を操る者が集まれば、自然と言葉は進化していく物。何もおかしなことなどない。

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