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第七週「海軍さんの紅茶」
(32)緑茶は氷で出すのが最高
しおりを挟む「失礼します! 瀧本であります!!」
もうこうなったらヤケだとばかりに瀧本は大声を出した。自分を奮い立たせるという名目もあったのだろうか。一拍間を置き、中から「入れ」という声が。
「よお来たなぁ。まあ、そこ座りぃ」
どうやら睦郎の方も準備を終えていたらしい。来客用の椅子を指し示しながら、茶葉をポットの中に放り込んでいた。
私室であるためか、睦郎は上着を脱いでラフな格好をしている。シャツは下着の扱いとなるので、上にベストを着込んだ姿だ。腰に巻くベルトは軍刀を帯刀するためのみに使用されるため、サスペンダーを使って軍袴を吊るのが正式な着こなしであった。
「は、失礼します……」
今から既に気が重い。なんだか胃の辺りがムカムカする気がする。
これからのことを思って憂鬱な気分になる瀧本を尻目に、睦郎はと言うと鼻唄を歌い出しそうな勢いで機嫌が良い。おそらく久々に来客を迎えるからだろうか。
瀧本の様子などまるで知らんとばかりに、紅茶を抽出する作業を止めない。
「うちの部下に入れてもろてもエエんやけどな。海軍の教科書通りにやると、どーしても今一つ足りん出来になるねん」
「へぇ……そうなんですかい……」
「まー、あれでもエエっちゅうたらエエんやけどな。こういう私的な会話しとる時くらいは、別にあの入れ方やのうてもエエやろ」
毎度お馴染み、主計兵が海兵団教育中の教科書として使用する『海軍主計兵調理術教科書』にも紅茶の入れ方は書いてある。さすがはモデルが紅茶の国である英国であるためか、そんな所までぬかりは無かった。
海軍での紅茶の入れ方は、まず沸騰した湯に茶葉を入れて上下にかき回した後、直ちに火から下ろして濾すというもの。そうやって抽出された紅茶は、砂糖を添えて食卓に出されていた。
だが、睦郎のは違う。本場の英国人から昔教えてもらったものだから。
「昔、家にエゲレスのヤツが出入りしとってな。なんせガキやったさかいに、どんな人間やったか忘れてもーてんやけど」
「英吉利…………」
「でも、そんエゲレス人から教えてもろた紅茶の入れ方だけは今でも覚えとんねんな」
どんな経緯でその英国人から茶の入れ方を教わったのかなど、とうの昔に忘れてしまった。そも、睦郎にとってあの家での思い出はロクな物が無いので忘れて当然だろう。
「海軍のヤツはなぁ……すぐかき混ぜるからアカンねん。はよぉ出さなあきまへんでぇ言われたらそれでしまいやけどな。でも、こんな時くらいは……な?」
就寝前の和やかな時間。なぜ自分はそんな時間に、主計長と二人っきりで茶など飲まねばならぬのだ。などという不満は表に出さないようにぐっと腹に力を入れつつ、瀧本は自分の手の甲辺りをじっと見つめておく。
「蒸らしもせずにかき混ぜるなんてことしたらアカンで。あんなん、ただの色が付いとるだけの水や。後、沸騰した後の時間も大切やねんで」
あまり長く沸騰が続いた湯を使うと、泥臭くてエグみの強い味の紅茶になってしまう。水の中の空気が無くなるからである。かといって、それを恐れて温度が足りないと逆に対流が起こりずらくて茶葉が浮いたまま上手く抽出できないもの。その辺りの調整は難しい。だがそれもまた醍醐味というものである。
そうやって熱湯を注ぎ、紅茶を蒸らすこと三分。匙で軽く混ぜるのは紅茶の濃度を均一にするためだ。あまりやり過ぎると渋味が出てくるのでやってはいけない。
後は抽出された紅茶を茶漉しで濾してカップに入れるだけ。ゴールデンドロップと呼ばれる茶葉が飲んでいた最後の一滴まで注ぎきって、完成だ。
「ところで自分、牛乳いる?」
「あ、いえ。このままで結構です」
「ならよかったぁ。実は牛乳取ってくんの忘れててん」
うっかりなのかわざとなのか、イマイチ掴めない。それともストレートで楽しんでほしいというメッセージなのだろうか。それもまったく判らない。
だが、判らなくとも上官がわざわざ入れてくれたものだ。瀧本の中で、飲まないという選択肢は無かった。カップを受け取って、一言断りを入れる。
「それでは、頂くであります」
「ん。冷めへんうちにどーぞ」
確かに香りからして普段飲んでる紅茶とは違う。そして舌先で紅茶に触れて、それであれを睦郎が「色付きの水」と評した理由を悟った瀧本は感嘆の息を漏らす。
まず、味が違う。砂糖無しでも十分、いやむしろこれは砂糖が無い方が楽しめる。
渋さもあるが、それ以上に爽やかな香りと舌全体に馴染むほのかな酸味が旨い。今まで飲んでいた紅茶はなんだったのだろうと思いたくなったほどだ。
「旨いやろ?」
「は、ええ。とても、旨いです……」
「ん、正直者でよろしい!」
褒められたのが嬉しかったのか、睦郎はパッと顔を輝かせて表情を緩ませる。
破顔一笑。部屋の緊張状態が少し解かれたのではないだろうか。瀧本の方も、良い具合に身体が解れて肩の力を抜いた。
「紅茶は熱々の熱湯やないとアカンけどな。逆に緑茶は熱湯で入れると渋味だけがでて不味い茶になんねん。せやから、緑茶を入れるときは基本的に温度の低い湯やで。究極は氷出しやけどなぁ」
「氷出し、でありますか?」
「そーやで。人数分の茶葉と氷を急須に入れて溶けるまで待つねん。そうしたら、自然に水になっていきよる氷で旨いこと成分を抽出できて、渋味がほぼ無い甘味の強い茶ぁになんねんで」
覚えておいて損はない。緑茶が最も甘く入れられるのは氷と一緒に茶葉を入れて自然解凍するのを待つ氷出し茶だと。
「どんなモンでも、旨い方がエエやろ?」
「は、」
屈託無く、裏も表も無い。純粋に旨いものを他人に奨めたい善意から来ている発言だった。
色々と疑ってかかり、苦手な人種だと認識していたが……もしかしたら、あの赤岡の評価は正しかったのだろうか。
「そないにな。じーと気張って一人で我慢して固くなっとってもどーにもならんかったらな。いっそ肩の力抜いて星でも見ながらのんびり過ごすのも手やで。その内、良い考えも浮かぶやろ」
ああ、この人に自分の抱えた悩みを打ち明けられたらどれほど楽になるのだろう。
酒が入っていた所に、暖かい紅茶で血流が良くなったことも合わさったようだ。
瞬間────瀧本は「もう辛抱ならん」と言わんばかりに睦郎の方にバッと顔を向けた。その顔には、悲痛な表情が浮かんでいる。
「────主計長!!!」
床に膝を付いて頭を下げる勢いで睦郎を呼ぶ瀧本。カップを持っていたのでさすがに土下座はなかったが、いなかったらしていただろう。それくらいの迫力はあった。
身長六尺越えの瀧本にそれをされるとさすがに迫力満点である。一瞬、変な声を上げて睦郎は引いてしまう。
それにさえも気付いていないとばかりに、瀧本は声をすぼめて……とうとう、自分の悩みを打ち明け始めた。
「じ、実は……ぅ…………どうか、ここで聞いたことは内密でたのんます」
「お、おう……? エエけど……」
引き気味だったが承諾する睦郎。瀧本の方はというと、確かに覚悟を決めたことは決めたがいざ言うとなるとどうしても躊躇してしまう。
「その……」
だが、ここまで来たのだ。もう後には引けない。
意を決して、とうとう瀧本はそれを口に出してしまった。
「じ、実は……」
「うん?」
「俺、ついこの間……その……俺の、初恋の相手に再会して……」
「えっ? 初恋の相手に?」
これはかなり面白い話を引き当てたのではないだろうか。駆け引きのことも忘れて、睦郎は身を乗り出して聞きに入る。
最高の伊達男の初恋話なんて、聞きたいに決まっているじゃないか。睦郎は少しおかしな方向に興奮しつつ捲し立てた。
「なになに、どんな子ぉ? おっちゃんにゆうてみ? 大丈夫、おれはこう見えても口は固い方やからなぁ。ここで聞いたことは外には絶対に漏らさへんから安心しとき」
それは本当の話だ。赤岡の評価通りに、睦郎は意外だが口の固い男である。特に、他人の色恋沙汰のあれやこれに関しては、絶対に口を割ること無く墓場まで持っていく意地と覚悟が存在していた。
なので、大船に乗ったつもりで来いとばかりに、自信とやる気で満ち溢れた表情を向ける睦郎。
そんな彼の姿を見てそっと目を閉じ、少し間を置いた瀧本はポツンと呟く。
「少佐、は……その…………」
「ん?」
「……主計長、貴方は────男同士で関係を持ったことは、ある、でしょうか……?」
「──」
一瞬、時間が止まったのではないかと睦郎は思ってしまった。
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