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第二章 王国動乱

主なき剣

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「何故だ、何故こんな事に・・・」

 リグリア王国王位請求者にして西軍の総大将、ルーカス・ウルフ・エインスワースはそう震えるように呟くと、その場にがっくりと膝をついた。
 先ほど兵士が壊滅したと報告してきたばかりの左翼へと目を向ければ、そこにはまるで夜のような暗闇が広がっており、それが徐々に太陽の日差しに追いやられていく様子が繰り広げられている。
 戦場全体を統制する本陣には当然各部隊の指揮官である貴族達が多く集まっており、彼らもまたその報告を耳にしてはざわざわと動揺する様子を見せていた。
 中には既にこの戦いに見切りをつけ、戦場を離れる算段を企てている者の姿も見受けられ、このままでは彼ら西軍が崩壊してしまうのは時間の問題に思われた。

「ルーカス様、これ以上は・・・兵を引くべきです」

 そのためルーカスの背後から声を掛けたパトリックのその言葉は、至極当然のものであった。

「兵を引く?パトリック、それでは・・・我が負けた事になってしまうではないか?」
「・・・残念ながら」

 パトリックの声に振り返るルーカスの動きは、油の足りないゼンマイ仕掛けの人形のよう。
 軋みを上げながら振り返りパトリックを見上げるその目は、ガラス細工のように乾いてしまっていた。

「我が負ける?この我が・・・?」

 自らの疑問に俯き、言葉少なに答えたパトリックの言葉を受けて、ルーカスは再び正面に向き直ると自らの影が映る地面を見つめていた。
 その姿は、敗北を悟ったように見える。
 そんな彼の姿に周囲の貴族の安堵の表情を浮かべ、パトリックも撤退を受け入れられたと思いその段取りへと取り掛かっていた。

「いや、まだだ!まだ我は負けてなどいない!!見よ、あれを!あそこにジーク・オブライエンの本陣があるではないか!!他でどれだけ破れようとも、奴の首さえとってしまえばいい!!そうであろう、諸君!?」

 パトリックの指揮の下、粛々と撤退の段取りが進んでいく本陣にその声が響く。
 その狂気じみた声に皆が顔を向ければ、そこには声と同じ感情を顔に張り付けたルーカスの姿があった。

「皆の者、我に続けぇぇぇ!!!」

 そしてルーカスはいつでも動けるようにと用意していた愛馬へと跨ると、剣を抜きそれを掲げながら叫ぶ。
 王族らしい勇壮な見た目をしており体格も立派な彼が馬を竿立ちさせ号令する様は、まるで一枚の絵画かのように美しかった。

「・・・は?」

 それは、あっという間の出来事だった。
 パトリックを始めその場に集まった貴族達が呆気に取られている中、ルーカスは一人馬に跨り敵陣へと突撃していく。
 総大将が一人突撃してしまったのだ、その配下である兵士達は当然それを見捨てる訳も出来ずに慌てて追従していく。
 その流れは、この本陣の中にも瞬く間に波及していった。

「ちょ、お、お待ちくださいルーカス様!!そこには、本陣にはユークレール家の軍勢が待ち構えております!!」
「ユークレールだと?ふんっ、あんな名ばかり貴族、このルーカス・ウルフ・エインスワース様の相手にもならんわ!!」

 周囲が慌ただしくルーカスへの追従を急ぐ中、パトリックは慌てて彼へと駆け寄ると大声で注意を呼び掛けていた。
 しかしその声もルーカスを思い留まらすには至らず、彼は僅かに緩めた手綱を再び波打たせるとさらに馬の足を急がせるのだった。

「っく・・・あの家はもはや名ばかりとは言えなくなったのです!!せめてこれだけはお聞きください、ルーカス様!この先必ず、まるで絵画の中から出てきたような美しい金髪の娘が立ち塞がります!!その娘にだけは決して手を出してはなりません、いいですね!!」

 遠ざかるルーカスに、パトリックの警告だけが空しく響く。
 一瞥も返さなかったルーカスに、その声は果たして届いただろうか。
 その結果は、すぐに分かる。

◇◆◇◆◇◆

 土煙を巻き上げながら迫ってくる軍勢、それを迎え撃つ兵士達の前に一人の少女が立っていた。
 まるで絵画の中から抜け出したかのように美しいその少女は、神話に語られる英雄が如く雄々しく剣を杖とし大地に立っていた。

「・・・来たか」

 その少女、黄金の髪の乙女エクスは迫る敵軍を睨みつけ静かにそう呟く。
 彼女は地面へと突き刺していた剣を引き抜くと、後ろへと振り返る。
 そこには彼女の指示を待つ、大勢の兵士達が一心の彼女の事を見つめていた。

「皆、見ての通り敵は多い。両翼の戦いはこちらが優勢のようだが、救援もすぐにはやって来れないだろう。しかし心配することはない、何故なら―――」

 眩しい日差しに風に巻き上がる彼女の髪は、黄金に燃え上がるように見えた。
 その美しさに魅入られたように視線を固定する兵士達は、よく見て見れば戦う前からどこかボロボロのようであった。
 彼らの領地、最果ての街キッパゲルラで起きた邪龍騒乱、その傷はまだ完全には癒えてはいない。
 ここに引き連れてきた兵はその中でもまだ軽傷の方であったが、それでもとてもではないが万全とはいえる状況ではなかった。

「皆は戦う必要がないからだ」
「・・・え?エクスさん、それはどういう―――」

 そんな兵達の姿を見渡し、僅かに微笑んだエクスはそう告げる。
 彼女の言葉に、兵達と共にその言葉を聞いていたユークレール家当主、ヘイニー・ユークレールは疑問の声を上げた。

「では、ヘイニー様。後は任せます」
「エクスさん!?」

 一歩、踏み出したエクスの姿は二歩目にはもう見えなくなっていた。
 彼女の意図をそれでようやく察したヘイニーが慌てて声を上げるが、彼女はもうその声が届く場所にはいなかった。

「私が、私が守らないと・・・」

 凄まじい速度で動くエクスは、引き延ばされたようにゆっくりになっていく時間の中で、自らに刻みつけるようにそう呟き続けていた。
 その剣先が今、敵に届く。
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