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カイ・リンデンバウムの恐ろしき計画

勇者リタ・エインズリーの最後 2

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「うぅ・・・マーカス、君・・・ボクは、ボクは・・・」

 それでも生きたいと願うのは、間違っているだろうか。
 大切だった、必要だった人を見捨てても、生き残りたいと願うことは許されないだろうか。
 だってもう、死んでるよ。
 そう囁いた心が、優しいと感じるのは、それだけボクが生きたいと願っているから。
 逃げたいと叫んだ心に、聖剣アストライアだけが脈打つようにして、それを否定していた。
 その眩い光を放つ剣は、それでも勇者かと輝いている。
 そんな願いを、望みを抱く者はそれを手にするに相応しくないと、焼きつくほどにそれは光を放つ。
 それはまるで、ボクの存在自体を罰する光のようだった。

「ぁぁ・・・ぁぁ・・・ぁあぁぁあぁああああぁぁっぁぁっ!!!」

 それでも、それを手を伸ばしたのは、ボクが勇者だからではない。
 生きたいと叫んだ心は、助けたいと望んだボクを許してくれる。
 脈打つように輝いた聖剣アストライアは、そんなボクに力を貸すように、暖かくこの身を包んでくれていた。
 そうしてボクはきっと、この時ようやく勇者となったのだ。

『何だ?光が・・・はははっ!!!おいおい、どうしたよ!!それがお前の真の姿かぁ?勇者様よぉ!!!』

 その暖かな光は、まるで一つの世界をその手にしているかのように、無限の力をこの身体へと流れ込ませている。
 それが光だと、瞬いたボクには分からない。
 それでもその光はきっと、目の前に立ち塞がる真っ赤な炎と対極を為す輝きとなっているのだろう。

『真っ直ぐ向かってくるだけかぁ?それじゃ、今までと変わらねぇぞ!!』

 スローモーションのように流れていく景色は、あまりに速く動いてしまっているからか。
 いつか目の前まで迫っていた鬼の姿に、眩く輝いていた光がその形を変えてしまったかのように歪んでいる。
 何か軋みを上げるように悲鳴を上げるそれが、力の奔流のぶつかり合いなのだとして、この手の平から伝わるそれは決して途絶えることはない。
 だからボクは負けないのだ、そう信じて剣を振るう。

『っ、速!?ちぃ!!?』

 鬼が振るった拳を両断するように振るった刃は、僅かに逸れてその指を削ぎ落とすだけで終わる。
 それがその身体から吹き上がる、オーラのような力の奔流によるものか、それとも彼の咄嗟の反応によるものかは分からない。
 そしてそんな事は、どうでもいいのだ。
 一撃で仕留めきれないなら、その命を奪うまでこの刃を振るうだけなのだから。

『くっ、マジか!?がぁぁっ!!』

 振り上げた刃を戻す軌道は、瞬く光に不自然な模様を描く。
 それはこの腕の力が無理矢理、捻じ曲げた軌跡だろう。
 再び振るえる位置に戻った剣は、踏み込んで、より命に近い場所へと狙いを定める。
 それはこの小柄な身体にも届く、鬼の腹だ。
 そうして奔った刃は、確実にその肉を切り裂いていた。

『舐めるなぁぁぁっ!!!』

 深く切り裂いたはずの肉も、その筋肉の鎧に内臓を露出させるまでには届かない。
 それはその瞬間に僅かに腰を引いて見せた、鬼の反応によるものかもしれない。
 致命傷には届かなかった一撃に、追撃を放とうとしていたボクの腕はしかし、雄叫びを上げた鬼によって弾かれてしまっていた。
 振り切った速度を加速するように振るわれた鬼の腕に、この身体はそのまま流されてしまっている。
 それならそれで、構わない。
 この回転の勢いはきっと、今度こそその命に届くのだから。

『させるかよ!!』
「っ!?」

 しかしそれを見逃すほど、目の前の鬼は甘くはない。
 ボクが足を着けていた地面ごと蹴り上げるようなその蹴りは、軽々とこの身体を空中へと巻き上げていた。
 ぐるりと回った視界に、この身体が上下逆さまになってしまっている。
 それは元々狙っていた剣の軌道を逸らしてしまうが、それでもこの腕を止める事は出来ない。
 奔った刃の軌跡は、きっとその鬼のどこかを切りつけるだろう。

『だから・・・やらせねぇって言ってんだろうがぁぁぁっ!!!』

 しかし、その狙いは叶う事はない。
 この身体を蹴り上げた鬼は、その巻き上げたボクの足を掴むと、それを軽々と持ち上げてしまう。
 それを足に奔った痛みと、変わっていく視界によって気付いても、もはや抵抗する暇すらなかった。
 持ち上げられ、その発生源へと近くなった雄叫びは耳を劈く。
 しかしその痛みすら、すぐに感じなくなってしまった。
 それはこの身体が、その雄叫びと共に地面へと叩きつけられたからであった。

『おらおら、どうしたぁ!!俺の身体は、首は、心臓はここにあるぞぉ!!!それで切りつけてみろやぁぁぁ!!!』

 その痛みと衝撃は、意識の消失と覚醒を繰り返させる。
 地面へと叩きつけられる強烈な衝撃は、軽々とこの意識を消し飛ばすが、ざらざらと切り裂かれた肌の痛みが、すぐにその失ったものを取り返させてしまっていた。
 しかし覚醒を繰り返す意識も、その間隔は短く浅い。
 とてもではないが何か出来そうもないその間隔に、この身体はただ擦り切れていってしまっていた。

「ぅぁ・・・・・・ぁ・・・」
『あぁ?何だって?』

 この唇から漏れている呻き声は、もはや意識が発している声ではない。
 それは血と、唾液が漏れ出していく過程で発する、副産物でしかないだろう。
 その空気が漏れ出すような音を耳にした鬼は、それを聞き取ろうとこの身体を高く持ち上げては、その発生源へと耳を近づけていた。
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