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穏やかな日々の終り

成長した二人

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 大柄な猪が、荒い呼吸に血を滴らせている。
 その姿は、かつてエミリアとティオフィラを苦しめた猪と同じ種類の魔物だろう。
 あの時はレオンの助けによってなんとか一命を取り留めた二人は、今度は逆にそいつ仕留めようとしていた。

「エア・ハンマー!!」

 空気の鉄槌が、猪の身体を叩く。
 ただでさえ立っているのがやっとといった様相の猪は、その衝撃に為す術なく地面に膝をついた。
 地面に倒れ付した猪に向かって飛び込んでいく人影は、その拳に紫色の光を纏わせている。

「ナイスにゃ、クララ!ウィークネス・アーマー!!」

 猪の頭を狙って放ったティオフィラの一撃は、その気配に身体を暴れさせた猪の動きに肩へと当たる。
 しかし広がる光とその手応えに弱体が掛かったのは明白であり、ティオフィラはすぐにその場を離れていた。

「止めは任せるにゃ!ストレングス・アップ!!」
「サンキュー、ティオ!!」

 地面へと降り立ったティオフィラは、傍らの少女に腕を向けると強化を魔法を掛ける。
 湧き上がる力に斧を担いだエミリアは、彼女の礼を言うと、立ち上がりつつある猪に向かって駆け出していた。

「ぐもぉぉ!!」
「見えてるっての!」

 最後の力を振り絞った猪の反撃は、その巨大な牙がエミリアの頬を掠めただけに終わる。
 弱っていたとして硬いその頭蓋骨は避けたいエミリアは、ギリギリで躱した速度と隙に、猪の横へと回り込んでいた。

「こん、のぉぉぉ!!!」

 横へと回り込んだエミリアは、その隙だらけの首筋へと狙いを定める。
 命の危機にその身体に秘められた力を解放させた猪は、彼女を弾き飛ばそうと頭を振るうが、身体を回転させたエミリアに躱されてしまう。
 身体を回転させた遠心力に、全身から振り絞った力も合わせた斧の一撃が、猪の首を跳ね飛ばす。
 その振り下ろした斧は勢いを制御しきれずに、地面へと深く食い込んでいた。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・どうよ、思い知った?」

 全身の力を振り絞った一撃に、エミリアは肩で息をしている。
 それでもかつては敗れた相手に打ち勝った事は、彼女に深い満足感を与えており、その口元には自然と満ち足りた笑みが浮かんでいた。

「にゃー!やったにゃー!!」
「ちょ、ティオ!?今は・・・きゃぁ!?」

 地面に突き刺さったままの斧を持ち上げる事も出来ないエミリアに、ティオフィラが歓声を上げながら飛び込んでくる。
 振り絞った全力に痺れているのは何もその両腕だけではない、飛び込んできた彼女にエミリアは為す術なく押し倒されてしまっていた。

「にゃーにゃー!やったにゃ、やってやったのにゃー!!すごい、すごいにゃ、エミリア!!」
「もう・・・分かったから。あなたも頑張ったわね、ティオ」

 地面へと倒れ付したエミリアに馬乗りになったティオフィラは、彼女の頬に自分のそれを重ねると、すりすりと擦り合わせている。
 その温かさか、それとも彼女の柔らかな髪の毛がくすぐる感触ゆえか、自然と笑みを零していたエミリアは、ティオフィラの頭を優しく撫でてあげていた。

「エミリア、大丈夫?」
「アンナ、悪いけど起こしてもらえる?力が抜けちゃって」

 ティオフィラに下敷きにされているエミリアに、アンナが膝を屈めて心配そうに声を掛ける。
 彼女の声に顔を上げたエミリアは、そちらに手を伸ばすとティオフィラの身体を横に避けていた。

「・・・ティオは、こっち」
「にゃー!まだエミリアに褒めてもらうにゃー!!」
「・・・よしよし」

 エミリアに横に避けられてもなお、彼女にしがみつこうとしていたティオフィラは、イダの手によって引き剥がされる。
 彼女はまだ褒められ足りないと手足を暴れさせていたが、イダがその頭を撫で始めると途端に大人しくなり、為すがままに連れられていく。

「首を焼いてっと、これで血は流れなくなったけど・・・この大きさだと、運ぶのも手間ね」

 エミリアが跳ね飛ばした首の切断面を、クラリッサは指から出した火で燃やしていた。
 獲物の血からクロードが塩を生成している関係上、彼らの血も重要な資産であり、零れるままに放っておくことは出来ない。
 彼女はその作業を終えると、体高だけでも彼女の身長ほどありそうな猪を見上げ、運搬を考えて頭を悩ましていた。

「よいしょっと。私も手伝うわよ、クラリッサ。三人か四人で運べばいけるでしょ?」
「そうね。イダちゃんにティオちゃんも手伝ってくれる?まずは適当な棒でも探さないと・・・」

 アンナの助けを借りてようやく起き上がったエミリアは、地面に突き刺さったままだった斧を力を込めて引き抜いた。
 横になって休んでいた事でだいぶ回復したのか、疲れた様子を見せない彼女はクラリッサの懸念に助け舟を出す。
 その言葉に顔を上げたクラリッサは、じゃれつき始めていたティオフィラとイダにも声を掛けると、辺りに視線を巡らせて適当な木の棒を探し始めていた。

「クロード様、どうなされてるかなぁ・・・レオンとうまくいってるといいけど」

 一行の中で力がもっとも弱い事から、さらっと戦力外にされているアンナは彼方へと視線を向けると、ここにはいない者のことを想う。
 彼女達がそこから離れたのは、それから少し経った後の事だった。
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