ボケ老人無双

斑目 ごたく

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冒険の始まり

トージローの力

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 訪れた風圧に、音が消えてしまったのは、それを伝えるべき空気がなくなってしまったからか。
 呼吸困難に咳き込んだカレンが、空気を求めて口を開ける頃にはもう、その息苦しさはなくなっていた。
 であれば、今も続くこの静寂は、きっと衝撃によって鼓膜が一時的に麻痺してしまったからだろう。
 いくら咳き込んでも伝わってこなかったその音も、やがてこの耳を叩きだして、ゆっくりとその場を立ち上がった彼女は目を開く。
 その先にはやはり、何もなかった。

「あぁ、良かったぁ。何とかなったんだ・・・」

 それ以外の部分が全て消滅してしまった、オーガトロルの足首以外は。

「嘘だろ・・・?あのオーガトロルを一撃で?いやそれどころの話じゃ・・・おい、グルド!お前も見たよな!?」
「あ、あぁ・・・俺は、あんな化け物に喧嘩を売ってたのか・・・うぅ!?今更、震えてくらぁ」

 その凄まじい光景を目にしたのは、何もカレンだけではない。
 彼女と同じようにその光景を目にしたタックスは、いつの間にか目を覚ましていたグルドへと呼び掛けている。
 彼らは目の前の光景に呆気に取られ、自分達が一体どれ程やばい存在に喧嘩を売っていたのかと、改めて思い知ると静かに身体を震わせていた。

「のぅ、そこの人や。わしの飯がどこにあるか知らんかのぅ?さっきもうすぐじゃって聞いたんじゃが・・・」

 そんな彼らの下に、トージローがぼんやりとした表情でふらふらと近づいてくる。
 彼はその手にした剣を邪魔だと放り捨てると、グルド達の方へと真っ直ぐに向かう。
 その身体には、返り血一つ浴びていなかった。

「ひぃぃぃぃ!!?生意気なこと言って申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!!お許しを、どうかお許しを!!トージロー様ぁぁぁ!!!」

 こちらへと真っ直ぐに近づいてくるトージローの姿は、彼らには悪魔にも大魔王にも見える。
 オーガトロルにボコボコにされ、まともに動ける状態でなかったにも拘らず、グルドは素早い動きで体勢を整えると、トージローの目の前で全力で土下座している。
 彼の背後には、彼の仲間達も慌ててそれに加わり、皆で必死にトージローへ許しを請うていた。

「・・・腹が空いたのぅ」

 そんな彼らの姿をトージローは呆けた顔で見下ろすと、お腹の辺りを押さえてはぼそりと呟いている。

「っ!!?お、お腹がお空きなのですか!?で、でしたら・・・おい!何か持ってきてないのか!?」
「何かって・・・あいつらにやり返すんだって、ここに来ることを急に決めたのはグルド、てめぇじゃねぇか!!そんなの用意してる訳ねぇだろ!?」
「あぁ?俺が悪いってのか!?タックスてめぇ、後で憶えてろよ!!」

 その呟きを耳にした、グルド達の反応は劇的だ。
 彼らは弾かれたように顔を上げると、必死に自らの身体を弄っては何か食べられるものはないかと探し始めている。
 しかし中々見つからないそれに、彼らはやがて仲間割れまでしてしまう始末であった。

「・・・何もないんかのぅ?」

 そんな彼らの姿を、トージローは無関心な表情で見下ろしている。
 その表情は、彼を恐れているものからすれば、虫けらを見下すような無慈悲な表情に見えていた。

「っ!?ト、トージロー様!その、もう少々お待ちを・・・あ!?ありました!!これを、これをどうぞお納めください!!」

 トージローの冷たい、無関心な瞳にびくりと肩を震わせたグルドは、焦った表情でさらに身体を弄っている。
 そして何とかどこかのポケットの奥から保存食の欠片を見つけ出した彼は、それをトージローに恭しい仕草で差し出していた。

「・・・美味しくないのぅ」

 携帯用に特化した保存食は、保存性と携帯性を重視するあまり味については考慮に入れていない。
 それは当然、決して美味しいとは呼べない味をしており、それを一口齧ったトージローは顔を顰めると、そのままどこかへとふらふら歩いていってしまう。

「・・・ゆ、許されたのか?」
「そ、そうなんじゃないか?」

 始めからグルド達などに何の関心もないトージローは、差し出された不味い保存食を一口に飲み込むと、そのままどこかへと去っていく。
 そんな彼の姿に、グルドとタックスは顔を見合わせると、許されたのかと確認し合っていた。

「ふーーー!!助かったぁ・・・へっ、俺のお陰だぞ、お前ら!俺があれを残してなかったら・・・感謝しろよ?」
「はぁ?そもそもこんな事になったのもグルド、お前が言い出したからだろ!?大体さっきのだって、いつの奴の残りなんだよ!?いい加減、食べ残しをポケットにしまうの止めろって言ってるだろ!!ガキじゃあるまいし!」

 ふらふらとどこかへと去っていくトージローの姿に、グルドは腰を抜かすようにへたり込むと深々と息を吐いている。
 そうして緊張を吐き出した彼は、タックスへと自らの成果を誇っていた。
 しかしそれは結果的に、彼の責任をより浮き彫りにさせる結果となってしまっていた。

「あぁ?いいんだよ、別に!!大体、今回はそのお陰で助かったじゃねぇか!!」
「それは偶々だろ!?そんなこと繰り返してたら、いつ腹を壊すか分かったもんじゃ・・・ちょっと待て?何か聞こえないか?」
「おい、話を逸らしてんじゃ・・・確かに、何か聞こえんな?何だこいつは・・・どっかで聞いたことがある気がすんな?何だったか・・・」

 責任の擦り付け合いは、いつしかくだらない口論へとすり替わって、終わりの見えない様相を呈していた。
 しかしその最中に、何やら怪しげなしゅーしゅーという異音が聞こえてくれば、事情も変わる。
 彼らは途端に冒険者の顔へと切り替わると、冷静に周囲の音へと耳を澄ませ始めている。

「これはもしかして・・・おい、あれを見てみろ!!」
「何だよ・・・っ!?不味い!!」

 その音は、足首だけになったオーガトロルの身体から響いてくるものだった。
 その足首からは何やら怪しげな煙が立ち上っており、見ればその身体は先ほどよりも大きく、まるで再生しているかのようだった。

「おい、やべぇぞ!!火だ、火ぃ持ってこい!!早くしろ、再生しちまうぞ!!」
「ガッド、松明だ!すぐに火をつけられるか!?」
「任せろ、すぐに持っていく!」

 オーガトロルは、オーガの破壊力とトロルの再生能力を併せ持つ魔物だ。
 そうその魔物は、トロルの再生能力も有しているのだ。
 つまりはそんな状態からでも、再生することが可能なのであった。

「あーぁ、なーにやってんだか・・・」

 始めからそんなつもりなどないトージローに対して、全力で土下座をするというグルド達の茶番を眺めていたカレンは、続く今の騒動にも呆れたような表情を見せるばかり。
 彼女はそれにもはや関係ないと言わんばかりに脇へと逸れると、トージローが放り出してしまった彼の剣を拾い上げていた。

「うわぁ、折角綺麗だったのに汚れちゃってんじゃんこれ・・・結構高かったんだから、もっとちゃんと扱ってよね。分かった、トージロー?」
「ほぁ?それよりお嬢ちゃん、飯はまだかいのぅ?」
「はいはい、分かったから。もうちょっと待っててね、お爺ちゃん」

 圧倒的な力によって振るわれた剣は、彼の身体と同じように返り血一つ浴びていなかった。
 しかし適当に放り出されていたそれは、周囲の地面に広がった血に塗れて、その表面を汚してしまっている。
 それを拾い上げたカレンは、顔を顰めてはその扱いに対しトージローに文句を言っていた。
 しかしそんな彼女の言葉にも、トージローはぼんやりと的外れな言葉を返すばかり。

「うわっ!?よく見たら、私も血塗れじゃない!?あー・・・これ、帰ったら洗濯地獄だなぁ」

 トージローの胡乱な態度に諦めるように首を振ったカレンは、自らの身体を見下ろすとその有り様に驚きの声を上げる。
 そこにはオーガトロルの返り血を浴び、真っ赤に染まった自らの身体があった。
 それを目にして、カレンは俯くと深々と溜め息を吐く。

「はぁ・・・まぁでも、ようやく終わったんだな」

 吐いた息も白く霞み、見上げた空には星が瞬いてる。
 そんな景色を目にしながら、カレンはようやく初めての冒険が終わったことを噛みしめていた。
 彼女が見上げる空の下では、グルド達が必死に松明を振るってはオーガトロルの再生を阻止しようと頑張っていた。



「おい、お前ら大丈夫か!?」

 森を凄まじい勢いで駆け抜けた大剣を担いだ眼帯の男は、その木々の間を抜けて開口一番にそう叫ぶ。
 しかし彼が、その先に目にした光景が予想もしないものであった。

「・・・何だ?一体、何が起きたんだ・・・?」

 眼帯の冒険者が目にしたのは、彼が追っていた魔物オーガトロルの死体と、その前で佇む金色の髪の少女の姿だった。

「まさか・・・あの女の子が、あれを倒した・・・のか?」

 眼帯の冒険者は目にする、オーガトロルの死体の前に佇む少女を。
 そして明らかにその返り血に浴びた彼女の姿と、その手が握りしめている血塗れの剣を。
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