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救世主

絶体絶命

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「そら!・・・おっと、外してしまったか」

 軽い掛け声と共にメルヴィンが放り投げた槍は、その声とは裏腹に凄まじい勢いで突き進んでいく。
 しかしそれは、彼が目的としたものには命中することなく、その背後にある巨大な扉へと突き刺さっていた。
 その巨大な木製の扉は、同じように巨大な神殿の正面を飾る扉だろう。
 そこには幾つもの槍が突き刺さっており、メルヴィンが何度もそれを繰り返してきたことを示している。
 それはつまり彼が目標とするものもまた、そこにあることを意味していた。

「ふむ、少し上ずってしまったか?では、狙いを下へと修正して・・・これで、どうだ!」

 差し出された新たな槍を受け取り、その具合を確かめるように軽く上下に振っていたメルヴィンは、狙いを定めるように目を細めるとそれを思いっきり放り投げる。
 その槍が通っていく先には、地面へと倒れ伏した教団の信徒達の姿が。
 彼らは一様にその身体に槍を受けており、恐らくクルスを庇って倒れていったのだろう。

「ぐあああぁぁぁぁ!!!」

 そしてメルヴィンが放った槍は、その目標へと突き刺さる。
 神殿の巨大な扉へと磔にされ、まるで十字架を描くようにその両手を槍に貫かれたクルスの脇腹へと。

「ははっ、当たったぞ!どうだ、見たか!」
「お見事にございます、司教猊下!!」
「そうであろう、そうであろう」

 クルスの脇腹へと命中した槍に、メルヴィンは喜びの声を上げると、それを誇るように後ろへと振り返っている。
 そこには彼の行為を褒め称え、称賛する兵士達の姿が。
 そんな彼らの姿に満足げに何度も頷いたメルヴィンは、差し出された新たな槍を受け取っていた。

「ふむ・・・あの有り様であれば、もはやこれを使うまでもないのかもしれんな」
「では、別のものを?」

 メルヴィンが受け取った槍は、今まで同じ聖者の骨が埋め込まれた聖遺物だ。
 しかしもはや磔にされ呻くばかりとなったクルスに、そんなものが必要なのかと彼は考える。
 そんな彼の逡巡を察した兵士が、早速とばかりに別の槍、つまり聖遺物などではない至って普通の槍を用意しようとしていた。

「いや、これでよい。あれもそろそろ見苦しかろう、ならば最後ぐらいは奴に相応しい『奇跡』とやらで送ってやらねばな」
「おおっ、何と素晴らしいご配慮でしょうか!流石は司教猊下!素晴らしいお考えでございます」
「ふふふ・・・そうであろう、そうであろう。わしは慈悲深いからな、例えそれが異教徒といえど、死にゆく者には相応の慈悲をくれてやるのだ」

 メルヴィンはそれに頭を振ると、必要ないと受け取った槍を握り締める。
 既にクルスは虫の息であり、抵抗する術も残されていない。
 そんな彼の姿へと目をやったメルヴィンは、いい加減彼に止めを刺してやろうと、投擲の距離を一歩縮めてより正確に狙いをつけようとしていた。

「さぁ、これで終いだ。ルナ・ダークネス、貴様の大事な救世主はここで死ぬのだ!!このメルヴィン・レイノルズの手によってなぁ!!!」

 さらに一歩距離を詰めてその狙いを定めたメルヴィンは、両手を広げて勝利を高らかに宣言していた。
 その視線は空を仰ぎ、ここにはいない誰かに対して勝ち誇っている。
 そして彼は手にした槍を振りかぶると、それをクルスの頭めがけて放り投げていた。

「ぅ・・・あぁ・・・」

 自らの目の前に致命の一撃が迫っても、クルスはもはや虚ろな目をして呻き声を上げるばかりで、何の抵抗も示すことはない。
 そしてメルヴィンの放った槍は、狙いを違えることなく彼の頭へと迫ろうとしていた。


「くぅー!!」


 そこに響いたのはガラスの割れる音と、その明るくしかしどこか切羽詰まった声だった。

「アナちゃん、駄目です!!飛び出したら・・・あわわ、きゃあああ!!?」

 そして、その慌ただしい声も。

「・・・・・・ア、ナ?」

 神殿の二階の窓を突き破り、クルスの前へと降り立った小さな影は、彼へと迫りつつあった凶刃を叩き落している。
 その影が誰かは、今のクルスにも分かる。
 クルスは流れた血で固まり、張り付いた唇を無理やり引き剥がすと、掠れた声でその名前を呟いていた。

「ん!!」

 その声に振り返った小さな影、アナはクルスに対して彼を勇気づけるような力強い笑みを見せている。
 彼女はその視線を自らに巻き込まれ、二階の窓から転げ落ちてしまった栗毛の少女、ボニーにも向ける。
 彼女は頭を押さえて痛そうにしていたが、どうやら大きな怪我はないようで、それに安堵したアナは正面へと向き直り、その先を睨み付ける。

「ぐるるぅぅぅ!!!」

 二本の足で立ち、人の姿でそこに佇んでいたアナは、地面へとその両腕をつくと獣の形で唸り声を上げる。
 その口元から鋭い牙が覗き、怒りに歪んだ表情には皮が皴となって波打っていた。

「何だ、こやつは!?獣・・・いや、獣人か?この国にまだ生き残りがおったとはな・・・ふんっ!下賤な宗教には似合いの、下劣な生き物よ!!」

 突然目の前に現れたアナのその異形な姿に、メルヴィンは驚き戸惑っている。
 しかしそれも、一瞬の事でしかない。
 彼女の姿は多少の違いがあるとはいえ、かつてこの地に生息していた獣人のそれに近く、そうと知ればそれほどの脅威を覚える理由もなかった。
 何故ならば―――。

「ぐるるぅぅ・・・がぅ!!」
「向かってくるか、獣!!よかろう!かつてのお前の同族を滅ぼしたように、今度は我が手をもってお前の命を葬ってくれるわ!!」

 かつてこの地に生息していた獣人を滅ぼしたのは、他ならぬ彼らネムレス教なのだから。
 唸り声を突撃の喊声に変えて、アナはメルヴィンに向かって飛び掛かっていく。
 そんなアナに対してメルヴィンは啖呵を切ると、彼女を受け入れるようにその両手を広げて待ち構えていた。

「猊下、危のうございます!!」
「構わん!この程度の相手に、助けなどいらんわ!!」

 メルヴィンへと迫るアナの姿に、彼の傍らに侍っていた兵士は、その前へと立ち塞がろうとしている。
 しかし当のメルヴィンはそんな配慮など不要と彼を振り払うと、アナに対して正面から向き直っていた。
 そこに、アナが突っ込んでくる。

「温いわ!!」
「ぎゃぅ!!?」

 鋭い牙に尖った爪、そんな異形の武器も圧倒的な対格差の前には意味を為さない。
 メルヴィンの胸元へと飛び込んで、その身体に爪を振るおうとしていたアナは、彼が振り下ろした巨大な鉄槌によってあっさりと弾き飛ばされてしまう。

「ふんっ!所詮は知恵の回らぬ獣よ!!動きが単純で、読みやすいわ!!」

 メルヴィンの胸元へと向かって一直線に飛び込んできたアナの動きは、確かに彼の言う通り単純なものであった。
 そんな動きであるならば、いくら素早くとも簡単に対応出来るとメルヴィンは自らが地面へと叩き落としたアナを見下ろしている。

「げほっ、げほっ!!ぐるるぅぅ・・・がぅ!!」

 背中を強かに打たれたためだろうか、呼吸の困難に激しく咳き込んでいるアナは、その小さな身体をさらに小さく丸めてしまっている。
 しかしそれでも彼女の戦意は衰える事はなく、僅かに整った呼吸に再び牙を剥く。

「何度やっても、同じ事よ!!」 
「ぎゃん!!?」

 しかしそれでも結果は、変わる事はない。
 再び飛び掛かってきたアナに、メルヴィンは同じようにこぶしを振るう。
 角度の違いにそれは先ほどとは異なり近くの地面へとは向かわず、遠くの木の幹へとぶつかっていたが、簡単に弾き飛ばされてしまうという結果には何の変わりもないものであった。

「ぁぅ・・・げほっ、げほっ、げほっ・・・っ!」

 弾き飛ばされ、木の幹へと強かにぶつかったアナはその樹木を揺らし、そのままずるずると落ちていく。
 再び加えられた衝撃に激しく噎せ返る彼女の霞んだ視線の先には、その樹木から零れ落ちた真っ赤な木の実の姿が映っていた。

「っ!?駄目だ、アナ!それを口にしちゃ!!」

 それはいつか、彼女の教えられた木の実。
 一口齧れば理性をなくし、獣の性へ呑まれてしまう禁断の果実であった。
 それに気づいたクルスは、必死に声を上げる。
 しかしそれは、もはや遅すぎた。
 アナは蹲ったまま、その赤い木の実を口にする。

「ぐるるるるぅぅぅ、があああああぁぁぁぁ!!!」

 凶暴な、獣の声が響く。
 その手足の毛は逆立ち、その黄金と紅の瞳が爛々と輝いている。
 その輝きは戦いに喜び、輝いているのか。
 いいや違う、狩猟の楽しみに濡れているのだ。

「何だ!?気でも違ったか!!?」

 余裕たっぷりにアナに対して上から見下ろしていたメルヴィンも、彼女の様子の異変に焦りの表情を見せる。
 それは正しい反応であったが、遅すぎた。
 メルヴィンがアナの変化を正しく理解するよりも早く、彼女が彼へと飛び掛かっている。
 それは先ほどと比べ物にならないほどに速く、そして単純でも直線的な動きでもなかった。

「猊下、危ない!!」
「ひっ!?」

 一瞬とはいえ反応の遅れたメルヴィンに、彼女に対応することは出来ない。
 そんなメルヴィンを庇うように、傍らに侍っていた兵士が彼の前へと飛び出している。

「・・・?ど、どうなったのだ?」

 飛び込んでくるアナの姿に怯え、目を瞑ってしまっていたメルヴィンは、恐る恐るその目を開ける。
 しかしそこには、彼を庇おうとした兵士の姿も、アナの姿も見当たらなかった。

「どういう事だ?一体どこに・・・ひぃ!!?」

 それに疑問を感じ、彼らの姿を探すメルヴィンは振り返り、その先の光景を目にすると表情を凍りつかせていた。
 そこには兵士の身体に圧し掛かり、彼からもぎ取った腕を咥えている彼女の姿あった。

「あぁ、何て事を・・・アナ、駄目だ。君はそんな事をしちゃいけない・・・しちゃいけないんだ・・・」

 もう必要ないと言わんばかりにそれを放り捨てたアナは、その口元へと垂れた血を舌で舐め取っている。
 それは残酷で凶暴な、獣の姿だ。
 それを目にしたクルスは嘆き俯く、しかし今の彼には彼女を止める術などなかった。

「っ!?君は・・・」
「クルス様!!アナちゃんを、アナちゃんを止めてあげてください!!あんなの・・・あんなのアナちゃんじゃないから!!こんのぉぉぉ!!」

 そんなクルスの下に、駆け寄ってくる少女の姿があった。
 その栗色の髪の少女、ボニーは彼の身体に突き刺さった槍へと手を掛けると、それを必死に引き抜こうと唸り声を上げている。

「ぐるるぅぅぅ、があああぁぁぁ!!!」
「殺せ、そいつを殺せぇぇぇ!!!」

 兵士の腕をその口から放り捨てたアナは、メルヴィンの事を睨み付けては唸り声を上げている。
 そして彼女はやがて雄叫びを上げると、彼に向かって飛び掛かっていく。
 そんな彼女の姿に恐怖で表情を引きつらせたメルヴィンは、もはや形振り構わない様子で全兵士に向かって命令を下していた。
 彼女を殺せ、と。
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