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9 *R18
しおりを挟む 言って隣を見上げると、慈しむような右京
の眼差しが待っていた。その瞳に自分が映る
ことはないけれど。真っ直ぐに受け止めるこ
とが出来るのはきっと、古都里自身が心から
彼の幸せを願っているからなのだろう。
「儂がいることが、妻の生きた証か。中々
殊勝なことを言ってくれる。妻が儂に遺して
くれたものの大きさは計り知れないが、実は
箏以外にも妻が遺してくれた和歌があってな」
「……和歌、ですか?」
唐突に聞き慣れないワードが飛び出してき
て、古都里は目を瞬く。残念ながら、歴史も
古典も疎いのでよくわからないが、和歌を詠
む習慣があるということは、奥さんは平安・
鎌倉時代辺りを生きていた人なのだろうか?
そう思って首を傾げていると、徐に右京が
口にした。
「うつせみの、恐れおぼほゆ、なかなかに」
『……人とあらずは、あやかしの姫』
――二人の声が、下の句から重なる。
なぜ、右京の妻が詠んだという歌を自分が
知っているのか。いや、知っているというよ
りは口が独りでに喋ってしまった、という感
じだったけれども。
「……って、えっ?どうしてわたし、下の
句を」
わけがわからなかった。
わからな過ぎて急激にぐるぐると頭の中が
渦を巻き始めてしまった古都里は、手にして
いた洗濯物を足元に落としてしまう。右京は
と言えば、まるで探るような眼差しを自分に
向けたまま、古都里が一歩後退った瞬間に手
をがしりと握っていた。
怯えるように右京を見つめれば、彼の唇が
自分ではない『他の誰か』の名を呼ぶ。
「……天音?」
瞬間。心の奥で何かが弾けた気がした。
その感覚にいっそう目を見開けば、頭の中
に色褪せたスクリーンが浮かび上がり、そこ
に『右京』の姿が映り込んでくる。
現実に目の前にいる彼とまったく同じ姿を
した、妖狐の右京。
けれどそこに映る彼は、ひどく愛おしそう
な眼差しを自分に向けていた。
「のう、天音」
「はい、何で御座いましょう?」
うららかな春の陽が射し込む、昼下がり。
いつもの曲を弾き終えると、自分の傍らで
肘枕をして寝転んでいた右京が、しみじみと
言った。
「何度聴いても大地を包むような壮麗な曲
は儂の心を掴んで離さないのじゃが、思えば
まだその曲の名を聞いておらんかったと思う
ての」
清らかな純白色の小袿の袂を、つい、と、
右京が引っ張る。手を寄越せといういつもの
合図だ。
天音と呼ばれた自分は指から箏爪を外すと、
すっ、と彼に差し出した。
その手に右京が指を絡め、ゆるゆると握る。
じんわりと温もりが染みてきて、自分は彼
の妻なのだという実感が、胸を満たしてゆく。
「この曲の名を教えろと言われましても」
そこでいったん言葉を途切ると、ふふっ、
と笑みを零した。
「この曲に名は御座いません」
「名がないじゃと?」
「はい。なぜなら、この曲はわたくしが
思うままに弾きながら、作った曲だからです」
「なんと。主は箏を弾くだけでなく作曲も
出来るというのか!多才なことじゃ」
右京の目がまん丸に見開かれる。
の眼差しが待っていた。その瞳に自分が映る
ことはないけれど。真っ直ぐに受け止めるこ
とが出来るのはきっと、古都里自身が心から
彼の幸せを願っているからなのだろう。
「儂がいることが、妻の生きた証か。中々
殊勝なことを言ってくれる。妻が儂に遺して
くれたものの大きさは計り知れないが、実は
箏以外にも妻が遺してくれた和歌があってな」
「……和歌、ですか?」
唐突に聞き慣れないワードが飛び出してき
て、古都里は目を瞬く。残念ながら、歴史も
古典も疎いのでよくわからないが、和歌を詠
む習慣があるということは、奥さんは平安・
鎌倉時代辺りを生きていた人なのだろうか?
そう思って首を傾げていると、徐に右京が
口にした。
「うつせみの、恐れおぼほゆ、なかなかに」
『……人とあらずは、あやかしの姫』
――二人の声が、下の句から重なる。
なぜ、右京の妻が詠んだという歌を自分が
知っているのか。いや、知っているというよ
りは口が独りでに喋ってしまった、という感
じだったけれども。
「……って、えっ?どうしてわたし、下の
句を」
わけがわからなかった。
わからな過ぎて急激にぐるぐると頭の中が
渦を巻き始めてしまった古都里は、手にして
いた洗濯物を足元に落としてしまう。右京は
と言えば、まるで探るような眼差しを自分に
向けたまま、古都里が一歩後退った瞬間に手
をがしりと握っていた。
怯えるように右京を見つめれば、彼の唇が
自分ではない『他の誰か』の名を呼ぶ。
「……天音?」
瞬間。心の奥で何かが弾けた気がした。
その感覚にいっそう目を見開けば、頭の中
に色褪せたスクリーンが浮かび上がり、そこ
に『右京』の姿が映り込んでくる。
現実に目の前にいる彼とまったく同じ姿を
した、妖狐の右京。
けれどそこに映る彼は、ひどく愛おしそう
な眼差しを自分に向けていた。
「のう、天音」
「はい、何で御座いましょう?」
うららかな春の陽が射し込む、昼下がり。
いつもの曲を弾き終えると、自分の傍らで
肘枕をして寝転んでいた右京が、しみじみと
言った。
「何度聴いても大地を包むような壮麗な曲
は儂の心を掴んで離さないのじゃが、思えば
まだその曲の名を聞いておらんかったと思う
ての」
清らかな純白色の小袿の袂を、つい、と、
右京が引っ張る。手を寄越せといういつもの
合図だ。
天音と呼ばれた自分は指から箏爪を外すと、
すっ、と彼に差し出した。
その手に右京が指を絡め、ゆるゆると握る。
じんわりと温もりが染みてきて、自分は彼
の妻なのだという実感が、胸を満たしてゆく。
「この曲の名を教えろと言われましても」
そこでいったん言葉を途切ると、ふふっ、
と笑みを零した。
「この曲に名は御座いません」
「名がないじゃと?」
「はい。なぜなら、この曲はわたくしが
思うままに弾きながら、作った曲だからです」
「なんと。主は箏を弾くだけでなく作曲も
出来るというのか!多才なことじゃ」
右京の目がまん丸に見開かれる。
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