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第五章 はじまりの終わり
今とこれから
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いつものように二人分の後始末を済ませた爽太が、ようやくまともに息ができるようになった私の髪をそっと撫でる。
「いっぱい頑張ってくれて、ありがと」
「……うん」
「本当はもう一回したかったけど、無理だな」
「ぜっったいに、無理」
さらりとした口調の爆弾発言を私は全力で拒否する。くくっと笑う爽太の表情には、気を悪くした様子は見えない。
「美波の体力が保たないのもそうだけど……そもそも、さ」
ヘッドボードの上に放り出してあった小箱を手に取って逆さにし、爽太が残念そうに呟く。
「さっきのが最後の一個だったから、今日はもう無理」
「……まだ、つけてくれるんだ」
「当たり前だろ。まだプロポーズ受けてもらっただけなんだから。それに」
爽太が私のおでこに自分の額を押し当てて、顔を覗きこんでくる。
「今子供できて、着たいドレス諦めさせるようなことになったら一生後悔する」
「ドレス?」
「白無垢も似合うと思うけど、美波は何着たい?」
着たいドレス。白無垢。――それって、つまり。
優しい目をした爽太が、私の髪を撫でる。
「結婚式のこととか、子供のタイミングとか。今まで話し足りなかった分、これからたくさん話そう」
「……うん」
「でも、その前に」
爽太はベッドの下に落としてあった布団を引っ張り上げて私に被せ、隣に潜り込んできた。
「ちょっと昼寝しようか。美波、昨夜あんまり寝てないだろ?」
言い当てられて私は目を逸らす。どんよりした顔色はメイクでごまかしたつもりだったけれど、爽太相手に隠し通せるわけがなかった。
「俺も色々考えててよく寝られなかったからさ。一緒に休憩しよう」
抱き寄せられながら優しく言われ、私はいつものように爽太の肩に自分のおでこを押し当てる。肌と耳に伝わってくる鼓動と呼吸がいつもよりほんの少しだけ速くて熱っぽいような気がするのは、もしかしたらさっきの余韻なのかもしれない。
……私も、同じ感じなんだろうな。
心地よく疲れた身体を爽太に預けているうちに、昨日の朝から張りつめていたものがようやく弛んできた。そう自覚したら急に眠くなってきて、私はそのまま目を閉じる。
ちょっと昼寝するだけだから……枕、は、なくてもいいか。
おでこに柔らかいものが触れたのを感じながら、私は眠りに落ちていった。
隣にいる爽太の身じろぎで目を覚ました時には、窓の外と部屋の中はすっかり暗くなっていた。同じタイミングで起きた爽太と視線が合って、どちらからともなく「おはよう」と挨拶をする。
「今、何時?」
「それが、下にスマホ置いてきたからわからなくてさ」
「夜……なのは間違いないね」
「だな」
「『ちょっと昼寝』じゃなくなっちゃった」
「美波を抱っこしてたからよく寝られたのかも」
「私は抱き枕か」
笑いながら言う私を爽太はきつく抱きしめる。なんだか、本当に抱き枕っぽくなってる気がする。
「どしたの」
「明日仕事だから無理なのはわかってるけど……帰したくないな、って」
……そういえば、クソ男にも同じこと言われたな。あれは、私をラブホに連れていくのが目的の『帰したくない』だった。
でも、爽太が言いたいことは違う。今日はもうそういうことはしないけれど、それでも私と一緒にいたいという意味の『帰したくない』だ。
そして、そう思っているのは私も同じだから。
「ね、爽太。……今夜、泊まってもいい?」
爽太が驚いた様子で私の顔を覗き込んできた。
「ここから仕事行ける? 服とか化粧品とか持ってきてないだろ?」
「……今日、爽太と話した後にビジホ行くつもりだったから車に置いてある」
「どうして」
「家で泣いてたら色々言われるから」
何か愛想尽かされるようなことしたんだろうとか、あんないい人とうまくいかないのならもう一生誰とも付き合えないとか、私なんかが最初から爽太に釣り合うはずないからフラれるのも当然だとか。物心ついてからずっと『残念な娘』扱いをされてきたから言われることは大体予想がついているし、いっちゃんと別れた時に似たようなことは言われている。
爽太はものすごく複雑な顔をしながらもう一度腕を伸ばしてきて、私をそっと包みこんでくれた。
「ホテル、予約してる?」
「してない」
「じゃあキャンセルの連絡は要らないな。美波がうちに来てるの、親御さんは知ってる?」
私は首を横に振る。お泊まりグッズを持ってどこに行くのか詮索されたくなくて二人が留守の時を狙って出てきたし、書き置きや連絡もしていない。
「わかった。うちに泊まるって連絡するから、後でスマホ貸して」
「自分でするよ」
「俺にさせて。昨日の五重奏で指痛めた俺を心配して泊まりに来てくれたってことにすれば、親御さんも何も言わないでしょ」
「でも」
「結婚の挨拶の時間取ってもらえるようにお願いもしたいし」
「……わかった。ありがと、爽太」
お礼を言い、私もひとつ提案をしてみる。
「夜ごはん、作るね」
「でも、疲れてるだろ? 無理しなくていいから食べに行こう」
「髪と顔直さなきゃ出られないもん」
泣いて汗かいたせいでメイクもヨレてるだろうし、髪も似たような感じだろうからできれば家で過ごしたい。
少し考えてから爽太が口を開く。
「じゃあ、惣菜買ってくるから米炊いて待ってて」
気配りと段取りの達人、さすスガらしい完璧な折衷案が来た。
「いっぱい頑張ってくれて、ありがと」
「……うん」
「本当はもう一回したかったけど、無理だな」
「ぜっったいに、無理」
さらりとした口調の爆弾発言を私は全力で拒否する。くくっと笑う爽太の表情には、気を悪くした様子は見えない。
「美波の体力が保たないのもそうだけど……そもそも、さ」
ヘッドボードの上に放り出してあった小箱を手に取って逆さにし、爽太が残念そうに呟く。
「さっきのが最後の一個だったから、今日はもう無理」
「……まだ、つけてくれるんだ」
「当たり前だろ。まだプロポーズ受けてもらっただけなんだから。それに」
爽太が私のおでこに自分の額を押し当てて、顔を覗きこんでくる。
「今子供できて、着たいドレス諦めさせるようなことになったら一生後悔する」
「ドレス?」
「白無垢も似合うと思うけど、美波は何着たい?」
着たいドレス。白無垢。――それって、つまり。
優しい目をした爽太が、私の髪を撫でる。
「結婚式のこととか、子供のタイミングとか。今まで話し足りなかった分、これからたくさん話そう」
「……うん」
「でも、その前に」
爽太はベッドの下に落としてあった布団を引っ張り上げて私に被せ、隣に潜り込んできた。
「ちょっと昼寝しようか。美波、昨夜あんまり寝てないだろ?」
言い当てられて私は目を逸らす。どんよりした顔色はメイクでごまかしたつもりだったけれど、爽太相手に隠し通せるわけがなかった。
「俺も色々考えててよく寝られなかったからさ。一緒に休憩しよう」
抱き寄せられながら優しく言われ、私はいつものように爽太の肩に自分のおでこを押し当てる。肌と耳に伝わってくる鼓動と呼吸がいつもよりほんの少しだけ速くて熱っぽいような気がするのは、もしかしたらさっきの余韻なのかもしれない。
……私も、同じ感じなんだろうな。
心地よく疲れた身体を爽太に預けているうちに、昨日の朝から張りつめていたものがようやく弛んできた。そう自覚したら急に眠くなってきて、私はそのまま目を閉じる。
ちょっと昼寝するだけだから……枕、は、なくてもいいか。
おでこに柔らかいものが触れたのを感じながら、私は眠りに落ちていった。
隣にいる爽太の身じろぎで目を覚ました時には、窓の外と部屋の中はすっかり暗くなっていた。同じタイミングで起きた爽太と視線が合って、どちらからともなく「おはよう」と挨拶をする。
「今、何時?」
「それが、下にスマホ置いてきたからわからなくてさ」
「夜……なのは間違いないね」
「だな」
「『ちょっと昼寝』じゃなくなっちゃった」
「美波を抱っこしてたからよく寝られたのかも」
「私は抱き枕か」
笑いながら言う私を爽太はきつく抱きしめる。なんだか、本当に抱き枕っぽくなってる気がする。
「どしたの」
「明日仕事だから無理なのはわかってるけど……帰したくないな、って」
……そういえば、クソ男にも同じこと言われたな。あれは、私をラブホに連れていくのが目的の『帰したくない』だった。
でも、爽太が言いたいことは違う。今日はもうそういうことはしないけれど、それでも私と一緒にいたいという意味の『帰したくない』だ。
そして、そう思っているのは私も同じだから。
「ね、爽太。……今夜、泊まってもいい?」
爽太が驚いた様子で私の顔を覗き込んできた。
「ここから仕事行ける? 服とか化粧品とか持ってきてないだろ?」
「……今日、爽太と話した後にビジホ行くつもりだったから車に置いてある」
「どうして」
「家で泣いてたら色々言われるから」
何か愛想尽かされるようなことしたんだろうとか、あんないい人とうまくいかないのならもう一生誰とも付き合えないとか、私なんかが最初から爽太に釣り合うはずないからフラれるのも当然だとか。物心ついてからずっと『残念な娘』扱いをされてきたから言われることは大体予想がついているし、いっちゃんと別れた時に似たようなことは言われている。
爽太はものすごく複雑な顔をしながらもう一度腕を伸ばしてきて、私をそっと包みこんでくれた。
「ホテル、予約してる?」
「してない」
「じゃあキャンセルの連絡は要らないな。美波がうちに来てるの、親御さんは知ってる?」
私は首を横に振る。お泊まりグッズを持ってどこに行くのか詮索されたくなくて二人が留守の時を狙って出てきたし、書き置きや連絡もしていない。
「わかった。うちに泊まるって連絡するから、後でスマホ貸して」
「自分でするよ」
「俺にさせて。昨日の五重奏で指痛めた俺を心配して泊まりに来てくれたってことにすれば、親御さんも何も言わないでしょ」
「でも」
「結婚の挨拶の時間取ってもらえるようにお願いもしたいし」
「……わかった。ありがと、爽太」
お礼を言い、私もひとつ提案をしてみる。
「夜ごはん、作るね」
「でも、疲れてるだろ? 無理しなくていいから食べに行こう」
「髪と顔直さなきゃ出られないもん」
泣いて汗かいたせいでメイクもヨレてるだろうし、髪も似たような感じだろうからできれば家で過ごしたい。
少し考えてから爽太が口を開く。
「じゃあ、惣菜買ってくるから米炊いて待ってて」
気配りと段取りの達人、さすスガらしい完璧な折衷案が来た。
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