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第1章 春と
助手
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無事に依頼を完遂した自分へのご褒美代わりに午後の講義はパスし、食堂で日替わり定食を食べていた。
今日のメニューは麻婆豆腐。
食堂で出てくるわけだし、マイルドな味付けの広東風かと思いきや、バリバリの四川風だ。
刺激的な味わい、一欠片放り込むだけで、口の中が燃えるように熱い。
辛いものは好きなのだが、俺の身体はその刺激を拒否していた。苦手なのだ。
「はぁ……はぁ…………うまい」
噴き出てくる汗と痛む口内に快感すら覚えそうになっていた時、誰も座らないはずの目の前の席に、トレイが優しく置かれた。
確認するまでもないが、一応、顔を上げてみる。
「…………午後の講義はどうした?」
「今日は教授に予定があって休講になりました」
「嘘つけ」
声の主は腰を下ろす。
「本当はサボりです」
「ちゃんと講義受けないと留年するぞ。三、四年になってから苦労するんだよ」
「もしかして家に鏡ないんですか? 私買ってあげますよ」
いつぞやとは違い、降ろした長い黒髪に眼鏡姿。
右手でツルの部分を持ち上げると、やる気のなさそうな瞳が見え隠れした。
「俺は先輩やら後輩やらに助けてもらえるからいいんだよ。七緒ちゃんは友達いないでしょ」
「失敬ですね。ちゃんといますよ」
てっきり、彼女はよっともすらいないガチソロプレイヤーかと思っていた。
「まぁ、一人だけなんですけどね」
「それでもよく友達いたな。なんていうか、感動したよ」
「わかります。私も感動して毎日ハンカチがびしょ濡れです」
「オムツ被れば?」
軽くスネを蹴られた。
それはそうと、彼女の友達がどんな人間なのか、かなり興味が湧いてきた。
おそらく相当な物好きなのだろう。
日常的に姿を消すスーパーヒーロー、の友達みたいな感の鈍いやつだと思う。
「それはさておき、なんで俺のところに?」
「好きな人と一緒に食事したいと思うのは自然じゃないですか?」
「だからって教えてもない居場所に、待ち合わせかのように来るな」
「照れちゃってるんですか? 可愛いですね」
「はぁ~?」
心底意味がわからないという表情をぶつけてやった。
まぁ、本当に昼飯を一緒に食べたかったのだろうが、彼女にそれ以外の理由があるのも分かっている。
会話をどう切り出そうかの逡巡の末、一番シンプルなものを選ぶことにした。
「……依頼、ちゃんと終わったよ。めちゃくちゃ感謝された」
「それは良かったです。頑張った甲斐がありましたね」
「あぁ……」
しばしの無言。
「………………美味しいですねこれ。四川風しか勝たんってやつです」
俺の何倍ものスピードでスプーンが動いている。
辛さに耐性があるのも驚きだが、それよりも、こっちから話を振らないと触れてこない気だろうか。
……仕方ない。
「あのな、例の助手の件なんだけど」
「はい」
上がりも下りもしていない、感情の読み取れない唇。
とても、心底嫌だったが、俺は正当な判断を下すことにした。
「正直、七緒ちゃんがメモに静香ちゃんの居場所を書いてくれなきゃわからなかったよ。誠に遺憾ながら、助手として頼りになる」
どうして静香の行き先が分かったのか、定かではない。
女の勘という、無視できない第六勘によるものなのか、理論的な理由があるのか。
なんであれ、七緒がメモで居場所を教えてくれなければ、静香を発見するのが遅れ、お見合いに間に合わなかったかもしれない。
「……つまり?」
答えはわかっているはずなのに、揶揄うように首を傾げて次の言葉を煽ってくる。
ちっ、と小さく舌打ちすると、彼女の望む答えを吐き出した。
「合格だよ。今日からKLの一人として認めるよ」
「わーい。やったー」
めちゃくちゃ棒読みだな。
でも、彼女が喜んでいるのくらい、もう理解できる。
「ただ、一つ言っておかないといけない」
「なんですか?」
俺の言葉が意外だったようで、今度は本心から首を傾げている。
「金輪際、俺にストーカーじみた真似をするのはやめてくれ」
釘を刺しておかないと、今後も当たり前のように同じことが起こりそうだ。
誰も入れたことのない家のドアノブに差し入れがかかってるのって、思っている以上に怖いからな。
「わかりました。先輩に会いたい時は、必ず一言メッセージを送ります」
「そうしてくれ」
「……でも、返事がない時に迎えにいっちゃうのは仕方ないですよね? 返事しない先輩が悪いですし」
阿吽の呼吸とか打てば響くというのを最悪な方向に振り切らせたのが七緒の返答。
こちらの答えることが全て読まれているかのようだ。
「わかった。できる限り早めに断りの返事を入れる」
「……断らないでください」
やってることがもう少しマトモなら可愛く見えるのにな、そう思って苦笑する。
「あと、私のことは呼び捨てで呼んでほしいです」
「なんで? 七緒ちゃんって呼び方いいじゃん。おじさんみたいで」
人生、おじさんになってからの方が長いからな。
今のうちに慣れておきたい。
「それが嫌なんですよ。私的にはちょっと距離感じますし」
「距離ねぇ……」
感じてくれればくれるだけありがたいが、確かに助手にちゃん付けは違和感がある。
「……いや、よく考えたらホームズだってワトソンのことは君付けで呼んでないか? 基本的にはあの二人は大親友みたいな関係だし、呼び方に距離を感じるのは――」
「あーあ、先輩との距離を近づけるために色々始めちゃおっかなぁー」
「よし七緒。今日からよろしくな」
できれば何も始めないでほしい。
せめて既存のものでお願いする。
「…………なんだ?」
返事がないので食事の手を止め、彼女の方へ視線を向けた。
すると、七緒は何を言うわけでもなく、ただ俺の顔を見つめていた。
ゆっくりと微笑みが讃えられ、その薄桃色の唇が開く。
「……よろしくお願いします。瑠凪先輩」
かくして、七緒はKLのメンバーとして、生徒たちの依頼を叶えるため奔走するようになるのだが……。
その前にもう一つ、俺には解明しなければならない謎が残っていたのだった。
俺は、何やら大きな勘違いをしていたようなのだ。
今日のメニューは麻婆豆腐。
食堂で出てくるわけだし、マイルドな味付けの広東風かと思いきや、バリバリの四川風だ。
刺激的な味わい、一欠片放り込むだけで、口の中が燃えるように熱い。
辛いものは好きなのだが、俺の身体はその刺激を拒否していた。苦手なのだ。
「はぁ……はぁ…………うまい」
噴き出てくる汗と痛む口内に快感すら覚えそうになっていた時、誰も座らないはずの目の前の席に、トレイが優しく置かれた。
確認するまでもないが、一応、顔を上げてみる。
「…………午後の講義はどうした?」
「今日は教授に予定があって休講になりました」
「嘘つけ」
声の主は腰を下ろす。
「本当はサボりです」
「ちゃんと講義受けないと留年するぞ。三、四年になってから苦労するんだよ」
「もしかして家に鏡ないんですか? 私買ってあげますよ」
いつぞやとは違い、降ろした長い黒髪に眼鏡姿。
右手でツルの部分を持ち上げると、やる気のなさそうな瞳が見え隠れした。
「俺は先輩やら後輩やらに助けてもらえるからいいんだよ。七緒ちゃんは友達いないでしょ」
「失敬ですね。ちゃんといますよ」
てっきり、彼女はよっともすらいないガチソロプレイヤーかと思っていた。
「まぁ、一人だけなんですけどね」
「それでもよく友達いたな。なんていうか、感動したよ」
「わかります。私も感動して毎日ハンカチがびしょ濡れです」
「オムツ被れば?」
軽くスネを蹴られた。
それはそうと、彼女の友達がどんな人間なのか、かなり興味が湧いてきた。
おそらく相当な物好きなのだろう。
日常的に姿を消すスーパーヒーロー、の友達みたいな感の鈍いやつだと思う。
「それはさておき、なんで俺のところに?」
「好きな人と一緒に食事したいと思うのは自然じゃないですか?」
「だからって教えてもない居場所に、待ち合わせかのように来るな」
「照れちゃってるんですか? 可愛いですね」
「はぁ~?」
心底意味がわからないという表情をぶつけてやった。
まぁ、本当に昼飯を一緒に食べたかったのだろうが、彼女にそれ以外の理由があるのも分かっている。
会話をどう切り出そうかの逡巡の末、一番シンプルなものを選ぶことにした。
「……依頼、ちゃんと終わったよ。めちゃくちゃ感謝された」
「それは良かったです。頑張った甲斐がありましたね」
「あぁ……」
しばしの無言。
「………………美味しいですねこれ。四川風しか勝たんってやつです」
俺の何倍ものスピードでスプーンが動いている。
辛さに耐性があるのも驚きだが、それよりも、こっちから話を振らないと触れてこない気だろうか。
……仕方ない。
「あのな、例の助手の件なんだけど」
「はい」
上がりも下りもしていない、感情の読み取れない唇。
とても、心底嫌だったが、俺は正当な判断を下すことにした。
「正直、七緒ちゃんがメモに静香ちゃんの居場所を書いてくれなきゃわからなかったよ。誠に遺憾ながら、助手として頼りになる」
どうして静香の行き先が分かったのか、定かではない。
女の勘という、無視できない第六勘によるものなのか、理論的な理由があるのか。
なんであれ、七緒がメモで居場所を教えてくれなければ、静香を発見するのが遅れ、お見合いに間に合わなかったかもしれない。
「……つまり?」
答えはわかっているはずなのに、揶揄うように首を傾げて次の言葉を煽ってくる。
ちっ、と小さく舌打ちすると、彼女の望む答えを吐き出した。
「合格だよ。今日からKLの一人として認めるよ」
「わーい。やったー」
めちゃくちゃ棒読みだな。
でも、彼女が喜んでいるのくらい、もう理解できる。
「ただ、一つ言っておかないといけない」
「なんですか?」
俺の言葉が意外だったようで、今度は本心から首を傾げている。
「金輪際、俺にストーカーじみた真似をするのはやめてくれ」
釘を刺しておかないと、今後も当たり前のように同じことが起こりそうだ。
誰も入れたことのない家のドアノブに差し入れがかかってるのって、思っている以上に怖いからな。
「わかりました。先輩に会いたい時は、必ず一言メッセージを送ります」
「そうしてくれ」
「……でも、返事がない時に迎えにいっちゃうのは仕方ないですよね? 返事しない先輩が悪いですし」
阿吽の呼吸とか打てば響くというのを最悪な方向に振り切らせたのが七緒の返答。
こちらの答えることが全て読まれているかのようだ。
「わかった。できる限り早めに断りの返事を入れる」
「……断らないでください」
やってることがもう少しマトモなら可愛く見えるのにな、そう思って苦笑する。
「あと、私のことは呼び捨てで呼んでほしいです」
「なんで? 七緒ちゃんって呼び方いいじゃん。おじさんみたいで」
人生、おじさんになってからの方が長いからな。
今のうちに慣れておきたい。
「それが嫌なんですよ。私的にはちょっと距離感じますし」
「距離ねぇ……」
感じてくれればくれるだけありがたいが、確かに助手にちゃん付けは違和感がある。
「……いや、よく考えたらホームズだってワトソンのことは君付けで呼んでないか? 基本的にはあの二人は大親友みたいな関係だし、呼び方に距離を感じるのは――」
「あーあ、先輩との距離を近づけるために色々始めちゃおっかなぁー」
「よし七緒。今日からよろしくな」
できれば何も始めないでほしい。
せめて既存のものでお願いする。
「…………なんだ?」
返事がないので食事の手を止め、彼女の方へ視線を向けた。
すると、七緒は何を言うわけでもなく、ただ俺の顔を見つめていた。
ゆっくりと微笑みが讃えられ、その薄桃色の唇が開く。
「……よろしくお願いします。瑠凪先輩」
かくして、七緒はKLのメンバーとして、生徒たちの依頼を叶えるため奔走するようになるのだが……。
その前にもう一つ、俺には解明しなければならない謎が残っていたのだった。
俺は、何やら大きな勘違いをしていたようなのだ。
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