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第1章 春と

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 三日の猶予を得た瑠凪は、翌日から行動を始めることにした。
 そして、昼前に起床し、のびのびと準備をして家の扉を開けたのだが――。

「あ? なにこれ?」

 外側のノブに、大きめのビニール袋が吊るされているのを発見した。
 色々と中に入れられているようで、瑠凪が手に取ってみると、ずっしりとした重さが手に伝わる。

「いや……怖……」

 彼は、都心部でもかなり立地の良い場所で一人暮らしをしている。
 友人も多く、大学生の青春を第一に考える瑠凪にとって、繁華街へのアクセスの良さは重要だった。
 適当な時間に起き、適当に遊び歩き、適当に帰ってきて寝る。
 その自由な生活は、帰りやすい家があってこそ実現するものだからだ。
 特定の時間にしか関わることのできない人間もいるため、目的地に向かうという無駄な時間は極力減らしたい。
 そして、瑠凪は一つの大切な線引きをしていた。
 他人を家に連れて帰らないというルールだ。
 彼自身は異性を騙しているという気はないが、中には彼の軽薄な態度を見て、裏切られたと感じる者もいる。
 そういうとき、家を知られていると、思わぬトラブルに発展する可能性があるのだ。
 流血沙汰になって退去させられるだけならまだいい。
 下手すれば、一時の感情の昂りによって、今後の人生が泡となって消えてしまう可能性がある。
 世界では男尊女卑が問題になっているが、少なくとも日本において、彼の視点において、法律は女尊男卑だからだ。
 だから彼は、異性と二人きりになりたい時にはそれ相応の場所を使用していた。
 丁寧なリスク管理は、後々自分の身を救う。
 しかし今、彼の手の平にぶら下がっているのは、誰かが自分宛に持ってきたであろう、差し入れのようなもの。
 送り主が他人と間違えている可能性が頭をよぎり、恐る恐る中身を確認してみると、冷却ジェルシートと2Lの水が一本、それとチョコレート系のお菓子がいくつか、そしてもう一つ、四つ折りにされた紙が入っていた。
 ジェルシートが入っていることで、瑠凪の頭には「もしかしたら、両隣どちらかの風邪の見舞いに来た人が間違えたのかもしれない」という希望が生まれていたが、紙を開いた瞬間そんな希望は打ち砕かれた。

『頭の怪我は大丈夫?』

 完全に自分のことだと、彼は理解した。
 それに、自分がある意味危険的な状況にあることも。処刑宣告と同じだ。
 徹底して隠してきた自分の家がばれているというだけでなく、日常のどうでも良い場面で負った傷まで知られている。
 これはすなわち、日頃からあとをつけられていることに他ならない。

「おいおい、ストーカーだよこれ……」

 戦慄している今この瞬間も見られているかもしれないと背筋を凍らせ、急いで家に入り、鍵をかける。
 早足で部屋に戻ると、ビニール袋をローテーブルに置き、もう一度紙を開いた。

「特徴を……なにか特徴を探すんだ……」

 機械で打ったものをプリントアウトしたのかと思うほど美しい筆跡だが、微かに丸みを帯びている。
 筆跡鑑定などできるはずもないが、彼は直感で、これは女性が書いたものだと思った。

「ははっ、だからなんだって感じだよな」

 左手で額を抑えながら途方にくれる。
 四つの頂点がピッタリと重なったメモ紙。
 女性が書いたものだと分かっても、誰が書いたかまではわからない。
 候補を絞ろうとしても、自分と継続的に関わりのある異性を指折り数えれば、手が足りなくなってしまう。
 便箋ではなく、白いコピー用紙のような紙に書かれているし、筆跡以外には何も特徴がない。
 意図的に隠そうとしているのは理解できたが、だとしたら、メモを残すのが不自然だ。
 俺に正体を明かしたいのか?

「……うん、わからんな」

 彼は考えるのをやめた。
 用心深い男ではあるが、一方で、やりようのないことに対しては楽観的なのだ。
 誰が送り主なのかという悩みは瞬時に脳内から消え、今は「果たしてこれを飲食して良いものか」に切り替わっている。
 そして、その答えも、おおむね肯定的なものに終わりそうだった。
 文面や言葉のチョイスから悪意は感じないし、偽装の仕様はありそうとはいえ、どれも封は開いていない。
 以前、助けたことがあるのか、別の関わりがあるのか。
 何にせよ、送り主は瑠凪に悪くない感情を抱いているのだろう。
 また、負傷箇所が頭なので冷却ジェルシートはまだわかるが、その他が水とチョコレートというよく分からないチョイスなのが、無駄にリアルだった。
 謎解きの続きは再び同じことが起こったらにしようと決め、袋の中身をそそくさと冷蔵庫の中に入れると、とりあえず大学へ向かうことにした。
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