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おっさんと過去
その頃
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地面が揺れるほどの爆発。その余波が館に伝わったのは、ジオの意識が完全に内側に潜ってからだった。
「な、なんなんだ!?」
エドガーはよろけ、近場にあったテーブルに抱きつきながらルーエを見上げる。
近頃は霊による事件が多いとはいえ、戦いとは縁のないカルティアの街に、一流の魔術師が放つ全力の一撃に匹敵する爆発が起こるのは不可解だ。
そして、この規模の破壊活動を行えるルーエであれば原因にも心当たりがあるのではないか。
エドガーの閃きは「知らん」という冷たい一言で切り捨てられた。
「だが、おそらくは魔族に近いらしい霊の仕業だろう。大きな出来事というのは、小さな異変が積み重なってできるものだ」
「……他にも何かあるかもしれないが、増えだした霊たちが関係している可能性はある、ということか」
浅く頷くルーエ。
「だったら今すぐに行かなきゃいけないだろう。きっと、ギョタールが戦っているからな」
揺れによって手放してしまったリュックを背負いつつ立ち上がるエドガーだったが、彼と言葉を交わしている魔王からは全くと言っていいほどやる気を感じない。
それもそのはず。ルーエには霊に対する攻撃手段がないのだ。
「ルーエ嬢、自慢じゃないが俺は戦いでは役立たずだ。人の非難くらいなら手伝えるが、ジオが動けない以上、あんたが人肌脱いでくれなきゃ――」
「ならん」
赤の他人からすれば、心臓が凍ってしまうような視線。
だが、いくらエドガーが取るに足らない人間の1人であるにしても、自らの想い人の友人である。
そんな相手に対して絶対零度の視線を向けるには理由があり、エドガーは当然それに心当たりがあった。
「――怖いんだろ?」
「や、やめろっ! こここ怖いわけがないだろう!」
「いや、足が震えてるぞ。生まれたての子鹿もびっくりなレベルでな」
「なにを言っている? これは……そう、これは私が常人の目では追えない速度で動いていることの証明だ」
「……相当間抜けなの、わかってるか?」
「そんなに霊に会いたいなら、今すぐ同じ存在にしてやるぞ?」
いまだに動揺は続いていたが、尊大な態度だけは保ったままだった。
ジオにもエドガーにもバレているが――というより、誰が見ても明らかではあるが――ルーエは霊の類が苦手だった。
いや、もはや苦手という状態ではなかった。
霊という存在がなぜ人々に恐れられることがあるのか、その理由は諸説ある。
たとえば、それが人間の形をしているものの、意思疎通ができないから。外見は見知ったものであるのに、内面は未知で不気味なもので満たされている。だが、カルティアにおける「霊」は人形に限定されていないし、少しばかりの会話もこなすことができる。
次に、説明が難しい現象であるから。どうして果物が木から落ちるのか、どうして魔術が使えるのか、そのような現象には説明がつく。しかし、霊にはいまだに不明な部分が多く、解明されていないものが目の前にいるから肝が冷える。しかし、そもそもこの世界には明かされていない謎は多く存在する。実害で言えばネームドモンスターの方がよっぽど怖いだろう。
彼女をはじめとして、魔族は恐怖に強いはずだった。事実、ルーエは生まれてこの方――アロンであった前世を含めても――ほとんど恐怖を感じたことはない。身近な人の死であっても「あぁ、悲しいが別れが来てしまったのだな」という心持ちから先に進むことはない。
そんなルーエが、攻撃は当たらないにしても、どうして自分より弱い存在に恐怖を抱いているのか。それは、ルーエとアロンをさらに遡った先祖に原因があるのかもしれないし、彼女がジオと出会ったことで、内面に変化が起きたのかもしれないし、誰にも知ることはできない。
だがしかし、ともかく――ルーエは足捌きで埃掃除ができるくらいには、霊を遅れている。
「と、とにかく、だ。私は行かないぞ。どうしてもと言うのなら、お前1人で行けばいい」
「いや、それはだな……」
倒せないにしても、ルーエがいてくれないと解決できない状況はあるはずだ。そんなことはわかりきっている。
だが、目の前で動揺しまくりの女性を動かすことができない。
(なにか、交渉できそうなものはないものか――ルーエ嬢が恐怖に打ち勝てるような……)
しばしの間、エドガーは視線を左右に彷徨わせていたが、やがて何か思いついたようでニヤリと口の端を釣り上げた。
「……逆にチャンスだとは思わないのか?」
「なに?」
冷徹な女王がぴくりと反応し、その様子を好機とみた小説家は一気に畳み掛ける。
「俺は小説家だぞ。しかも、きっとあんたの故郷に行っても評価されること間違いなしのプロだ。そんな俺にとっちゃ、人の気持ちを推測するくらい朝飯前なんだよ」
「何が言いたい?」
「ジオのことさ。あいつは今、絶対に邪魔されたくない用事の最中だ。そうだよな?」
絶対に邪魔されたくない用事――日頃からあまり望みを言わないジオが、珍しく「母に会いたい」と言葉にしたのだ。
それは彼にとっても、そして彼女にとっても特別なものだった。
相手の反応を見て、エドガーは勢いづいて言葉を続ける。
「あいつは物理的にも精神的にも、この爆発を解決することはできない。でも、目が覚めた時にことの顛末を聞いたら、きっと責任を感じるはずだ」
「ま、まぁな……他人のことなど放っておけばいいのに、ジオにはお人好しな部分がある」
「だろう? そこでだ、あいつが起きた時に『ジオが大切な母親に会うのに邪魔はさせない、ルーエ嬢がそう言って人助けに精を出していたぞ』と、俺がそう伝えたら……どう思う?」
「ま、まさか……!」
「そう!」
エドガーは高らかに手を鳴らす。
「きっとあいつはこう考える。『あぁ、ルーエは自分のことを陰ながら支えてくれたんだ』と、『なんてできた嫁なんだ』とな――」
巧みな説得により、ルーエの氷の心は溶けかかっている……どころかドロドロになっている。
目を見開き、なにを想像しているのか頬を紅潮させ、プルプルと震えている。
一瞬のうちに、彼女の脳内には甘い可能性が洪水のように流れ込んでいた。
「……その震えは恐怖ではないだろう?」
「あぁ……これは武者奮いというやつだ……。霊の撃破は断罪者に任せるとして、私は人々を助けることに専念する。そうしてお前や助けられた人々が私の猛々しい様子をジオに伝えれば……ふふ……」
「よし、それじゃあ現場に向かうぞ! これが次回作の山場だ!」
「私の人生の山場でもある! 遅れるなよ!」
1人は100%の自分の欲のために。もう1人は33%の職業病と34%の善意、そして33%の全能感を胸に、それぞれ高笑いしながら館を飛び出す。
「…………」
何事かと、陰ながら2人の会話を聞いていた老婆は、なんとアホらしい会話かと、遠い目をしていた。
「な、なんなんだ!?」
エドガーはよろけ、近場にあったテーブルに抱きつきながらルーエを見上げる。
近頃は霊による事件が多いとはいえ、戦いとは縁のないカルティアの街に、一流の魔術師が放つ全力の一撃に匹敵する爆発が起こるのは不可解だ。
そして、この規模の破壊活動を行えるルーエであれば原因にも心当たりがあるのではないか。
エドガーの閃きは「知らん」という冷たい一言で切り捨てられた。
「だが、おそらくは魔族に近いらしい霊の仕業だろう。大きな出来事というのは、小さな異変が積み重なってできるものだ」
「……他にも何かあるかもしれないが、増えだした霊たちが関係している可能性はある、ということか」
浅く頷くルーエ。
「だったら今すぐに行かなきゃいけないだろう。きっと、ギョタールが戦っているからな」
揺れによって手放してしまったリュックを背負いつつ立ち上がるエドガーだったが、彼と言葉を交わしている魔王からは全くと言っていいほどやる気を感じない。
それもそのはず。ルーエには霊に対する攻撃手段がないのだ。
「ルーエ嬢、自慢じゃないが俺は戦いでは役立たずだ。人の非難くらいなら手伝えるが、ジオが動けない以上、あんたが人肌脱いでくれなきゃ――」
「ならん」
赤の他人からすれば、心臓が凍ってしまうような視線。
だが、いくらエドガーが取るに足らない人間の1人であるにしても、自らの想い人の友人である。
そんな相手に対して絶対零度の視線を向けるには理由があり、エドガーは当然それに心当たりがあった。
「――怖いんだろ?」
「や、やめろっ! こここ怖いわけがないだろう!」
「いや、足が震えてるぞ。生まれたての子鹿もびっくりなレベルでな」
「なにを言っている? これは……そう、これは私が常人の目では追えない速度で動いていることの証明だ」
「……相当間抜けなの、わかってるか?」
「そんなに霊に会いたいなら、今すぐ同じ存在にしてやるぞ?」
いまだに動揺は続いていたが、尊大な態度だけは保ったままだった。
ジオにもエドガーにもバレているが――というより、誰が見ても明らかではあるが――ルーエは霊の類が苦手だった。
いや、もはや苦手という状態ではなかった。
霊という存在がなぜ人々に恐れられることがあるのか、その理由は諸説ある。
たとえば、それが人間の形をしているものの、意思疎通ができないから。外見は見知ったものであるのに、内面は未知で不気味なもので満たされている。だが、カルティアにおける「霊」は人形に限定されていないし、少しばかりの会話もこなすことができる。
次に、説明が難しい現象であるから。どうして果物が木から落ちるのか、どうして魔術が使えるのか、そのような現象には説明がつく。しかし、霊にはいまだに不明な部分が多く、解明されていないものが目の前にいるから肝が冷える。しかし、そもそもこの世界には明かされていない謎は多く存在する。実害で言えばネームドモンスターの方がよっぽど怖いだろう。
彼女をはじめとして、魔族は恐怖に強いはずだった。事実、ルーエは生まれてこの方――アロンであった前世を含めても――ほとんど恐怖を感じたことはない。身近な人の死であっても「あぁ、悲しいが別れが来てしまったのだな」という心持ちから先に進むことはない。
そんなルーエが、攻撃は当たらないにしても、どうして自分より弱い存在に恐怖を抱いているのか。それは、ルーエとアロンをさらに遡った先祖に原因があるのかもしれないし、彼女がジオと出会ったことで、内面に変化が起きたのかもしれないし、誰にも知ることはできない。
だがしかし、ともかく――ルーエは足捌きで埃掃除ができるくらいには、霊を遅れている。
「と、とにかく、だ。私は行かないぞ。どうしてもと言うのなら、お前1人で行けばいい」
「いや、それはだな……」
倒せないにしても、ルーエがいてくれないと解決できない状況はあるはずだ。そんなことはわかりきっている。
だが、目の前で動揺しまくりの女性を動かすことができない。
(なにか、交渉できそうなものはないものか――ルーエ嬢が恐怖に打ち勝てるような……)
しばしの間、エドガーは視線を左右に彷徨わせていたが、やがて何か思いついたようでニヤリと口の端を釣り上げた。
「……逆にチャンスだとは思わないのか?」
「なに?」
冷徹な女王がぴくりと反応し、その様子を好機とみた小説家は一気に畳み掛ける。
「俺は小説家だぞ。しかも、きっとあんたの故郷に行っても評価されること間違いなしのプロだ。そんな俺にとっちゃ、人の気持ちを推測するくらい朝飯前なんだよ」
「何が言いたい?」
「ジオのことさ。あいつは今、絶対に邪魔されたくない用事の最中だ。そうだよな?」
絶対に邪魔されたくない用事――日頃からあまり望みを言わないジオが、珍しく「母に会いたい」と言葉にしたのだ。
それは彼にとっても、そして彼女にとっても特別なものだった。
相手の反応を見て、エドガーは勢いづいて言葉を続ける。
「あいつは物理的にも精神的にも、この爆発を解決することはできない。でも、目が覚めた時にことの顛末を聞いたら、きっと責任を感じるはずだ」
「ま、まぁな……他人のことなど放っておけばいいのに、ジオにはお人好しな部分がある」
「だろう? そこでだ、あいつが起きた時に『ジオが大切な母親に会うのに邪魔はさせない、ルーエ嬢がそう言って人助けに精を出していたぞ』と、俺がそう伝えたら……どう思う?」
「ま、まさか……!」
「そう!」
エドガーは高らかに手を鳴らす。
「きっとあいつはこう考える。『あぁ、ルーエは自分のことを陰ながら支えてくれたんだ』と、『なんてできた嫁なんだ』とな――」
巧みな説得により、ルーエの氷の心は溶けかかっている……どころかドロドロになっている。
目を見開き、なにを想像しているのか頬を紅潮させ、プルプルと震えている。
一瞬のうちに、彼女の脳内には甘い可能性が洪水のように流れ込んでいた。
「……その震えは恐怖ではないだろう?」
「あぁ……これは武者奮いというやつだ……。霊の撃破は断罪者に任せるとして、私は人々を助けることに専念する。そうしてお前や助けられた人々が私の猛々しい様子をジオに伝えれば……ふふ……」
「よし、それじゃあ現場に向かうぞ! これが次回作の山場だ!」
「私の人生の山場でもある! 遅れるなよ!」
1人は100%の自分の欲のために。もう1人は33%の職業病と34%の善意、そして33%の全能感を胸に、それぞれ高笑いしながら館を飛び出す。
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