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おっさんと戦い

魔人

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 自分の意思ではなく使役された魔物。
 ブラッドウルフの姿は忽然と消え去っていた。
 それと同じように、ジオと相対していた長髪の紳士の姿もなくなった……が、彼がいた場所には全く別の生物が佇んでいた。
 筋骨隆々の身体つきをした、二メートルほどの真っ赤な身体。
 オーガのような顔が、大きな口が豊かに感情表現をする。
 およそ負の感情しか持たない魔物とは違うと告げていた。

「魔物と……融合したのか?」

 信じられないものを目にしたというジオを見て、ナイトリッチは身振り手振りを加えて言葉を吐く。

「これがあの牧師……名前は忘れてしまったが、彼の家系に代々伝わっていた禁断の術でね。魔物と人間を融合させ、二者の力を掛け合わせた生物を作るというものなのだよ」

 そんなものは聞いたことがない、とジオは思う。
 自分が持っている魔術書にも記されていない、あるいは記すことを許されなかったものだということだ。
 貴族とはいえ一つの家が生み出した魔術とは思えないが、今考えるべきはそこではない。

「……つまり、お前はブラッドウルフの力を持っているっていうのか?」
「使うことはできる。とはいえ、あんな低俗な技に頼るほど私は弱くないがね」

 魔人は笑う。

「この魔術がなぜ禁断と言われているかわかるかね? 本来であれば、人間の理性が消えて無くなってしまうからだよ。だが、私はそうではない」

 理性は人間が持つ特徴的な武器である。
 魔物にも理性を持つ種はいるが、基本的に本能が思考の大部分を占めている。
 同じように、人間にも本能は組み込まれている。
 生物として生まれ落ちる瞬間に、否応無しに渡される性質。
 つまり、理性と本能は少なくとも同じ割合で構成されているのだ。
 であれば、本能が強い魔物と融合すれば、それの割合が理性を超え、ただ力を振るうだけの獣へと堕ちてしまうのが通常。
 ナイトリッチは、そんな激流のような本能を押し留めて力をコントロールしていた。

「……だが、ブラッドウルフの瞬発力は私にはないものだ。これを手に入れられたのは――」

 ジオの眼前からナイトリッチの姿が消えた。
 彼はブラッドウルフをゆうに上回る速度でジオの背後に回り込み、その背中に蹴りを喰らわせた。
 凄まじい衝撃を受けたジオは、そのまま壁面に叩きつけられる。
 よく磨かれ、装飾された壁は簡単に破壊された。

「……大変ありがたいことだ。書の守護者も反応できない速度なのだから」

 壁の残骸に埋まっていてジオが身体を引き抜く。
 表情から受けた痛みを推し量ることはできず、魔人は少しばかり顔をしかめたが、先制攻撃が完全に決まったことに自分の優位を確信していた。

「ふむ。魔王を倒した男を凌駕したとなると、もはやここで時間を無駄にする必要もない。すぐに終わらせるとしよう」

 魔人は一本ずつ指を鳴らして威嚇する。
 そして、再び姿がかき消えたと思うと、ジオの目の前に現れて顔面を殴りつける。

「ははは! 書の守護者ともいえど敵ではない!」

 右の拳、左の拳、右の拳、左の拳――。
 容赦ない拳の雨が男に降り注ぐ。

「一度の反撃もできないのでは張り合いがない! もはや私に勝てるものなど――」

 その時、ナイトリッチは背筋が冷えるのを感じた。
 交差した両者の視線。
 ただ殴られた続けていたジオの瞳が、恐ろしく冷たかったからだ。

「――――ッ!?」

 なぜ自分が膝をついているのか。
 どうして視界が歪んでいるのか。
 魔人は一瞬にして状態を理解したが、状況を理解することができなかった。
 これまで攻撃を受け続けてきたジオが、一度だけ魔人の顔面を殴った。
 そのたった一撃で、ナイトリッチは大きく体勢を崩したのだ。

「……言いたいことはいろいろある。でも、とりあえずそれはあんたをボコボコにしてから言うことにするよ」

 膝を折っているからではない。
 自分より数十センチも小さい人間の男が、ひどく大きく見えた。
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