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9話 小さな白い玉
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李依の隣で窓の外を眺めていたすみれが振り返りこちらと視線を合わせた。
「お父さん、お久しぶりです。小学生の時に李依と夏休みの宿題をしにお邪魔したとき以来ですかね」
「モールス信号の自由研究だっけか?」
「お父さん、全部終わったら、大切なお話があるんですけど……」
まずは、すみれが信人の意識と交換を使ったようである。脳内で会話を進める二人の元へすみれの姿をした信人が歩みよってきた。
「久々の再会で盛り上がってるところ悪いんだけど、思い出話は後にしてもらっていいかな」
「そうだ、時間がないんだったな」
界人はカップからこぼれ落ちるコーヒーを確認する。やはり、時間が止まっているわけではない。超低速ではあるが、確実にその雫は床へ向かって落下していた。
「信人、お前の方はもう準備できてるんだよな」
「うん。飛行機の偶数列全ての乗客にマルチ発動するように照準は合わせたよ」
「本当に、これでいんだよな! どうなっても知らないからな!!」
界人はシートベルトをしたまま座席で意識を失っているあの日の自分自身と交換を使った。
「界人、飛行機に乗るなって、どういうこと!」
「遥、会社を辞めて僕と結婚しよう。だから、ロンドン行の飛行機には乗らない」
「はっ? なんで今なの? みゆきと李依ちゃんはどうするのよ!」
「みゆきとは別れる。李依と信人と4人で暮らそう」
「そんなこと……できないよ……」
遥の瞳からは涙がこぼれていた。それが悲しいから流れていたのかは彼女にも分からなかった。
「とにかく、飛行機には乗らない。さあ、行こう」
私はとにかくこの場から離れたかった。外の世界からのメッセージに例えようのない恐怖を感じていた。突然の求婚に、感情のベクトルが定まらない遥を引きずるように空港の外へと連れ出し、行くあてもなく車を走らせた。
「バ――――――――ン」
鈍い音に二人は空を見上げる。
「嘘? 何これ? どういうこと……」
そこには、二人が搭乗するはずだったANC127便の変わり果てた姿があった。遥の表情が私に説明を求めている。
「ごめん……遥……」
謝罪の意味が理解できない遥。私は、運転席と助手席という位置関係からの謝罪では不誠実だとの思いから、助手席側に回り込もうと運転席のドアを開き、車外へと足を踏み出した。
「キキ――――ッ!! ド――――――ン!!!!」
「界人――――――――――――――――!!!!」
運転席のドアが車からちぎり取られ、破片と一緒に中に浮かんでいる。自分自身はというと、ちぎり取られたドアと同じ高さ、数メートル先に留まっている。右膝から下があり得ない方向に曲がり、左腕は内側にねじれ、腹部は背骨と接するほどに凹んでいる。痛みは全く感じない。しかし、いつになっても、背中が路面に接することはなかった。
「よし! ここでいんだよな!!」
界人は車に跳ねられ空中に留まっている自分自身と交換を使った。
「まだ恩を返しきれてないのに……」
「素直に、ありがとうって伝えたかった……」
「ごめんなさいの一言がどうしても言えなくて……」
「娘の成長をもっと見守りたかったな……」
「親孝行ができなかった……」
「ああ、死にたくないな……」
「まだ、死ねない……」
「もっと、生きたい……」
「生きたい――生きたい――生きたい……」
「生きたい――生きたい――生きたい――生きたい――生きたい……」
その瞬間、界人が取り込んでいた飛行機の乗客半数211名の魂が拡散した。無数の現世への後悔の念と共に。その211個の小さな白い玉は、ほんのりと銀色の光を放ちながらゆっくりと天へと昇っていく。
「お父さん、成功したみたいですね。乗客の半数の魂の座標をずらしてオーバーシュートを回避するなんて、信人君も悪魔的な思考回路してますよね」
どうやら、すみれとはまだ、意識と意識のやり取りで会話ができるようである。
「乗員乗客422名の走馬灯が同時に発動すれば、改変に次ぐ、改変。そりゃ――飛行機事故くらいなかったことになっちゃいますよね――」
「すみれ? お前、何を!?」
「これで、上空のお父さんの方は無事にロンドンの本社に向かえるわけですね」
「上空の私の方は?」
「信人君は、大きな勘違いをしている。飛行機事故がなかったことになれば、神の啓示という名のモールス信号『ヒコウキノルナ』も受け取らないから交通事故も起こらない。とか考えてるんじゃないかな――」
「そりゃ――そうじゃないのか!?」
「お父さん、甘いな――、世界はそんなに都合よくは回ってないんですよ」
「お父さんが飛行機事故に巻き込まれて意識を失い、走馬灯の中から神の啓示を発信した瞬間に、もうこの世界は存在が確定してしまっているんです」
「いわゆる、並行世界ってやつか!?」
「そうです。つまり、信人君の作戦は成功したとはいえ、お父さんが飛行機事故には遭わずにロンドンに辿り着けたという並行世界をまた一つ作り出してしまっただけってことですよ。それは、それで、私にとっては必要なことなんですけど……」
「必要なこと?」
界人の問いかけを無視して話を続けるすみれ。
「結局、この世界ではお父さんは車に跳ねられ、また走馬灯の中で信人君に助けを求める」
「そして、今から1時間半前の信人の意識の中に取り込まれ、私の意識はまた保護されるってことか?」
「そうです。そう言うことです。さすがに、理解が早いですね」
「すみれ、そういえば、何か大切な話があるとか何とか言ってなかったか?」
「それは――、あの――、その――」
一瞬まごつき、急にかしこまる、すみれ。
「お父さん! 李依さんを私に下さい!!」
「はい、はい、そういうのはいいから、早く本題に入ってくれ」
冗談を完全にスルーされるという辱めを受けたすみれだったが、そんなことは全く意に介さず、彼女はこう語った。
「信人君と話してたじゃないですか? 車に跳ねられた後のお父さんの身体はどこへ行ったんだって」
「すみれ、お前、まさか!?」
「やっぱり察しが早いですね。そうです。私の転移能力で保護させて頂きました」
界人の身体は路面に接するすんでのところでその場から消え去り、車からちぎり取られた運転席のドアとその破片だけが、轟音と共に路面に叩き付けられた。
「お父さん、お久しぶりです。小学生の時に李依と夏休みの宿題をしにお邪魔したとき以来ですかね」
「モールス信号の自由研究だっけか?」
「お父さん、全部終わったら、大切なお話があるんですけど……」
まずは、すみれが信人の意識と交換を使ったようである。脳内で会話を進める二人の元へすみれの姿をした信人が歩みよってきた。
「久々の再会で盛り上がってるところ悪いんだけど、思い出話は後にしてもらっていいかな」
「そうだ、時間がないんだったな」
界人はカップからこぼれ落ちるコーヒーを確認する。やはり、時間が止まっているわけではない。超低速ではあるが、確実にその雫は床へ向かって落下していた。
「信人、お前の方はもう準備できてるんだよな」
「うん。飛行機の偶数列全ての乗客にマルチ発動するように照準は合わせたよ」
「本当に、これでいんだよな! どうなっても知らないからな!!」
界人はシートベルトをしたまま座席で意識を失っているあの日の自分自身と交換を使った。
「界人、飛行機に乗るなって、どういうこと!」
「遥、会社を辞めて僕と結婚しよう。だから、ロンドン行の飛行機には乗らない」
「はっ? なんで今なの? みゆきと李依ちゃんはどうするのよ!」
「みゆきとは別れる。李依と信人と4人で暮らそう」
「そんなこと……できないよ……」
遥の瞳からは涙がこぼれていた。それが悲しいから流れていたのかは彼女にも分からなかった。
「とにかく、飛行機には乗らない。さあ、行こう」
私はとにかくこの場から離れたかった。外の世界からのメッセージに例えようのない恐怖を感じていた。突然の求婚に、感情のベクトルが定まらない遥を引きずるように空港の外へと連れ出し、行くあてもなく車を走らせた。
「バ――――――――ン」
鈍い音に二人は空を見上げる。
「嘘? 何これ? どういうこと……」
そこには、二人が搭乗するはずだったANC127便の変わり果てた姿があった。遥の表情が私に説明を求めている。
「ごめん……遥……」
謝罪の意味が理解できない遥。私は、運転席と助手席という位置関係からの謝罪では不誠実だとの思いから、助手席側に回り込もうと運転席のドアを開き、車外へと足を踏み出した。
「キキ――――ッ!! ド――――――ン!!!!」
「界人――――――――――――――――!!!!」
運転席のドアが車からちぎり取られ、破片と一緒に中に浮かんでいる。自分自身はというと、ちぎり取られたドアと同じ高さ、数メートル先に留まっている。右膝から下があり得ない方向に曲がり、左腕は内側にねじれ、腹部は背骨と接するほどに凹んでいる。痛みは全く感じない。しかし、いつになっても、背中が路面に接することはなかった。
「よし! ここでいんだよな!!」
界人は車に跳ねられ空中に留まっている自分自身と交換を使った。
「まだ恩を返しきれてないのに……」
「素直に、ありがとうって伝えたかった……」
「ごめんなさいの一言がどうしても言えなくて……」
「娘の成長をもっと見守りたかったな……」
「親孝行ができなかった……」
「ああ、死にたくないな……」
「まだ、死ねない……」
「もっと、生きたい……」
「生きたい――生きたい――生きたい……」
「生きたい――生きたい――生きたい――生きたい――生きたい……」
その瞬間、界人が取り込んでいた飛行機の乗客半数211名の魂が拡散した。無数の現世への後悔の念と共に。その211個の小さな白い玉は、ほんのりと銀色の光を放ちながらゆっくりと天へと昇っていく。
「お父さん、成功したみたいですね。乗客の半数の魂の座標をずらしてオーバーシュートを回避するなんて、信人君も悪魔的な思考回路してますよね」
どうやら、すみれとはまだ、意識と意識のやり取りで会話ができるようである。
「乗員乗客422名の走馬灯が同時に発動すれば、改変に次ぐ、改変。そりゃ――飛行機事故くらいなかったことになっちゃいますよね――」
「すみれ? お前、何を!?」
「これで、上空のお父さんの方は無事にロンドンの本社に向かえるわけですね」
「上空の私の方は?」
「信人君は、大きな勘違いをしている。飛行機事故がなかったことになれば、神の啓示という名のモールス信号『ヒコウキノルナ』も受け取らないから交通事故も起こらない。とか考えてるんじゃないかな――」
「そりゃ――そうじゃないのか!?」
「お父さん、甘いな――、世界はそんなに都合よくは回ってないんですよ」
「お父さんが飛行機事故に巻き込まれて意識を失い、走馬灯の中から神の啓示を発信した瞬間に、もうこの世界は存在が確定してしまっているんです」
「いわゆる、並行世界ってやつか!?」
「そうです。つまり、信人君の作戦は成功したとはいえ、お父さんが飛行機事故には遭わずにロンドンに辿り着けたという並行世界をまた一つ作り出してしまっただけってことですよ。それは、それで、私にとっては必要なことなんですけど……」
「必要なこと?」
界人の問いかけを無視して話を続けるすみれ。
「結局、この世界ではお父さんは車に跳ねられ、また走馬灯の中で信人君に助けを求める」
「そして、今から1時間半前の信人の意識の中に取り込まれ、私の意識はまた保護されるってことか?」
「そうです。そう言うことです。さすがに、理解が早いですね」
「すみれ、そういえば、何か大切な話があるとか何とか言ってなかったか?」
「それは――、あの――、その――」
一瞬まごつき、急にかしこまる、すみれ。
「お父さん! 李依さんを私に下さい!!」
「はい、はい、そういうのはいいから、早く本題に入ってくれ」
冗談を完全にスルーされるという辱めを受けたすみれだったが、そんなことは全く意に介さず、彼女はこう語った。
「信人君と話してたじゃないですか? 車に跳ねられた後のお父さんの身体はどこへ行ったんだって」
「すみれ、お前、まさか!?」
「やっぱり察しが早いですね。そうです。私の転移能力で保護させて頂きました」
界人の身体は路面に接するすんでのところでその場から消え去り、車からちぎり取られた運転席のドアとその破片だけが、轟音と共に路面に叩き付けられた。
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