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5話 走馬灯
ブレックファースト
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「ブレックファーストの後のコーヒーは格別よね。しかもそれが空の上でっていうんだから最高よね、界人」
遥は高度1万メートルの空の旅を満喫していた。
「そうですね。でも主任それお代わり何杯目ですか?」
「いいじゃない、お代わり自由なんだから」
ロンドンに到着してからのスケジュールは過密を極めていた。私も束の間の休息を楽しんでいた。
「それより界人、いつまでシートベルトしてるのよ、あなたもしかして怖いの?」
その時、遥のコーヒーカップがソーサーの上でカタカタと揺れた。そこから先は一瞬の出来事だった。けたたましい爆発音。それとほぼ同時に猛烈な爆風が機内を襲った。シートベルトが辛うじて私と座席を繋ぎ止めていたが、機体と座席がいつ分離してもおかしくない状況である。隣に座っていたはずの遥は気付けば数メートル先まで吹き飛ばされ、すでに気を失っているようだ。そして私も覚悟を決めた。
人は死を悟ったとき走馬灯を見るという。あの時こうしていれば、どうしてあんなことを言ってしまったのだろうと人生の後悔を回想する。28年という短い人生。とても恵まれた幸せな人生だった。私に後悔などあるのだろうか。そんなことを考える余裕があるほどにひどく冷静だった。そして私の走馬灯が唐突に始まった。断片的なフィルムが脳裏に流れ込むようなものを想像していたが、実際には全く異なっていた。それは、この世に生を受けた瞬間から、スタートした。録画された映像を再生し俯瞰的に鑑賞するといった表現とはあまりにもかけ離れていた。驚くほど主観的であり、まるで、人生を初めからやり直していると錯覚するほどのクオリティだった。ダイジェスト版でもない。倍速再生でもない。忠実に等倍である。いや、正確には、そう感じただけなのだろう。おそらく、死を前にして時間感覚が正常に働いていない。すでに、時間という概念の外側にいるのかもしれない。気の遠くなるような時間が流れ、幾度となくこれが走馬灯であることを忘れかけた。しかし、すべてが予定調和。すべての事象が自分の推測の道筋を外れない。こうなって欲しいという願いを受け入れる余地など全くない。事象の書き換え、上書きが不可能なのである。その虚しさを突き付けられる度に、これが走馬灯であるという現実に引き戻されるのだった。
「李依、ごめん。明日の水族館なんだけど、行けなくなった」
それは突然のことだった。李依にとっても、私にとっても。
「えっ! なんで? 約束したじゃん!」
「急な出張でロンドンに行くことになってさ」
「やだ! やだ! 行かないで!」
小学校4年生にしては、かなり幼稚に駄々をこねる李依。
「仕方ないだろ、お仕事なんだから」
「え――、でも……」
「水族館はまた今度だな」
今度と言われてすぐに今度がやってきた試しがない。
「今度って、いつ?」
「今度は今度だよ」
「お父さんの嘘つき! もう知らない!」
頬をパンパンに膨らませる李依。そして、心にもない思いが脳裏をよぎり、考えるよりも先につい口にしてしまった。
「お父さんなんて死んじゃえばいいのに……」
そうだった。とても恵まれた幸せな人生。私には後悔など一つもない。しかしあの娘は一生後悔する。「私がお父さんを殺したんだ……」と。
まだ、死ねない。私はこの思いをどうにかこの時の自分に知らせようと試みる。しかし、それは叶わない。いくら願っても、伝わらない。無情にも虚しく忠実に等倍再生が淡々と続くだけだった。もがいても、もがいても。そして、次の瞬間、私は覚醒した。そう、悪夢にうなされて現実に引き戻されるように。
目を開くと、そこには異様な光景が広がっていた。まるで、時間が止まっているようだった。カップからこぼれ落ちたコーヒーの雫が空中に留まっている。実際にはスローモーションなのだろう。だが、余りにも超低速のため、時が止まって見えるのだ。先程までの違和感、時間感覚の異常はこの現象に由来するものだと理解した。そして一つの興味が湧き上がり、私は徐に目を閉じた。すると、また、等倍再生が始まったのだ。さっき一時停止された、その続きからである。
「そうか、書き換えられるかもしれない!」
遥は高度1万メートルの空の旅を満喫していた。
「そうですね。でも主任それお代わり何杯目ですか?」
「いいじゃない、お代わり自由なんだから」
ロンドンに到着してからのスケジュールは過密を極めていた。私も束の間の休息を楽しんでいた。
「それより界人、いつまでシートベルトしてるのよ、あなたもしかして怖いの?」
その時、遥のコーヒーカップがソーサーの上でカタカタと揺れた。そこから先は一瞬の出来事だった。けたたましい爆発音。それとほぼ同時に猛烈な爆風が機内を襲った。シートベルトが辛うじて私と座席を繋ぎ止めていたが、機体と座席がいつ分離してもおかしくない状況である。隣に座っていたはずの遥は気付けば数メートル先まで吹き飛ばされ、すでに気を失っているようだ。そして私も覚悟を決めた。
人は死を悟ったとき走馬灯を見るという。あの時こうしていれば、どうしてあんなことを言ってしまったのだろうと人生の後悔を回想する。28年という短い人生。とても恵まれた幸せな人生だった。私に後悔などあるのだろうか。そんなことを考える余裕があるほどにひどく冷静だった。そして私の走馬灯が唐突に始まった。断片的なフィルムが脳裏に流れ込むようなものを想像していたが、実際には全く異なっていた。それは、この世に生を受けた瞬間から、スタートした。録画された映像を再生し俯瞰的に鑑賞するといった表現とはあまりにもかけ離れていた。驚くほど主観的であり、まるで、人生を初めからやり直していると錯覚するほどのクオリティだった。ダイジェスト版でもない。倍速再生でもない。忠実に等倍である。いや、正確には、そう感じただけなのだろう。おそらく、死を前にして時間感覚が正常に働いていない。すでに、時間という概念の外側にいるのかもしれない。気の遠くなるような時間が流れ、幾度となくこれが走馬灯であることを忘れかけた。しかし、すべてが予定調和。すべての事象が自分の推測の道筋を外れない。こうなって欲しいという願いを受け入れる余地など全くない。事象の書き換え、上書きが不可能なのである。その虚しさを突き付けられる度に、これが走馬灯であるという現実に引き戻されるのだった。
「李依、ごめん。明日の水族館なんだけど、行けなくなった」
それは突然のことだった。李依にとっても、私にとっても。
「えっ! なんで? 約束したじゃん!」
「急な出張でロンドンに行くことになってさ」
「やだ! やだ! 行かないで!」
小学校4年生にしては、かなり幼稚に駄々をこねる李依。
「仕方ないだろ、お仕事なんだから」
「え――、でも……」
「水族館はまた今度だな」
今度と言われてすぐに今度がやってきた試しがない。
「今度って、いつ?」
「今度は今度だよ」
「お父さんの嘘つき! もう知らない!」
頬をパンパンに膨らませる李依。そして、心にもない思いが脳裏をよぎり、考えるよりも先につい口にしてしまった。
「お父さんなんて死んじゃえばいいのに……」
そうだった。とても恵まれた幸せな人生。私には後悔など一つもない。しかしあの娘は一生後悔する。「私がお父さんを殺したんだ……」と。
まだ、死ねない。私はこの思いをどうにかこの時の自分に知らせようと試みる。しかし、それは叶わない。いくら願っても、伝わらない。無情にも虚しく忠実に等倍再生が淡々と続くだけだった。もがいても、もがいても。そして、次の瞬間、私は覚醒した。そう、悪夢にうなされて現実に引き戻されるように。
目を開くと、そこには異様な光景が広がっていた。まるで、時間が止まっているようだった。カップからこぼれ落ちたコーヒーの雫が空中に留まっている。実際にはスローモーションなのだろう。だが、余りにも超低速のため、時が止まって見えるのだ。先程までの違和感、時間感覚の異常はこの現象に由来するものだと理解した。そして一つの興味が湧き上がり、私は徐に目を閉じた。すると、また、等倍再生が始まったのだ。さっき一時停止された、その続きからである。
「そうか、書き換えられるかもしれない!」
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