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78 飛行馬車

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 強い喜びと少しの畏怖に興奮を駆り立てられ、それからはとにかく組み敷くことに必死になった。なぜかそれがすんなりいかない。試験が終わったはずの彼は、今日に限って謎の抵抗を見せている。

 俺が犯されるんじゃないかという、期待なんだか不安なんだかよくわからない感情に襲われて、抱く側を争っているような格好になってしまった。

 それが妙に面白く、勝手に口角が上がり何度も腹から喜色が込み上げてきていたが、油断をするとやられてしまう。それはとにかく阻止したい。彼もそれは同じらしく、目は真剣だが口元は笑っている。

 不意に強く口づけられ、熱いものがドッと流れてきた。最初は何がなんだかわからなかったが、これが魔力の温度らしい。さっき煽られたことを思い出し、俺の持つ力で抵抗してみた。

 高速で飛ぶ箒星。その速さを殺す無色の炎。画にするならそういう風だ。なにか高名な、伝記の中の魔術師同士が矢も介さずに、力まかせに攻撃魔術を撃ち合えばきっとこうなるだろう。

 多分、互いに酒じゃないなにかが体内を暴れ回っている。飛んでくるものを躱し損ねて着地したそれは自分の脳を焼き焦がし、心を燃やし、火傷したとき冷たい水を欲するような渇望と焦燥を呼び覚ます。

 乗られた方が負けである。何も取り決めなどはしてないが、そういう約束事になっていた。火力のある者同士の危険な遊びである。場数を踏み自信をつけた俺と、経歴の長いクラースさんとの本気の遊び。

「あは、ジルくん、頑張ってるけど、汗だくじゃん。出したら、負けだよ、オレのほうがっ……歳だから、絶対有利……!」
「その分、体力ないじゃ、ないですかっ……! 俺のほうが絶対保つし……!」

「あっ、はっ……! ず、ずるい、そこだめ、だめって……くっそ……!!」
「めっちゃ気持ちイイでしょ、ここ、突くといっつも、力抜けてくし……! ほらな、ヘロヘロになんだよあんた、知らねーのかよ……!」

「知らねえよ……! あ、あ、気持ちいい……! くそ……!!」

 俺に乗ることに成功し、孔で扱き続けていた彼の腕の力が弱まった。すかさずそのままひっくり返し、脚を持ち上げ弱点をここぞとばかりに攻めてゆく。

 そのうちすぐに、声を上ずらせながら何かしらを訴えていた彼が大きく喘いだ。腰を跳ねさせながら熱で温められた体液を腹に飛ばしている。

 勝った、と思った瞬間意識も一緒になって飛びかけたがなんとか耐えた。これはある意味生命を削る性交だ。眠れば治る程度のことではあるのだが。

「クラースさ……ごめ……、俺もう限界。ちょい…………、やりすぎた」
「はあ、オレだって、二回も三回もできないよ……、はあ、もう疲れた。やり切った」

「ていうか、このラグ洗濯しとかないと。家の中に干せるかな……」
「あー、それはオレがどうにか……、いや今日は無理。適当に拭けばいいや。ジルくんよろしく」

 両手両足を床に投げ出した格好で、ぐしゃぐしゃになった髪から潤んだ瞳が微かに覗いている。まだ息が上がる口元を軽く歪ませて、ニヤリと笑った彼をもう一度抱きたくなったが叱られるのでやめにした。

 ……実家にある本、整理しようかな。でもすでに全部読まれた後だったら……意味ないかなあ。



 ──────



「ねえクラースさん、それ入りませんって。着くまでに食べきれるんですか」
「えっ? 余裕余裕。オレを誰だと思ってんの。クラースさんだよ?」

「荷物の半分おやつじゃないスか。でも食っちゃうんだからある意味小荷物ではあるな」
「そうそう。収納上手でしょ? 隙間ができたらお土産を詰めればいいだけの話だよ」

 そろそろ旅支度をしよう、ということになり各自で鞄に詰め込み、リビングに集合している。そんな小さい鞄でいいのと問われたので中を開けて見せると、服の畳み方がめちゃくちゃだろうと直された。情けない俺はそれを黙って見守ることしかできなかった。

 クラースさんの方はといえば、きっちりかっちり整えられた半分の荷物の横におやつがぎっしり詰められている。わざわざ袋に小分けして。それがなんだか微笑ましく、つい食べきれるのかと、すでにわかりきっていることを突っ込んだ。

「まずは馬車に乗って、それからお父さんとお母さんを拾って、飛行馬車の発車場に行く。リーセロットさんはほんとにひとりで大丈夫?」
「大丈夫だって言ってた。しかも俺らが乗るやつより車体がいいやつ乗るらしい」

「あー、等級いい馬車のことね。車輪がしっかりしてるやつ」
「で、発車場で集合して向こうに渡ると、現地の案内人さんが待ってるからその人にお任せする感じです」

「へー、ちゃんと案内人さんが居るんだね。どんな人かなー。どっちの言葉も話せる人って凄いよねー」
「着くまでは会えませんけど、確かに凄い人ですよね。めっちゃ有能そう」

 結果的には有能な人ではあったのだ。隣国といえど、海で断絶された国の言葉を習得するのは凄いことだ。それは認めている。

 しかしまあ、彼は特殊な人でもあった。距離感が独特というか、何というか。それはそれで思い出深い一コマにはなったのだが。

 荷物を用意し、ばあちゃんと母さんに再度連絡を取り数日後、いざ隣国トルマリーへ。それは驚きの連続だった。主にマナー面で。今までの常識が覆される日々になった。



 ──────



「本日はご依頼いただき誠にありがとうございます。お足元にお気をつけてご乗車ください。なお、天候により車体が揺れる場合がございますが、極力慌てず、席を立たずにそのままお掛けくださいますようお願申しあげます」

 これが普通かどうかはわからないが、厩が見える開けた場所のど真ん中に飛行馬車がある。聞いていたとおり飛馬が二頭と、その後ろには馬が曳くより大きな車体がドンと控えている。

 機関車の車両を短く切ったような白い車体。夜道ならぬ夜空でなるべく視認できるよう配慮された色らしい。あと、オシャレだから。……オシャレ。そこは貴族ばかりを載せる都合上、おざなりにできないところなんだろう。

 ところどころ金の縁飾りが施されたその瀟洒しょうしゃな車体には、一列に繋がれた飛馬と呼ばれる馬より大きい魔獣たちが繋がれている。その嘴はわざと揃えられたような金色で、動くたびに日の光をピカリと反射し地を照らす。

 その瞳は馬そのもののような大きな黒目で、頭頂には赤い飾りと言える立派な鶏冠が生えている。前の一頭は全身がほぼ真っ白で、腹は細かな羽毛にふんわり包まれている。今は羽根を畳んでいるが、長い尾羽根は時折風に吹かれて優雅にそよいでいた。

 後ろの一頭も胴体は同じように白いのだが、車輪に合わせたような漆黒の羽根を持っている。まだらに混じった白と黒の艶のあるその羽根は、計算されたような模様が洒落た絵のようになっている。

 合わせたわけではないだろうが、丁寧な挨拶をしてくれた御者の彼も純粋な黒髪だ。日の光が当たれど何の色も浮かばない。この国では銀髪か、黒髪の子が産まれると末は大魔術師かと期待されるのがお決まりだ。

 彼もその期待にそぐわず飛行魔術師としてそこに立っている。これを動かすことが出来る人材は魔術師の他に存在しない。空は危険だ。落ちれば死ぬし、雷に打たれても死ぬ。人間が通る場所じゃない。その不可能を可能にする存在は魔術師以外にあり得ない。

「うわあ。中が広い。思ったより大きいし、窓も大きいね。外がよく見えそう。けど荷物をもし増やしちゃったらさあ、飛べなくなったりするのかなあ」
「色々教えてくれたキャラックさんが、魔獣二頭と魔術師一人で計三体の魔力があるから、落ちようがないって言ってました。今回仕事で出張が入っちゃって、出席できないのを凄く残念がってましたね」

「キャラックさん良い人だよね。輸入ものを探すときは彼を頼ろうかな。その人柄の良さで生業を支えてるとこありそう」
「めっちゃ喜ぶと思いますよ。輸入に手を伸ばすとこが増えてきて、商売敵が増えて困るってこないだ愚痴ってましたんで」

 いつもより増して上機嫌なクラースさんは見つけたものを指差して、微笑みながら俺に逐一報告してくれる。それはなんとも嬉しいことだった。贅沢は敵だが、してよかったと心底思った。

 座席は全て前方に向いている。後ろの扉から乗った両親とばあちゃんは、うちの息子がお世話に、いえいえこちらこそ、との挨拶合戦もそこそこに、主に俺の噂話を楽しんでいる。

『あの子は気が小さいところがあって』『それは全く否定できないね』という聞き捨てならない話題であるが、俺はもう大人なのだ。水を差さずに黙る姿勢はすでに身についている。ちょっとイラッとするが。



「まもなく出立です。離陸時と着陸時はしばらく安定するまで揺れますので、お席を離れることのないようご注意ください。デアテリア、空路直線。爆ぜよ集えよ推し進め、我示す第一座標へ加算50ウルヒカイト、経常して推進せよ」

 どう命令しているのか、飛馬二頭が羽根を広げた。何やらミュウミュウと鳴いているのに対し『いいよ』と御者が応えている。

 先頭の飛馬が首を下げ、両の翼を上にグッともたげた。それを真似るように後方の飛馬も翼を上げたその瞬間、全ての窓の下辺から白い煙が現れ、車体全体が光る煙に包まれた。

 そしてゆっくり垂直方向に馬車がふわりと持ち上げられたのだが、それは内臓が僅かに身体の中から浮いたような感覚を呼び、何か本能的な怖さがじわりと込み上げてきた。寒気のようなものが全身を巡って心臓に到達するのを何度も何度も繰り返す。

「……クラースさん、俺、これダメかも……、二時間耐えられるかなあ……」
「気持ち悪いのは最初だけだよ。すぐ慣れる。ただ止まって地上についたときは足元がふらつくだろうから、オレに掴まっときなよ。なんなら抱っこしてあげよっか?」


 クラースさんは地上にいるときと何の変わりもない様子で微笑んで、俺の手を握ってくれた。……悔しい。でも正直怖い。そこはごまかせない。着くまでずっと手を繋いだままでいてほしい。

 かつて上空を高速送迎してもらったことを思い出し、また脚が使いものにならなくなるであろうことを予想した。でもそれは避けたい。どうにかこうにか頑張らねば。今は二人きりじゃないんだし。

 後方からは、きゃあきゃあワアワアとはしゃぐ声が聞こえてくる。何でみんな余裕なんだよ。俺だけかよ。怖くないのかよ。


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