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54 勘のいい農園主

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 なぜだ。いつ勘づいた。

 呪術を使った影響である身体のだるさに構わずに農園主の書斎を訪ねると、彼は手袋をしたままの状態で俺を出迎えた。

 そして、最後ですから、とそれっぽい理由を付けて素手での握手を求める俺の要求を、農園主は一切呑もうとしなかった。取ってつけたような笑顔の俺が前へ一歩踏み込んでみると、これまた形骸化した笑顔を浮かべた彼が後ろへ一歩下がってゆく。

 二歩踏み込むと二歩下がる。三歩踏み込むと三歩下がる。これを何度か繰り返したあとに睨み合いになったのだが、彼は手を震わせながらもなんとか声を絞り出して言った。

「……嫌ですよ、あなた私の心をどうにかしようとしてるでしょう。絶対に触れませんからね、この結婚証明書にサインしていただくまでは!!」
「てめえ、いつの間にそんなもん……! 俺はしねーっつってんだろが!! あんたほんとしつけーな!!」

「はー!? いいんですかあなた、このままだと雇用主への暴言暴力があったとみなされ契約は白紙になりますよ!? 金貨二千枚がパーですよ!! 本当にいいんですかー!?」
「てめ、上等だ!! 逆に訴えてやるからな!! 俺の仕事はここの従業員みんな見てんだよ、証拠がある!! やれるもんならやってみやがれコノヤロー!!」

「残念でしたー、第三者がいないってことでもありますねえ!? あなただけが外部の人です、我が農園は一枚岩!! やれるもんならやってみなさい!!」
「おめーは自分とこの従業員を何だと思ってんだよ!! そんなアホなことに巻き込む主についてく奴いねーから!! 逆に婚姻の強要でさらに訴えてやんよクソジジイ!!」

 まさに泥仕合である。男と男の戦いというものは、最終的には暴力沙汰だ。この中老男とも今現在は掴み合いになっている。年齢差があることから簡単に倒せると踏んでいたが、想像以上に腕力がある。体幹も強い。足を払おうとしてもなかなか横倒しになってくれない。

 お貴族様は椅子を温めるのが仕事だと思い込んでいたが、例外もあるのだろう。きっと適度に外仕事をしていると推察される。もっと本気を出さないと、と思ったそのとき、興奮のために忘れていた僅かな眠気に襲われた。

 まずい、俺には余力がない。あとで眠りこけてもいいから早く決着をつけないと。俺は嫌だったが、本当に嫌だったが、断腸の思いで決断した。

「はあっ、わかりました……! サインしましょう、はあっ、いま、今すぐ……!」
「はあっ、ほ、本当ですね!? はあっ、二言はないですね!? はあっ、私の妻に、はあっ、なってくれるんですね!?」

「はあっ、いいでしょう。はあっ、仕方ないです、はあっ………………キスしてください」
「…………!! ジルヴェスターさん!!」

 さっきまでの警戒心を消失させたらしい農園主に思いっきり抱きしめられ、さらに壁の方へと押し付けられた。肌の露出をわざと最小限にした服を着込み、それだけでも暑いだろうに手袋までして俺と散々格闘した農園主の腕の中は、眉間にシワが寄るほどに熱気がこもり暑かった。

 あちーよオッサン。早くしてくれ。したくはないけどさっさとしろ。そんなジロジロ眺め回さなくていいから。視覚で味わい尽くすんじゃねえ。

 いくら好きだ好きだと言われても、嫌なものは嫌なのだ。さり気なく雰囲気に沿った形で奴の頬にでも手を添えてやろうと考えたが、頭の先までどっぷり夢に浸ったような様子でも勘は働いているらしく、俺の目を見つめながらも両手首を掴んできて、壁に留められてしまった。

 主に手籠めにされる使用人みてえだな、と他人事のように考えて現実逃避しながらじっと待っていた。奴は全身で喜びながらもまだ疑ってはいるようで、視線で俺を焼き尽くしながら乱した息を整えていた。

 暑い。眠い。早くしろ。イラッとした俺は奴の首筋に口づけてやった。こっからイケる、と思ったのだが突然顎をがっつり掴まれ、口に直接行かれてしまった。駄目だったか。こんちくしょう。

 行け、飛べ。星屑ども。こいつの目を醒まさせろ。引き返せ。引き戻せ。間違った線を削除せよ。お前の道はそっちじゃない。

 ……あ? なんだ? なんか熱いのが飛んでくる。舌入れんなよこの野郎、あ、なんだろ、この熱いやつのせいでなかなか進まねえ。飛んでいかない。片っ端から邪魔される。おかしいな。なんだこれ。

 え、酒か? 身体ん中が焼かれる感じがすんだけど。いや違う、似てるけど違う。クッソ、服に手ぇ突っ込むなよゾワッとする、集中が切れる。まずいなこれ、足、踏ん張れなくなってきた。

 もういい。ここで気絶してもいい。あんたもしばらく心が留守になるかもしんない。ごめんなオッサン、悪気はねえから。多少やり過ぎても別にいいよな。こんなの事故みたいなもんだろ。

 一斉にかかれ。全弾射撃。押し流せ。俺の言うことを聞け。無駄な抵抗すんじゃねえ。邪魔すんなっつってんだろバカヤロー!!



 俺は多分、操作が全然なっていない。まだ下手だと思う。無意識で事故を起こしている。理想的なのは意識の領域を大きく広げ、無意識の領域を狭くする。そうすれば冷えた流星を上手く使うことができるのだろう。知らんけど。

 想像ができていなければ軌道は逸れる。迷ってしまえば使った力は無駄になる。肩に力が入れば飛ばしすぎる。そしてその分反動が来てしまう。ちゃんとやってるつもりなんだけど。

 経験が浅いからだと言われてしまえば、その通りだと認めるしかない。でもこういうときに冷静になれなんて、普通に無理だと思うわ俺。



「…………あの、エッカルトさん」
「…………私、なんであなたとこうなっているんでしょうか…………」

「少々乱心されていたようです。俺がどうにかしましたからご安心を。害虫駆除のために俺を呼んだのは覚えてますか?……あの、ちょっと」
「ええ、それは覚えています。すみません、散々あなたに無茶な要求をしましたね。しかもうちの息子まで一緒になって。重ね重ねすみません。でもどうしてそうしたくなったのかが、自分でもわからなくて……」

「呪力にあてられただけですから。……エッカルトさん、そろそろ離してもらえませんか。暑いです」
「…………はい、すみません」

 農園主はさも名残惜しそうに俺から離れた。……おかしいな、俺いま結構眠いんだけど。

 無駄に出した呪力の分、多く含まれていたという催淫作用。そのせいで先に引かれてしまったのであろう想像線。その先に置かれてしまった、間違った着地点。すなわち俺への恋愛感情。

 そもそも催淫作用を感知したときの感情から全消ししたはずなんだが。恋だの愛だのなんてものは、跡形もなく消えているはず。

「まだ俺が好きだ、とか言いませんよね。その依頼は承れませんよ」
「いや、もう私は結婚なんかしませんよ。誰ともね。それは変わらないんですが……ほら、あなた美男子だから」

「は?」
「ご存知ない? その持ち主ですのに」

「…………はあ」
「ふふ、すみません。品のないことをいたしました。なんだかお疲れのご様子ですね。お帰りの際はまた長距離移動になるでしょうし、今日はゆっくりなさってください。こちらが入金証明です。多少色をつけておきました。どうぞご確認ください」

「あ、はい。ありがとうございます……」
「あなたに出会えて本当に良かった。是非またお会いしましょう。近いうちにね」

 ついさっきまでは結婚証明書を高くかざし、それをバシバシ叩きながら騒いでいた農園主は別人のように落ち着いて、室外に控えていた従者に引き続き俺の世話についての指示をテキパキ出していた。

 疲れた。葡萄畑の仕事よりも酷く疲れたような気がする。俺は湯を使い、お茶をいただき、ベッドにばったり倒れこんだ。冷風魔道具がよく効いた部屋は泣きそうなくらい快適で、そのままぐっすり眠ってしまった。

 その長い昼寝で夢を見た。画は呪術などを知る前に見たときのような不鮮明さで、ああこれは夢だなと起きてから気がついたのだが、見ている最中は最悪の気分だった。

 盛大にめかし込んだ農園主の隣に俺が配置され、不機嫌を丸出しにした息子に祝われている夢である。これを悪夢と言わずなんと言おう。俺、頑張ったのに。最後がこれかよ。


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