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48 一緒に暮らしたい

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 おかしい。いつもならもうこの時間には家に帰ってるはずなのに。何かあったのかという心配と、全力で頼ろうと思っていた人に会えなかった落胆が入り混じり、不安となって胸へと一気に押し寄せた。

 焦って玄関先へ引き返したら、薄いテーブルの上に置いてあるメモに何か走り書きが残されていた。これはクラースさんの字だ。

 ──小火が出た、仕事してきます。

「小火が出たからその片付けのために緊急招集されました、行ってきます、ってことか」

 おそらくキッチンかどこかで火を出してしまい、気づかれないよう消火をしたがいつもの営業に響きそうだ。そうだうちには専属の魔術師様がいるじゃないか。彼にパパッと片してもらおう。

 どうせこんなところだろう。いつも通りに見えたのだが、そんなことになっていたとは。いくら賃上げしたからって、クラースさんが優しいからって、休みの日に呼び出すんじゃない。彼を定額使い放題するんじゃない。



 髪を拭きながらバスルームから出て行くと、ぐったり疲れた様子のクラースさんと廊下でたまたま鉢合わせた。おかえりなさい、と声をかけたが、あまり目を合わせることなく『ただいま……』と返事をされた。

 本当に大丈夫なのかと心配になり、明日の魔力提供の仕事は休んだほうが、と彼を追って行ったが『大丈夫、その予定はない……』という返事だけが返ってきて、扉はそのまま閉められた。

 益々心配になってくる。癒しの魔術は使えないが、癒しの呪術なら使えるかも。安易にそう思いついたが、ただの思いつきであることと、クラースさんに一人になりたいと言われている気がしてならず、それ以上は声をかけられなかった。

 まさかここにきて、嫌われたんじゃないだろうな。出て行くときには顔を合わせたけど、全くもっていつも通り…………



 …………しまった。食事が終わったら、店に顔を出すよう言われていたのだ。完全にあのイゴルさんのことに気を取られ、その約束がすっぽり頭から抜けていた。

 絶対、絶対からかわれる。特にメルヤに。何かあったんだろと、またお下品言葉の大博覧会開催だ。最悪だ。しかし耐えるしかない。約束を違えたのは俺なのだ。非を認めて大人しく話のネタ役を務めよう。



 ──────



 俺は休日、早起きできた試しがない。いつもクラースさんが先に起き、ついでだからと何か支度してくれるのをありがたく頂戴している。

 彼が暮らしの中にいなかったときは、食堂の朝食に間に合うこともまちまちで、さらに実家にいたときは母親に『起きてこないあんたが悪い。果物でも齧っときな』と言われてその通りにしていた体たらくである。

 しかし、今朝は何もなかった。お前がやれという正論はひとまず置いといて、今までこんなことは一度もなかった。それが非常に気にかかった。

「おはようございます。……もう何か食べました?」
「ああ、おはよう。特になにも。あんまり食欲なくってさ」

「えっ!? どうしました、熱でもあるんじゃないですか!?」
「大丈夫だよ、昨日の仕事で疲れてるだけだから。そのうち元気出すからさ、今日は外で済ましておいで」

 おかしい。明らかに只事じゃない。仕事で疲れる、それすなわち魔力の使い過ぎということだ。もしそうなら腹が減るはず。しかも強烈に。元が付いても魔術師だ。

 額に当てた俺の手を、困ったように笑いながらも優しく払おうとした彼の仕草にちょっと悲しくはなりつつも、治療院に行きましょう、俺がついていきます、馬車を呼びましょう、と提案したが、彼は頑なに遠慮し続けた。

「ありがとね、大丈夫。気にかかってることがあるだけで」
「それは何ですか。クラースさんをそこまで落ち込ませることでしょう。昨日うちの宿屋に行ったんですよね、まさかあいつですか。前に壁に押し付けてきた図体のでかいフロント係。俺がいないときを狙って性懲りもなくまた迫ってきたとか。それとも違う奴が現れて──」

「あ、すごい。さすが呪術師さん。ちょっとだけ合ってるよ。そのフロント係の人に聞いたことなんだけど……ふふ、ねえちょっと。顔が怖いよー」

 俺が今、前科十犯の殺人犯の顔になっていることくらいわかっている。明らかに元気のなかったクラースさんの表情に、ちょっと面白そう、という色が混じり、それを見て少し心が緩んだ。

 熱を確認しようとして、不躾に近づいた俺の眉間を指先でぐにぐにと揉みながら、クラースさんは話の続きを語ってくれた。



 あなたの『同居人』である彼が、知らない男と食事処で待ち合わせをしていたようだ。これは友達の給仕係から聞いた話だ、間違いない。彼の話によると、何やら笑いながら良い雰囲気の中で食事をし、デザートを出す頃には手と手を取り合い、愛を語らっていたようだ。

『愛しています』とか、『一緒になって』とかいう単語が漏れ聞こえてきた。お前、やっと機会が巡ってきたな。意中の人の失恋というのはチャンスだぞ。心を込めて慰めてこい。一旦拒絶されてもな、相手の様子を観察しながら何度か挑戦するんだぞ、と言われたと。

「……アホですかそいつ。友達が立てた作戦のことまでその場で安易にベラベラと」
「ふっ……! そ、そうだね、それ本人に言っちゃダメなやつじゃん……! 台無し……!」

「ちなみに俺が食事してたのはお客さんです。呪術の依頼をしてきた人。俺、なんか失敗したみたいで。迫ってきたんで逃げてきました」
「迫ってきた? お客さんが? なんで??」

「俺が一番知りたいですよ。だから今日、またあの人が店に来たりする前に、ばあちゃんに相談するつもりでした。でもクラースさん、具合悪そうだし」
「いや、具合は悪くないよ。ていうかお腹空いてきた。食べなきゃそのうち倒れるレベル」

 駄目じゃないですか何か食べましょう、と早口で捲し立て、さらに早足でキッチンへと向かった。とにかく熱量になるものを何か摂らせなければ。彼が倒れてしまう。

 うーん、じゃあパンケーキを死ぬほど焼くか、クリームはあるから絞って、いやボウルごと出すか、焼いてる間に果物を出しといて、と思考を大きく口に出している俺をのんびり眺めながら、クラースさんはいつも通りに優しく微笑んでいた。そんな気がした。



「ジルくんがさあ。うちを出て行っちゃう時が近いんじゃないかな、って落ち込んだんだー。でも杞憂だった」

 ドキッとした。彼は俺に出ていってほしくないと本気で思っている。それが確定した。俺からの実験と称した性的嫌がらせに耐えたお陰で賃金を上げられた。後は彼のお情けにすがってたまの接触の許可を得ている。

 しかし勢いや、目的がないとそれはとてもやりにくいとも思っていた。味を占めたと思われたくない。遊び慣れている、なんてのも嫌だ。別に慣れているつもりもない。

 あと一歩、二歩まで着けている。そう思った途端、なんだか俺も元気が出てきた。でも調子に乗るなよジルヴェスター。あの黒い本にもあったただろ。債務者はいつもあとちょっとだけ、と調子に乗るからウィジマノフに詰められるハメになってただろ。

 そう、調子に乗ったつもりはなかった。しかし勝手知ったるばあちゃんの家へは突然行っても構わないだろう、いなかったら引き返せば良いと俺は軽く考えていた。そんな思考になるのはやはり、調子に乗っていたからだろう。

 さっさと準備をすれば良いのにだらだらと過ごしていた午後、通信魔道具のベルが鳴り、俺にまた呪術の依頼が舞い込んだ。

 昨日のイゴルさんとは別の人。閉店まで居なくていいから来てほしいとお願いされ、渋々ではあったが予定を変えて新規のお客さんのために『サロン・黒鳶』へ行くことにした。

 そして悲劇は繰り返された。この初めて会ったはずのお客さんも、妙な挙動を示したのである。この俺に。顔面凶器のこの俺に。


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