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30 錫色の三日月

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「あらあらまあまあ、なーんて初々しいんでしょ。ババア若返っちゃう。十は若くなったかも!」
「そんないやらしい方法しかないのかよ……そんなことさせらんないよ……」
「いやー、オレは別にいいよ。だって人命救助でしょ、気にしない気にしない! あっ、ジルくんは嫌だった? んーでも、他に方法は……」

「もっといやらしい方法もあるけど聞いとくかい? ほら、後学のためにさあ」
「なーばあちゃん、ジルヴェスターさん怒らせないでよ。後で言うけど、俺ちょっとやらかしちゃって先に怒らせてんだよ、頼むよほんとぉ」

「トマス、あんたまたやらかしたの。毎度すぐ突っ走るから前の子ともその前の子とも上手くいかなかったんじゃないか。何度ここに来て懺悔してきたと思ってんだい、いつまで経っても学ばない子だね!」

 正確に感情の揺れを読んできた勘の良いババアに対し、俺がブチ切れていると勘違いしたトマスの野郎が横入りしてきた形になったが、それには正直助けられた。こいつに感謝するハメになるとは、数分前には微塵も思っていなかった。

 ちらりとクラースさんを見ると、にこにこしながらお皿の上に茶菓子を並べて遊んでいた。小さなテーブルの上にポットを乗せ、カップを乗せ、椅子を配置する。見えない人形にドレスを着せ、その下に靴を並べ、鞄を持たせて。何やら鞄の位置にこだわっている。

 かつて子供だったころの記憶と遊び心をくすぐる茶菓子。庶民の子は親を真似、貴人の子は使用人を真似たおままごとをしていた頃の。彼にはそんな子供時代はなかっただろう。女性もだが子供も喜びそうなものに目が行くのは、彼の生育歴に要因があるかもしれない。ふとそう思った。



「トマス、あんたの話は後日聞くよ。手土産にはスウェート牛のバターとミルクを使ったあの四角いケーキを持ってきな。プレーンと、ジェランが入ったやつ二種類だよ。ああ楽しみ!」
「え、あれ高……わかった。持ってくる……」

 遠慮なく孫にたかる祖母、という図式の茶番を眺めながらも、俺はクラースさんを抱きしめたい気持ちでいっぱいになっていた。呪術師になれるなら、この類稀なる能力を存分に活かしたっぷりと稼ぎたい。あれもこれも買い与えたい。彼を二度と飢えさせたくない。二度と骨身を削る思いなんてさせたくない。

 もっと贅沢をさせたい。楽しませたい。安心させたい。外であくせく働かずとも良くしたい。というより外に出したくない。独占したい。俺だけが彼にとって、唯一の存在になりたいのだ。

「じゃあ、その制御不能に陥ったときのことを先に話そう。予想してると思うけど、もしそうなったらあんた死ぬよ。呪術ってのは身を削る。体力を回復させれば問題ないが、大体の奴は制御に何度も失敗したうえ早死にするんだ。だからこれだけ数が少ない」

 死ぬよ、と言われて瞬時に胸が縮まった。生きとし生けるもの全てに共通する死への恐怖を目の前に突きつけられ、俺も例に漏れずそれにはかなり動揺した。聞く側の全員が、僅かに緊張したのが空気を通して肌に伝わる。

「……そうならないためにどうすりゃいい? クラースさんに迷惑はかけられない」
「迷惑ねえ。大丈夫だと思うけどね。あら怖い顔。ま、そうならないためにはね、まず他人に対して過度な期待をしないことだ。自分はやってやったのに、お前はどうしてやってくれない。自分は散々訴えてるのに、どうして言う通りにしない。そんなもんは思い上がりさ。人様には人様の人生があり、そこで培ってきた考えってのがある。それを安易に動かそうなんて百年早い。気に入らないと思うならば、自分が変わるか諦めるかだね」

「……間違った方向に行ってる人を、助けようとしたとしても?」
「そりゃ時と場合によるからね。誰も彼も見捨てろなんて言わないよ。もし明らかに危険なところへ行こうとするのを止めるなら、理不尽だと感じようとも嫌われ覚悟でやるがいい。いつでもこちらへ逃げてこいと声をかけるだけでも構わない。自分が納得いくまでそうやって、結果が伴わなかったとしても仕方ない。他人の人生の決定権は他人にしかないんだよ。それにね、正しいと思っているのは自分だけかもしれないんだ。やはり人それぞれに正義は違う。そこもよく覚えておきな」

 老いた呪術師はポケットを探って紙煙草を取り出し『失礼するよ』と火を点けた。燻した薬草のような香りがふわりと漂い、白い煙が開けた窓へとたどり着く前に消え去った。

「色々細かく言ったけど、呪術師はさ。情熱の持って行きどころを見極められれば上等だ。自分の意思を通すために人を操ったりなんかしてたらあっという間に寿命だよ。腹が立つ、可哀想、という入れ込み過ぎもほどほどに。良くも悪くも他者の人生に干渉する術だからね」

 なんだか背中がヒヤリとした。ついさっき、俺はクラースさんを可哀想だと思っていた。いやその前からだ。でも実際、可哀想な目には遭ってきたのだ。俺だったら耐えられるかはわからない。それは善意の気持ちでしかなかった。決して思い上がりなどではない。

 しかしこのまま可哀想という気持ちを大きく育て続けてしまえば、クラースさんの人生を引っ掻き回す可能性があったのだ。俺の気持ちの暴走で。

 ──暴走。もしそうなったら、対処とやらをさせることになってしまう。



 ……今現在、俺は俺に呆れている。その対処をちらりと期待してしまったからだ。暴走などしてはならない。さっき言われたばかりじゃないか。寿命が減るし、他者の人生に干渉する術だからって。

 そんなことを楽しみだなんて、テンション上げてる場合じゃねえ。もっと真剣に考えろよジルヴェスター。対処キス目当てに命を削ってどうするよ。

 いやそれでもいいか。良くないだろ。でもちょっとくらいなら。いや駄目だから。だって減った体力の分だけ、寿命の分だけクラースさんと居られなくなるんだぞ。ほら駄目だ。望んでないだろそんなこと。

 俺がはしゃぎ散らかす下心に平手打ちをしている最中、静かにしていたクラースさんはお茶を飲みながら考えていたらしい。俺が強い不満や不安、悲しみを抱えていたら自分はそれに気付けるだろうか。きちんと見ていてやらないと、なんてことを真剣に。それを後から聞いたときには良い意味で胸が痛くなった。



「ふふ、可愛い子たちだね。人のことを変えるってのは難しい。でもさ、気持ちに働きかける方法なら多々あるんだよ。人は理屈で動かない。感情で動くもんだから。ジルくんあんた、なにも命を削らなくっても他にやりようあるんだからね」
「えっ? ジルくん、命削ってまで叶えたいことがあるってこと? 何か悩んでた? 嘘でしょ、オレ全然気づかなかった!」
「いえっ、だっ、大丈夫です。まさかそこまではしませんよ!……でも危ないところだった気はする。ありがとばあちゃん、今日はすごい勉強になった」

「こちらこそ楽しかったよ。お茶菓子も美味しかったし。呪術に関する本を貸してやるから帰ってゆっくり読んでみな。わたしでもわかんないことは未だにあるけど、過去の故事や研究には目を通しておいて損はないよ」

 来たときの騒々しさとは打って変わって、別れの挨拶は穏やかだった。また赤いドアを潜ろうとしたところ、俺だけ『ちょっと待ちな』と呼び止められた。



「ジルくん。あんた、あの人を好きになりすぎたら危険じゃないかと思ったろ。注意点を教えてやろう。でもその気にさせるのはあんたの仕事なんだからね」
「その気っ……うん、教えて。今すぐ」

「まずあんたは仕事をしっかりこなしつつ、呪術の知識を頭に入れる。暇になればなるほど執着心は燃え上がる」
「執着心……あるかもしんない」

「上手く操作できないうちにそうなると、彼にとってのあんたは恐ろしい追跡者ストーカーとなってしまう。それで逃げられたら本末転倒。そうだろ?」
「恐ろしい追跡者……うん、それは嫌だ」

「大丈夫。上手く出来れば、逆に彼はあんたから離れられなくなるからさ。その時が楽しみだ。執着されて困る側になるかもね。ふふふ、進捗はまた聞かせておくれよ!」
「……? うん、ありがと、じゃあ……??」

 呪術師リーセロットはそう言って、鋭い錫色の目を三日月形に変えて笑った。そんな日ほんとに来るのかなあ。そう思いながら、日が傾いて影が増えた階段だらけの迷路を歩いた。

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