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30 方向音痴のカルヴィンさん

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「あ、はい、こんにちは。駅ですか? この商店街を真っ直ぐ抜けて、大通りを渡って…ああ、もうご自分で。そこから先がわからないと? 駅は改装中ですからね、今向こうに渡るのがちょっと……え、私ですか?」

 うちの守衛地は外から中がよく見える。

 こうして困った人が訪ねやすいように。他には防犯上の理由がある。中で何か事件が起こり、それが外からわからなかったら。誰かに近隣の守衛地や、本部に知らせてもらえる機会を失ってしまう。

 ここを訪ねようと中を覗いた市民は必ず、サンダーの方に向かっていく。理由はひとつ、容姿がいいから。私が普通に立っていても、市民は外で待っていたりする。緊急性がなく挙動もおかしくなければ、私や先輩方も空気を読んで話しかけなかったりする。

 今はたまたま私が飛馬ちょうばの水替えから帰ったところで、サンダーは来客対応中だったからか、その男は私の方へ一直線に向かってきた。

 駅にも守衛地はあるのだ。各駅には必ずある。そこには誰もいなかったらしい。同時多発で何かあって急行したか。 

 男はカルヴィンと名乗り、なぜか名前を聞き返されたので私も名乗った。それで私に駅の向こうまでついてきて欲しいと彼は言った。



「お恥ずかしながら地図を読んだり、道を覚えたりするのが苦手でしてね。方向音痴なんです。お忙しいのにすみませんが、一緒に来てもらえませんか」
「あ、はい、いいですよ。じゃあ一緒に…」

 近っ。近い近い。肩がぶつかりそうじゃないか。私がさり気なく離れても、気がついたら近くにいる。次第に道の端に追い詰められ、ついに逃げ場がなくなった。 

 しかし悪気はないようだ。何か企んでいる様子はない。人懐っこい人なのか、案内人が見つかりホッとしたのか、にこにこしながら話しかけてくる。 

「マリウスさんは衛兵になられて何年ですか?」
「そうですね、もう三年目くらいですね」

「とても落ち着いていらっしゃいますね。もっと長くお勤めかと。衛兵さんは確かお仕事の時間が長いんですよね。お休みのときに疲れは充分取れますか?」
「いやー…、まあ、たっぷり眠ったりはしてますね。でもそれで一日が消失します」

『あはは、消失!』とカルヴィンさんが爽やかに笑った。正確に言うと大体サンダーが押しかけてきて、好き勝手されたあとに疲れて眠るパターンだ。私もそこまでやられっぱなしではないし、毎回そうなるわけではないが。

 いらないことを思い出してしまった。視線を感じて横を見ると、にこにこしながら顔を見られていた。サンダーほどではないにせよ、この人も顔がいいな。澄んだ目をした好青年だ。その辺にいる女性集団に話しかければ、案内でも何でも喜んでやってもらえそうなのに。なんなら野菜とか飲み物とかも貰ってそう。

「もしかしたら枕が合ってないのかもしれませんね。合うかどうか確認して買われましたか?」
「いえ、特に何も考えず買いましたね。なるほど、睡眠には大切って言いますよね」

「もし良ければ僕と一緒に注文制作しに行きませんか? 僕、その辺詳しいんです」
「そうなんですね、お仕事関係がそっちで?」

「いいえ? 誘う口実です」

 …口実? 結局仕事は違うのか? 頭の上が疑問符だらけになったところで、ふっと頭上に影が差した。飛馬だ。パトラ号。なぜだ、緊急召集の通信魔道具は鳴らなかったが。何かあったんだろうか。



「こんにちはー! お兄さん、北口までの道はわかった? うちのが帰ってくるのがちょっと遅かったからさー、俺迎えに来ちゃったよ! で? どこからの道で迷ったの?」
「あ、すみませんね衛兵さん。今マリウスさんに送っていただいてる途中でして」

「あーそうなんだ、今改装中だからねー。ここが南口でしょ、あそこに灰色の幕がかかってるのわかる? あの中の仮設階段を上がってさあ、そのまま道なりに行くだけだよ!」
「そうなんですがね、途中で二股に分かれるじゃないですか。そこで迷っちゃって」

「ふーん? おかしいなー、でかでかと二番線はこちら、北口はこちらって書かれてるけど? お兄さん、他に何か用事があった? 別にないよね? 駅員さんに聞けばいいでしょ、詳しいから。ねえマリちゃん」

 なぜ私に振った。彼は方向音痴だと言った。そういう人は何でか知らんが充分に気をつけていても、とんでもない方向に行ってしまうものなんだろうよ。

「マリウスさんは、職場の方と仲がよろしいんですね。わざわざ迎えに来るなんて」
「同僚じゃないよ。上司だよ。俺は第五守衛地隊長、サンダー・ウェルズリー。覚えといてね、迷子のお兄さん!」

 サンダーは微笑んでいる。カルヴィンさんも微笑んでいる。でもなんだろう、なんかどっちも静かに怒っているような。

 サンダーからしたら、こんなことで時間を取らせるなということか。珍しい、いつも余計な話を自分からするような奴なのに。カルヴィンさんからしたら、迷子扱いするなということか。まあ方向音痴は仕方ないにせよ、人からそれを揶揄されるとイラッともするだろう。

 え、なにこれ。どうすりゃいいんだ。私、帰ったほうがいいのかな。彼がまた迷ってしまうと困るんじゃ。さすがに駅員を頼るかな。

「駅員室は、中の売店の真横だから。じゃあ忙しいから連れてくね! また迷ったら駅員さんにね! はい、さようならー!」
「えっ、ちょっまっうわっ」

 サンダーは喋りながら飛馬を座らせ、私の腰の革帯を鷲掴んで後ろに乗せてきたと思ったら、すぐに飛馬が軽く翼を広げて立ち上がり、そのまま勢いよく飛び立った。

 下でカルヴィンさんが見上げている。こちらから見えなくなるまでずっと、彼は飛馬を見送っていた。そんな気がした。



 ──────



「馬鹿だな、マリちゃんは」
「何だよ馬鹿って…、あっ……、はっ、つよい、やめろよ、そっ…そこばっかっ…!」 

「あいつさあ。向かいの建物の階段の上とかさ、近くのベンチで本読むフリしてよく見てたじゃんか、マリちゃんのこと。気づかなかったのかよ。俺が見るとすぐどっか行ってたけど」

 くぐもった低い声のサンダーにそう言われたが……全くもって気づかなかったぞ。えっと……どの人のことなんだ。なんにも記憶にないんだが。

 でも、そういうのが得意なのは本部の奴だろ。衛兵でも指名手配中の犯人を仕留めることはあるが、別件で話しかけた奴が手配中だった、なんてことはよくあるじゃないか。いやでも、見られていて気づかなかったってのは問題か。

「……査定に響く?」
「そんなことで評価を下げたりしない。ただ……いいやもう、何でもない」

「何だよ気になるだろ、あっ、なあちょっ、と、ごまかすなよ、もう、ダメ、もう無理っ…! あっ! あっ……!!」
「何の話してたのか、ぜーんぶ教えてくれたら終わりにしてあげるよ。……はあ、こうやって愛情と魔力をたっぷり注いでんのがさあ、他人にもわかんだよ。こんなに毛艶が良くなっちゃって。綺麗なお肌が更に綺麗に」

 全部教えろとか、無茶言うなよ。枕の話以外、ほとんど覚えてねえよ。ていうか頭が回んない。お前のせいで。

 毛艶とか、知らねえよ。単によく眠ってるからだろ。お前がこうやってむちゃくちゃするから。回復するのに必死なんだよ。

 ああ意識が、音が遠くなってきた。聞こえの悪い耳が最後、サンダーの声を拾った。『浮気すんなよ』って。しねーよ。できねーよ、そんな恐ろしいこと。
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