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64 嫉妬は確定事項

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「僕も子育てしてたんだよ。その子はブラッキーくんっていうんだけど」

 クッションでさらにふかふかにしたソファーにもたれかかりながら、僕は思い出にするにはまだ早い話をした。

 人間育ちの飛馬ブラッキーくん。なんとなくで空を飛ぶことはできても、降りる方法がわからなかった。

 それをなんとかしようと無茶をして、上空から落ちかけた。そのとき救ってくれた命の恩人。彼はとても静かな人で、騒がしいところで声を聞き取るのは至難の技だった。

 しかし彼はそんな風でありながら、その調教施設での長だった。間近で暴れかける体躯の大きなあの魔獣を、『おしまい』のたった一言で黙らせられる。

 勝手に淋しさを募らせていた僕は、気を紛らわすためにあそこに通っていたようなものだ。彼に頼りすぎてしまったし、仲良くなりすぎてしまったと思う。

「一歩踏み出されかけたときに思った。オルフェくんの代わりは誰にもできないなって。あと、君が自分からよく関わってくれるからって、それに甘えてばっかりなのは違うと思った」
「……まあでも、無理はしなくていい。俺も無理は特にしていない。好きなときに好きなようにしてほしいとは思う。何も気を使うことなくいてほしいけど、油断はするなよ。この匂いは自在に操れないだろ」

「自分じゃわからないんだよね。あそこの飛馬たちにも散々くんくん嗅がれたよ。あっ、ブラッキーくんがさあ、他のお仕事があるからしばらくバイバイだよって言ったらすっごい慌ててさあ、カイとけっこんする! およめさんになって! なって! って言っててさあ、すっごく可愛──」
「だめだ」

 子供の言う事なのにさあ。そこは一緒に可愛いね、って言ってくれないか。ちょっと耳が伏せたのでつついたら『刺激しないでくれ』と、手を握られた。お茶が飲めないよ。

「いつか子供を育てるつもりなんでしょ。みんな一度は言うらしいよ、お父さんと結婚するー、お母さんと結婚するーって。オルフェくん、そのときは嫉妬し──」
「無理だ」

「もー。また即答してー」
「そうだ、子供と言えばだ。ラグーがどうせまた子供が産まれるだろうし、そのときは育ててくれって言ってた。いいか?」

「えっ!? そんな、もうそういう話してるの!? 気が早くない……??」

 なにが? という顔をしたオルフェくんはすぐにハッとなにかに気がついたような顔をして『そうだった、カイは人間の子だったな』と、当たり前のことを言い出した。僕に毛の生えた耳はないですよ。もう髪に隠れて見えませんが。

「獣人っていっても動物や魔獣とは違うから、必ずポンポン産まれるわけじゃない。でも当たるときはよく当たる。あそこはほとんど夫婦二人で家庭を回してるから、産まれすぎたら回らなくなる。そのために養子に出す。必ず誰かが貰うし、子供を通して家族が増えるだけって認識だ。人間はそのへん少し違うんだろ?」

 すごい、これぞ異世界である。道徳観念は大体一緒な気がしていたが、ごくたまにこういう違いが見つかるのだ。

 僕の故郷では養子は可哀想、バレたら厄介、なんて悪いことではなくむしろ良いことのはずなのに、暗い印象がやたらある。でもこちらは違う。それは男女の比率が偏っている、という情を排した理由もある程度は関わってくる。

「僕の故郷もさあ。ずっと昔はここの常識に近かったみたいだよ。まず大人から閨のお作法を教わって、それから子供ができることをしてよくなるんだ。発情期がないから清廉樹祭はないけど、その地域ごとの許可制になってるの。それで子供ができたらお祝いされて、お母さんになる人がお父さんを選ぶ。順序が逆になってるの」
「へえ、俺たちが学校や家で教わることを地域ごとに口伝でやってたわけか。もしかしたらここでも昔はそうだったかもな。学校がなかった頃なんかに」

「ねえ、避妊法も習うってほんと?」
「習うぞ。そりゃそうだ、稼げもしないうちから父親にはなれない」

 こうやって、僕のかつての常識とピントが合う瞬間もある。わかる、なんて思ってしまう。常識を叩き込まれた大人になったあとから触れる、別の国の常識。いちいちそれに驚いたり、妙だと感じたり。僕は思っていたより頭が固い方かもしれない。

 でも、血がつながっていようがいまいが、みんなで育てるのは良いことだなと思っている。笑っても泣いてもうるさく可愛い子供たちには、みんなで関わるほうがいい。

「でもなー。僕の仕事って基本的には出張でしょ。休みはしっかりあるけどさ、夜にいないことなんか珍しくないよ」
「俺がいるだろ。母さんも父さんも、おばさんたちもいるし。それでも手が回らなければ近所の人に頼めばいい」

「うーん、やっぱり僕の感覚からすると申し訳ないし、僕のこと忘れちゃうんじゃないかなあ。たまに来るおじさんだと思われたらどうしよう」
「人間の子はそうなのか? そんなの聞いたこともない。必ず親が誰かは覚えるぞ。匂いでちゃんとわかるから」

「そっか! そ…………ねえ、オルフェくん、すっごい変なこと聞くようだけど、僕の匂いって、は、発情期の匂いに近いんだよね……? 子供は養子で血縁じゃないし、大きくなったら、その……」
「ああ、なにを心配してるかわかった。その匂いは魔力に関係してる可能性があるし、ずっと子供のころから触れたり嗅いだりしていれば親として認識する。番う相手としては見なくなる。そういうもんなんだ」

 オルフェくんは本当に変なことを聞くよな、と思っているのがよく伝わってくる顔をして、『俺が子供じゃなくてよかったよ』なんて言いながら僕をぐいっと膝の間に抱え寄せ、襟足の髪を掬い分け、首筋をペロペロと舐めはじめてしまった。

 うひぃ、僕それ、いまだに慣れないよ。何度されてもゾクゾクしてくるし、首が勝手に反ってきちゃうんだよ。あと、わりと最初っから変なところに手を回されて、刺激されて、そのあと徐々にそういうことになってたから、その、条件反射として……

「……オルフェくん、いたい」
「えっ、どこだ? すまん、この跡か? ヒリヒリする? 大丈夫か?」

「ち、ちがう……、ここが痛くなる……」
「……ああ。じゃあもう一回」

「できない!! もう今日は無理、なんにも出な、こら、ダメだって!! あ、やだっ、やっ、ダメダメダメー!!」

 しばらくほっといたら収まるから、と言ったのにしつこく股間を狙ってくるオルフェくんを叱り、マウラさんの元気な『ごはんだよー!!』に助けられ。大変な夜と長い会話を経て、いつもの日常に戻ってきた。

 お昼ご飯中に、ティリーさんにもお礼を言いに行きたいと言うと『じゃあ明日行くか』と、即決定した。霧鞘亭の繁忙期は過ぎて僕もしばらく休暇なので、出かける用事を済ませるなら今がチャンスなのだ。



 ──────



 結果から言うと、この訪問は面白いものになった。それに、たっちしているテディくんはとってもとっても可愛いかった。まだお話はできないが、カイですよーと自己紹介をすると『う?』というお返事らしき澄んだ柔らかな声を聞けた。それだけでもすごくキュンときてたまらなかった。

「ごめんねー、指を食べちゃうから常にベトベトでー」
「いいんですよ。あはは、ちっちゃい手が湿ってるー。ん? 抱っこ?」

「そうなるだろうと思った。いい匂いのおねえさんが来たと思ってテンション上がってるな」
「いいよー。おいでー。わあ、軽い! いつまでも抱っこできるー」

『帰るときが大変そうだな』という予告をしたオルフェくんはなんだかムスッとした顔だ。さてはテディくんへの嫉妬というより、散々お世話をしたのに自分の方に来てくれないことに不満を持っているんだな。

 目新しい人が気になるんだよ、と言おうとしたらラグーさんが『まあ元気出せよ』とオルフェくんに声をかけた。オルフェくんは『うるせえ』と反発していたが。

 すごい。人って変わるもんだなあ。前はこいつの顔など見たくないという雰囲気を隠そうともしない感じだったのに、二人ともここにいてさも当然、のような雰囲気に劇的変化を遂げている。

 僕の腕の中で指をしゃぶっている、小さい三角耳の子のおかげである。いずれ子供がたくさん産まれたら、この子の弟か妹がうちに来てくれるかもしれないのだ。そしたらみんなひとつなぎの家族になるわけだ。

 すごい世界だなあ、となんだか感動していたら『それじゃあお茶にしましょうねー』とティリーさんが中に案内してくれた。さあ、楽しいお茶会のはじまりはじまり。



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