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5 猫耳さんとアードルフさん

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 次の日は緑色の帽子を被った猫耳さんだった。犬耳さんと同じようにぼんやり立ってこちらを見ているところが全く一緒。犬耳さんは呆然、という感じだったが、猫耳さんは目を輝かせて柵から乗り出さんばかりで、僕の動きをひたすら目で追っている。

「あのう、見てて面白いですか?」
「君、いつから働いてるの? どこから来たの? 年いくつ?」

 ──矢継ぎ早過ぎないか。

「えっと、まだ一週間くらいです。出身は、その、なんて言えばいいか────」
「えー! 気がつかなかった。おれサシャ! よろしく! いつも配達してるからまた会えると思う! じゃね!」

 ガラララ、と荷車を曳いて行ってしまった。話の展開が早い。別に会う約束はしてなかったはずだけど。



 このように庭で作業をしていると何かしらみんな話しかけてくる。犬耳の人やサシャさんみたいな若い子だけじゃなく、近所の人、通りがかりの人、子供からお年寄りまで。獣耳のついた人なら誰でも。

 話題は軽い天気の話から休みの日は何をしているのかなどの、プライベートなことまで多岐に渡る。この間は柵越しに、ふわっとした丸い耳のお子さんから野の花を貰った。じっとこちらを見て、お母さんに隠れてモジモジしてて可愛かった。

 僕はどうしても声が小さいもんだから、相手に伝わらず会話が成立しにくいことがよくあった。雑踏の中で複数人になると絶望的だ。元々ない存在感が一気にゼロになる。

 でもここに来てからは何故か聞き取ってもらえる。独り言だと流されない。それがじんわり嬉しい。

 何かと守ろうとしてくれる。それも正直嬉しい。いや、かなり嬉しい。だからあの日以来、一度も泣いてはいない。…でもなあ。

『可愛い』から関心を持たれているのだ。もっと歳を取ったらきっとすぐに『可愛く』なくなるだろう。そしたら、大して面白い会話ができない僕は興味を持たれなくなる。そう思うから、前はまるで縁がなかった『モテる』ことを、手放しに受け入れられないのだ。



 ──────



 後日、前に声をかけてきた犬耳さんがまた来ていた。薄茶の耳に同じ色のゆるい癖毛。キリッとした真面目そうな人に見えるけど…庭に出る時間を見計らっていたんじゃないだろうか。ちゃんとしてる人っぽいけど、本当に大丈夫な人かな?

「先日は急にお誘いして、大変失礼いたしました。私、アードルフと申します。あなたのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 ──あっ、ちゃんとしてる人だった。よかった。

「はい、大丈夫です。僕はカイです」
「カイさんですか。素敵なお名前ですね…。あの、カイさんがお好きなものって何ですか?」

 苗字だけどね。でもみんな苗字と名前の二つは持たないみたいだし、ここでは名前として使おうと決めている。だって、愛情を込めてカイくん、カイくんと呼んでくれるマウラさんたちに今更違うと言い出しにくい。それにどうやら帰れなさそうだから、過去とは決別しよう、なんて思って。

 好きなものかあ。食べ物だったら辛いものはあんまり。…誕生日に必ず買ってもらってた、近所のオシャレな洋菓子屋さんのケーキが食べたいなあ。あそこは高いから、ホールで大きく切って食べられる機会は貴重だった。あれ、また食べたいなあ。



「…カイさん、少しこちらに来ていただいていいですか。少しで構いません」

 はたと我に帰った。そうだ、今は好きなものは何かと尋ねられていたんだった。ここにケーキってあるのかなあ、こっちに来てってなんだろうと思いながらとぼとぼ近づいてみた。

 柵の隙間から、スッとアードルフさんの両手が近づいてきて、優しく僕の手を引き寄せた。

「悲しいことを思い出させたようですみません。あなたはどこからいらっしゃったんですか? 親御さんには会えていますか?」

 ──僕が悲しんでいるなんて、この人はなんでわかったんだろう。



 親御さん、という単語が耳に入った瞬間、両親と犬と猫で誕生日ケーキを囲んだときの映像が、バッと脳裏に蘇った。里心がつかないよう、決心した心が呆気なく揺らいでしまった。

 目が熱を持ち始めてしまった。手を取られているから隠せない。何度泣けば気が済むのか、と自分に呆れながらも涙はぼたぼたと落ちていった。下を向いていても目の前のアードルフさんが心配そうに見つめているのがわかる。

 うちの犬のモモタロスも、僕が落ち込んでいたら必ずそばに来てくれてたなあ。動物だから喋ったりなんかしないけど、キューン、キューンって鳴いたりするから、心配してくれてるのを感じて余計泣いちゃったりしてたなあ。僕が元気なときはいつも全力で甘えてきて、可愛い奴だったなあ。

「あの、もしかして、ご両親はもう…」
「あっ、いえっ、元気です。生きてます。ただ、僕が帰れなくなったんです。帰り道がわかりません。迷っているとき、ここのマウラさんとオルフェくんが拾ってくれたんです」

「…ここは快適ですか。何か困ったことはありませんか」
「いえ、ないです。皆さん優しくしてくれます。仕事もさせて貰えますし、有り難いです」

「…うちに来れば、働かなくてもいいですよ。ずっとずっと大切にします」

 ──ん? どゆこと?

「いえ、僕は働きたいんです。働かないと。タダで食べさせて貰うわけには──」
「遠慮しないでください。うちはあなた一人、養うことは出来ます。毎日好きに過ごして頂いて結構。何でもしたいことがあったら言ってください。うちに来ませんか」

 なんかプロポーズの言葉に聞こえるんだけど、気のせいだろうか。会って二日。たった二日だよね。ちゃんとした人に見えたけど、ちょっと…妄想癖がある人なんだろうか。急に怖くなってきたぞ。好きに過ごしていい、というのは今だけの甘言かもしれない。僕が思う自由とは違ったものかもしれない。

 マウラさんは僕を拾ってくれた一人だ。会って二日どころじゃなかった。宿もやっているお店だというのもあるが、初日に代金も取らず泊めてくれたのだ。もし先にアードルフさんと出会っていたらどうなっていただろう。

 でも、こうやってお願いされてもこの人について行く気にはならない。何故だろう、順番のせいだろうか。ここにはオルフェくんもいるからだろうか。オルフェくんは優しい。彼も今の態度を見る限りでは、優しい人だろう。でも何かが違うと思っているのに説明ができない。

『候補』だからだろうか。役割を得た義務感か。それも違う気がする。返答に困っていると、アードルフさんが握った手に力を込めてきた。

「カイさん。正直に言います、私はあなたに一目惚れしました。好きです。だからうちに来て欲しいのです。あなたが大人になったら、私と結婚して欲しいのです」
「え!? それはちょっと……考えられません、離してくださ……」

 ──やめて! 反則! そんなに耳をしおしおにして悲しい顔しないで。悲しくなったときのモモタロスとめちゃくちゃ被る!

 困ったときはオルフェくんを呼べ、と言い聞かされてはいたが、罪悪感が凄くて叫ぶ気にならなかった。アードルフさんはしおしおになった耳をそのままに、『申し訳ない』と言って僕の手を離し、去っていった。

 モモタロス…じゃない、アードルフさん、ごめんね。でも僕はここに居たいんだ。いつか出ることになっても、なるべく長く。


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© 2023 清田いい鳥
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