儀式の夜

清田いい鳥

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18 八つ当たり

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 弟の榮二が当主になるのは確定だろう。誰にも何も言われていないが、そうなったとしても構わない。俺はその器では元々ない。

 だから子供を作る必要は本来なく、結婚なんかそれ以前の問題である。しかし、出来るなら元気なうちにひとりだけでも作ってくれと望まれるだろう。

 榮二に男児がひとりもできない可能性があるからだ。さらに、とにかく俺を慕ってくれる榮二が次期社長の座ならともかく、当主の座にだけは就きたがらない可能性もある。大いにあり得る。長男である俺を立てようとして。

 こんな時代錯誤なことを真剣に考えたことは一度もなかった。死という現実を前にして、気持ちが急速に老いたのかもしれない。もしくは、死にかけの身体が最後の足掻きをしたがっているか。地面で仰向けにひっくり返り、激しく鳴きながら暴れる蝉のことをもう笑えない。

「俺たちの今後の関係は、お友達のままで構わない?」
「……ごめんなさい、それはまだ……」

「……そっか。じゃあね、もしもの話。本間さんがうちに嫁いでくれたと仮定して。あんまり楽しい話じゃないけどね」
「は、はいっ。もしもの話……」

「……うちが茶道と着付けが必須なのは本当。この辺りで一番できる人を呼ぶ、となったら必ずうちに依頼が来るから。社長さんだの何だのっていう偉い肩書きがついた方たちの前で、堂々と披露できる技術が要る。スムーズな会話もね」
「……お母様は気さくな方でしたけど、すごい方なんですね……」

「英会話なんかは出来なくていい。でも話せる方がいいと思う。外国の方をお招きすることも稀にあるから。だから着付けも要る。そういうときに自分で着れないと、いちいち外から誰かを呼ばないとならなくなる」
「都合が合わなかったら大変ですもんね……」

「うちでの大きな仕事はそれくらい。細々とした家のことは家政婦さんが手伝ってくれるから。人を使うことにも慣れが必要かな。あとは、大勢いる親族を把握することか。うちはね、親戚付き合いが濃いほうだから」
「盆暮正月は必ず、という感じですか……?」

「それ以上かな。顔と名前を覚えないとならない事情があるから。ある行事の集まりなんかもあって、基本は年に一度きり。でもその日は何があっても必ず集まらないとならない。……ほんとに古いやり方で嫌になるけど、その日だけはご想像通り、女の人の仕事が多いんだ」
「………………」

 これは、純然たる八つ当たりだと言えるだろう。見た目が良くて、人当たりが良くて、実家が立派な貴方が好きだ。たったその程度の想いを足掛かりにし、言い寄ってくる女の子たち全員に言いたかったことを俺はいまぶち撒けている。

 愛だの恋だのを通り越したその先を見据えることが、とてもじゃないが出来なかった彼女たちに。俺がしてやれることには限りがあるし、素養があって頑張れたとしても長期的には無理が生じただろう。

 気が張る家業や煩わしい親戚付き合いは、愛が冷めても当然やらねば、と思える精神的な下地が元々ない者には土台無理なのだ。それは現代の個人主義とは正反対の、責任感や使命感と呼ばれる意識。

 それが備わっている者はといえば、似たような家に生まれた者である。実際、両親は見合いの末に結婚した。祖父母もそうで、曽祖父母もしかりである。

 この子もきっと駄目だろう。それがわかっていて、あえて口にした。世の中にある仕事という仕事を難なくこなせるであろう友星が女性だったらなとは思うのだが、そもそもあいつは男だし。というか付き合う以前の問題で……なんて。馬鹿な妄想もいい加減にしなければ——

「……はい。わかりました」
「ごめんね。せっかく来てくれたのに、つまんないこと言ったと思う。俺、後がないからかな。長男教で育てられた自覚なんかなかったけど、知らず知らずのうちに染みついたものがあるのかも」

「いえ、お家に上がらせていただいて、わたしでも察するものはありました」
「無駄にでかい家だからね。家に呼んだあとからダメになったご縁もあった。なんかね……うちが怖いんだって」

「まずは茶道の方から入会させていただきます」
「…………えっ? なんで?」

「説明書などはありますか? 申込書も本日持って帰ります」
「あるけど……え、本気? あっでもね、やっぱりダメだなとか、向いてないなとか、好きになれなさそうだと思ったら、いつだって辞められるからね?」

「まだ入会していませんが、辞める気はありません」
「……し、師範になるまでは、十年かかる習い事だよ……」

「そうなんですね。でも大丈夫です。わたし、自分を成長させたいので。全てわたしの勝手なイメージなんですが、まずは落ち着きが必要でしょうし、相手へのおもてなしの心というのは、相手の気持ちを考えることが肝要ですよね。そこまで丸ごと身につけておきたいんです。自分のためです。結婚とかのためじゃないです」
「……そっか、じゃあ……うん。まあそれまでに、他に好きな人ができるかもしれないしね。自信がつけばもっともっと綺麗になって、熱烈にアプローチしてくる人が出てくるかも——」

「そんな未来のことは存じません。とにかく、いま出来ることを真剣にやって、自分を立派により良く育てて……健康にも……気を配って……い、いずれ、たぶん、おそらくわたしが! あなたの元気な子を産みます!」

 それも未来のことじゃないか、という台詞はなんとか飲み下した。俺は八つ当たりと、手前勝手で情のカケラもない要望と、なにも知らないこの子への警告を全て混ぜた話をしたつもりだったのに。

 まさか、要望の方をこれほど素直に受け取られるとは思わなかった。この子はごく普通の家庭で育ってきたはずだ。同じく普通の男と一緒になれば、プレッシャーや窮屈さ、理不尽な思いからは無縁でいられるのに。

 俺の顔面が気に入っているからといって、わざわざ過酷な道を選ばずとも。だって、そのままでも幸せになれる。この子は誰が見ても可愛いのだから、多少のおっちょこちょいなんて男は誰も気にしない。

 しかも、性生活もろくに出来やしないであろう壊れた男……そうだ、まずはそこだった。

「……あのね、あの…………できるかどうか、わからないよ」
「わかってます。でも、やる前に諦めるなんて女が廃れます!」

「ええーっと……そっちじゃなくて。子供を作る方の……」
「大丈夫です! わたし健康体ですから! あと、まだまだ若いので! け、けい、蛍一郎さんも、まだお若いですけどね!」

「う、うん。名前で呼ぶのは構わない。とっくに会社は辞めてるし。そうじゃなくて、いや……これ……、セクハラになるかなあ……」
「いえ、どうぞ赤裸々に! なんでもおっしゃってくださいね!」

 キラキラ輝く丸い瞳が愛らしく、大人の女性というよりも『お嬢さん』が似合っているこの子に、こういうことを言うのは年上の男として抵抗感があった。強い罪悪感もたっぷり添えて。

 しかし、言わないことには始まらないし、終わりもしない。さっきまではほぼヤケクソで、思うがままを言いたかった気分からは一変し、頼むからもう諦めてくれ、という手のひら返しもいいところな気分の方へと変わっていた。

 いざそのことを想像したら気持ち悪くなった。そういう台詞を口にする姿に幻滅した。俺はそっちに転んでくれるかもという希望を胸に、断腸の思いで発言した。酸素を吸入しておいて本当に良かった。呼吸が浅くなっている。

「セッ…………性行為、ができないかも……」
「性…………ああ! そういう……ドクターストップですか?」

「あー……ううん、いまのところは。でもこの先、早々にできなくなるかもで……」
「あ、えっと、うーんと……アレが勃たないとか?」

「いやっ…………そうじゃなく。息が続かないかもで。激しい運動ではあるし、時間が……その、短かかったり……ごめん」
「あっ……あ~~、なるほどなるほど。わかりました。じゃあわたしが、その……頑張って……?」

 本間さんはそう言いながらゆっくり俯き、膝の上で手をこねくり回していた。赤裸々にと言った側が赤面して、小さい身体をさらに縮こませ、ちんまりと居心地悪そうに座っている。

 眩しい。可愛い。彼氏が居たことがあるのだから、そういう経験もとっくにあるはずのこの子から、溢れんばかりの清楚感が放出されている。その綺麗な光に目が潰されそうだ。

 ごめんね。おじさんだからデリカシーなくて。そういうことを四六時中、考えてるわけじゃないんだけど。そう心の底から謝罪すると、本間さんは『まだおじさんって歳じゃないですよー!』と赤く染めた頬を丸く持ち上げ、華やぐ笑顔を見せてくれた。
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