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20.告白
b.
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「香枝…。なんで泣いてるの?」
一定の距離を保ったまま、真春は重い口を開いた。
このまま、いつもの秘密主義の香枝のままなのだろうか。
何も言わず、帰ってしまうのだろうか。
どれくらいの時間が経ったのか分からない頃、香枝はついに話し始めた。
「あの日、すごいショックでした。次の日会った時、どうしようって思いました。普通にしなきゃって思ったけど…やっぱり無理でした」
香枝は涙声で続けた。
「バイトにも行きたくないし、真春さんと律さんが楽しそうにしてるの見ると辛かった。だから、見ないようにずっと避けてました」
そう言って真春を見つめた香枝の顔は涙でぐしょぐしょだった。
「真春さん…」
とめどなく溢れ出す涙を拭いながら香枝は声を絞り出した。
ゆっくりと距離が縮まる。
そして、ヒックヒックと嗚咽を漏らしながら真春にギュッと抱きついて「好きです」と蚊の鳴くような声で言った。
心臓がドゴンと鳴る。
抱きつかれた拍子に、駐車場の柱に背中がトンと当たった。
「へっ…?!」
いつの日かの夢がフラッシュバックする。
香枝の言う"好き"は、自分の思う"好き"と同じものでいいのだろうか。
この状況、それ以外考えられない。
これは現実か?
それともまた都合のいい夢なのか?
ずっとずっと報われないと思っていた気持ちが、ついに届いてしまった。
こんな形で、現実になるなんて。
速すぎる鼓動が、香枝に伝わっているかもしれないと思うと、いてもたってもいられない。
真春は無意識に震える腕で香枝を抱き締めていた。
「あたしも」
香枝の存在を確かめるかのように、抱き締めた腕に力を込める。
「あたしも…香枝のこと、好きだよ」
「え…」
香枝が涙で濡れた顔を上げて、驚いたような目を向けた。
ずっと思い描いていたひと時のはずなのに何故か何の感情も湧いてこなくて、脳はこの状況を単純作業のように処理した。
真春は香枝の涙を両手の親指で拭った。
するとまた、その目に涙が溢れてくる。
「ちょっと…なんでまた泣くの」
「だって…もう二度と話せないと思ったから。こんな風に、してもらえると思わなかったからっ…」
「あたしだってもう香枝と話せないと思ってた。無視されてたし」
「それは…それは真春さんが悪い!」
「なんで?」
「律さんとずっと仲良くしてるし、キ…キスまでしてるから」
「だからそれは律が無理矢理っ……!」
その後、何を言おうとしたのか、一瞬で忘れてしまった。
香枝に唇を奪われた。
背中に回していた手が離れ、自然とお互いの指に絡み合っていた。
あの時と同じ場所で、同じように手を握られているのに、この違う胸の高鳴りはなんだろう。
「…これくらい?」
すぐに唇を離して香枝は言った。
「へ…?」
「律さんとキスしたの、これくらいの長さですか?」
香枝は泣き腫らした目で真春を見据えた。
その目にはまた涙が溢れている。
そんな顔で見ないでよ。
胸が苦しくて仕方ない。
好きで好きでたまらない。
時間差で、好きという気持ちが込み上げてきて心の許容範囲をゆうに超えていった。
固まった心が徐々に溶かされていくような気がした。
じわじわと、温かい気持ちが滲み出てくる。
「そんなこと、言わないでよ…」
潤んだ香枝の瞳を直視出来ない。
柱にもたれかかってもう一度香枝を抱き締めると、香枝もそれに応じて優しく抱き締め返してくれた。
自分は今、とんでもないことをしている。
香枝の顔を見ることができなくて…見たくなくて…。
でも、この感じたことのない愛おしい気持ち、どうしたらいいのだろう…。
香枝は何も言わずに真春の首元に顔をうずめて鼻をすすった。
と、その時、裏口から大きな音が聞こえたかと思うと、足早に階段を駆け下りてくる戸田さんの足音が聞こえてきた。
やばい、と思いながら香枝を引き離す。
香枝も同じように思ったのか、さっと手を後ろに回して組んだ。
「仲良いねー!まだいたの?」
戸田さんがこちらに向かって歩いてくる。
今日はお店の下の駐車場に車を停めていたみたいだ。
「あ、ハイ。ちょっと話し込んじゃって…。でも寒いんでそろそろ帰ります」
「雨降ってるから、早く帰りなね」
「はーい。お疲れ様です」
戸田さんは車に乗り込み、この間と同じように手を振りながら帰った。
しばらく意味もなく道路を見つめる。
「…びっくりした」
一気に現実に引き戻される。
雨が降っていることにも気付かなかった。
よく見ると、小雨が降っている。
鼻をすする音で、香枝が泣いていたことを思い出し、真春は俯く香枝を覗き込んだ。
「…大丈夫?」
「すみません…」
「あのさ、香枝」
真春はこの際、律に言われたことを香枝に伝えようと思った。
これからもきっと律は何か仕掛けてくるに違いない。
「…律のことなんだけど」
律の名前を口にしただけで、香枝の表情が強張った。
不安そうなその顔を見て、胸が疼く。
「香枝があたしと律をここで見た日、律に言われたの。『香枝よりあたしのことを好きになって。香枝と楽しそうにしてるの見たら、香枝に真春とあたしがキスしたこと言うから』って」
真春は冷え切った両手をマウンテンパーカーのポケットに入れて続けた。
口から白い息が上がる。
「あんなこと香枝に知られたくなかったから、なるべく香枝と話さないようにしようって思ったんだけど…結局見られてて、香枝に無視されてたからそんなことする必要なかったんだけどね。次の日香枝と会った時、どうしようかと思ったよ」
香枝は俯いたまま、何も言わなかった。
「新年会の時だって、本当はもっと香枝と話したかった。でも律がずっと側にいたから、無理だった。せっかく次の日学校休みでいっぱい飲めるねって言ってたのにね」
真春が笑いながら言うと、香枝はまた目に涙をいっぱい溜めて近付いて来た。
「あたしだって、もっと真春さんと話したかった」
マウンテンパーカーの袖をぎゅっと握りしめられる。
積極的な香枝に少し戸惑う。
「新年会の時だけじゃなくて、普通に働いてる時も…」
「これからも律が色々言ってきたり、もしかしたら香枝にも迷惑かけることあるかもしれないけど、何かあったら言って」
「はい。…もう、バイトでは普通でいいんですよね?」
「うん、今まで通り働こ」
「真春さん…」
俯いていた涙目の香枝が真春を見据えた。
サーサーという雨の音が強くなってきた気がする。
「ん?」
香枝はまた無言で俯いてしまった。
真春も、何も言えず、立ち尽くす。
「ダメって分かってるけど…。あたし…」
ヒックヒックと嗚咽を漏らし、また涙を零す香枝。
「あたしも香枝のことが好き。好きだけど…今はこうするだけにさせて」
真春は泣きそうな目をした香枝を抱き締めてまた「ごめん」と呟いた。
感情の方向が分からなくて、中途半端なことしかできない。
好きって何なの。
キスって何なの。
もう、何も分からない。
でも、もっとキスしたい。
でも、それ以上は許されない。
結局ここまできても答えは分からないままだ。
いつになったら、答えは見つかるのだろうか。
自分って、本当に最低だ。
一定の距離を保ったまま、真春は重い口を開いた。
このまま、いつもの秘密主義の香枝のままなのだろうか。
何も言わず、帰ってしまうのだろうか。
どれくらいの時間が経ったのか分からない頃、香枝はついに話し始めた。
「あの日、すごいショックでした。次の日会った時、どうしようって思いました。普通にしなきゃって思ったけど…やっぱり無理でした」
香枝は涙声で続けた。
「バイトにも行きたくないし、真春さんと律さんが楽しそうにしてるの見ると辛かった。だから、見ないようにずっと避けてました」
そう言って真春を見つめた香枝の顔は涙でぐしょぐしょだった。
「真春さん…」
とめどなく溢れ出す涙を拭いながら香枝は声を絞り出した。
ゆっくりと距離が縮まる。
そして、ヒックヒックと嗚咽を漏らしながら真春にギュッと抱きついて「好きです」と蚊の鳴くような声で言った。
心臓がドゴンと鳴る。
抱きつかれた拍子に、駐車場の柱に背中がトンと当たった。
「へっ…?!」
いつの日かの夢がフラッシュバックする。
香枝の言う"好き"は、自分の思う"好き"と同じものでいいのだろうか。
この状況、それ以外考えられない。
これは現実か?
それともまた都合のいい夢なのか?
ずっとずっと報われないと思っていた気持ちが、ついに届いてしまった。
こんな形で、現実になるなんて。
速すぎる鼓動が、香枝に伝わっているかもしれないと思うと、いてもたってもいられない。
真春は無意識に震える腕で香枝を抱き締めていた。
「あたしも」
香枝の存在を確かめるかのように、抱き締めた腕に力を込める。
「あたしも…香枝のこと、好きだよ」
「え…」
香枝が涙で濡れた顔を上げて、驚いたような目を向けた。
ずっと思い描いていたひと時のはずなのに何故か何の感情も湧いてこなくて、脳はこの状況を単純作業のように処理した。
真春は香枝の涙を両手の親指で拭った。
するとまた、その目に涙が溢れてくる。
「ちょっと…なんでまた泣くの」
「だって…もう二度と話せないと思ったから。こんな風に、してもらえると思わなかったからっ…」
「あたしだってもう香枝と話せないと思ってた。無視されてたし」
「それは…それは真春さんが悪い!」
「なんで?」
「律さんとずっと仲良くしてるし、キ…キスまでしてるから」
「だからそれは律が無理矢理っ……!」
その後、何を言おうとしたのか、一瞬で忘れてしまった。
香枝に唇を奪われた。
背中に回していた手が離れ、自然とお互いの指に絡み合っていた。
あの時と同じ場所で、同じように手を握られているのに、この違う胸の高鳴りはなんだろう。
「…これくらい?」
すぐに唇を離して香枝は言った。
「へ…?」
「律さんとキスしたの、これくらいの長さですか?」
香枝は泣き腫らした目で真春を見据えた。
その目にはまた涙が溢れている。
そんな顔で見ないでよ。
胸が苦しくて仕方ない。
好きで好きでたまらない。
時間差で、好きという気持ちが込み上げてきて心の許容範囲をゆうに超えていった。
固まった心が徐々に溶かされていくような気がした。
じわじわと、温かい気持ちが滲み出てくる。
「そんなこと、言わないでよ…」
潤んだ香枝の瞳を直視出来ない。
柱にもたれかかってもう一度香枝を抱き締めると、香枝もそれに応じて優しく抱き締め返してくれた。
自分は今、とんでもないことをしている。
香枝の顔を見ることができなくて…見たくなくて…。
でも、この感じたことのない愛おしい気持ち、どうしたらいいのだろう…。
香枝は何も言わずに真春の首元に顔をうずめて鼻をすすった。
と、その時、裏口から大きな音が聞こえたかと思うと、足早に階段を駆け下りてくる戸田さんの足音が聞こえてきた。
やばい、と思いながら香枝を引き離す。
香枝も同じように思ったのか、さっと手を後ろに回して組んだ。
「仲良いねー!まだいたの?」
戸田さんがこちらに向かって歩いてくる。
今日はお店の下の駐車場に車を停めていたみたいだ。
「あ、ハイ。ちょっと話し込んじゃって…。でも寒いんでそろそろ帰ります」
「雨降ってるから、早く帰りなね」
「はーい。お疲れ様です」
戸田さんは車に乗り込み、この間と同じように手を振りながら帰った。
しばらく意味もなく道路を見つめる。
「…びっくりした」
一気に現実に引き戻される。
雨が降っていることにも気付かなかった。
よく見ると、小雨が降っている。
鼻をすする音で、香枝が泣いていたことを思い出し、真春は俯く香枝を覗き込んだ。
「…大丈夫?」
「すみません…」
「あのさ、香枝」
真春はこの際、律に言われたことを香枝に伝えようと思った。
これからもきっと律は何か仕掛けてくるに違いない。
「…律のことなんだけど」
律の名前を口にしただけで、香枝の表情が強張った。
不安そうなその顔を見て、胸が疼く。
「香枝があたしと律をここで見た日、律に言われたの。『香枝よりあたしのことを好きになって。香枝と楽しそうにしてるの見たら、香枝に真春とあたしがキスしたこと言うから』って」
真春は冷え切った両手をマウンテンパーカーのポケットに入れて続けた。
口から白い息が上がる。
「あんなこと香枝に知られたくなかったから、なるべく香枝と話さないようにしようって思ったんだけど…結局見られてて、香枝に無視されてたからそんなことする必要なかったんだけどね。次の日香枝と会った時、どうしようかと思ったよ」
香枝は俯いたまま、何も言わなかった。
「新年会の時だって、本当はもっと香枝と話したかった。でも律がずっと側にいたから、無理だった。せっかく次の日学校休みでいっぱい飲めるねって言ってたのにね」
真春が笑いながら言うと、香枝はまた目に涙をいっぱい溜めて近付いて来た。
「あたしだって、もっと真春さんと話したかった」
マウンテンパーカーの袖をぎゅっと握りしめられる。
積極的な香枝に少し戸惑う。
「新年会の時だけじゃなくて、普通に働いてる時も…」
「これからも律が色々言ってきたり、もしかしたら香枝にも迷惑かけることあるかもしれないけど、何かあったら言って」
「はい。…もう、バイトでは普通でいいんですよね?」
「うん、今まで通り働こ」
「真春さん…」
俯いていた涙目の香枝が真春を見据えた。
サーサーという雨の音が強くなってきた気がする。
「ん?」
香枝はまた無言で俯いてしまった。
真春も、何も言えず、立ち尽くす。
「ダメって分かってるけど…。あたし…」
ヒックヒックと嗚咽を漏らし、また涙を零す香枝。
「あたしも香枝のことが好き。好きだけど…今はこうするだけにさせて」
真春は泣きそうな目をした香枝を抱き締めてまた「ごめん」と呟いた。
感情の方向が分からなくて、中途半端なことしかできない。
好きって何なの。
キスって何なの。
もう、何も分からない。
でも、もっとキスしたい。
でも、それ以上は許されない。
結局ここまできても答えは分からないままだ。
いつになったら、答えは見つかるのだろうか。
自分って、本当に最低だ。
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