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9.ふつふつと

c.

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そして土曜日。

「今日、未央来れないみたいです」

真春が休憩中にカレーを食べていると、1時間ずれて休憩に入ってきた香枝が携帯をいじりながら言った。

「えっ?そうなの?!」

「残念ですね」

香枝と2人きりで宅飲みをすることになってしまい、複雑な気分。
嬉しい反面、かなり緊張。

「うん…。どうする?来る?」

先週のオセロのくだりが脳裏に浮かび、とてつもなく気まずくなった空気を思い出した。

香枝はそんなこと思っていないかもしれないが、香枝のことを考えれば考えるほど、ネガティブな気持ちになってほしくなくてまた空回りしてしまいそうな気がする。


来てほしい。
けど、来てほしくない。


「うーん」

香枝は少し考えて「2人でもよくないですか?」と言った。

「お酒飲みたいし!真春さんも実習のストレス吹っ飛ばしましょ」

カラッとした笑顔を見せる香枝を見たら、割り切る他ないという気持ちになった。
構えているからおかしくなるのだ。
もっと楽に考えよう。

「だね」

真春は残りのカレーをゆっくりと口に運んだ。
急に違う味になった気がした。


今日のラストは泰貴だ。
あの最低な告白以来、香枝と泰貴は全くと言っていいほど話していなかったが、最近になって業務的なことを話すようになったのを何度か目にしていた。

戸田さんと泰貴に挨拶して22時に上がると、事務所では南と、もう1人の金髪の女子高生、汐里が何かの話で盛り上がっていた。

「お疲れー」

「あー、疲れたー」

真春と香枝は事務所に入るなり同時に言った。

「あっ、お疲れ様です!」

「なんかめっちゃ盛り上がってるね。キッチンまで聞こえてたよ」

真春が帽子とサロンを外しながら言うと「やっぱ、この店だったら真春さんだよね?」と汐里が意味深なことを口にした。

「なんの話?」

「恋人にするなら誰がいいかって話ですよ」

真春は耳を疑った。
それと同時に胸がドキドキし始めた。

驚いた目で汐里を見ると「なんすかその顔」と笑われた。

「ガチなわけないじゃないっすかー!いや、あのね、女子校だと女同士の恋愛って普通にあるって話をしてたんですよ。うち、女子校じゃないですか」

「あー…そうだっけ」

「この店もバイト女ばっかじゃないですか?そんで、この店だったら一番女にモテそうなのって、真春さんだよねって話をしてたんですよ」

南が言った。

「はは。なにそれ」

他人事ではない話をされて、動揺してしまう。
挙動不審に見えていないだろうか。

「香枝さんもそう思いません?」

そんなこと聞かないで!と言いそうになる。
真春はギョッとした顔を誰にも見られていないことを祈った。

否定されたらショックだし、肯定されたらそれはそれで、どうしたらいいのか分からない。

きっと、自分の気持ちが無駄に浮ついて叶わぬ淡い期待を抱くだけだ。
そして全て、妄想として完結していくのだ。

香枝の顔を見ることができなくて、真春は無駄にサロンを丁寧に畳んだ。

「たしかに!一番モテそう。サバサバしてるし、カッコイイなって思う時あるしね。でも可愛いところもあるしー」

香枝は「ね?真春さんっ!」と明るく言った。

「へっ?!」

素っ頓狂な声が喉から出る。
変な冗談だろう。
本当のところはどうなのだろう。
話をただ合わせているだけなのか、なんなのか。

秘密主義の香枝の本心は、こんな薄っぺらい会話じゃ1ミリも分からない。
笑顔のまま香枝が更衣室に入って行く。

真春は「そういうのやめてよー。はは」と笑って誤魔化した。

「バレンタインとか下駄箱にいっぱいとかさー!ないんすか?」

「え?あ…ないない」

「うっそだー!絶対あるでしょ。あたしならやっちゃうなー」

「汐里だいぶ女子校かましてきてるね」

「悪いけど真春さん、女子校いたら絶対餌食っすから」

「…え」

「可愛いけど、カッコイイみたいなの、めちゃくちゃモテますから」

「あー、んー…そうなの?よく分かんないけど」

「またまた~。真春さんって、部活とかやってなかったんですか?」

「陸上部だったよ」

真春が答えると「それはヤバい」と汐里が頷いた。

「なにがヤバいのよ」

「目立つじゃん、こんな可愛いイケメンが走ってたら」

汐里の言葉に全員爆笑した。
更衣室から香枝の笑い声が聞こえてきた。

「何その例えー!」

「可愛いの?イケメンなの?どっち?」

「どっちもだよ、イケ可愛い」

汐里の言葉にまた笑いが起こる。

「まー、でも確かに。その表現が一番合ってるかも」

南が笑いすぎて溢れた涙を拭いながら言った。
南は"超"がつくほどの笑い上戸だ。
寝ている時以外なら、ちょっとでも面白いことがあったら涙を流すほど笑う。

それが面白くて、ちょっかいを出すこともしばしば。
100%笑ってくれるのでこちらまで楽しくなってくる。

「モテてたんだろーなー」

「そんなことないよ」

「真春さんに学ランとか着せてみたい」

「なんでよー。変じゃん」

「「絶対似合う!」」

南と汐里が声を揃える。
なんだ、この会話。

実は中学の卒業式の日、帰り際に後輩の女の子からラブレターをもらったことがあった。
おまけにブレザーのボタンも要求され、あげたのだ。

陸上部だった真春は、毎日その女の子が友達と陸上部の練習を見学しているのを知っていた。

ある時、陸上部の後輩からその女の子が真春に好意を抱いていることを聞かされたが、普通に先輩として好きなのだと思っていたので特別気にはしていなかった。

しかし卒業式にもらった手紙には『レズ上等です』と書かれていて、この世にはそういうことが身近に存在するのだと気付かされたのだった。

そんなことを思い出しながら女子高生2人の話に困ったように笑っていると、更衣室で着替えていた香枝が「真春さんどうぞ」と出てきた。

「ありがと」

更衣室でマウンテンパーカーとスウェットに着替えた後、ロッカーからリュックを出して帰り支度をした。

「てかまだ帰んないの?」

「なんかお尻に根っこ生えちゃったみたいっす」

2人はゲラゲラ笑っている。
これはラストまで居そうだ。

おそらく、南が泰貴のことを待っているのだろう。
汐里もそれに付き合っているに違いない。

「じゃあ、うちら帰るから。早く帰んなよ。お疲れ」

「おつかれーっす!」

元気な2人に別れを告げ、裏口から外に出る。

「うわっ!さぶっ!」

「寒いですねー。もう12月になりますもんね」

「おでん買ってかない?」

「いいですねー!賛成!」

おでんが冷めてしまうといけないので、真春の自宅近くのコンビニで買い物を済ませることにした。

自宅に向かうまでの間、真春は香枝と何を話そうかずっと考えていた。
先程の寒さも感じなくなっていた。
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