初めて本気で恋をしたのは、同性だった。

芝みつばち

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5.揺らぎ

b.

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結局お客さんは来ず、「あとは俺がやっとくから」と戸田さんが言ってくれて、真春は23時で上がった。
事務所にはもう誰もいなくて、さすがにさっきいた香枝達も帰ったようだった。

更衣室で着替え、スマホを確認するとメッセージが来ていた。
彼氏の桧山恭介ひやま きょうすけからだ。

恭介とは高校生の時に好きなバンドのライブで知り合い、何度か会ううちに自然と惹かれ合ってかれこれ2年くらい付き合っている。
本当に気の合う、よきパートナーだ。

真春は昔から誰かを好きになることがなくて、今まで付き合ってきた人も「これから好きになれればいいな」という感じで付き合ってきた。
恭介も最初はそうだったが、今は大切な人だし側にいたいと思っている。

しかし、世の中のカップルと比べたら砂漠地帯のようにサラッとドライなお付き合いであることは認めざるを得ない。

「真春は俺よりもサバサバしてるよね」と言われるが、そんなところが好きだと恭介は言ってくれる。
そんなドライな自分がこんなに胸を痛めるほどの思いを抱くなんて。
しかも同性に。

真春は何も考えないようにして、恭介からのメッセージを開いた。

『木曜日、実習終わったあとあいてる?』

実習が始まってから恭介とは会っていなかった。

恭介とは月に1、2回のペースで会っているが、少な過ぎだと周りからはよく言われる。
お互いにそれで満足しているのだからいいだろう、と真春はその言葉に内心イラッとしていた。

それに、大学も違うし住んでいるところも電車で2時間近くかかる所にあるので、そう頻繁には会えない。
いつも会う時は、中間地点で待ち合わせている。

『うん、空いてるよ。またあそこのバーに行く?』

"あそこのバー"とは、よく2人で遊ぶ中間地点にある、お洒落なバーのことだ。
その街はライブハウスや古着屋が多く、たくさんの若者でごった返している。

そのバーに限らず、周辺の飲み屋もミュージシャンや美容師、アパレル関係などに関わっている人ばかりで個性的な人が多く小洒落た雰囲気がムンムンと漂っている。

恭介と何度かその街に行くにつれて、真春はその独特な雰囲気がすっかり気に入っていた。
いつも行くバーもまた、雰囲気が良く、かつ安いので2人のお気に入りのお店となっていた。

『いいね。じゃあ実習おわったら連絡ちょうだい』

了解の返事をし、真春はスマホをスウェットのポケットに入れた。

「戸田さん。お疲れ様です」

キッチンで明日の準備をする戸田さんに声をかける。

「はーい、お疲れ様!気を付けてね」

戸田さんは優しく笑って手を振った。



木曜日。
3週間にも及んだ慢性期の実習が無事に終了した。

「白石さん、大変だったけどよく頑張ったわねー」

最終日のカンファレンスを終えた後、実習担当の先生が真春に昨日の記録を渡しながら言った。
成績の悪い真春にとって先生からの褒め言葉は神様からのプレゼントのようだ。

「ありがとうございます」

真春は「お疲れ様」と言って去って行った先生に頭を下げた。

この実習が終われば1週間休みで、また次の実習が始まる。
その間に今回の実習のレポートを完成させなければならない。

明日は祝日で休みなのがラッキーだ。
1日多く遊べる、と真春の心は浮き足立っていた。

「白石、レポートちゃんと書けるー?」

いつも真春をおちょくる男子、大橋海斗おおはし かいとが真春の顔を覗き込んできた。
せっかくのウキウキ気分が一気に台無しになる。

「うるさいな!レポートくらい書けますー」

大橋はいつも人のことを小馬鹿にして陰で笑っている最低な性格のやつだ。

女子よりもネチッこくて、面倒臭い。
真春の一番嫌いなタイプだ。
頭が良くて、顔もまあまあなので、それがまた癪に触る。

「余裕ぶっこいてるとまた『ヤバイんだけどー』って言うのがオチなんだから、しっかりー!」

真春の真似をする大橋を睨みつけ「余計なお世話ですー」と言って真春はロッカーに戻った。

着替えを済ませて学校から駅に向かう途中で、恭介に連絡をする。
返事はすぐに返ってきた。

『久しぶりに会えるの、たのしみ』

恭介からのメッセージを見て、真春は自然と笑顔になった。


19時5分前に駅に着くと、改札の向こう側で背の高い黒髪の男が携帯を片手に辺りをキョロキョロと見回していた。
そして、真春を見つけるとマウンテンパーカーの下の顔がニコッと微笑んだ。

「お待たせ」

「実習お疲れ様ー。なんか、また痩せた?」

恭介は穏やかな口調で言い、優しい目で真春の顔を覗き込んだ。

「痩せたってか、やつれたかな…」

「そんな大変なんだ。でも、明日休みでしょ?」

「うん、休み。だから今日はとことん飲む!」

「お、負けませんよ」

「勝つとか負けるとかじゃないから」

2人で笑い合う。

「それじゃ、行きますか」

恭介と真春は人混みをかき分けながら目的のバーへと向かって行った。

10分程歩いたところにそのバーはあった。
明日が祝日ということもあって、店内はいつもよりも混み合っていた。
2人席に案内され、先にビールを2つ注文する。

「すごい混んでるね」

「明日休みだからね。そうだ、実習の話聞かせてよ」

「もう、ちょー大変だったの」

ビールが運ばれてきて乾杯した後、真春はダムが決壊したかのように喋り続けた。
まだたった3週間しか終わっていないのに、先が思いやられる。

2週目の実習で患者さんが急変したという話をしたところで、真春は香枝からメッセージが来た時のことを思い出した。

「…真春?」

「へ?」

知らぬ間に沈黙してしまっていたようだ。
恭介が「なにいきなりボーッとしてんの?もう酔っ払った?」と笑いながら言った。

「あ、いや。ごめん。疲れてるから、酔いが回るのが早いのかも」

真春は運ばれてきたポテトを食べて、あははと笑った。
そして一気にビールを飲み干し「でも、今日は飲まずにはいられない!」と言って近くを歩いていた店員に「ビールください!」とジョッキを手渡した。

恭介の前で、香枝のことを考えてフリーズするなんてどうかしている。
気にしないようにすればするほど、思い出すたびに気持ちがどんどん大きく膨れ上がる。

もう、異常だ。

真春は上の空でビールを飲み続けた。
恭介の話も聞いているようで、聞いていなかった。
なぜか、香枝のことで頭がいっぱいになっていく。

「そういえば、バイトどう?面倒臭いことになってるとかって言ってなかったっけ?」

いつだか恭介に、優菜がお店を仕切っていて高校生たちが優菜のことを嫌っているという話をしたことがあった。
恭介からバイトの話が出たこのタイミングで、香枝の話をしてみようと真春は酔った頭で考えた。

もちろん、存在を伝えるだけで、キュンとしてしまったなんてことは口が裂けても言えないし、言うつもりもない。

「あれね。店長が変わってから少し落ち着いたけど、一度嫌われちゃうとなかなかねー…」

真春は5杯目のビールを半分まで飲み「それより、関係ないんだけどさ」と言ってさりげない感じで話し始めた。

「バイトの子でね、すごい可愛い子がいるの」

言ってしまった。

「へー!どんな子?可愛いって顔が?」

「うーん…顔はまあまあ…いや、可愛いかな。すごくほんわかしてて、いかにも女子って感じの子なんだけどね。仕草とか、話し方とかが可愛いの。すごく慕ってくれててさー、なんか妹みたい」

「そうなんだ!女子から可愛いって言われる子ってポイント高いよね。つーか、真春が可愛いって言う女の子ってみんなホント可愛いよなぁ。てことは、その子もそうなんだ」

真春は可愛い女の子がいると、すぐに目で追ってしまったり「可愛いなぁ…」と思ってしまう。
どちらかというと、イケメンな男より可愛い女の子の方が好きだ。

しかし、香枝はそこまで可愛いかと言われたら、目を引くほどの美人ではない。
なのになんでこんなに可愛いと思ってしまうのだろうと心の片隅では思っていたが、香枝のどんなところに惹かれたのか、今、口からスルスルと出てきた言葉が全てを物語っているように思えた。
惚気ているように見えていないだろうか。

「でもさ、ぶりっ子とか思わない?女同士って、そういうの見てぶりっ子って言うだろ?」

アルコールでひたひたになっている脳で少し考える。
言われてみれば、そうかもしれない。
真春は一瞬、何かが腑に落ちた気がした。

「あー…。若干、あるかも」

思ったことがそのまま口を突いて出た。

「でも、男に対してだけご機嫌取りみたいなのするのがぶりっ子でしょ?香枝はそういう事はしないよ。…ま、男と楽しそうにしたり何人かで遊びに行ったりはしてるみたいだけど」

「ふーん。香枝ちゃんって言うんだ。今度会ってみたいなぁ!」

恭介は6杯目のビールを飲み、新しいものを注文した。

「恭介飲むの早すぎ」

「えー。だって真春に負けたくないもん」

「なんの勝負してんの」

また笑い合った声はさっきより大分大きかったと思うが、周りの騒音に掻き消されていた。
耳もバカになってきて、音がボワンボワンと頭の中でハウリングしている。
気付いた時には、終電はとっくになくなっていた。

「終電なくなっちゃった…」

「真春の計算だろ?」

お店から出てあてもなく夜道を歩き回りながら恭介はニヤニヤした。

「何言ってんの」

「はは。うーそ。真春と会うの久しぶりだし、帰りたくなかったんだよね、俺」

恭介はたまに素直に照れ臭い言葉を口にする。
こういう時、真春はいつも黙ってしまう。
甘い空気が苦手なのだ。
恥ずかしくて、どうしたらいいか分からなくなってしまう。

「もう一軒行こ」

恭介はそう言うと、真春の左手をギュッと握った。
あまり手は繋がない方なので真春は驚いた。
同時に少し胸がチクンとした。

やっぱり、目の前の恭介のことをちゃんと好きでいなきゃ。

真春は恭介の手を握り返した。
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