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8.お泊まり会

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あの飲み会の日以来、香枝は優菜とあまり喋らなくなり、一緒に帰ることも少なくなっていた。

そして、香枝から避けられていると感じた優菜は、仮病や学校を理由にシフトに入らなくなっていった。


「ねぇ、本当に優菜と清水さんって付き合ってると思う?」

実習が休みの水曜日、久しぶりに平日にロングシフトだった真春は休憩中、さやかに突然思いもよらないことを聞かれた。

「付き合ってるんじゃないんですか?ブログにめっちゃ色々書いてるし」

「いや、でもさ。嘘書いてるってこともあり得るじゃん?なんか、そんな気がしてきちゃって」

今まであれだけ噂しといて、今度は嘘だと言い始めるのはどうなんだよ、と真春は思った。

しかも、なぜ嘘など書く必要があるのだろうか。
ブログに嘘を書いて楽しんでるということか?

だとしたら、過度な妄想癖または虚言癖のあるとんでもない人だ。
いくら優菜でもさすがにそれはないだろう。

「これ、よく見てよ」

さやかが携帯の画面をこちらに向けた。
そこにはたっくんとドライブしたということがつらつらと書いてある。

「これがどうしたんですか?ただのノロケじゃないですか。あー、寒い寒い」

真春は震える仕草をして茶化した。

「いくらなんでもこれだけのことして、この時間に帰ってくるのは無理じゃない?」

さやかは真剣な顔をして言った。

よく見ると、ブログが書かれた時間は1:05。
清水さんは隣の県にある店舗の店長で、いくら早くても仕事が終わるのは0時。

それから優菜を迎えに行って食事をして、また隣の県に行って、夜景を見て帰ってきたって…。
いくら田舎で道路が空いていたとしても1時間じゃ絶対に無理だ。

フードファイター並みに2人が相当な早食いなら話は別だが。

「んー…確かにちょっと無理ありますね。結構盛ってますね」

「これだけじゃなくて、他にもつじつまが合わない記事がいっぱいあるの。なんか優菜の全てが信じられなくなってきちゃって…。あー、なんで今まで気づかなかったんだろ」

さやかは休憩中、延々と優菜について語った。
真春とさやかが戻る頃、香枝が入れ替わりで休憩に入った。

「真春さん…」

「ん?」

キッチンから事務所に繋がる通路ですれ違った時、香枝が少し沈んだ声で言った。

「この間、すみませんでした」

「全然平気。謝らないで。…大丈夫?」

「はい」

「いつでも話聞くからね」

真春が笑顔を向けると、香枝もエヘヘと笑って事務所に入っていった。


ディナーはとても暇だった。

バイトは真春、香枝、さやか、18時からシフトに入っている女子高生の4人という少人数だったがお店を回すのには十分すぎるほどの人数だった。

そのため会話が弾みすぎて、ほとんど喋りに来ているようなものだった。

「芸能人が好きすぎて、今日どこで会ったとか、事務所に行ったとか、ブログに妄想をいっぱい書いてる子が同じ学校にいるの!ほんとヤバいよねぇー!」

優菜の妄想疑いの話から、女子高生が"意外とよくある話"としてそんな話を持ち出した。

真春はビールサーバーを掃除しながら「なにそれ。そんな人いるの」と言った。

「なんか聞いたことあるー、そういうの」と、さやか。

世の中には、そういう事をする人がいるらしい。
真春は、優菜もその類なんじゃないかと思った。

でも電話している姿は何回も見たことがあるし、たまに清水さんがお店に物を借りに来た時は、すごく嬉しそうに話している姿もよく見た。

ただ仲が良いだけなのか、本当に付き合っているのか…。
付き合いたい気持ちが溢れ返って、付き合ってると勘違いしているとか?

「でもその子だけじゃなくてさぁ、他にも嘘ついたりしてる子いるって友達が言ってたよ。あんま関わりたくないからウチは避けてるんだけどねー」

「それ完全に頭おかしいよ」

「だよねぇー」

さやかと女子高生と時々真春が話している中、香枝は近くでソースの補充をしていたが、優菜の話題になってから全く会話に入って来なかった。

なんだか怒っているような表情に見えるのは気のせいだろうか。
真春が話し掛けようと思ったその時、お会計の呼び出し音が鳴った。

「あたし行ってきます」

香枝は誰かが動き出す前に、そそくさと行ってしまった。
真春は暖簾をくぐってホールに出て行く香枝の後ろ姿を目で追った。

22時。

真春とさやかはラストまでの香枝に別れを告げ帰る準備をした後、足早に喫煙所へ向かった。

「暇疲れ」

さやかは大きく息をついてタバコをくわえながらベンチに腰を下ろした。

「同じくです」

真春は空気の澄んだ寒空を見上げて「お店は綺麗になりましたけどね」と言ってタバコに火をつけた。

「言えてる。てか香枝、今日なんか元気なくなかった?」

「…そうですか?」

「最近優菜と話してるのもほとんど見ないし。ま、そもそも優菜はあんまりバイト入ってないけどさ。なんか知ってる?」

香枝はさやかともわりと仲が良い方だったので、何か言っているかと思っていたがそうではないらしい。

この間のことは、自分しか知らないのだと真春は確信した。

「いや、知らないです…。さやかさん何か聞いてないんですか?」

「何も。それとなく聞いてみたんだけど、笑ってはぐらかされたよ。香枝ってよく分からないよねぇ。秘密主義って感じで。なんかありそうな気がしてならない」

さやかは気になって仕方ないようだったが、真春は何も言わないことにした。

確かに香枝は秘密主義者だ。
誰にでもガードが固いようだが、この間漏らしたあの言葉は、自分に少し心を許し始めてくれているということだと信じたい。

それから、優菜の一件があってから、さやかは大がつくほどの噂好きだということが分かった。
世の中の女の大半は、人の噂話ほど面白い話はない、と思っているだろう。

真春も少しは噂話には興味があるが、近隣のおばさん同士の井戸端会議のようにベラベラと話す方ではない。
どちらかといえば聞き手に回る方だ。

一方さやかは、色々と妄想を膨らませてあーでもないこーでもないとよく喋る。
対照的だからバランスが取れてるな、と真春は頭の隅で考えた。

吸い殻を灰皿に捨てて一息つくと、さやかが「もう1本吸ってかない?」と言った。

真春もケースからタバコを出して火をつけた。

「真春は香枝にかなり好かれてるっぽいから何か言ってると思ったんだけどな」

さやかが火をつけながらモゴモゴと言った。

「そんなことないですよ。清水さんが店長だった時はさやかさんと優菜と結構仲良かったじゃないですか」

「えー?そうー?優菜と香枝はなんか2人の世界って感じだったよ」

「そうですか」

「だから尚更、2人がちょっと変な感じなのが気になるんだよね」

2本目のタバコが燃焼し切る頃「てかまじ、もう優菜とか清水さんとかどうでもいいよね」とさやかが呆れながら言った。

「結局、何が本当か分からないですしね」

「そうそう。結果的に別に誰も困ったり傷付いたりしてないしね」

一瞬、香枝のことが脳裏を過った。

真春はさやかの言葉に心の中で、それは違う、と呟いて「ですね」と答え、濁った煙を吸い込んだ。

あの日以来、もうひとつ変わり始めたことがあった。

それは、香枝とほぼ毎日連絡を取り合うようになったということだ。
内容はくだらないことばかり。

香枝の文章はかわいらしくて、どんな内容でも心がほっこりする。
やり取りを繰り返すたびに、前より更に香枝のことが好きになっていることに真春は気付いた。

好きだと言ってしまいたい。

しかし言ってしまったら最後だと思うと、このままでもいいのかなとも思う。
が、香枝が自分のことを好きでいてくれたら…と汚い考えがちらついてしまうのも事実だ。


実習の忙しさに加えて心が穏やかでない日々を過ごしていた中、週末のシフトで久しぶりに未央に会った。

「あ!真春さん!お久しぶりですー」

「未央ー!もう実習疲れた…。代わって」

「やですよ!わたしも来年から行くのに!」

未央は整った顔を少し崩して笑った。

アイドルタイムだというのに、断続的に入るオーダー。
このままディナーも忙しくなったら嫌だなと考えながら、真春と未央は片付けつつ、料理提供をこなしていた。

「もう、そんなに疲れちゃったなら飲みに行くしかなくないですか?」

未央がノリで言う。

「うん、飲みに行くしかない!」

「って言っときながら、あんまお金ないんすよね…」

「心とお財布が釣り合ってないね」

「切ないですー」

未央はトレンチを脇に挟み、肩を落とした。

「あっ!じゃあうち来る?宅飲みなら安いでしょ?」

「え!いいんですか?やったー!ナイスアイデアです。あと誰誘いますか?」

真春の提案に、未央の綺麗な顔がパッと華やいだ。

「んー、誰でもいいよ。未央が好きな人誘って」

「オッケーです!テキトーに誘っときますね!…いつにします?」

「うーん、いつでもいいよ。今日でも」

真春はふざけて言ったつもりだったが未央は「さすが真春さん!ノリがいい!」と本気で受け止め、ガッツポーズまでした。

「え?本気?」

「はい、真春さんが良ければ」

「じゃあ飲んじゃいますー?」

「そうこなくちゃ!」

突然の開催で誰か捕まるのだろうか。



休憩中、未央が今日シフトに入っている人に呼び掛けたところ、唯一大丈夫だったのが香枝だった。

「真春さんの家!真春さんの家!」

香枝はディナー中、そればかり言っていた。

「本当に行っていいんですか?」

「うん」

香枝が自分の部屋に来ると思うと真春はいてもたってもいられなかった。
ドキドキしすぎて、バッシングしてきたお皿を何度も取り落としそうになった。

「香枝、真春さんの家に行くのすごい楽しみにしてるみたいですね」

未央がいつもよりテンション高めで働く香枝を眺めて言った。

「確かに。超ハイテンション」

「ホント、香枝は真春さんのこと大好きですね」

「可愛いよね、香枝って。妹みたいで」

真春は"可愛い"だけだと変に聞こえてしまうのではないかと思い、慌てて"妹みたいで"と付け足した。
何を意識しているんだ、と少し呆れる。

「妹みたいなの、分かります」

「タメでしょ?」

「タメだけどあれはもう完全に妹キャラですよ」

真春と未央が話していると、トレンチにお皿を大量に乗せた香枝が早足でホールから戻って来た。

「妹が来ましたよ」

「えっ?妹ってなにー?!」

「なんでもなーい。真春さん、7番のバッシング一緒に行きましょ!」

香枝はこちらを見て「2人で楽しそうでずるーい」と眉間に皺を寄せた。

「あ、ほら香枝ちゃん、お客さん呼んでるよ」

真春がクスクス笑って「いってらっしゃーい」と手を振ると香枝は「もうっ」と言ってまた早足でホールに戻って行った。


今日は3人とも22時で上がる予定だが、それまでの時間がひどく長く感じる。
いつもなら矢のような速さで過ぎる時間も、今日はスローモーションだ。

チラッと見た時計はまだ19時半。

じわじわと可もなく不可もないスピードでお客さんがやってきて、帰って行く。

無駄に心臓が早鐘を打ち、22時を迎える頃にはそれほど忙しくなかったのに真春はひどく疲弊していた。
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