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【完】淫魔王の性奴隷(ペット)は伴侶(パートナー)となる。
3 父の遺言と命令
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自分の胸に埋めて泣き続ける彰を、アルカシスは穏やかな表情で何も言わず彼の頭を撫でていた。
「ーーいいね?ショウ」
その問いに、彰はコクッ、コクッと何度も首を縦に振って従僕の意思を示すと、か細い声で言った。
「はい。貴方に・・・支配されたい・・・。愛しています、アルカシス様」
『愛しています』
この言葉が、自分の中に深く染み込んでいくのが分かる。まるでその言葉を渇望していたのかというほどに。
アルカシスは彰の言葉を内心噛み締めながら、彼の言葉を受け入れる意思を示した。
「分かった。これで君は、永遠に私のものだ」
アルカシスの胸に埋めていた彰も、その言葉に内心から沸き上がる喜びを噛み締める。
二人を見ていたルシフェルは、泣き続ける彰の頭をクシャッと撫でると彼に笑顔を向けて言った。
「よく言った、ショウ。これでお前とアルカシスは夫婦として成立した。今後はお前はアルカシスの性奴隷(ペット)ではなく、伴侶(パートナー)として、永遠にコイツと生き続ける事になる」
ルシフェルの言葉に彰は疑問を持った。
伴侶(パートナー)?俺が?
ルシフェルの言葉に彰は泣くのを止め、どういう事かと彼を仰ぎ見る。
「伴侶(パートナー)、ですか?」
「そうだ。俺達神の『命の契約』は伴侶が永遠に従僕する事を宣誓する。契約書に互いの名前を書き、宣誓書を伴侶が読み上げる。そしてそれを俺が承認する事で『命の契約』は成立する」
ルシフェルの説明に彰はアルカシスの性奴隷になる事を宣誓したあの『主従契約書』と似ていると思った。
彼の性奴隷(ペット)である自分は『命の契約』は必要ないのではないか?
彰はルシフェルに尋ねる。
「ルシフェルさん、俺はアルカシス様と『主従契約書』を結んでいます。それでは駄目なんですか?」
彰の問いにルシフェルは首を横に振って否定する。
「それは淫魔側の契約だから内容が違う。今回アルカシスは『闘神』として復活している。淫魔時代に結んだ契約は白紙に戻ったと認識していい。だからもう一度、お前達は契約を結び直す必要がある」
「もう一度・・・」
ルシフェルによれば、彰がアルカシスと結ばされた『主従契約書』はアルカシスが淫魔として契約したものだ。だが淫魔としてのアルカシスは一度死んでおり、その際契約も消滅したという。
「そうだ。今お前とアルカシスは、従僕関係ではない。そのため、他の奴等はトールやロキのようにお前に接触して強引に契約を結ぶ事も可能なわけだ。『魅惑の人』のお前の存在は、既にコキュートス中に知られている。神すら魅了し神力を高める事ができるお前の存在は他の神々も知っている。今アルカシスと契約を結ばなければ、いずれお前は他の奴等と『命の契約』を結ばされる事になる。そうなれば、もうコイツとも結ばれる事はない」
ルシフェルの言葉に彰は困惑し目を見開いた。
このままでは、また彼と離れ離れになる。
なら、まだ完全に信用できないが、ルシフェルの言葉を信じてお願いするしかない。
彰はルシフェルに頭を下げた。
「お願いします。ルシフェルさん、承認になってください」
その言葉にルシフェルは口端を吊り上げた。
この人間は賢い。状況把握ができる奴は嫌いじゃない。
ルシフェルは次の言葉を、彰とアルカシスに向けて言った。
「ーー受理した」
* * *
次にルシフェルは二人の目の前で大剣を出現させた。
剣身が長く、鍔(つば)と太い握りの部分が西洋の剣を連想させる。その剣に樋(とい)と呼ばれる溝には既に固まった血がこびり付いている。
ルシフェルは大剣を出現させると、刃先を床に置いた。
「アルカシス、これは返してやる。アレスは、この大剣はお前に渡せと言って俺に預からせた物だからな」
彰は、始めて見た巨大な剣にアルカシスに抱えられながらもまじまじと見つめた。
樋という溝には血がこびり付いていて完全に固まっている。しかし剣その物は錆びておらず、刃先は鋭く光っている。どこも刃毀れはしていない。新品のような輝きを放つそれを、アルカシスは彰をベッドへ戻して剣のグリップを掴んだ。
刃毀れしていない刃先をルシフェルに向けると、輝きを放つそこには彼の姿が映り込んだ。そのままアルカシスはルシフェルに尋ねる。
「これについて私も知りたいと思っていました。この樋にこびり付いた血。幾人の者を斬り捨てた痕跡ですね?なぜ父は、これだけこびり付くほど多くの血を流されたのですか?」
トールと交戦した時、彼はこの剣を【神殺しの大剣】と呼んでいた。それも関係があるのか。
アルカシスの問いにルシフェルは寂しそうに息を吐いて言った。
「これは、俺達同胞の血だ。アレスは、お前の父は、コキュートスに堕とされ矜持も理性も失い醜悪な化け物になった同胞達を、斬り捨てたんだ。それ故この剣は【神殺しの大剣】と呼ばれアレスのみしか扱う事を許さなかった」
「父上が?」
アルカシスの問いにルシフェルは頷いた。そのまま話を続ける彼は、アルカシスと彰を見据えている。
「コキュートスに堕とされた直後の事だった。皆大神に敗北した事を痛感し、最下層の氷上の大地に堕とされた事で絶望した者が数多くいた。元来大神により創られた俺達の美しい姿が一人、また一人と醜悪で理性のない化け物へ変貌した。理性のなくなった彼等には俺達の言葉は届かなかった。危険を察知したアレスは大剣で次々に同胞達を斬り捨てた。その樋に付いた血は、その時のものだ」
「なぜ父はこんな事を・・・」
アルカシスは呆然とした。
父からは、そんな話は一度も聞いた事はなかったからだ。
「大神の狙いは俺達の同士討ちだ。二度と反旗を翻す事がないよう、徹底した粛正だった。だが俺達も全滅するわけにはいかなかった。誰かが生き残り新たな戦士と共に再戦を誓った。その為にアレスは、自ら汚れ役を買って出たんだ。ところが、何人も斬り捨てたアレスは精神を病む程追い詰められていた。そしてある日、アレスは失踪した」
ルシフェルの言葉に呆然としたアルカシスだったが父の経緯を知る為、目を細め彼の話を聞いた。彰も彼と共にルシフェルの話に耳を傾ける。
「失踪した奴を捜索したところ、上階の淫魔界で淫魔の女王に平伏し忠誠を誓う奴を発見した。それが、淫魔女王エカテリィーゼ。アレスは、お前の母の虜になってしまっていたんだ」
アルカシスはルシフェルに目を見据えるだけ。そのままルシフェルは話を続けた。
「俺達はアレスにすぐに戻るよう説得した。しかしアレスは頑として首を縦に振ることはなかった」
精神を病んだアレスがコキュートスへの帰還を拒み続け、頑なに淫魔界に留まる理由を彼はトールと共に問い詰めた。
すると、彼は穏やかな口調でこう言ったという。
『妻と、子ども達がいるのだ。私はこちらで、夫として父として過ごしたい』
この言葉に自分もトールも言葉が出ず唖然としたという。それからすぐ怒りに感情が変わったトールは、双子の兄である彼に詰め寄った。
『何が夫として父として過ごしたいだ!忘れたのか兄よ!大神は私達を同士討ちさせる為あの氷上の大地に堕としたのだ!私達は奴への再戦を掲げたじゃないか!貴方だって、その手で幾人の同胞達を手にかけたのは、彼等へ再戦を誓ったからではないのか!?』
怒り心頭だったトールは、なぜアレスが淫魔界で過ごすと言ったのか。
彼も自分も、アレスの真意を汲み取る余裕がなかったのも事実だった。
詰め寄るトールにアレスは距離を取ると、彼を説得するように言った。
『トール。私も大神へ再戦の気持ちはある。私が斬り捨てた幾人の同胞達の無念は私も分かっている。だが、今再戦を挑むのは尚早だ。その前に私達には大事な役目がある。私には既に11人の子ども達がいる。彼等を育て彼等の中から強い戦士を育てる事が大神への確実な勝利の道筋ではないか!?』
それから彼はトールにこう言った。
『お前も伴侶を見つけるんだ。同胞の数が少なくなった現状では、まずは我々を理解する味方を作る事が先決だ。そして子孫を育てろ。必ず我々の再戦の時は来る。それまで我々は確実に勝利する為の素地を作るんだ』
『ふざけるな!!』
アレスの言葉に、トールは我慢ならず彼の顔を殴った。
殴られた衝撃でアレスは地面に尻餅をついてしまった。驚いたルシフェルはトールの拳を押さえるが彼の怒りは鎮まらなかった。
『何が伴侶を見つけろだ!貴方は我々神の矜持を汚して、格下の淫魔の女と夫婦となった!『闘神』としての矜持を汚した貴方も、最早死んだも同然だ!ここで私が貴方を殺す!』
『トール、止めろ!』
ルシフェルは大声でトールを制止する。納得がいかない彼は、鋭い目つきでルシフェルを睨んだ。
『なぜ止めるのですルシフェル。彼は格下の淫魔に膝を折り忠誠を誓った。これだけでも彼は『闘神』の矜持を汚したと同義。彼はもう神としての矜持すら皆無に等しいのです。ここで彼を殺さなければ我々神の矜持が保てずさらに多くの同胞を失う事になります』
自分に訴えるトールの目頭には涙が浮かんでいる。
彼がこの決断を下さなければならない葛藤を考えると、やるせなさを感じずにはいられないのだろう。
だが。と、ルシフェルはトールの震える拳を握ったまま厳かに言った。
『コキュートスへ帰還する。来い、トール』
『なぜです!アレスをこのままにするつもりですか!?』
トールは納得いかずルシフェルに食ってかかる。ルシフェルはトールの拳を押さえたまま、尻餅を付いたままのアレスに目を向けて言った。
『アレス。お前の事情も分かった。だが、神の矜持を汚した事も事実。お前を『闘神』の籍から廃籍とする。淫魔の女と、好きなだけ子孫を残すといい』
そう言い残して、トールとルシフェルはコキュートスへ帰還した。しかしトールはそれからもアレスがエカテリィーゼと夫婦となった事が許せず、淫魔界へ奇襲し度々アレスと衝突した。妻や子ども達へ危害が及ぶ事を危惧したアレスは、秘密裏にルシフェルと密会した。
『ルシフェル、これを』
その時、託されたのがこの大剣だという。
『トールは神の矜持に支配されている。私と奴の間には既に力の開きがある。私は奴の怒りを受け止めるつもりだ。だが子ども達は奴に殺される謂れはない。これを、私の力を受け継ぐ息子(アルカシス)に渡して欲しい』
「・・・それがこの大剣だ。その後アレスはトールに殺され、事実上闘神の籍は空白となった」
話を聞いたアルカシスはルシフェルから剣を抜くと刃先を鞘に納めた。
アルカシスは口を開いた。
「私が闘神の籍に就いたのは・・・」
彼は彰に目を向けた。
「アルカシス様?」
唐突に彼に視線を向けられた彰は彼の表情にドキドキと鼓動が高鳴った。
「ショウが私に向けてくれた【愛】を得る為だ。貴方がたの事情で大神への意趣返しに関わるつもりはない。単なる意趣返しならばルシフェル、貴方一人だけで大神と戦えばいい話だ」
アルカシスの言葉にルシフェルは首を横に振った。
「お前がどう受け取るか構わないが、俺達は別に堕とされた事への意趣返しを企んでいるわけではない。あの闘いは大神に足元を掬われたが故の敗北で、俺達がコキュートスに堕とされたのもその結果だと考えている。だが、大神だけは何としても倒さねばならない」
「なぜ?」
アルカシスは再度ルシフェルに問う。
意趣返しではないというならばなぜ大神に再戦するのか。
するとルシフェルはベッドに座ったまま二人の会話を聞いていた彰に声をかけた。
「ショウ、お前は人間界にいた頃人間達との関係はどうだった?」
「え?関係、ですか?」
なぜ急にそんな事を聞くのか。
彰はルシフェルに疑問を持ちながらも、俯いたまま答えた。
「全然、駄目でした。俺は昔から同級生にいじめられて友達がいなくて、両親は常に俺と兄貴を比べて俺を出来損ないと呼んでいましたから・・・」
両親は、自分より出来のいい兄を可愛がっていた。医師家系の為か兄が国立大学の医学部に合格が決まると、それこそ彼等は大喜びだった。
反対に、高校卒業の進路で自分も医学部に進学したい事を打ち明けた時は『お前は必要ない』と進路希望を記載する書類を破り捨てられたのだ。これにカチンと堪忍袋の緒が切れた彰は、初めて彼等に罵詈雑言の大喧嘩をした。これがきっかけで彼等は勘当を言い渡し、高校卒業後は逃げるように県外へ就職し家を出て行った。
親の援助がなくても、自分の力で医師になると決めて。
彰の話を聞いたアルカシスは、なぜ医師になりたかったのか尋ねた。
「私が君を見つけた時、君は酷くやつれていた。なぜそこまでして、医師になりたい?両親や兄への意趣返しなのか?」
そうではない、と彰は首を横に振った。
「俺、婆ちゃん子なんです。もう亡くなったんですが、婆ちゃんも医師だったんです。俺の育った地域は障害がある人を毛嫌いするところで、時代遅れですが差別もそうだし、患者さんには住む場所でいじめられて引っ越ししたという話も聞いた事もありました。みんな、普通の人なのに。でも婆ちゃんは、とても丁寧にあの人達を診察してくれていたんです。俺も手伝っていたから、患者さん達は好きだった。それに婆ちゃんは、よく俺に言っていたんです」
彰の脳内で診察に訪れた患者達が祖母と会話している姿が思い出された。ある者は穏やかな、またある者は切羽詰まった表情で。祖母は彼等の表情や言葉をそのまま受け止めていた。
彼女は、自分によく言っていた。
『医者は病気を治す事だけが仕事じゃないの。その人の生活を支えて手を貸すのも仕事なの。だから、ウチに来る患者さんに困っている事があればどうすればいいのか一緒に考えるようにしているの。だって生活しているのはその人で、ウチに来ているのはその人が困っているから』
そう言っていた祖母も自分が高校卒業時亡くなった。でも彼女の思いは患者さん達には必要だと分かっていた。だから、医学部を目指そうとしていたのに。
ルシフェルは彰の話を聞くと、やはりな・・・と納得した様子で彼に言った。
「『魅惑の人』にはお前のような境遇の人間が多くいた。生育環境による例外はあったが、お前のように純朴な人間が多かった。なぜなら『魅惑の人』という存在は、大神が特に愛していた魂だったからだ」
彰とアルカシスはルシフェルの言葉に驚きを隠せなかった。
「そういえば、ロキは初めて俺を見て『魅惑の人』だと分かったと言っていました。どうして分かったんです?」
彰はルシフェルに問うと、彼は立ち上がり彰の額に指を当てる。すると、彼の指から仄かな赤い光が発した。
「これ・・・」
「これが証拠だ」
光は彼の指が離れるとゆっくりと消えた。
「『魅惑の人』には身体的特徴はない。従って人間では特定する事は不可能だが、人間以外の者が一度その者に会うとその魂の仄かな色に魅了され『魅惑の人』が誰なのかすぐに分かる。アルカシス、お前もそうだろ?」
「その通りです」
アルカシスはルシフェルの言葉に頷いた。彼も『魅惑の人』を知る者だったからだ。
大神は、自分が創造した人間界に自分に似た生き物である人間を創造し、彼等を愛でていた。自分達に人間の守護を任せる程、自分と姿が似ている彼等を愛していた。
だが、いつの間にか人間は『知識』を得る事で大神の意図する愛でる人形から脱却する者が現れた。その事に怒りを覚えた大神は自分達配下である神を使い粛正という形で人間を一掃しようとしたという。
これで、常日頃大神の傲慢さに我慢を重ねていた自分達は反旗を翻す事にした。
「俺達が大神に反旗を翻したのは、奴の傲慢さから解放されるためでもあった。同時に、支配されていた人間達を解放し自立に向かわせる為だ。だが結果は失敗に終わった。だが俺達は諦めていない。もう一度奴と戦う。だがその為にショウ、お前にやるべき事がある」
「俺に?」
指名された彰は何なのかとルシフェルを仰ぎ見る。彼は彰にある命令を下した。
「アルカシスに【愛】を教える事だ。これはお前にしかできん。再戦の時まで、アルカシスが【愛】を知れば俺達は大神に今度こそ勝利できる」
「俺が、ですか?」
驚いた彰はルシフェルの命令に頷く事ができなかった。
【愛】を?
ずっと孤独だった自分が、彼に教える事ができるのか?
彰はルシフェルの命令に首を横に振った。
「ルシフェルさん、俺は【愛】を知らないんです。俺はずっと孤独でした。それなのに、アルカシス様に愛を教えるなんて・・・」
できない。
そう言おうとしたら、ルシフェルが厳しい表情で自分を睨んでいた。その凄みに彰は圧を感じた。
「お前はアルカシスの【支配】を受け入れただろ?既に答えが出ている事がまだ分からんのか。ショウ、過去の人生に区切りを付けろ。お前が、アルカシスの伴侶(パートナー)だ。相棒がいなければ【愛】は成立しない。闘神は【愛】を知らなければただの戦闘狂に成り下がる。だが【愛】を知れば、闘神は大神と同等の崇高な神となる。アルカシスを今後戦闘狂にするか、矜持を持つ神となるかはお前次第だ、ショウ」
ルシフェルの有無を言わせない説得に、彰はアルカシスを見た。
彼を闘神の籍に就いたきっかけを作ったのは自分だ。ならばただ殺戮を繰り返す戦闘狂にはしたくない。
ならば。
自分の答えは決まっていた。だったらルシフェルの言う通り、もう過去の人生から区切りを付けていい筈だ。
覚悟を決めた彰は、ルシフェルに言った。
「分かりました。俺がアルカシス様に【愛】を教えます。この人を、闘神にしたのは俺ですから」
「ーーいいね?ショウ」
その問いに、彰はコクッ、コクッと何度も首を縦に振って従僕の意思を示すと、か細い声で言った。
「はい。貴方に・・・支配されたい・・・。愛しています、アルカシス様」
『愛しています』
この言葉が、自分の中に深く染み込んでいくのが分かる。まるでその言葉を渇望していたのかというほどに。
アルカシスは彰の言葉を内心噛み締めながら、彼の言葉を受け入れる意思を示した。
「分かった。これで君は、永遠に私のものだ」
アルカシスの胸に埋めていた彰も、その言葉に内心から沸き上がる喜びを噛み締める。
二人を見ていたルシフェルは、泣き続ける彰の頭をクシャッと撫でると彼に笑顔を向けて言った。
「よく言った、ショウ。これでお前とアルカシスは夫婦として成立した。今後はお前はアルカシスの性奴隷(ペット)ではなく、伴侶(パートナー)として、永遠にコイツと生き続ける事になる」
ルシフェルの言葉に彰は疑問を持った。
伴侶(パートナー)?俺が?
ルシフェルの言葉に彰は泣くのを止め、どういう事かと彼を仰ぎ見る。
「伴侶(パートナー)、ですか?」
「そうだ。俺達神の『命の契約』は伴侶が永遠に従僕する事を宣誓する。契約書に互いの名前を書き、宣誓書を伴侶が読み上げる。そしてそれを俺が承認する事で『命の契約』は成立する」
ルシフェルの説明に彰はアルカシスの性奴隷になる事を宣誓したあの『主従契約書』と似ていると思った。
彼の性奴隷(ペット)である自分は『命の契約』は必要ないのではないか?
彰はルシフェルに尋ねる。
「ルシフェルさん、俺はアルカシス様と『主従契約書』を結んでいます。それでは駄目なんですか?」
彰の問いにルシフェルは首を横に振って否定する。
「それは淫魔側の契約だから内容が違う。今回アルカシスは『闘神』として復活している。淫魔時代に結んだ契約は白紙に戻ったと認識していい。だからもう一度、お前達は契約を結び直す必要がある」
「もう一度・・・」
ルシフェルによれば、彰がアルカシスと結ばされた『主従契約書』はアルカシスが淫魔として契約したものだ。だが淫魔としてのアルカシスは一度死んでおり、その際契約も消滅したという。
「そうだ。今お前とアルカシスは、従僕関係ではない。そのため、他の奴等はトールやロキのようにお前に接触して強引に契約を結ぶ事も可能なわけだ。『魅惑の人』のお前の存在は、既にコキュートス中に知られている。神すら魅了し神力を高める事ができるお前の存在は他の神々も知っている。今アルカシスと契約を結ばなければ、いずれお前は他の奴等と『命の契約』を結ばされる事になる。そうなれば、もうコイツとも結ばれる事はない」
ルシフェルの言葉に彰は困惑し目を見開いた。
このままでは、また彼と離れ離れになる。
なら、まだ完全に信用できないが、ルシフェルの言葉を信じてお願いするしかない。
彰はルシフェルに頭を下げた。
「お願いします。ルシフェルさん、承認になってください」
その言葉にルシフェルは口端を吊り上げた。
この人間は賢い。状況把握ができる奴は嫌いじゃない。
ルシフェルは次の言葉を、彰とアルカシスに向けて言った。
「ーー受理した」
* * *
次にルシフェルは二人の目の前で大剣を出現させた。
剣身が長く、鍔(つば)と太い握りの部分が西洋の剣を連想させる。その剣に樋(とい)と呼ばれる溝には既に固まった血がこびり付いている。
ルシフェルは大剣を出現させると、刃先を床に置いた。
「アルカシス、これは返してやる。アレスは、この大剣はお前に渡せと言って俺に預からせた物だからな」
彰は、始めて見た巨大な剣にアルカシスに抱えられながらもまじまじと見つめた。
樋という溝には血がこびり付いていて完全に固まっている。しかし剣その物は錆びておらず、刃先は鋭く光っている。どこも刃毀れはしていない。新品のような輝きを放つそれを、アルカシスは彰をベッドへ戻して剣のグリップを掴んだ。
刃毀れしていない刃先をルシフェルに向けると、輝きを放つそこには彼の姿が映り込んだ。そのままアルカシスはルシフェルに尋ねる。
「これについて私も知りたいと思っていました。この樋にこびり付いた血。幾人の者を斬り捨てた痕跡ですね?なぜ父は、これだけこびり付くほど多くの血を流されたのですか?」
トールと交戦した時、彼はこの剣を【神殺しの大剣】と呼んでいた。それも関係があるのか。
アルカシスの問いにルシフェルは寂しそうに息を吐いて言った。
「これは、俺達同胞の血だ。アレスは、お前の父は、コキュートスに堕とされ矜持も理性も失い醜悪な化け物になった同胞達を、斬り捨てたんだ。それ故この剣は【神殺しの大剣】と呼ばれアレスのみしか扱う事を許さなかった」
「父上が?」
アルカシスの問いにルシフェルは頷いた。そのまま話を続ける彼は、アルカシスと彰を見据えている。
「コキュートスに堕とされた直後の事だった。皆大神に敗北した事を痛感し、最下層の氷上の大地に堕とされた事で絶望した者が数多くいた。元来大神により創られた俺達の美しい姿が一人、また一人と醜悪で理性のない化け物へ変貌した。理性のなくなった彼等には俺達の言葉は届かなかった。危険を察知したアレスは大剣で次々に同胞達を斬り捨てた。その樋に付いた血は、その時のものだ」
「なぜ父はこんな事を・・・」
アルカシスは呆然とした。
父からは、そんな話は一度も聞いた事はなかったからだ。
「大神の狙いは俺達の同士討ちだ。二度と反旗を翻す事がないよう、徹底した粛正だった。だが俺達も全滅するわけにはいかなかった。誰かが生き残り新たな戦士と共に再戦を誓った。その為にアレスは、自ら汚れ役を買って出たんだ。ところが、何人も斬り捨てたアレスは精神を病む程追い詰められていた。そしてある日、アレスは失踪した」
ルシフェルの言葉に呆然としたアルカシスだったが父の経緯を知る為、目を細め彼の話を聞いた。彰も彼と共にルシフェルの話に耳を傾ける。
「失踪した奴を捜索したところ、上階の淫魔界で淫魔の女王に平伏し忠誠を誓う奴を発見した。それが、淫魔女王エカテリィーゼ。アレスは、お前の母の虜になってしまっていたんだ」
アルカシスはルシフェルに目を見据えるだけ。そのままルシフェルは話を続けた。
「俺達はアレスにすぐに戻るよう説得した。しかしアレスは頑として首を縦に振ることはなかった」
精神を病んだアレスがコキュートスへの帰還を拒み続け、頑なに淫魔界に留まる理由を彼はトールと共に問い詰めた。
すると、彼は穏やかな口調でこう言ったという。
『妻と、子ども達がいるのだ。私はこちらで、夫として父として過ごしたい』
この言葉に自分もトールも言葉が出ず唖然としたという。それからすぐ怒りに感情が変わったトールは、双子の兄である彼に詰め寄った。
『何が夫として父として過ごしたいだ!忘れたのか兄よ!大神は私達を同士討ちさせる為あの氷上の大地に堕としたのだ!私達は奴への再戦を掲げたじゃないか!貴方だって、その手で幾人の同胞達を手にかけたのは、彼等へ再戦を誓ったからではないのか!?』
怒り心頭だったトールは、なぜアレスが淫魔界で過ごすと言ったのか。
彼も自分も、アレスの真意を汲み取る余裕がなかったのも事実だった。
詰め寄るトールにアレスは距離を取ると、彼を説得するように言った。
『トール。私も大神へ再戦の気持ちはある。私が斬り捨てた幾人の同胞達の無念は私も分かっている。だが、今再戦を挑むのは尚早だ。その前に私達には大事な役目がある。私には既に11人の子ども達がいる。彼等を育て彼等の中から強い戦士を育てる事が大神への確実な勝利の道筋ではないか!?』
それから彼はトールにこう言った。
『お前も伴侶を見つけるんだ。同胞の数が少なくなった現状では、まずは我々を理解する味方を作る事が先決だ。そして子孫を育てろ。必ず我々の再戦の時は来る。それまで我々は確実に勝利する為の素地を作るんだ』
『ふざけるな!!』
アレスの言葉に、トールは我慢ならず彼の顔を殴った。
殴られた衝撃でアレスは地面に尻餅をついてしまった。驚いたルシフェルはトールの拳を押さえるが彼の怒りは鎮まらなかった。
『何が伴侶を見つけろだ!貴方は我々神の矜持を汚して、格下の淫魔の女と夫婦となった!『闘神』としての矜持を汚した貴方も、最早死んだも同然だ!ここで私が貴方を殺す!』
『トール、止めろ!』
ルシフェルは大声でトールを制止する。納得がいかない彼は、鋭い目つきでルシフェルを睨んだ。
『なぜ止めるのですルシフェル。彼は格下の淫魔に膝を折り忠誠を誓った。これだけでも彼は『闘神』の矜持を汚したと同義。彼はもう神としての矜持すら皆無に等しいのです。ここで彼を殺さなければ我々神の矜持が保てずさらに多くの同胞を失う事になります』
自分に訴えるトールの目頭には涙が浮かんでいる。
彼がこの決断を下さなければならない葛藤を考えると、やるせなさを感じずにはいられないのだろう。
だが。と、ルシフェルはトールの震える拳を握ったまま厳かに言った。
『コキュートスへ帰還する。来い、トール』
『なぜです!アレスをこのままにするつもりですか!?』
トールは納得いかずルシフェルに食ってかかる。ルシフェルはトールの拳を押さえたまま、尻餅を付いたままのアレスに目を向けて言った。
『アレス。お前の事情も分かった。だが、神の矜持を汚した事も事実。お前を『闘神』の籍から廃籍とする。淫魔の女と、好きなだけ子孫を残すといい』
そう言い残して、トールとルシフェルはコキュートスへ帰還した。しかしトールはそれからもアレスがエカテリィーゼと夫婦となった事が許せず、淫魔界へ奇襲し度々アレスと衝突した。妻や子ども達へ危害が及ぶ事を危惧したアレスは、秘密裏にルシフェルと密会した。
『ルシフェル、これを』
その時、託されたのがこの大剣だという。
『トールは神の矜持に支配されている。私と奴の間には既に力の開きがある。私は奴の怒りを受け止めるつもりだ。だが子ども達は奴に殺される謂れはない。これを、私の力を受け継ぐ息子(アルカシス)に渡して欲しい』
「・・・それがこの大剣だ。その後アレスはトールに殺され、事実上闘神の籍は空白となった」
話を聞いたアルカシスはルシフェルから剣を抜くと刃先を鞘に納めた。
アルカシスは口を開いた。
「私が闘神の籍に就いたのは・・・」
彼は彰に目を向けた。
「アルカシス様?」
唐突に彼に視線を向けられた彰は彼の表情にドキドキと鼓動が高鳴った。
「ショウが私に向けてくれた【愛】を得る為だ。貴方がたの事情で大神への意趣返しに関わるつもりはない。単なる意趣返しならばルシフェル、貴方一人だけで大神と戦えばいい話だ」
アルカシスの言葉にルシフェルは首を横に振った。
「お前がどう受け取るか構わないが、俺達は別に堕とされた事への意趣返しを企んでいるわけではない。あの闘いは大神に足元を掬われたが故の敗北で、俺達がコキュートスに堕とされたのもその結果だと考えている。だが、大神だけは何としても倒さねばならない」
「なぜ?」
アルカシスは再度ルシフェルに問う。
意趣返しではないというならばなぜ大神に再戦するのか。
するとルシフェルはベッドに座ったまま二人の会話を聞いていた彰に声をかけた。
「ショウ、お前は人間界にいた頃人間達との関係はどうだった?」
「え?関係、ですか?」
なぜ急にそんな事を聞くのか。
彰はルシフェルに疑問を持ちながらも、俯いたまま答えた。
「全然、駄目でした。俺は昔から同級生にいじめられて友達がいなくて、両親は常に俺と兄貴を比べて俺を出来損ないと呼んでいましたから・・・」
両親は、自分より出来のいい兄を可愛がっていた。医師家系の為か兄が国立大学の医学部に合格が決まると、それこそ彼等は大喜びだった。
反対に、高校卒業の進路で自分も医学部に進学したい事を打ち明けた時は『お前は必要ない』と進路希望を記載する書類を破り捨てられたのだ。これにカチンと堪忍袋の緒が切れた彰は、初めて彼等に罵詈雑言の大喧嘩をした。これがきっかけで彼等は勘当を言い渡し、高校卒業後は逃げるように県外へ就職し家を出て行った。
親の援助がなくても、自分の力で医師になると決めて。
彰の話を聞いたアルカシスは、なぜ医師になりたかったのか尋ねた。
「私が君を見つけた時、君は酷くやつれていた。なぜそこまでして、医師になりたい?両親や兄への意趣返しなのか?」
そうではない、と彰は首を横に振った。
「俺、婆ちゃん子なんです。もう亡くなったんですが、婆ちゃんも医師だったんです。俺の育った地域は障害がある人を毛嫌いするところで、時代遅れですが差別もそうだし、患者さんには住む場所でいじめられて引っ越ししたという話も聞いた事もありました。みんな、普通の人なのに。でも婆ちゃんは、とても丁寧にあの人達を診察してくれていたんです。俺も手伝っていたから、患者さん達は好きだった。それに婆ちゃんは、よく俺に言っていたんです」
彰の脳内で診察に訪れた患者達が祖母と会話している姿が思い出された。ある者は穏やかな、またある者は切羽詰まった表情で。祖母は彼等の表情や言葉をそのまま受け止めていた。
彼女は、自分によく言っていた。
『医者は病気を治す事だけが仕事じゃないの。その人の生活を支えて手を貸すのも仕事なの。だから、ウチに来る患者さんに困っている事があればどうすればいいのか一緒に考えるようにしているの。だって生活しているのはその人で、ウチに来ているのはその人が困っているから』
そう言っていた祖母も自分が高校卒業時亡くなった。でも彼女の思いは患者さん達には必要だと分かっていた。だから、医学部を目指そうとしていたのに。
ルシフェルは彰の話を聞くと、やはりな・・・と納得した様子で彼に言った。
「『魅惑の人』にはお前のような境遇の人間が多くいた。生育環境による例外はあったが、お前のように純朴な人間が多かった。なぜなら『魅惑の人』という存在は、大神が特に愛していた魂だったからだ」
彰とアルカシスはルシフェルの言葉に驚きを隠せなかった。
「そういえば、ロキは初めて俺を見て『魅惑の人』だと分かったと言っていました。どうして分かったんです?」
彰はルシフェルに問うと、彼は立ち上がり彰の額に指を当てる。すると、彼の指から仄かな赤い光が発した。
「これ・・・」
「これが証拠だ」
光は彼の指が離れるとゆっくりと消えた。
「『魅惑の人』には身体的特徴はない。従って人間では特定する事は不可能だが、人間以外の者が一度その者に会うとその魂の仄かな色に魅了され『魅惑の人』が誰なのかすぐに分かる。アルカシス、お前もそうだろ?」
「その通りです」
アルカシスはルシフェルの言葉に頷いた。彼も『魅惑の人』を知る者だったからだ。
大神は、自分が創造した人間界に自分に似た生き物である人間を創造し、彼等を愛でていた。自分達に人間の守護を任せる程、自分と姿が似ている彼等を愛していた。
だが、いつの間にか人間は『知識』を得る事で大神の意図する愛でる人形から脱却する者が現れた。その事に怒りを覚えた大神は自分達配下である神を使い粛正という形で人間を一掃しようとしたという。
これで、常日頃大神の傲慢さに我慢を重ねていた自分達は反旗を翻す事にした。
「俺達が大神に反旗を翻したのは、奴の傲慢さから解放されるためでもあった。同時に、支配されていた人間達を解放し自立に向かわせる為だ。だが結果は失敗に終わった。だが俺達は諦めていない。もう一度奴と戦う。だがその為にショウ、お前にやるべき事がある」
「俺に?」
指名された彰は何なのかとルシフェルを仰ぎ見る。彼は彰にある命令を下した。
「アルカシスに【愛】を教える事だ。これはお前にしかできん。再戦の時まで、アルカシスが【愛】を知れば俺達は大神に今度こそ勝利できる」
「俺が、ですか?」
驚いた彰はルシフェルの命令に頷く事ができなかった。
【愛】を?
ずっと孤独だった自分が、彼に教える事ができるのか?
彰はルシフェルの命令に首を横に振った。
「ルシフェルさん、俺は【愛】を知らないんです。俺はずっと孤独でした。それなのに、アルカシス様に愛を教えるなんて・・・」
できない。
そう言おうとしたら、ルシフェルが厳しい表情で自分を睨んでいた。その凄みに彰は圧を感じた。
「お前はアルカシスの【支配】を受け入れただろ?既に答えが出ている事がまだ分からんのか。ショウ、過去の人生に区切りを付けろ。お前が、アルカシスの伴侶(パートナー)だ。相棒がいなければ【愛】は成立しない。闘神は【愛】を知らなければただの戦闘狂に成り下がる。だが【愛】を知れば、闘神は大神と同等の崇高な神となる。アルカシスを今後戦闘狂にするか、矜持を持つ神となるかはお前次第だ、ショウ」
ルシフェルの有無を言わせない説得に、彰はアルカシスを見た。
彼を闘神の籍に就いたきっかけを作ったのは自分だ。ならばただ殺戮を繰り返す戦闘狂にはしたくない。
ならば。
自分の答えは決まっていた。だったらルシフェルの言う通り、もう過去の人生から区切りを付けていい筈だ。
覚悟を決めた彰は、ルシフェルに言った。
「分かりました。俺がアルカシス様に【愛】を教えます。この人を、闘神にしたのは俺ですから」
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