上 下
1 / 36

1

しおりを挟む

 幸せだった。
 だから、旦那様の幸せを心から願っています。
 




「陰気な顔を見せるな、そう言われて無かった?」

 旦那様の愛する人、ジョスクからそう言われた。
 旦那様からは何も言われなかった、とテイトは記憶していた。
 そう、特に殴られるような事も無かったが、存在すらしない幽霊の様に誰からも扱われて来た。
 男性の性別のほかに、子供を産める男性の二つの性のため、テイトはこの屋敷の持ち主であるザクロの伴侶として嫁してきた。

「ここ、は、僕の部屋、ですので」

 旦那様が持つ屋敷の敷地内の一番奥まった雑木林の中が、ジョスクから言われたテイトが存在して良い空間で、そこに自分で作った小屋、いや、ただの布切れを渡しただけの空間と木々の枝葉が屋根の代わりの部屋に入って来て、顔を見せるなとは随分理不尽だった。

「その顔、不満がありそうだね。
 私がどこへ行こうと、どこへ入ろうと許された者だって分からないのかい?
 全く、いくらお前の実家の身分が公爵だからって、私生児ならもっと弁えているべきじゃないのかな?」

 テイトが考えあぐねたまま立っていると、頭や肩を押さえつけられてその膝を無理矢理折り、更に平伏するように頭を押さえつけられた。

「いえ、ですが、こ、こ、は、顔を、見せなくて、よい、からと、与えられた、ばしょ」

「地面に向かって喋ると、その聞き取りづらいお前の言葉が余計に分からなくなるなぁ」


 随分と長い間、会話どころか声すら出していなかったせいもあり、言葉が出ずうまく単語を繋げて喋ると言う事が出来なくなっていた。
 公爵家ではご当主様が馬屋番をしていたテイトの親を暇つぶしに犯したせいで生まれた、汚らわしい子供だったから扱いも当然家畜以下な扱いだった。

 産んでくれた親は一応愛妾として部屋を与えられるまでにはなったが、テイトは使用人部屋で育てられて年に二回だけ会う事を許されていた。
 お互いの誕生日だけは一緒に過ごして、一緒に眠ることが唯一の幸せだった。
 たった二日間の幸せすら疎ましく思う人たちに、罵倒したり死なない程度に殴る蹴るを受けて、治らない傷やケガで足を引きずるようになった時には、十歳を超えていた。

 そのうち顔は折れたままでくっついた顎や鼻のせいで、バケモノの様だった。
 顎と鼻がずれていると声も言葉も空気が漏れたような音しか出せなくなって、成長してどんどん醜くなると、実の親とテイトは顔を合わせる事が出来なくなっていた。
 年二回の面会が一度延期されると、二度と約束が果たされることは無く、それを見捨てられたのだと判断した下男達が、よりもっと下の汚物の処理や忌み嫌われる仕事をさせる事で、彼らの欝憤を晴らす道具となっていた。
 そんな中で十八の歳になった時に、公爵家と取引がしたいヤクザ者のザクロが、表向きはテイトを押し付けられる形で婚姻をする事になったために、本来結婚して伴侶になるはずだった男爵位を持つジョスクが、愛妾という立場になってしまった事で、テイトに腹を立てるのも理解していた。


「取引の為とは言え、お前の様な者がこの敷地内にいるなんて、汚いし私が気に入らないんだ。
 出て行ってもらえないかな?」

「あ、の、旦那、さまの、お許しさえ、いただけ、れば」

「私が、言ってるだけでは駄目ってことなのかい?」

「で、すが、公爵、家との、お話しが、あるので」

 平伏したまま答えた。

「わかった、今夜、待ってて」

 苛立ちを隠そうともしないまま、彼は足早に雑木林を抜けて行った。
 その後ろ姿を見送りながら、小屋の中にある私物をまとめなくちゃ、と立ち上がった。

「ここにある物で私物って、数枚の着物と今履いてる靴だけだしなぁ。
 あ、あと親からもらった手紙だ」

 相手がいなければ普通に喋れた。
 ちょっと変な音だけど、とテイトは独り笑った。

 字は独学で覚えた。
 公爵家の家庭教師が教えてるのを窓越しに隠れてみて、計算も足し算引き算、掛け算に割り算が出来るようになった。
 勉強嫌いの公爵家の子達のお陰だった。
 宿題やら教本やらをすぐに捨てるから、それを使って勉強した。
 顔を隠したら、何かしら仕事が貰えないだろうか、そう考えていたから頑張れた事だった。
 公爵家を出て、一人で暮らしていかなければいけない事が間近に迫っていることが分かっていたテイトに、この婚姻は降って湧いた幸運だった。
 会えなくなった親は、テイトを捨てた訳じゃなく、その身体を引き換えに公爵家からこの屋敷へと逃がしてくれたのだった。

 公爵家であのままいたら、いつか命を落とすことになると、親がご当主様に懇願したのだと風の噂で聞いた。
 文字通り風の話をテイトは聞いていた。
 だから耐えていたのだ。
 もし、テイトが出て行く事で公爵家へ苦情が入って、親がその責を課せられるなら自分が我慢すれば良いと思っていた。
 だが、ジョスクが賊を引き入れた事を風が語り知ったことで、テイトに何かあればそれが引き金になってしまうかと思い、出て行くことを決めた。
 
 出て行く支度なんてほんの十分程度で全てが済み、風は早く早くと急き立てジョスクがテイトを追い出すために雇った賊は日暮れと共に忍び込むと教えてくれた。
 小屋として使っていた空間に渡していた布を木の枝から外すと、十畳ほどの広さの中に粗末な竈、机代わりの木の切り株がぽつんと残っていた。

「ここ星もたくさん、見えたし、木の実も葉っぱも、たまに魚も捕れたから凄く幸せだったなぁ」

 自分の居場所ではなくなった空間を見納めて、旦那様の答えを待つまでもなく雑木林を屋敷とは反対の方向、つまり敷地の外に広がる山の方へと歩き出した。

 少し歩いて振り返ると心を込めて、「ありがとうございました」そう呟いてしっかりと頭を下げて、また歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている

飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話 アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。 無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。 ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。 朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。 連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。 ※6/20追記。 少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。 今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。 1話目はちょっと暗めですが………。 宜しかったらお付き合い下さいませ。 多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。 ストックが切れるまで、毎日更新予定です。

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

【完結】伯爵家当主になりますので、お飾りの婚約者の僕は早く捨てて下さいね?

MEIKO
BL
【完結】そのうち番外編更新予定。伯爵家次男のマリンは、公爵家嫡男のミシェルの婚約者として一緒に過ごしているが実際はお飾りの存在だ。そんなマリンは池に落ちたショックで前世は日本人の男子で今この世界が小説の中なんだと気付いた。マズい!このままだとミシェルから婚約破棄されて路頭に迷うだけだ┉。僕はそこから前世の特技を活かしてお金を貯め、ミシェルに愛する人が現れるその日に備えだす。2年後、万全の備えと新たな朗報を得た僕は、もう婚約破棄してもらっていいんですけど?ってミシェルに告げた。なのに対象外のはずの僕に未練たらたらなの何で!? ※R対象話には『*』マーク付けますが、後半付近まで出て来ない予定です。

処理中です...