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しおりを挟む幸せだった。
だから、旦那様の幸せを心から願っています。
「陰気な顔を見せるな、そう言われて無かった?」
旦那様の愛する人、ジョスクからそう言われた。
旦那様からは何も言われなかった、とテイトは記憶していた。
そう、特に殴られるような事も無かったが、存在すらしない幽霊の様に誰からも扱われて来た。
男性の性別のほかに、子供を産める男性の二つの性のため、テイトはこの屋敷の持ち主であるザクロの伴侶として嫁してきた。
「ここ、は、僕の部屋、ですので」
旦那様が持つ屋敷の敷地内の一番奥まった雑木林の中が、ジョスクから言われたテイトが存在して良い空間で、そこに自分で作った小屋、いや、ただの布切れを渡しただけの空間と木々の枝葉が屋根の代わりの部屋に入って来て、顔を見せるなとは随分理不尽だった。
「その顔、不満がありそうだね。
私がどこへ行こうと、どこへ入ろうと許された者だって分からないのかい?
全く、いくらお前の実家の身分が公爵だからって、私生児ならもっと弁えているべきじゃないのかな?」
テイトが考えあぐねたまま立っていると、頭や肩を押さえつけられてその膝を無理矢理折り、更に平伏するように頭を押さえつけられた。
「いえ、ですが、こ、こ、は、顔を、見せなくて、よい、からと、与えられた、ばしょ」
「地面に向かって喋ると、その聞き取りづらいお前の言葉が余計に分からなくなるなぁ」
随分と長い間、会話どころか声すら出していなかったせいもあり、言葉が出ずうまく単語を繋げて喋ると言う事が出来なくなっていた。
公爵家ではご当主様が馬屋番をしていたテイトの親を暇つぶしに犯したせいで生まれた、汚らわしい子供だったから扱いも当然家畜以下な扱いだった。
産んでくれた親は一応愛妾として部屋を与えられるまでにはなったが、テイトは使用人部屋で育てられて年に二回だけ会う事を許されていた。
お互いの誕生日だけは一緒に過ごして、一緒に眠ることが唯一の幸せだった。
たった二日間の幸せすら疎ましく思う人たちに、罵倒したり死なない程度に殴る蹴るを受けて、治らない傷やケガで足を引きずるようになった時には、十歳を超えていた。
そのうち顔は折れたままでくっついた顎や鼻のせいで、バケモノの様だった。
顎と鼻がずれていると声も言葉も空気が漏れたような音しか出せなくなって、成長してどんどん醜くなると、実の親とテイトは顔を合わせる事が出来なくなっていた。
年二回の面会が一度延期されると、二度と約束が果たされることは無く、それを見捨てられたのだと判断した下男達が、よりもっと下の汚物の処理や忌み嫌われる仕事をさせる事で、彼らの欝憤を晴らす道具となっていた。
そんな中で十八の歳になった時に、公爵家と取引がしたいヤクザ者のザクロが、表向きはテイトを押し付けられる形で婚姻をする事になったために、本来結婚して伴侶になるはずだった男爵位を持つジョスクが、愛妾という立場になってしまった事で、テイトに腹を立てるのも理解していた。
「取引の為とは言え、お前の様な者がこの敷地内にいるなんて、汚いし私が気に入らないんだ。
出て行ってもらえないかな?」
「あ、の、旦那、さまの、お許しさえ、いただけ、れば」
「私が、言ってるだけでは駄目ってことなのかい?」
「で、すが、公爵、家との、お話しが、あるので」
平伏したまま答えた。
「わかった、今夜、待ってて」
苛立ちを隠そうともしないまま、彼は足早に雑木林を抜けて行った。
その後ろ姿を見送りながら、小屋の中にある私物をまとめなくちゃ、と立ち上がった。
「ここにある物で私物って、数枚の着物と今履いてる靴だけだしなぁ。
あ、あと親からもらった手紙だ」
相手がいなければ普通に喋れた。
ちょっと変な音だけど、とテイトは独り笑った。
字は独学で覚えた。
公爵家の家庭教師が教えてるのを窓越しに隠れてみて、計算も足し算引き算、掛け算に割り算が出来るようになった。
勉強嫌いの公爵家の子達のお陰だった。
宿題やら教本やらをすぐに捨てるから、それを使って勉強した。
顔を隠したら、何かしら仕事が貰えないだろうか、そう考えていたから頑張れた事だった。
公爵家を出て、一人で暮らしていかなければいけない事が間近に迫っていることが分かっていたテイトに、この婚姻は降って湧いた幸運だった。
会えなくなった親は、テイトを捨てた訳じゃなく、その身体を引き換えに公爵家からこの屋敷へと逃がしてくれたのだった。
公爵家であのままいたら、いつか命を落とすことになると、親がご当主様に懇願したのだと風の噂で聞いた。
文字通り風の話をテイトは聞いていた。
だから耐えていたのだ。
もし、テイトが出て行く事で公爵家へ苦情が入って、親がその責を課せられるなら自分が我慢すれば良いと思っていた。
だが、ジョスクが賊を引き入れた事を風が語り知ったことで、テイトに何かあればそれが引き金になってしまうかと思い、出て行くことを決めた。
出て行く支度なんてほんの十分程度で全てが済み、風は早く早くと急き立てジョスクがテイトを追い出すために雇った賊は日暮れと共に忍び込むと教えてくれた。
小屋として使っていた空間に渡していた布を木の枝から外すと、十畳ほどの広さの中に粗末な竈、机代わりの木の切り株がぽつんと残っていた。
「ここ星もたくさん、見えたし、木の実も葉っぱも、たまに魚も捕れたから凄く幸せだったなぁ」
自分の居場所ではなくなった空間を見納めて、旦那様の答えを待つまでもなく雑木林を屋敷とは反対の方向、つまり敷地の外に広がる山の方へと歩き出した。
少し歩いて振り返ると心を込めて、「ありがとうございました」そう呟いてしっかりと頭を下げて、また歩き出した。
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