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エピローグ
しおりを挟む4月の一週目の土曜日、僕は須磨浦公園の満開の桜の下でぼんやりと空を見上げていた。上手になったウグイスの鳴き声が、どこかの桜木の上から聞こえてくる。
春めくのどかな光景を眺めながら、大きな伸びをした時、向かいから白いワンピースを着た少女がやってきた。
僕がお仕えしているドラクリヤ家の次女、エマ様である。
「セバス、お花見の場所取りありがとね。みんなはもう少ししたら来るってさ」
春風がそよそよと吹き、出会った頃よりも少し長くなったエマ様の髪を揺らした。満開の桜の下で見るエマ様は、一段と儚く美しい存在に見えた。
「いえいえ、春の陽気が心地よくて、とてものんびり過ごさせてもらいました」
「最近もとても大変そうだったもんね。今日くらいはゆっくりしてよ」
卒業式が終わった翌日、僕はまたドラクリヤ邸の皆様の要望を応えるために、宝島で片足の海賊と対決したり、城崎温泉の秘湯を探すために、城崎の巌窟王と呼ばれる男と取引をしたり、なかなか忙しくしていた。
「そうですね。ありがとうございます」
「あっ、でもお花見だからって、お酒はもう飲み過ぎたら駄目だよ」
「はは、あの時は本当にありがとうございました。おやすみのキスまでしていただいたみたいで」
「っはぁ!? なんでその事っ!? もしかして起きてたのっ!?」
「ち、ちがいますよ! マリア様が動画を録ってしたのを後日拝見して……」
「はぁ……。もう……、最悪」
「僕は嬉しかったですよ」
「……そうなんだ」
「ええ、当然じゃないですか」
「……っじゃあ、今度はあんたが私にしてよ」
「はい?」
「それでおあいこでしょっ! 今度私が寝る時に、セバスがおやすみの……その……、キス……して」
僕はエマ様のその大胆な要望に、ぽかんと口をあけたまま目を丸くしていた。
「わぉ! エマったら大胆ね!」
桜の木陰からひょこっと顔を出したのは、星の貴婦人の娘である輝子様であった。
「ひゃっ!? 輝子っ、今のは違うのっ!」
「何が違うの? ねぇねぇ、セバス~! 私にもキスして!」
「ちょっと、あんた何しようとしてるのっ!」
僕の前で、エマ様と輝子様は取っ組み合いを始めてしまった。二人を止めようと立ち上がった僕に対し、「わぁ~! セバスだっ!」と突撃をかましてくる少女がいた。
「サクラ様。おはようございます」
いつも通りみぞおちに彼女の頭が入ったが、シルフィさんとフランケンさんから頂いた、超薄型防弾チョッキをインナーに着ていたため、無傷でサクラ様を迎えることができた。
「桜がいっぱい咲いてる! 私と同じ名前なんだよ」
「左様ですね。サクラ様と同様に、とても可愛らしく美しいお花です」
「えっ! うれしいなぁ! ありがとうセバス!」
そう言ってサクラ様は僕の頬に、ちゅっとフレンチキスをした。
「モテモテだねぇ。私も混ぜてよ」
春空の上から降ってきた声に顔を上げると、マリア様とその後ろにはケント様もいた。
「執事たる者、女性の扱いにも気品がないと駄目だぞ」とケント様はにやりと笑った。
その後は、ミックス呪酒のマスターが絶対に飲みきれないであろう、日本酒の入った巨大な酒樽を持ってきたり、首なしライダーさんがピザのデリバリーを持ってきてくれたり、花見会場は賑わいをみせてきた。最後にヴラド伯爵と撫子夫人が到着し、花見の宴会が始まった。
「あっ、桜の花びらが」
日本酒が注がれたおちょこに、ひらひらと舞い散る桜の花びらが入った。エマ様はそれを覗きこんで「何だか風流だね」と言った。
「ほんとですね。そういえばエマ様。今日は朝早くから厨房の方で何やら作業をされていたようですが、何をなさっていたのですか?」
「えっ……と、上手くできなかったから、もういいかなって思ったんだけど」
エマ様のカバンの中には、淡い緑の風呂敷で包まれた四角い容器があった。少し恥ずかしそうに、おずおずとエマ様はその包みを開いた。
「お花見のお弁当を作られたのですか。すごいじゃないですか」
綺麗な形の玉子焼きとミニハンバーグ、インゲンの胡麻和え、小さめのおにぎりが入っていた。
「食べてみていいですか?」
「うん……、美味しいかわからないけど」
僕が卵焼きを口に運ぶ様子を、エマ様は不安そうに見守った。
「エマ様……この卵焼き……」
「どう……かな?」
「すごい、めちゃめちゃ美味しいですよこれ」
不安げだったエマ様は、ほっとしたような柔らかい表情に変わった。
「そうかな? よかった」
「みなさんにも食べてもらいましょうよ」
「えっ、いいってば」
エマ様の作った可愛らしいお弁当は、フランケンさんが作った豪華お膳と同様に、みなからとても好評だった。
一しきり食事とお酒も進み、どんちゃん騒ぎが始まった。叩いて被ってジャンケンぽんが始まり、首なしライダーさんとケント様が全力の死闘をしていたり、酔ったホームズ探偵クラブのレストレードさんが腹踊りを始めたりした。
「みんなでこうして集まって、楽しく笑顔で過ごせる……こんな日々が続くといいですね」
桜の木の幹にもたれるように腰かけながら、僕は隣に座るエマ様に声をかけた。
「うん。きっとこんな日々がこれからも続いていくよ」
一度きりの人生で、僕は執事という仕事につくことが夢だった。その夢を叶えた今、まだ漠然としているが新しい夢がうまれた。
僕はドラクリヤ邸の執事として、この光景を一生守っていきたい。時とともに、遠くにいってしまう人もいれば、新しくこの場に加わる方もいるだろう。諸行無常というように、これからドラクリヤ邸の皆様にも、大変な出来事や危機的な時期があるかもしれない。
だけど、ドラクリヤ邸のみなさまが笑顔で過ごせる日々が続くこと、もっと笑顔が増やせる日々にしていくことができればいいなと思う。
それが執事となった今の……僕の新しい夢である。
完
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