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十三話 執事を巡る修羅場

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 ロープウェーを降りた後、僕と輝子様は、色々なお店が集まっているセンター街の方向へと向かった。

「はい、では……。町中に出たところで、まずは美容院で髪を切ります」
「嫌よ」

「嫌じゃありません」

 美容院には予め連絡しておき、子供が暴れないように固定する椅子に、縛り付けるように座らせた。

「こんな椅子に座るなんて恥ずかしいわ! もうわかったわよ! 大人しく切られるわよ!」

 さすがに諦めたのか、普通の椅子に座らせた後は大人しくカットされていた。

「何かあったら連絡ください。また子供用の椅子に縛りあげますので」
「もう抵抗しないわよ!」

 40分ほど待つと、美容師に連れられて可愛らしい女の子が出てきた。一瞬誰だかわからなかったが、タンポポの花のような美しい黄色の髪を見て、それが輝子様だと気が付いた。

「なんとまぁ……。見違えましたね」

 長かった前髪はばっさりと切られ、彼女の両目がはっきりと見える。腰のあたりまであった髪も、肩先らへんまで切られ、今時の女の子らしく毛先をゆるくカールさせてある。

「輝子様は普通に可愛い女の子だったんですね」
「はぁ!? 可愛いとか言うな!」

 初めて彼女の顔をちゃんと見たが、目はぱっちりとした二重で、可愛らしい小さな鼻の下には、ぷるっとピンク色の唇をしており、エマ様にも劣らない美少女に見えた。

 美容院を出てからも、彼女は視界が急激に広くなったからか、どうにも落ち着かない様子であった。少し伏し目がちにおどおどとしている。

「人が……多いわね」
 
 休日の中心街はそりゃ当然人も多い。久々の人混みが気になるというよりは、道行く人の視線がどうにも気になるらしい。

「大丈夫ですよ。どっからどう見ても可愛い女の子ですから、堂々と前を向いてください」
「うるさいっ! 可愛いいうな!」

「あとはそのだぼったい服をちゃんとしないとですね」

「えぇ~っ! もうこれでいいじゃない!」
「駄目です」

 先ほどの美容院の一件でもう諦めたのか、今回はわりと大人しく従ってくれた。コーディネートは店の店員さんに任せ、試着した物をそのまま購入した。だぼったいパーカーとジャージは僕が預かり、輝子様は買ったばかりの服に身を包んで店を出た。

「馬子にも衣装といいますが、まして美少女がちゃんとした衣装を着ると、本当に見違えてしまいますね」

「やめてよ……恥ずかしい」と輝子様は顔を少し赤らめた。しかし、最初はそわそわしていたものの、本人も次第に今の自分の姿に見慣れてきたのか、どこか嬉しそうな満ち足りた表情に見えた。

「この後はどうすんの?」
「そうですね。頑張ったご褒美に、ゲーセンでも行きましょうか」

「いいわね! 早く行くわよ!」と彼女は僕の手をとって引っ張った。子どもらしいその姿に、自然とこちらの表情も緩む。

「えへへっ! 今度もまた私の勝ちねっ!」
「さすが、お強いですね」

「今度はこっちのゲームを一緒にやるわよっ!」

 水を得た魚のように元気いっぱい、輝子様はゲームセンター内を荒らしまわった。ゲーセンでここまで遊んだのはいつ以来だろうか。

 何軒かのゲーセンを梯子し、中心街で一番大きなゲームセンターで、一通り遊びつくした後、僕らは彼女の家である六甲北異邦ハーブ園へと戻ることにした。

「今日は楽しかったわ」とご機嫌な様子で、輝子様は僕の腕にしがみ付いてきた。最初は僕の事を完全に敵だと認識していた彼女だったが、一日一緒に過ごすうちにすっかりなつかれてしまったようだ。

「喜んでもらえてよかったです。たまには外で遊ぶのもいいでしょ?」
「そうね。セバスも楽しかった?」

「もちろんですよ」

 それを聞いて、輝子様は嬉しそうにほほ笑んだ。

「また一緒に遊んでね」
「ええ、いつでも声をかけてください」

 ロープウェイに乗るため、二人で北野坂を歩いていると、坂の上から見知った少女が降りてくるのが見えた。

「あれ、エマお嬢様じゃありませんか」

 腕を組んで歩く僕と輝子様を見て、エマ様は眉間に皺を寄せた。

「何してんのよ、あんた」

 エマ様が僕のことをセバスと名前ではなく、あんたと呼ぶときはだいたい機嫌がよろしくない時だ。何かやらかしてしまったのだろうか。

「誰? この怖そうな女の子?」と輝子様は僕の背中の陰に隠れながら言った。

「怖くないですよ。僕が仕えているお屋敷のお嬢様です」
「……むぅ。ねぇ、セバス。これからは私の家の執事になってよ」

「はぁ!?」
「はい!?」

 エマ様と僕の驚く声は見事にシンクロした。

「最初は面倒だったけど、セバスとのデート……。すごく楽しかったのだもの。あなたを家で雇わせてよ」
「ふぅーん。帰りが遅いから人が心配して来てみれば、女の子とデートしてたんだね」

 エマ様の言い方は、かなり冷たく突き放したような話し方だった。これはよろしくない。

「あの……。これには深いわけがありまして、決して撫子夫人のご要望をないがしろにしてたわけじゃありませんよ。彼女を外に連れ出すように、星の貴婦人からのご要望を受けていたのです」

「そうなんだ。まぁ、どっちでもいいけど……」

 エマ様はまだご機嫌斜めのようである。

「そうですね。確かにそんな事はどっちでもいいです。そんなことよりも、僕のことを心配して来ていただけるなんて、ありがとうございます。エマお嬢様っっ!」

 エマ様のお手を取り、彼女の前に膝をつく。すると、エマ様は少し頬を赤らめ、「べ、別に……大したことじゃないわよ」とそっぽを向いてしまわれた。

「もう! セバスは家の執事になってもらうのよ!」

 突然、輝子様は僕の腕を引っ張ってきた。

「ちょっと! さっきからあんた何いってるのよ!? セバスは家の執事なのよ!」とエマ様も僕の腕を引っ張った。美少女二人に腕を振っぱられ、正直悪い気分ではなかったが、結構本気で二人とも引っ張るので今にも肩が外れそうである。

「あの……お二人とも、痛いです。真っ二つに裂けそうです」
「あっごめん! 大丈夫?」

 先に手を離したのはエマ様だった。やはりエマ様は、慈愛の心に満ちた優しい方である。

「大丈夫ですよ」

 僕はエマ様にほほ笑んだ後、輝子様に向き直った。

「輝子様……。申し訳ありませんが、僕はエマ様のお家に仕える執事なのです。こればかりはどうしようもありません」
「……。」

 輝子様はくりっとした二重の目に、大きな涙を浮かべていた。しかし、突然何か名案を思い付いたように顔を輝かせた。

「っあ! そうだわ! っじゃあ、セバスは私の彼氏になってよ。そうしたら、お休みの日は、私と一緒にデートできるわ」

「はぁっ!?」

 エマ様は先ほどよりも、さらに一段と大きな覇気迫る声をあげた。

「あ、あんたっ……! さっきから何言ってるのよっ!?」
「別にそれはいいでしょっ! あなたこそセバスの何なの? お嬢様だからって、執事のプライベートまで口出しする権利はないでしょっ!」

「そ、それはそうだけどっ! もう、セバスも何とか言いなさいよっ!」

 こんなわけのわからない修羅場みたいな状態で、いきなり振られても困ってしまう。しかし、ここはいい大人として、上手く立ち振る舞う必要があると判断した。

「輝子様……。彼氏や彼女というものは、本当にお互いを愛し合っている者同士がなるのです。僕らは、まだ出会って初日ではありませんか。それで彼氏や彼女なんて言うのはおかしな話だとは思いませんか」

「……うーん。でも、私はセバスの事好きだよ? 時間なんて関係ないわ」
「なぜそこまで? 僕はそれほどのことをしたつもりはないのですが?」

 首を傾げる僕に対して、輝子様はくりっとした目で僕を見つめ、それから少し恥ずかしそうに言葉を紡いだ。

「だって……。私に対して、あれは駄目だとか、こうしなさいとか言ってくれたの、あなたが初めてだもの。それに、今までずっと部屋で一人でゲームしてもつまらなかった。だけど、あなたとゲームするのはとっても楽しかった。」

 彼女の言葉はたくさんの心がこもっているものだった。出会ってまだ時間は短いが、それでも言葉に込められた思いは、大きなものだと伝わってくる。

「こんな楽しく過ごせた、笑って過ごせたのは生まれてはじめてよ。いっぱい楽しかった。とっても嬉しかった。だから……私は、あなたの事を愛しているわ」

「……っそ、そうですか」

 ここまでストレートに愛をぶつけられると、相手はかなり年下の子供とはいえ、流石に少し照れてしまう。

「そこの女の子よりも、私の方がセバスの事が好きよ。だったら、やっぱり私の家で執事をした方が楽しいわよっ!」

 輝子様は、エマ様にちらっと視線を送ってからそう言った。

「っえ……。ちょ、ちょっと待ってよ! そ、そんなこと言ったら、私だってセバスの事……。あなたよりもずっと大事に思ってるものっ! あなたにはあげないわ。」

 そう言って、エマ様は僕の服の袖をきゅっと摘まんだ。不安そうに震える彼女の腕をみて、僕は春の日差しに照らされるようなあたたかい気持になった。

「エマお嬢様……。何と嬉しきお言葉でしょうか。心配しなくても、僕はずっとあなたの執事ですよ」

「べ、別にっ……。心配とか……してないしっ……」

 そんな僕らのやりとりを見て、輝子様は悲しそうな表情になった。

「セバスは……、そのエマって子の事が好きなの?」

「っはぁ!? もうさっきから、あなた黙ってなさいよ!」とエマ様は取り乱した。

「もちろんですよ。僕はエマ様の事が大好きです」

「っふぇ……?」とエマ様は変な声をあげて、顔がみるみる赤く染まっていった。

「エマ様が執事である僕を見捨てない限り、僕が執事を辞める事はありません」
「そっか……。残念だなぁ」

「ですが、輝子様の事だって僕は大好きですよ」

「……っは?」とエマ様の顔は、怪訝な顔になった。一方で、「え! そうなのっ! やったー!」と輝子様は朗らかな笑みを見せた。目の前でタンポポがぱっと咲いたような明るさだ。

「ですから、また休みの日があればゲームにも付き合いますし、ご主人様に許可頂ければ、ぜひお屋敷の方にも遊びに来てください」

「いぇーい! やったね!」と輝子様はその場で飛び跳ねた。

「ちょっと……、セバス?」

 エマ様に服をくいっと引っ張られた。何やら不服そうな顔をしている。

「何でしょうか、エマお嬢様?」

「そ……その……。セバスにとって……、一番大事なのって……」

 今にも途切れそうな小さな声だったが、エマ様が言いたいことはよくわかった。

「もちろん、エマお嬢様が一番大事ですよ。」

「そっ、そう……。なら、別に父さんの許可なんか取らなくても、その子が家に遊びに来ても……、別に……いいわよ」
「さすがエマ様、お優しいですね。」

 微笑ましいエマ様の姿に、執事として本来あるまじき行為だが、思わずエマ様の頭を撫でてしまった。しかし、エマ様は恥ずかしそうにしながらも、僕の手を払いのけたりはしなかった。

「輝子様、エマ様がお屋敷に来ても大丈夫だと言ってくれています。よかったですね」
「やったー!」

「こういう時は、ちゃんとお礼を言うべきですよ」
「あ、そっか。ありがとうね! エマ……ちゃん?」

「ちょっと、私の方が年上でしょ? こういう時は敬語を使うべきだと教えてあげるわ。それにまだ会ったばかりなのに、もう少し距離感ってものが……。」
「あら、そうなの? ちなみに私は16歳……ですよ。エマ……さんは?」

 輝子様は、少しぎこちない敬語へとシフトした。一応はちゃんと敬語を扱う事ができるようである。そしてエマ様は、その言葉を聞いて驚愕の表情を浮かべた。

「え゛……うそっ? 同い年じゃん……」

「輝子様は……見た目も言動も子供っぽいので、幼く見えてしまいますね」
「そっかー! っじゃあ、ため口でいいね! よろしく、エマちゃん!」

 輝子様は、にこにことしながらエマ様に手を差し伸べた。

「ぐっ……。なんか……悔しいっ!」
「お気持ちは察しますが、せっかくなら仲良くしてあげてください」

「セバスに言われなくても……、わかってるよ」

 エマ様は輝子様から差し出された手を、きゅっと握り返した。

「それでは、僕は一度六甲北異邦ハーブ園まで行って、星の貴婦人に挨拶してから屋敷に戻りますね」
「うん……わかった」

「またねー、エマちゃん!」と輝子様はエマ様に手を振った。
「うん、またね……輝子」とエマ様も手を振り返した。

 夕日が西に沈みかけている頃、僕らは六甲北異邦ハーブ園に着いた。

「あら、輝子……。随分と可愛くなっちゃって」

 見違えるほどに可愛くなった娘を見て、星の貴婦人は驚きの表情で目を丸めた。

「……あ、あのさ。お母さん……、これからはさ……。私が駄目な事してたら、注意……してほしいかも」

 おそるおそるだったが、輝子様は星の貴婦人に対して、最後まできっちりと言葉を紡いだ。星の貴婦人はさらに驚いた表情を見せたが、やがてサングラス越しでもわかるほど、慈愛に満ちた母の笑顔に変わった。

「そうね……。もし……それが、輝子の願いなのだとしたら、私はあなたのしたい事を優先させるわ」

 そう言って、星の貴婦人は娘の頭をそっと撫でた。輝子様はとても嬉しそうに母の胸に顔をうずめていた。
輝子様をお部屋まで送ると、久々の外出でとても疲れていたのか、すぐに眠ってしまった。その後は星の貴婦人の部屋に案内された。

「ご苦労様だったわね。スバルの件といい、今回の輝子の件といい、なんかすごく大きな借りを作ってしまったわね」
「いえいえ、とんでもないです」

「とりあえず、約束の品として、この生首のホルマリン漬けはあげるわ」
「ありがとうございます」

「それと、これはまだ商品化もしていない幻のハーブなのだけど、あなたにあげるわ」
「えっ、いいんですか? とても貴重なものなのですよね」

「古代ローマ人によって記された最古の料理本に載っている、世界に現存しないと言われる“サフルー”という幻のハーブよ」
「ありがとうございます」

「上手く調合すれば、頭を半分ふっ飛ばされても、腹をぶち破られて瀕死になっても、たちまち治る万能薬になるらしいわ」

 かなり信憑性にかける胡散臭い話だ。そんな外傷を伴う大けがを負って、傷がたちまち治る薬なんて存在するはずがない。そう今までなら思うだろうが、温泉街の神に虹色マス、首なしライダーやミノタウルス、そんな胡散臭いものを見て来た以上、その話が本当の可能性も大いにある。

「すごいですね。まぁ、そんな大けがはしないに越した事はありませんがね」

「そうね。まぁ、念のために大事に持ってなさい。撫子ちゃんに上げるサマルダラも増量しておいたから」
「それは有り難いです」

 星の貴婦人に礼を言って、六甲北異邦ハーブ園を後にした。夕日はもう沈みかけている。今日もまた長い一日だった。
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