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八話 執事の労苦とその見返り
しおりを挟む屋敷に戻ると、ケント様は応接間でウォーキングデッドを見ながら、生レバーをあてに、血の様な真っ赤なワインを飲んでいた。血なまぐさい映像を見ながら、それらを嗜むことが悪いわけではないが、はたから見ている限りではあまりいい光景ではなかった。
「ケント様、今日のホームズ探偵クラブの会合について、また後で報告しますね」
「あぁ、ご苦労だったね。今報告してもらって構わないよ」
ケント様がそう言うので、僕は今日あった出来事を順序だてて説明した。
「なるほど、そうか。俺の代わりに会合に参加してもらって助かったよ。囮になってもらってすまなかったね。伝えるのをすっかり忘れてた」
ケント様は画面から目を離さず、しかし僕の話はきちんと理解している様子であった。
「切り裂きジャックの正体が、ミノタウロスの怪物だったとはね。いや、しかし今までの犯行と、今回の怪物が同じ犯人とは限らないな」
相変わらず目は画面をしっかり見据えながら、ケント様は今回の一件について考察をし始めた。
「あと、セバスを助けたっていう首なしライダーだが、あれもまた神戸の伝説的怪物だよ」
「伝説的怪物?」と僕はその言葉を復唱した。
「昔、六甲山に暴走族が多くいたらしくてね。騒音に腹が立った住民が、ピアノ線を道路に張ったんだよ」
「エグイことしますね」
「それで首を跳ね飛ばされたライダーの成れの果てが、今も神戸界隈を走り回っているという伝説だよ」
「そうだったんですね」
「どうせなら、牛頭の男を捕獲してほしかったところだけど、まぁ仕方ないか」
なんと無茶をいうのだろう。こっちはかなり命がけだったというのに。
「まぁそれでも十分な働きだと認めよう。俺からの要望に関しては合格だ」
「……ありがとうございます。またご要望があれば、いつでも仰せつけください」
「ああ、もう下がっていいよ」
最後までケント様はこちらに一瞥もむけることはなかった。僕は今日、牛頭の男に殺されかけたのだ。正直、ケント様からもう少し感謝してもらえるかな……と思ったが、そんな事を考えるのは執事としては不適切だと自分を戒めた。
執事として、ご主人様とその家族に尽くすのは当然である。ケント様は僕に労いの言葉をくれた。それで十分だろう。心に浮かんだ「苦労したのに、それだけか……」なんて気持ちはすぐに消し去った。
執事がそんな感情をもつのはおこがましい事だ。執事は仕える相手に対して絶対服従する。それがどんな要望だろうと、そつなくこなすのが当然であり、感謝や労いを期待してする行動ものではない。
夢にまで見た執事の仕事だ。これしきで気落ちしているわけにはいかない。
応接間を出た後、フランケンさんが申し訳なさそうに僕のもとにやってきた。
「今日は驚かせてすみませんでした」
「いや、僕は大丈夫ですが。次からは気を付けてくださいね。それよりも、エマ様の方は大丈夫なのですか?」
「ええ……。一応は謝罪の方は済ませてますが、セバスさんの方からもお嬢様の様子を見て頂いて構わないでしょうか」
「わかりました」
「それとこの間の虹色マスですが、桜チップで燻製にしてみました。日持ちもしますので、どうぞ」
「いいんですか? ありがとうございます」
「いえいえ。では、私はこれで失礼します」
フランケンさんと別れた後、僕はエマ様の部屋を尋ねることにした。僕とエマ様が今日経験したのは、刃物を持った男に追いかけられるという、極めてショッキングなものであった。結局、それは屋敷に仕えるフランケンさんがだったわけだが、エマ様が心に深い傷を負っていないか心配である。
彼女の部屋をノックをすると、やや合間をおいてから部屋の扉が開かれた。
「……なに?」
「エマ様、今日は怖い目に合わせてしまったこと、またいきなり抱きかかえるなど、無礼な事をしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
そう言って、僕は深々と頭を下げた。
「……いい」
小さな声でエマ様はそう言った。
「むしろ……その……。私のこと……守ろうとしてくれて、ありがとう」
驚いて顔を上げると、エマ様は少し頬を赤らめて恥ずかしそうにしていた。お叱りを受けるならまだしも、感謝の言葉を言われるとは思ってなかった。
それは拙いながらも、彼女の心がこもった温かい言葉だった。彼女のそのたった一言が、思わず涙を浮かべそうになるほどに、僕の心を強く打った。
「なんと有り難きお言葉……、寛大なエマ様にお仕えできるよう、これからも精進いたします」
感謝の言葉を頂けるというものは、やはり嬉しいものだ。執事冥利に尽きる。
「エマ様は、何かご要望はありますでしょうか?」
「ん……、今のところは……何もないよ」
「そうですか。また何かありましたら、何でも申し付けてください」
そう言って、エマ様の部屋を出ようとした時、廊下から明るい女性の声が聞こえてきた。
「あら? セバスじゃない!」
「おや、マリア様じゃないですか。何かご要望でしょうか」
マリア様は、真っ白なバスローブを纏い、髪型もまだ水が滴っていた。どうやら風呂上がりのようだ。胸元がかなり露出しており、目のやり場にかなり困る。
「何か用事がなければ声をかけてはいけないの?」と意地悪そうにマリア様は笑った。
「いえ、もちろんそんな事はございませんが」
「今から私の部屋においでよ。二人きりでたくさん良い事しましょうよ」
マリア様のその一言に、エマ様は明らかに顔をしかめた。冗談でもマリア様の誘いに乗るような発言をすると、エマ様の機嫌が悪くなるのは明らかだ。
「特に用事がないのであれば、僕はここで失礼しますよ。まだ学校を卒業してないので、住み込みでもないんですから」
「冗談よ。私からの要望を言うからちょっとだけ待ってよ」
「それでしたら、何なりとお申し付けください」
マリア様はブロンドの髪をかきあげながら、僕への要望を語り出した。
「うーん、そうね。セバスは有馬温泉が、豊臣秀吉の愛好した場所だって知っているかしら?」
「ええ、それなら知っていますけれども」
有馬温泉が、歴史上の人物が多く愛好した事は有名な話だ。かの平安時代の行基が有馬温泉の基礎を作ったとも言われている。
「その秀吉が作らせたと言われる、有馬温泉の最奥にある秘湯、黄金の湯を知っているかしら?」
「黄金の湯ですか……。いや、聞いたことないですね」
「浴槽から、壁まで全部が黄金でできているらしいの。ぜひともそこに一度行ってみたいのだけど、何せ伝説的な秘湯だから、行き方を知っている人が誰もいないのよ。そこに連れて行ってほしかったのだけど、でもセバスも知らないなら、他の要望に変えるわね」
確かに黄金の湯は知らないが、その行き方を知っている人物になら心当たりがある。
「いえ、ちょっと待ってください。先日、有馬温泉にとても詳しい人物と知り合ったのですよ。その方なら、黄金の湯への行き方を知っているかもしれません」
「まぁ本当に!」とマリア様の表情は輝いた。よっぽど温泉が好きなのだろうか。それとも金が好きなのだろうか。
「一度その方と会って、確認してみますね」
「いえ、今度の土曜日に一緒に行きましょうよ。もし行き方がわからなければ、普通に有馬温泉に浸かって帰るのでいいわ。混浴に一緒に入りましょうね」
「はぁ……混浴はさておき。それでいいなら、僕は問題ありませんが」
「エマも一緒に行く?」とマリア様は、自室に引っ込むタイミングを逃したエマ様に尋ねた。
「……考えとく」
そう言って、エマ様は自室の扉を閉めてしまった。
「あら、いつもなら私からの誘いなんて断るのに。まぁよかったわ。姉妹は仲がいい方が素敵よね」
「そうですね」
「……敬語。二人きりの時は、なんて言ったかしら?」とマリア様は言った。
「そうだね」と仕方なく言い直すと、「っじゃあ、土曜日楽しみにしてるわね」と満足そうな表情で、マリアも自室へと戻っていった。
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